電気グルーヴと関わりの深い人物とは? わかりやすく解説

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電気グルーヴと関わりの深い人物

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/09 13:29 UTC 版)

電気グルーヴ」の記事における「電気グルーヴと関わりの深い人物」の解説

天久聖一 神戸にて看守仕事に就いていたが、思うところあり漫画家転身。瀧が率い草野球チームピエール学園」と漫画家によるチームとの対戦があった際、試合中奇声発しながらハッスルプレイを繰り広げていた様子が瀧の目にとまり、以降電気親しくなる電気CDジャケットラジオノベルティグッズデザインミュージック・ビデオアニメーション作画手掛けている。彼が作画担当したCafe de 鬼(顔と科学)」のPVSPACE SHOWER Music Video Awards'05BEST GROOVE VIDEO並びにBEST ANIMATION VIDEO受賞したそれ以外にも電気LIVE半裸登場したり、THE・天久聖一withギ・おならすいこみ名義楽曲モテたくて…」(日射病撲滅キャンペーンソング)などでは作詞ボーカル赤城乳業ノベルティ版「ガリガリ君」では自作ポエム朗読などを担当した。こういったバンドへの活動同時にゲストとして呼ばれたラジオでうっかり放送禁止用語発してメンバーやえらい人を困らせたりした。また、石野彼の著書多くに「オビラー」(=帯の推薦コメントを書く人、あるいはそういった職業を指すらしい)として秀逸コメント提供している。瀧とは「イボピアス」なるユニット結成している。 椎名基樹 石野中学時代後輩にして元「人生」のメンバーポートピア83才」。「人生」の代表曲男の中の男」のコーラスなどを担当また、電気グルーヴのオールナイトニッポン』に放送作家として参加陸上部出身足腰強かったので、「深夜使いっ走り」というコーナー誕生した。「スイカ差し入れひとつで女性教育実習生落とした」、「ジェリーボーンライヴ意気揚々とステージ上がった良いものの、ボーカルマイクトラブル起こしたことに激怒して出演中断し楽屋篭城」、「ボイラー技師親父いかりや長介似」、「静岡時代数々ライヴハウス締め出され公民館中心とした活動余儀なくされる」など数々伝説をもつ。また、天久と共に雑誌SPA!』の投稿ページバカサイレン泣く」を担当電気の『オールナイト』のDNA受け継ぐクオリティの高いネタハガキが毎回投稿され長期名物連載である。 (世界の)ケン・ニシイ 本名・西井健一1971年4月15日生まれ電器販売店員経て瀧のマネージャー務めたメンバーからは「金の埋まる顔」とも、初対面田中直樹には「あれは反則」とも言わしめた。もともとは『オールナイトニッポン内の見知らぬ他人の家お泊り企画ハガキ応募した一般リスナーであった。だが、実際に彼の家に瀧は泊まらず、リスナー藤崎龍馬の家に瀧ともども泊まらせられるそれ以降番組内でたびたび名指し話題上り、『西井の彼女を募集するコーナー』なども組まれた。番組終了以降もその容姿憎めないキャラクター買われなにかと電気グルーヴマスコット存在として親しまれてきた。『Flash Back Disco』、『ピエール瀧体操30歳』『ピエール瀧体操36歳』等のPV映像でその姿を確認できる。『電気グルーヴのドリルキングアワー』内にてケン・イシイあやかり、(世界の)ケン・ニシイの名を授かるピエール瀧製作のDVD究極ホ乳類ニシイ』ではタイトルにその名を冠することとなった2007年ROCKIN'ON JAPAN6月号のメロン牧場にて、電気マネージャー引退実家に戻ることが発表された。ケン・イシイとは熱狂的なプロレスファンであることのみ共通している。『オールナイトニッポン』のハガキ職人福井県ペンネーム西井健一」は別人2008年現在、介護系の仕事従事している。本人曰く、「電気マネージャーの頃はアッパー系のキ○ガイ相手にしてたけど、今はダウナー系のキ○ガイ相手にしてる」とのことブラボー小松 本名小松としひろ。1990年代朝倉ミツヒロと共にSEXというユニット結成し活動する傍ら電気はじめとしてNOKKOピチカート・ファイヴサポートギタリスト担当した。瀧のソロプロジェクトピエール瀧ベートーベン」ではギターベートーベンとして加わった三波春夫 大衆歌謡歌手1992年シングルハウスおまんた囃子」で突如ハウス・サウンドを導入。