東北地方
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/09 07:34 UTC 版)
東北地方のデータ | |
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6県の合計 | |
国 |
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面積 |
66,951.97 km2 (2013年10月1日)[1] |
推計人口 |
8,325,126人 (直近の統計[注釈 1]) |
人口密度 |
124.3人/km2 (直近の統計[注釈 1]) |
位置 | |
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その範囲に現行法上の明確な定義はないものの[注釈 3]、一般には青森県、岩手県、宮城県、秋田県、山形県、福島県の6県を指す[3]。これら6県は、本州の約3割の面積を占める[4]。東北地方は東日本に位置するが、気象や歴史地理学などでは北海道と一緒に北日本とされる[5]。
地理

- 人口は約862万人(2020年10月1日-国勢調査)
- 面積は66,889 km2[6]
- 人口密度は1km2あたり約144人(2005年10月1日-国勢調査)
- 東北六県の県民総生産の合計は33兆3007億円(2007年度-県民経済計算)
県名 | 総面積(S) |
---|---|
岩手県 | 15,279 km2 |
福島県 | 13,783 km2 |
秋田県 | 11,612 km2 |
青森県 | 9,607 km2 |
山形県 | 9,323 km2 |
宮城県 | 7,285 km2 |
合計 | 66,889 km2 |
県名 | 可住面積(P) | P/S |
---|---|---|
福島県 | 4,218 km2 | 30.6% |
岩手県 | 3,710 km2 | 24.3% |
青森県 | 3,204 km2 | 33.4% |
秋田県 | 3,155 km2 | 27.2% |
宮城県 | 3,130 km2 | 43.0% |
山形県 | 2,850 km2 | 30.6% |
合計 | 20,267 km2 | 30.3% |
県名 | DID面積 | DID/P | DID/S |
---|---|---|---|
宮城県 | 231 km2 | 7.4% | 3.2% |
福島県 | 176 km2 | 4.2% | 1.3% |
青森県 | 156 km2 | 4.9% | 1.6% |
山形県 | 113 km2 | 4.0% | 1.2% |
秋田県 | 87 km2 | 2.8% | 0.7% |
岩手県 | 86 km2 | 2.3% | 0.6% |
合計 | 849 km2 | 4.2% | 1.3% |
県名 | 人口密度(人/S) | 可住地人口密度(人/P) |
---|---|---|
宮城県 | 325.6人/km2 | 757.7人/km2 |
福島県 | 153.3人/km2 | 500.8人/km2 |
青森県 | 152.0人/km2 | 455.6人/km2 |
山形県 | 131.9人/km2 | 431.5人/km2 |
秋田県 | 100.5人/km2 | 370.0人/km2 |
岩手県 | 91.7人/km2 | 377.8人/km2 |
東北6県 | 145.7人/km2 | 480.7人/km2 |
- 国土交通省東北運輸局による統計。「P/S」は総面積(S)に対する可住面積(P)の割合。「DID」は人口集中地区のこと。「DID/P」は可住面積(P)に対するDIDの割合。「DID/S」は総面積(S)に対するDIDの割合。
地形

