ニクソン‐ショック【Nixon shock】
読み方:にくそんしょっく
1 1971年8月に米国のニクソン大統領がドルの金兌換(だかん)の停止を宣言したこと。ベトナム戦争による財政悪化の解決策として、大統領が議会にもはからずに発表したもので、輸入課徴金の実施などを内容とするドル防衛のための新経済政策によって、世界経済が衝撃的な影響を受けた。その後の為替相場は変動相場制になり、円高・ドル安で日本経済は打撃を受けた。ドルショック。→ブレトンウッズ協定 →ドル基軸通貨体制
2 長期化、泥沼化したベトナム戦争の解決のためには中国との和解が必要と考えたニクソン大統領が、極秘に中国と交渉した一連の出来事。1971年に対中関係改善をめざす声明を発表、1972年2月米大統領として初めて中国を訪問し、米中関係の改善が実現した。この頭越しの秘密交渉で日本の外交は衝撃を受けた。
ニクソン・ショック
ニクソン・ショック
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/15 03:03 UTC 版)
ニクソン・ショック、ニクソンショック(英: Nixon Shock)とは、1971年にアメリカ合衆国のリチャード・ニクソン大統領が電撃的に発表した、既存の世界秩序を変革する2つの大きな方針転換を言う。当初は1番目のもの(7月15日のショック)を指し、(8月15日の)2番目のものは「ドル・ショック」と言われていた。その後、後者もニクソン・ショックと呼ばれることが多くなり、両者を併せて「2つのニクソン・ショック」と呼ばれることもある。
- 1 ニクソン・ショックとは
- 2 ニクソン・ショックの概要
ニクソン・ショック
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/14 04:36 UTC 版)
「トリフィンのジレンマ」の記事における「ニクソン・ショック」の解説
1971年8月15日に、リチャード・ニクソン大統領はブレトン・ウッズ協定の遺贈を認めた。ニクソン・ショックとしてすぐに知られるようになった、ドルがもはや金と交換できないことを、彼は告げた。それが臨時の措置であったにもかかわらず、それは実際には残った。黄金の窓口 (英: gold window)は閉じられた。
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