これに関連して開催された"HARUO IN DANCE BEAT"なるライヴイベントにて電気共演(「ハウスおまんた囃子」等の楽曲の製作そのものには電気は関わっていない)。当日ゲストとして、死んだはずの瀧勝登場した。そこで勝は春夫に「おまんた囃子」のワンフレーズ伝授される音程外してしまうという、うすら寒いミニコント披露。春夫サイド書いたシナリオを瀧が嫌々演じたかたちとなる。この経験は現在でも瀧にとってトラウマになっているという。が、翌日ワイドショー等の報道では電気活躍模様一切触れられなかった。2001年他界日出郎 ニューハーフタレント。デビュー当時電気とは雑誌対談きっかけ親しくなり、『オールナイトニッポン二部時代には度々ゲストとして登場。「みんなオカマにするわよ!」「起きるのよアンタら!悪夢を見るわよ!」「あ〜らアンタ勉強不足よ!」などの台詞残した初期電気ライブでは背負って前説をしたり、ニューハーフ数十連れてバックダンサーをした。その後歌手としても活躍する代表曲チモ・バヨ楽曲日本語カヴァー燃えろバルセロナ」。1990年代初頭電気グルーヴ新宿二丁目ハマっており、連日連夜日出郎の店に通い詰めていた。彼らがゲイというわけではなく、その場の独特の「キてる」雰囲気と、怖いもの見たさ、そしてオカマさん達の強烈なキャラトーク面白さという点で好んでいた模様電気ラジオイベントなど締め言葉によく使う「なにひとつ盛り上がることなく - 」というセリフ日出郎ショータイム終了時使っていたものである。上記の「燃えろバルセロナ」は当初石野作詞依頼が来たものの、当時歌手としての日出郎普段キャラとは正反対シリアス路線作品発表し続けていた為、マジメ歌詞書いて提出したところ、結局ボツになってしまったらしい実際フタをあければ「燃えろ - 」は当時バルセロナオリンピック開催便乗した下品極まりない直球ゲイソングで驚いた語っている。後に椎名基樹脚本・シリーズ構成担当したOH!スーパーミルクチャンシリーズでは、オカマ大家演じている。『DENKI GROOVE THE MOVIE? 〜石野卓球ピエール瀧〜』にも出演2018年3月3日大阪Zepp Namba、3月1617日東京Zepp Tokyoワンマンライブクラーケン」に卓球プロデュース作品燃える!バルセロナ』にてゲスト出演した朝本浩文 かつてはミュート・ビートキーボーディストとして活躍その後自身バンドRam Jam World」の活動並行し電気セカンドアルバムUFO』やUAなど数多くプロデュース手掛ける五島良子新幹線」および「虹」、「Nothing's Gonna Change」に参加した女性ミュージシャンそもそも電気と同じキューンソニー在籍当時ということ白羽の矢立ったが、この起用正解だったらしく、石野も「天使の声」と絶賛している。電気作品ライヴへの参加だけでなく、石野プロデュースシングルTSUKI NO HANA」もリリースした會田茂一 通称アイゴン堀江博久(現・ニール&イライザ)らとのバンドACROBAT BUNCHとしてのFLASH PAPA MENTHOL」への参加、「VITAMIN」での「富士山」ギター、そしてEL-MALOとしての「虹」リミックスなど、様々な形態で電気作品関わる人物事実石野インタビューにて「過去共演したけど、また共演したいミュージシャン」として名前を挙げたことがある石野砂原ソロ作品でもギター披露砂原とはEL-MARINなるユニット結成した上記朝本浩文の「Ram Jam World」にもメンバーとして在籍していた。また、EL-MALOとして受けた雑誌インタビューでは電気アルバムDRAGON』の帯に書かれた「道が無くなり自分作ればいいじゃん」というコピー甚く共感したことを表明していたが、実はこのコピーキューンディレクター勝手に考えたもので、メンバーの全く意図するものではなかったことがのちに明らかにされている。 王選手 通称あっちゃん。元「人生」のメンバーで、瀧と並んで楽器演奏しないメンバーとして在籍した。もともとはナゴムレコード関連ライヴの客として訪れていたが、中でも異彩を放っていたため、気がつく演者として舞台上がることとなっていた。ナゴムきっての怪人物であったが、昼は某有名大ロシア文学科に通う秀才でもあった。初期は「井ノ頭健康」の芸名活躍したが、のちに「王選手」、「長嶋監督」などへと改名する。主にダンスコント奇行暴れ役、たまにメインボーカル担当ライヴ中、自分投げた消火器当たって四針縫う大怪我負い血まみれになったことがある。