プレート理論では、東北地方は北海道とともに北アメリカプレート上に存在し、東側から太平洋プレートが日本海溝で潜り込んでいる。そのため、海溝型を中心に地震が多く、ときには東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)のようにマグニチュード9を超える大規模な地震が起こることもある。東北地方の中央には、日本海溝と平行に南北に那須火山帯が走っている。この火山帯の上には、下北半島の恐山山地、および、南北に長く奥羽山脈が連なっており、北から恐山、八甲田山・八幡平・岩手山・栗駒山・蔵王連峰・吾妻連峰・安達太良山・那須岳などの火山が多くある。那須火山帯(奥羽山脈)の上には十和田湖・田沢湖・鬼首カルデラ・蔵王の御釜周辺などのカルデラ地形が見られ、火山の恩恵である温泉も多い。なお、猪苗代湖は断層湖である。
日本海側には、ユーラシアプレートと北アメリカプレートの境界が南北に走っているため、那須火山帯と平行に鳥海火山帯が南北に走っている。この火山帯の上には、白神山地・出羽山地(太平山地・朝日山地・飯豊山地)・越後山脈が連なっており、岩木山・鳥海山・月山などの美しい稜線を持った火山が見られる。山地が海に接する部分では、海岸沿いに温泉が湧いており、海を眺めながら入浴することができる。
太平洋側には北上山地と阿武隈高地がある。これらは、隆起地形が侵食され、現在は老年期地形となった、なだらかで低い山地である。残丘として標高1917mの早池峰山があるが、基本的になだらかな山地で、奥羽山脈より日本海側と比べると積雪も少ないためスキー場が少なく、火山帯ではないため温泉も少ない。ただし昔、海底にあって隆起した証拠である鍾乳洞などの石灰岩地形が多く見られる。北上山地が海にせり出しているリアス式海岸の三陸海岸では、石灰岩が波に洗われてつくりだされた複雑な海岸線や真っ白な砂浜が見られ、親潮のコバルトブルーの海とコントラストを作り出している。阿武隈高地と太平洋の間は離水海岸となっており、リアス式海岸の間の海が埋め立てられたような小規模な沖積平野が小高い山地と交互に存在しながら延々と続く。
これら3連の南北に連なる山脈・山地の間には、北上川、阿武隈川、雄物川、最上川などの河川が流れ、多くの盆地や平野を作り出している。
気候
気候は、小地形による修飾があるが、大きく日本海沿岸、那須火山帯山麓と西側(盆地)、那須火山帯山麓を除く東側(盆地)、太平洋沿岸 の4つのグループに分かれており、それぞれ異なった傾向を持っている。また、それぞれのグループごとに、北と南で微妙な違いもある。宮城県・福島県の太平洋沿岸を除いて全域が豪雪地帯で、一部特別豪雪地帯もある。
日本海沿岸と那須火山帯山麓と西側(盆地)の「日本海側グループ」は、日本海側気候となっており、夏季はフェーン現象により、晴天が多く、非常な高温になることがある(山形市で40.8度を記録)。しかし、昼間の高温の割りに夜間は気温が下がって過ごし易い。冬季は、日照時間が少なく、豪雪地帯となっているところが多いが、特に奥羽山脈西側の盆地の降雪量が多い。
太平洋側の那須火山帯山麓を除く東側(盆地)は、太平洋側気候と内陸性気候を併せ持つ。夏季は、フェーン現象により高温となる日と、太平洋沿岸地域のような曇天で気温が低い日との両方がある。冬季も、寒気団や北風・西風などの諸要因が強いと日本海側のように雪が降る場合がある一方、太平洋沿岸地域のように、晴天になる日も多い。
太平洋沿岸は、太平洋側気候と海洋性気候を併せ持つ。夏季は、北部・中部は通常曇天で気温が上がらず、数年毎にやませの流入により、低温で悪天候の冷夏となる年がある。南部(福島県浜通り)の夏季は、太平洋高気圧の影響下に入り易く、高温で晴天の日が多い。中部・南部は、冬季の積雪量は少なく、晴れて空気は乾燥する。
主な都市の冬 (平年値)
都市 | 降雪量累計 | 最深積雪 | 1月(平年値) | ||||||
日照時間 | 降水日数 | 日隔差 | 平均気温 | 最高気温 | 最低気温 | ||||
札幌 | 630 cm | 101 cm | 97.2 時間 | 17.9 日 | 6.8℃ | -4.1℃ | -0.9℃ | -7.7℃ | |
深浦 | 385 cm | 44 cm | 31.3 時間 | 18.1 日 | 4.7℃ | -0.4℃ | 2.0℃ | -2.7℃ | |