瀧と組んで「畳ワンちゃんミュージカルショー」も公演サッカーボール扮し王選手を瀧がドリブルしながら蹴りまわす内容だった。「人生」だけでなく「筋肉少女帯」や「死ね死ね団」などナゴム看板バンドいくつかメンバーとして加入と脱退繰り返した。しかし「人生解散後電気グルーヴとして1991年2月東京タワー行われた特別ライヴダンサーとして乱入試みるが、メンバーには全くの知らない人として無視されるその頃には都内翻訳会社入社。後に外資系ソフトウェア企業転職、さらに脱サラし有限会社起こしたなど、様々な噂がある。その姿は、筋少メジャーデビュー後楽曲『キノコパワー』のPV確認できる冒頭後半出演している白塗り学ラン姿の男が彼である。 DJ TASAKA 石野主催のクラブイベント「LOOPA」のレギュラー務めた他、同名レーベルではサウンドクリエイターとしても活躍電気グルーヴ活動には、1999年行われたスペースシャワーTV10周年記念イベント2001: A SPACE SHOWER ODYSSEY」のライヴサポートメンバーとして関わって以降アルバムVOXXX』にはコ・プロデュース的な立場参加し続いてライヴツアー「ツアー・ツアー」、WIREでのステージにも上がる電気からは「美白DJ」との異名授かるが、もともと極端な色白なので特に美白心がけているわけではないKAGAMI テクノDJサウンドクリエイター。のちに「DISCO TWINS」を結成するDJ TASAKAと共に電気グルーヴ活動には「2001: A SPACE SHOWER ODYSSEY以降ライヴアルバムVOXXX』にサポートメンバーとして関わり砂原脱退後電気屋台骨支える。「COUNTDOWN JAPAN06/07」では電気関連限定アイテムとして彼がデザインした「めいろTシャツ」が販売された。ソロでは電気グルーヴはもちろん、くるりなどジャンル問わず数多く楽曲リミックスを手がけている。TASAKAとは電気サポートメンバーとしての共演から発展し、「DISCO TWINS」なるクラブイベントを催し同名のプロダクションユニットとして活動2010年5月25日過労による急性心不全死去石野DJ TASAKATwitter上で哀悼の意表したTOKYO No.1 SOUL SET 渡辺俊美(G.Vo.)、BIKKE(MC.Vo.)、川辺ヒロシ(Turntable)からなるユニット電気との関係は、電気グルーヴ×スチャダラパーでの活動経た以降石野川辺によるInKなど盛んだが、それ以前にも1990年代よりSOUL SETメンバー雑誌インタビュー等電気対すリスペクト表明していた。また、石野も『オールナイトニッポン』での浅草キッドとのサイコロトークの中で、「いま気になる女性タレント」として渡辺の妻であったタレントのちはるの名を挙げたり、ソウルセットの曲「ヤード」を自身連載で大絶賛していた。また、石野川辺ともに番組開始当初NHKポップジャム』にて、「DJ」と称して変な神輿のような高いところにあるブースひとりぼっち置き去り&さらし者にされたという苦い経験を持つ。 小山田圭吾 ロリポップ・ソニックフリッパーズ・ギター経て、現在はソロユニットCORNELIUSとして活動するミュージシャン電気フリッパーズ・ギターは、スチャダラパーなどと共にデビュー当初からポストバンドブームという括り論じられることが多く電気少なからず良きライバル的に意識していたようで、当時発言端々でフリッパーズの斬新な活動姿勢作品など肯定的な態度示していた。「ミュージシャン歌詞には思い入れが無い」と頻繁に言っていた石野ですら、CMJKとの対談で、「好きな歌詞ミュージシャン」としてフリッパーズギター挙げていたほどである(CMJKフリクション挙げていた)。活動当時は自ら「『小学六年生』から『リミックス』まで」と語るほど多岐ジャンルに渡る媒体露出行ったが、このプロモーションスタイルは電気スチャダラパーにも影響与えている(ただし、電気場合は『リミックス』から『スーパー写真塾』までで、その後電気グルーヴ小学六年生露出した際には中山美穂楽曲酷評した)。瀧いわく日本の音楽業界総て少なからず小山田影響受けている」らしい。砂原は「KARATEKA発表後に、石野の「いないいない病」の発病などから、一時的に解散危機陥った電気状況憂いで「まだ電気にとっての『ヘッド博士の世界塔』(※フリッパーズが解散直前発表した傑作とされるアルバム)を作らずに終わるのは勿体無い」と涙ながらに訴えた一方小山田自身ラジオ番組内で電気スチャダラをして『別の学校にいる同じ学年友人みたいなもの』と発言している。