秋田 | 409 cm | 41 cm | 44.6 時間 | 20.6 日 | 5.4℃ | 0.0℃ | 2.7℃ | -2.7℃ | |
酒田 | 375 cm | 37 cm | 39.9 時間 | 22.7 日 | 5.4℃ | 1.5℃ | 4.1℃ | -1.3℃ | |
青森 | 774 cm | 114 cm | 56.7 時間 | 22.1 日 | 5.8℃ | -1.4℃ | 1.5℃ | -4.3℃ | |
新庄 | 878 cm | 126 cm | 43.1 時間 | 23.8 日 | 5.8℃ | -1.2℃ | 1.4℃ | -4.4℃ | |
山形 | 491 cm | 50 cm | 89.6 時間 | 15.2 日 | 6.6℃ | -0.5℃ | 3.0℃ | -3.6℃ | |
若松 | 537 cm | 58 cm | 80.9 時間 | 14.8 日 | 6.4℃ | -0.7℃ | 2.6℃ | -3.8℃ | |
むつ | 564 cm | 70 cm | 77.0 時間 | 17.7 日 | 6.8℃ | -1.6℃ | 1.4℃ | -5.4℃ | |
盛岡 | 351 cm | 36 cm | 124.0 時間 | 9.7 日 | 7.6℃ | -2.1℃ | 1.7℃ | -5.9℃ | |
福島 | 235 cm | 26 cm | 136.6 時間 | 7.9 日 | 7.5℃ | 1.4℃ | 5.4℃ | -2.1℃ | |
白河 | 173 cm | 21 cm | 160.9 時間 | 4.8 日 | 8.6℃ | 0.2℃ | 4.6℃ | -4.0℃ | |
八戸 | 318 cm | 33 cm | 134.5 時間 | 6.9 日 | 7.0℃ | -1.2℃ | 2.5℃ | -4.5℃ | |
宮古 | 186 cm | 32 cm | 163.6 時間 | 4.6 日 | 8.8℃ | 0.2℃ | 4.8℃ | -4.0℃ | |
大船渡 | 77 cm | 13 cm | 148.6 時間 | 5.2 日 | 7.3℃ | 0.7℃ | 4.4℃ | -2.9℃ | |
石巻 | 56 cm | 17 cm | 167.6 時間 | 4.3 日 | 7.2℃ | 0.5℃ | 4.4℃ | -2.8℃ | |
仙台 | 90 cm | 17 cm | 151.3 時間 | 5.5 日 | 7.2℃ | 1.5℃ | 5.2℃ | -2.0℃ | |
小名浜 | 14 cm | 6 cm | 189.6 時間 | 4.1 日 | 9.1℃ | 3.6℃ | 8.2℃ | -0.9℃ | |
東京 | 13 cm | 7 cm | 180.5 時間 | 4.6 日 | 7.8℃ | 5.8℃ | 9.8℃ | 2.1℃ |
日本海沿岸、那須火山帯山麓と西側、那須火山帯山麓を除く東側、太平洋沿岸 の4グループに色分けしてある。
- ※降雪量累計:気象庁の統計データ でいう「降雪の深さ合計」のこと。日ごとの降雪量を、シーズン全体で合計した量(平年値)
- ※最深積雪:一度に降る最も多い積雪量(平年値)
- ※降水日数:1mm以上の降水が観測される日数(平年値)
- ※日隔差:1月の平均最高気温と平均最低気温の差。1日の寒暖の差(平年値)
主な都市の夏 (8月 の平年値)
都市 | 平均気温 | 最高気温 | 最低気温 | 日隔差 | 日照時間 | 降水量 | |
札幌 | 22.0 ℃ | 26.1 ℃ | 18.5 ℃ | 7.6 ℃ | 173.5 時間 | 137.3 mm | |
深浦 | 23.1 ℃ | 26.8 ℃ | 19.9 ℃ | 6.9 ℃ | 185.9 時間 | 157.4 mm | |
秋田 | 24.5 ℃ | 28.8 ℃ | 20.9 ℃ | 7.9 ℃ | 200.4 時間 | 181.9 mm | |
酒田 | 24.9 ℃ | 29.1 ℃ | 21.0 ℃ | 8.1 ℃ | 211.6 時間 | 175.8 mm | |
青森 | 23.0 ℃ | 27.6 ℃ | 19.3 ℃ | 8.3 ℃ | 190.8 時間 | 129.3 mm | |
新庄 | 23.9 ℃ | 28.9 ℃ | 19.8 ℃ | 9.1 ℃ | 177.5 時間 | 174.5 mm | |
山形 | 24.6 ℃ | 30.2 ℃ | 20.3 ℃ | 9.9 ℃ | 184.7 時間 | 148.8 mm | |
若松 | 24.8 ℃ | 30.4 ℃ | 20.3 ℃ | 10.1 ℃ | 199.5 時間 | 131.0 mm | |
むつ | 21.7 ℃ | 25.7 ℃ | 18.2 ℃ | 7.5 ℃ | 152.8 時間 | 140.4 mm | |
盛岡 | 23.2 ℃ | 28.1 ℃ | 19.2 ℃ | 8.9 ℃ | 158.8 時間 | 177.8 mm | |
福島 | 25.2 ℃ | 30.2 ℃ | 21.5 ℃ | 8.7 ℃ | 159.7 時間 | 144.3 mm | |
白河 | 23.3 ℃ | 28.1 ℃ | 19.7 ℃ | 8.4 ℃ | 154.0 時間 | 228.2 mm | |
八戸 | 22.3 ℃ | 26.5 ℃ | 19.1 ℃ | 7.4 ℃ | 173.3 時間 | 139.8 mm | |
宮古 | 22.2 ℃ | 26.4 ℃ | 19.1 ℃ | 7.3 ℃ | 165.2 時間 | 180.8 mm | |
大船渡 | 23.0 ℃ | 26.9 ℃ | 19.8 ℃ | 7.1 ℃ | 161.5 時間 | 198.6 mm | |
石巻 | 23.5 ℃ | 26.9 ℃ | 20.8 ℃ | 6.1 ℃ | 178.1 時間 | 127.0 mm | |
仙台 | 24.1 ℃ | 27.9 ℃ | 21.2 ℃ | 6.7 ℃ | 155.4 時間 | 174.2 mm | |
小名浜 | 23.9 ℃ | 27.3 ℃ | 18.5 ℃ | 8.8 ℃ | 193.9 時間 | 141.7 mm | |
東京 | 27.1 ℃ | 30.8 ℃ | 24.2 ℃ | 6.6 ℃ | 177.5 時間 | 155.1 mm |
日本海沿岸、那須火山帯山麓と西側、那須火山帯山麓を除く東側、太平洋沿岸 の4グループに色分けしてある。
- ※日隔差:8月の平均最高気温と平均最低気温の差。1日の暑涼の差(平年値)
地域
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東北地方内の区分
古代の東北地方において、(1)多賀城が設置されて早くから畿内に本拠地を置く政権の勢力が及んだ南東北、畿内政権の影響力が弱く、俘囚や奥州藤原氏の本拠となっていた北東北、といった古代からの南北区分と;(2)陸奥国の「内陸国」「政治勢力の地盤」、出羽国の「沿岸国」「経済勢力の地盤」の境界であった奥羽山脈による東西区分が、意味を変えながらも現代の東北地方内の区分と似た状況になっている。
ただし、文化的には戦国時代の大名の支配圏や、江戸時代の藩による区分の方が影響を残しており、また、新幹線・高速道路・空港から遠い三陸沿岸や下北半島も、少なくとも意識の上では他の都市圏から独立した独自の地域圏を形成している。
太平洋側と日本海側
東北地方は「太平洋側」と「日本海側」の2つに区分されることがある。両者の境界は、那須火山帯上にある恐山〜奥羽山脈の線、または中央分水嶺[7]による竜飛岬(津軽半島)〜奥羽山脈とする線などがある。
この分類は、気候 による区分でよく用いられ、日本海側は脊梁山脈である奥羽山脈の西側にあるため、特に日本海側盆地(国道121号・国道13号・国道105号沿線)は冬の降雪量が多く、日本海沿岸(国道7号沿線)は風が強い地域である。一方、太平洋側は奥羽山脈の東側にあり、太平洋側盆地(国道4号沿線)は内陸性気候であるが降雪量は奥羽山脈西側ほど多くなく、太平洋沿岸(国道6号・国道45号沿線)は冬でも晴れが多くて雪がめったに降らない。夏の気候では、日本海沿岸はフェーン現象のために晴天で気温が上昇し易いが、太平洋沿岸はやませの影響で気温が低い年がある。