それから『オールナイトニッポン』、『ドリルキングアワー』に小山田ゲスト出演するなどの場面はあったが、音楽活動方面での直接的繋がり1996年発表された『96/69』まで待たれることとなる。このアルバムでは石野砂原それぞれ一曲を手がけたが、当初の構想では電気グルーヴとして一曲任されるアイデアもあったという。同時期に製作され電気の「A」、小山田の「FANTASMA」は互いに何らかの影響与え合う作品となったという。これ以降電気とのメディア上で共演もさらに増えテレビブロス10周年記念シングルとして「九官鳥 & ヒズフレンズ」を石野共同制作スペースシャワーTV10周年記念イベント2001: A SPACE SHOWER ODYSSEY」では対バンし、電気10周年企画アルバムThe Last Supper」、電気グルーヴ×スチャダラパーシングル聖☆おじさん」にもリミキサーとして参加した石野川辺と共にポップジャムの「DJブース」に置き去りにされた1人でもある。ピチカート・ファイヴと共に瀧が愛猫便所掃除したまま手を洗わず握った喧嘩握り寿司」を食らわされた経験を持つ。 ケラリーノ・サンドロヴィッチ かつては人生」も所属したインディーズレーベルナゴムレコード」を主宰し石野や瀧を静岡から全国区へブレイクさせた。自身も「有頂天」、「空手バカボン」として音楽活動行い石野にも多大なる影響与える(「いないいない病」の先輩でもある)。これと並行して当時から劇団健康主宰し初期公演では石野と瀧、大槻ケンヂらを演者として起用していた。1991年クラブチッタ川崎イベント電気とともにロングバケーション」として出演したが、楽屋で他の出演バンド喧嘩の嵐に巻き込まれた。その仲裁砂原入った時にケラさん、逃げて」と発した2007年には彼が監督務め、瀧も出演している映画グミ・チョコレート・パイン』に電気エンディングテーマ曲少年ヤング」を提供。同曲シングルジャケットイラストケラの手よるものである。近年飲み屋泥酔状態の石野遭遇し、「おばけカボチャ似ている」と笑いものにされ激怒した宇宙犬 名古屋テクノDJ中原忍らを中心に結成されユニット初期電気グルーヴ酷似しスタイルでオモロテクノラップを展開。電気本体としての活動半ば休止に近い状況にあったORANGE』から『A』への間の時期メジャーデビューし、数CD発表当時クラブ雑誌インタビューでは、電気グルーヴの名前が引き合い出され時点で、ソロ活動傾倒する当時メンバー達に対す批判めいたコメントノーリスペクト態度露にしていた。これに対して本人たちは、『メロン牧場』等の連載ではことあるごとに宇宙犬ネタトークを展開。石野自ら「当時電気世の中ナメられていた」と語る状況を最も顕著に物語事件のひとつ。 伊集院光 自称ギャグオペラ歌手であり元落語家ラジオパーソナリティタレント電気とは共にニッポン放送ラジオ番組持っていた頃の大親友であり最大理解者一人伊集院早くから電気トークの手法やセンス高く評価し、強い影響受けている。『オールナイトニッポン』では土曜2部時代天久聖一と共にポパイマンガさんのザックザク情報局」なる嘘番組パーソナリティとして登場したり(伊集院ポパイ天久マンガさん)、火曜1部昇格後は伊集院担当していた『伊集院光のOh!デカナイト』が直前番組だったため度々番組乱入丸々2時間伊集院とのフリートークになってしまったこともある。『電気ANN』『Oh!デカナイト』は番組同士交流も盛んで、いくつかの企画において数度対決している。まず、ニッポン放送催された「スーパーファミスタ対決では電気惨敗罰ゲームとしてサソリムカデカマキリの腹などを串カツ状にしたゲテモノ料理食べさせられるハメとなった後日これが災いし石野発熱し体調崩した)。続いて西武ライオンズ球場リスナー芸能人混合チームによってオーロラビジョングラウンド利用したファミスタ対決リターンマッチ開催された。なお、電気はこのイベントのライブアクトで尻を丸出しにした状態をオーロラビジョン映し出し出入り禁止になっている。そして『Oh!デカナイト内の企画「ベースボールクイズin東京ドーム」の際には「蓮根頭ぶち殴り大会」を開催電気チーム伊集院&久保こーじチーム対決したが、敗れた伊集院罰ゲームとして陰毛剃られ、それを筆に加工したチン毛筆」を製作させられた。この「チン毛筆」は当時素人女子高生だった乾貴美子筆おろし行っている。乾は伊集院電気、そして浅草キッドパーソナリティー務めたそれぞれの番組のヘビーリスナーであり、電気ANN復活の折にはスタジオ花束送っていた。 