また、海流の面で、太平洋側は親潮と黒潮、日本海側は対馬海流(とリマン海流)の影響を受けるため、海運 の面でも「太平洋側」と「日本海側」に区分する。前近代においては、太平洋岸は波が荒く、航海が危険であるため、日本海側と比較して海運は活発ではなかった。現在は、動力を積んだ大型船の時代であり、また、太平洋ベルトに近い利点から、太平洋側の海運が活発である。
陸奥国と出羽国
- 「内陸国」と「沿岸国」
陸奥国の国府が仙台平野の多賀城に置かれ、出羽国の国府が庄内平野の酒田に置かれた事で解るように、陸奥は「内陸国」の、出羽は「沿岸国」の傾向が見られる。
陸奥国(盆地、太平洋沿岸)は、沿岸平野がいわき市周辺(特徴的海岸:四倉)、相馬市周辺(特徴的海岸:松川浦)、仙台平野(特徴的海岸:松島)、八戸市周辺(特徴的海岸:蕪島)と乏しく、波も荒く海流も強いため、陸上交通による関東地方との関わりが深い「内陸国」であった(→みちのく)。
一方、出羽国(日本海沿岸)は、沿岸に庄内平野、秋田平野、能代平野、津軽平野と、内陸部につながる沿岸平野がほぼ均等な間隔で存在し、北前船に代表されるように、古代から明治時代まで、海運による近畿地方との関わりが深い「沿岸国」であった(→越後国の先にある地域)。
江戸時代には、おおむね日本海沿岸の地域は銀遣い、太平洋沿岸の地域は金遣いであり、その境界線はおおよそ下北半島の東岸であった。
- 分割
戊辰戦争終結の直後、明治元年旧暦12月7日(1869年1月19日)に、陸奥国は分割され、陸奥国 (1869-)・陸中国・陸前国・岩代国・磐城国が設置され、同じく出羽国も羽前国・羽後国に分割された。羽前と羽後の総称として「両羽」、陸奥・陸中・陸前の総称として「三陸」という地域名が使われることもある。
北東北と南東北
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東北地方は、主要都市の間に東北新幹線・山形新幹線・秋田新幹線が通っている。また、東北地方内陸を南北に貫く東北自動車道の他、太平洋側と日本海側を結ぶ高速道路がいくつも整備され、運行本数が少なく割高な在来線よりも、安価で速く便利に移動できる高速バスが、各都市間で運行されるようになった。すると、それまで空路で東京とつながってバラバラだった主要都市間の関係が、新幹線によるつながりや高速道路(高速バス)によるつながりによって再編成されることになった。
北東北三県は、各県知事の政治主導で「三県連合」の枠組みがつくられたが、元々各県都間の地理的距離があり、うち青森市や秋田市の場合、陸路では東京からの所要時間が長いため、新幹線が開通しても空路から陸路への旅客シフトが劇的には起きなかった。その結果、新幹線の結節点である盛岡市を中心とした相互交流や、高速バスの低廉化・高頻度化などはあまり発生しなかった。
一方、南東北三県においては、各県の県庁所在地や中心都市が元々近接していたこともあり、仙台市との経済的結び付きが強い地域が「仙台経済圏」を形成している。南東北三県都(仙台市・山形市・福島市)がある中枢部は、南東北中枢広域都市圏という名称の協議会を結成して、人口334万人を抱える大都市圏行政を行っている他、「三県都連合」が経済後追いの形で形成されている。
周辺地方との関係
青森や下北半島などの地方では、青函トンネルや津軽海峡フェリー、青函フェリーを通じて函館など北海道道南地方との繋がりが深い。青森と函館との間では「青函都市圏」構想が練られている。
福島県中通りは、栃木県と隣接しており、自家用車による交流は盛んだが、鉄道を介した繋がりは浅い(→東北新幹線#概要、山形新幹線#需要、秋田新幹線#需要)。ただし、那須温泉郷や日光などの観光地への観光需要は大きく、東北地方と栃木県のタウン情報誌TJN加盟全9誌では、毎号見開き2頁の共通誌面を作っている。
定義域と名称
この地方の名称は、歴史的に変遷している。まず、古代には、畿内から始まる海道(後の東海道)と山道(後の東山道)の各々の道の奥にあることから「みちのおく」「みちのく」とされ、当地方南部(南東北)に「道奥国」(みちのおくのくに)が設置された。後に陸奥国と出羽国が設置されると、両者から1字ずつ取った「奥羽」「奥羽両国」「奥羽州」と呼ばれた。また、両者を一括して実効支配を敷いた奥州藤原氏や奥州探題などの例から、単に「奥州」ともといわれた。
「東北」と称する文献例は、主に江戸時代・天保期以降の幕末になってから散見されるようになり、この場合、「東北国」と称する例もある。地方名としての「東北」の称が公的な史料で初見されるのは、慶応4年(1868年)に佐竹義堯(秋田藩主)に下賜された内勅とされる。ただし、この場合の「東北」は五畿七道の内の「東北3道」(東海道・東山道・北陸道)、すなわち、天皇の在所である畿内からみて東あるいは北東側にある全ての地域を指しており、西南4道(山陰道・山陽道・南海道・西海道)と対比される[8]。または、東国と北陸の合成語とも考えられる。なお、奥羽および現在の東北地方は「東山道の北部」に位置している。
明治元年12月7日(西暦1869年1月19日)、奥羽越列藩同盟諸藩に対する戊辰戦争の戦後処理の一環として、陸奥国が5分割(磐城・岩代・陸前・陸中・陸奥)、出羽国が2分割(羽前・羽後)されると、「陸羽」または「三陸両羽」との呼称が生まれた。この場合、現在の福島県全域と宮城県南端に相当する磐城・岩代の2国を除いた、残りの「陸」と「羽」が付く5国の地域を指し、「奥羽」とは指し示す領域が異なっているが、分割前の「陸奥国」と「出羽国」と見ることもできるため、混同されて使用される例も見られる。明治前半に奥羽両国は、明治元年成立の旧国の数から「奥羽7州」「東北7州」、あるいは、新設の県の数から「東北6県」とも言われるようになる。
廃藩置県が実施されて全国が政府直轄となると、当地方から北海道が切り離され、仙台県宮城郡仙台(後の宮城県仙台市)に国家の出先機関などが置かれていった。これらの管轄範囲が公的には「奥羽」と呼ばれる一方、在野の民権派は「奥羽」「奥羽越」あるいは「奥羽および北海道」の範囲を指す美称として「東北」を(「西南」と対比して)用いるようになった[8]。明治の後半になると民間でも「奥羽」の範囲を「東北」と呼ぶのが通例となり、公的にも「東北」が用いられるようになった[8]。
この結果、「東北」は日本の地域の中で唯一、民間由来の地方名として定着し[8]、明治以降144年以上に亘って、東北地方の主要企業・国家の出先機関・大学などの名称に多く用いられてきた。そのため、現在は「奥羽」よりも「東北」の方が当地方の呼称として一般的である。
東北7県
既存の6県以外に、新潟県を東北地方に編入する場合がある。この場合は「東北7県」「奥羽越」と呼ばれるが、交通、電力、歴史における同一性に起因する。
律令時代には陸奥国が「蝦夷vsヤマト王権」の前線であったが、現在の下越地方(1873年以前の新潟県)も渟足柵や磐舟柵が建てられて「蝦夷vsヤマト王権」の前線になった地域であり、下越地方の城柵が庄内地方に北上する経過をたどっている(出羽柵、鼠ヶ関)。
明治維新期の戊辰戦争でも「奥羽越列藩同盟」が結成され、米山以東の新潟県(下越地方と中越地方)は列藩同盟に加わり明治政府軍と交戦した地域である(北越戦争)。
他にも、交通や電力に関する分野では、新潟県を東北6県と一緒に扱う場合がある。これは、明治時代から始まった水力発電や、交通体系で山形県庄内地方や福島県会津地方と密接である点が大きい。
新潟県の面積は広大で既に水力発電所が複数あり、当時の国鉄にも電力供給を行っていたくらい発電が実施されたとされる。中でも下越地方と会津地方は阿賀野川(只見川)の流域で、阿賀野川は電源開発の最重要地域の一つであった。このため、新潟県を加えた7県を供給範囲とする電力会社として、第二次大戦中の1942年(昭和17年)には配電統制令により東北配電株式会社が設立された。1950年(昭和25年)には電気事業再編成令により東北電力が設立された。1952年(昭和27年)のサンフランシスコ講和条約発効後になると、7県を対象範囲とする地域開発の法律が作られた。
この事からも、旧柏崎県(上越地方と中越地方)と1873年以前の新潟県(下越地方)で電力供給の思惑が異なり、旧柏崎県では自力で賄える範囲であったが、当時から電力の消費地として既に下越地方の新潟市では電力供給が乏しくなることとなった。また旧柏崎県からの送電網構築により下越地方から山形県庄内地方までも電力のカバーができることも大きく影響しているとされる。
交通面でも、会津地方と庄内地方を往来するには、下越地方を通らねばならない。このため、国鉄時代の新潟鉄道管理局(分割民営化後もJR東日本新潟支社がそのまま継承)のエリアは、新潟県、庄内地方、喜多方以西の会津地方が一緒になっている。なお、新潟市と東北諸地域を結ぶ陸路では、1914年に磐越西線、1924年に羽越本線、1997年に磐越自動車道が全通したが、(南)長岡・直江津方面と(東)郡山方面が鉄道・高速道路共に充実している反面、(北)酒田方面は羽越本線のみで日本海東北自動車道の新潟⇔酒田は2023年現在も未だ開通していない。
「東北6県」「東北7県」以外の例としては、1888年に行われた「東北」対象の自由民権運動集会には新潟県、長野県、富山県、石川県、福井県が参加していた[9]。
- 新潟県と東北6県を対象範囲とする法律(戦後)
- 北海道東北開発公庫法(1956年 - 1999年)
中央省庁再編にあわせ、北海道東北開発公庫は解散し、日本政策投資銀行へ継承。 - 東北開発株式会社法(1957年 - 1986年)
1986年に東北開発株式会社(特殊会社)は民営化。その後、三菱マテリアルと合併。 - 東北開発促進法(1957年 - 2005年)
国土総合開発法の改正に伴い、他の地方開発促進法とともに廃止。 - 地方行政連絡会議法(1965年 -)
- ※1〜3をまとめて「東北三法」ということがある。
1960年代から始まる全国総合開発計画と国土形成計画でも、これらの法律に則って「東北7県」の範囲を「東北」の対象としている(2007年4月1日から施行された国土形成計画法施行令[10]以降は「東北圏」と称す)。また、北海道と「東北7県」で、北海道東北地方知事会議が開催されている。
経済においては、これら法律の「東北7県」の枠組みにしたがって東北経済連合会が構成され、関連する産・学・官連携シンクタンク(現在の名称は「東北開発研究センター」)、研究開発機構(東北インテリジェント・コスモス構想など)、地域ベンチャーキャピタルや地域投資ファンド、観光事業[11]などでも新潟県が含まれている。
東北経済連合会は、東京都より北に本社を置く企業で最大である東北電力が事実上主導権をとる団体となっている[12]。その経済力を背景に、同社提供のブロックネットのローカル番組が複数制作されて「東北7県」(番組内では「東北6県と新潟県」という)に放送されたり、同社が関係して「東北7県」の地方紙で連携企画が掲載されたりしている(→河北新報#紙面参照)。
以上のように、電力関連では「東北7県」を一括りとする例が見られるが、電力関連以外では東北6県の方が一般的であり、東京や仙台に立地する機関が新潟県も含めて「東北7県」とする例は少ない。東北史研究者の河西英通はその理由として、東北地方が凶作に見舞われたのとは対照的に、新潟は大陸航路の拠点として開発が進んだことが原因と見ている[9]。又、東北地方の県庁所在地には内陸が多く、東京や仙台は太平洋沿岸であるため、秋田市や新潟市など日本海沿岸は劣後しがちな点も大きい。
新潟県は面積が広大であり、明治初期において日本で最も人口の多い道府県であり(→都道府県の人口一覧)、1940年の統計で新潟県1県の工業生産額が南東北3県合計とほぼ同じであるなど、他の県との経済的落差も異なる。そのため、新潟県を東北地方に含める場合には、「東北地方」との呼称を用いずに、「東北7県」「東北6県と新潟県」「東北地方と新潟県」「東北圏」などと言って区別する例が多い(→新潟県#地理)。
注釈
- ^ a b 統計日は、青森県が2023年9月1日、岩手県が2023年9月1日、宮城県が2023年9月1日、秋田県が2023年9月1日、山形県が2023年9月1日、福島県が2023年9月1日。
- ^ 明治維新以後、九州を「西南」(西南地方)、奥羽を「東北」(東北地方)と改めた。
- ^ 「そもそも『〜地方』といわれる範囲に、法律上の明確な定義はない(総務省)」 首都圏と関東地方・山梨県を含むか含まないか 『日本経済新聞』 平成24年6月16日S3面
- ^ 弥生中期、北端の青森県の垂柳遺跡・砂沢遺跡でも水稲耕作が行われていた形跡は見られるが、その後の気候の寒冷化により、稲作は長い中断を余儀なくされたとみられる。
- ^ ただし、岩手県の角塚古墳は他の前方後円墳から孤立して存在する。
- ^ 主として鎌倉時代から南北朝時代にかけての津軽時代には「安藤氏」、室町時代中期以降の秋田時代には「安東氏」とされている例が多い。
- ^ ただし30万両を新政府に献金した。
- ^ 廃藩後藩主茂憲は家財を処分し、士族一人当たり10両および籾3俵、さらに銀行結成のため14万両を給与し東京へ移住した。士族はそれらを元に自活の道を歩んだ[16]。
- ^ 実態としては半官半民会社だった日本鉄道による建設。ただし、奥羽本線は当初より官設鉄道である。
出典
- ^ 全国都道府県市区町村別面積調(国土交通省国土地理院)
- ^ おううちほう【奥羽地方】の意味 - 国語辞書 - goo辞書
- ^ 『日本地名大百科』小学館、1996年、776-777頁。ISBN 4-09-523101-7。
- ^ 海から見た東北地方の過去と未来 (3) 〜東北の未来 Archived 2014年4月26日, at the Wayback Machine.
- ^ 地域区分(北日本、東日本、西日本、沖縄・奄美) Archived 2013年1月24日, at the Wayback Machine.(気象庁)[出典無効]
- ^ 東北地方の面積・人口・地形
- ^ “中央分水嶺踏査”. 日本山岳会 (2006年). 2020年2月18日閲覧。
- ^ a b c d 米地文夫, 今泉芳邦, 藤原隆男、「新聞・雑誌名「東北」にみる明治期の東北地域観」『岩手大学教育学部研究年報』 1998年2月 第57巻 第2号 p.55-72, 岩手大学教育学部
- ^ a b 朝日新聞新潟支局 『新潟の? 』 p.42-43
- ^ 国土形成計画法施行令 - e-Gov法令検索
- ^ Tohoku International Tourism Promotion
- ^ 新潟は北関東?北陸?東北? 道州制、参院選後に議論復活か(朝日新聞朝刊 2010年6月2日付 26頁)
- ^ 伊藤 & 山口 2002, pp. 28–29.
- ^ 米地文夫, 細井計, 藤原隆男 ほか、「社会科教育と地域・地名 - 「奥羽」と「東北」の歴史的変遷を例に -」『岩手大学教育学部附属教育実践研究指導センター研究紀要』 1995年 5巻 p.63-80, NCID AN10359408, 岩手大学教育学部附属教育実践研究指導センター
- ^ 伊藤 & 山口 2002, p. 34.
- ^ 小野 2006, p. 194.
- ^ 『新明解日本語アクセント辞典』三省堂、2001年。
- ^ 転出入者数の推移(国土交通省東北運輸局)
- ^ 東北地方の面積・人口・地形(国土交通省東北運輸局)
- ^ 明治期と現在の都道府県別人口一覧
(Microsoft Excelの.xls)(国土交通省北陸地方整備局)
- ^ a b 統計表(県民経済計算)(内閣府)
- ^ “アーカイブされたコピー”. 2006年3月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2005年12月9日閲覧。
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