近年ラジオ番組での共演機に再び接近2015年より放送されている「伊集院光のてれび」では伊集院光石野卓球直接依頼し番組テーマソング人間大統領」を書き下ろしもらっている。 浅草キッド 玉袋筋太郎水道橋博士からなるお笑いコンビ電気とは『電気グルーヴのオールナイトニッポン』と『浅草キッドのオールナイトニッポン』『浅草キッドの土曜メキ突撃!ちんちん電車!』との間を通じて深い親交を得るようになるその後玉袋紹介した風俗店電気二人繰り出し大暴れするような間柄に。『電気ANN』では2時間丸々この4人のフリートークになってしまうこともあった。また、電気武道館単独ライブ前座としてキッド登場電気キッドのジョイントライブ「2階からギョーぶらさげおじさん」も開催している。 ユースケ・サンタマリア かつてラテンロックバンド「BINGO BONGO」にヴォーカル&司会として参加し電気同じくキューン・ソニーレコード(当時)に籍を置くミュージシャンであった。その縁で当時は瀧との関係は続き、「ピエール瀧生誕30周年パーティ」ではユースケ司会務めている。瀧をして「同じジャンルの人」とは、バンド解散しソロデビュー後間もない彼の弁である。 大槻ケンヂ ミュージシャン作家。現在は筋肉少女帯特撮空手バカボンボーカリストとして活躍。「人生」が筋少と同じナゴムレコード所属していた。人生シングル「LOVE」では大槻ケラゲスト迎えた。のちに「ボヨヨンロック」でメジャーデビューを果たす「まんが道」という大槻バンドには瀧も参加していたことがあるインディーズ時代、瀧の静岡実家遊び行った際「高木ブー伝説」が高木所属事務所イザワオフィス)から訴えられたとの一報ケラ石野からの電話で知る。実際ガセ情報だったのだが、レコード自主回収となり、ナゴム閉社への決定打のひとつとなってしまう。また、筋少メジャーデビュー後大槻が『大槻ケンヂのオールナイトニッポン』を始める際、パートナーとしてまだインディーズ一般知名度がほぼ皆無であった石野起用したいという意向ディレクター打診した却下されたというエピソードもある。のちに電気メジャーデビューにあわせ大槻オールナイト借りた電気特別番組放送され、それを受ける形で数ヵ月後に電気オールナイト放送開始された。2007年には自身原作映画グミ・チョコレート・パイン』に楽曲提供受けている。 篠原ともえ 1995年に「篠原ともえ+石野卓球名義シングルチャイム」でデビューそれ以降から初期の活動にあたる三枚シングル一枚アルバムプロデュース石野担当シングルカップリングでは人生電気ライヴのみで演奏されていた楽曲「ポールレモス(チチョリーナ)」(「忘れちゃうモン」に改題)をカバーしている。電気アルバムVOXXX』にはゲストボーカルとして参加した当初「こいつなら恋愛関係発展することはないだろう」と見込んで石野プロデュース引き受けたが、当時16歳だった彼女の肌が赤ちゃんの肌のようにスベスベしていたことを気に入り顔面舐めたり、自分肛門付近の痔を撮影したデジタルカメラ画像見せる、ラジオ共演した際には胸を触ったりするなどのセクハラまがいのスキンシップ行っていた。2010年篠原ともえ15周年記念ライブには電気メンバー出演同年発売された『スーパーモデル15thアニバーサリーedition』の付属DVDでは、石野篠原と共に過去秘蔵映像合わせてオーディオコメンタリー行っている。また、毎年元日LIQUIDROOMで、瀧、スチャダラパーANI篠原とで餅つき大会行っている。この餅つき今までファン見学参加無料だったが、2015年から年越しライブ入場料金とは別に2000円徴収するようになった李博士 韓国ポンチャック第一人者石野敬愛する根本敬によって日本その活動伝えられ、その独自のスタイル衝撃受けた電気推薦もありキューンレコードより日本デビュー電気日本武道館公演オープニングアクト務めた電気楽曲N.O.」を含む日本ヒット曲メドレーポンチャック化したCDポンチャック大百科』とそのリミックス盤李博士vs電気グルーヴの「ひらけ!ポンチャック」』などをリリースした韓国では2000年代入り逆輸入のかたちでリミックス盤がテクノポンチャク(テックポン)として評価された。 トビーネイション テクノDJTOBYによるプロジェクト通称テクノ外交官」として日本国内へのテクノ認知度アップにも尽力し電気海外進出大きくサポートした人物でもある。自身「虹」ドイツ盤でリミキサーとして参加した。現在は日本拠点移し石野と並ぶ日本のテクノシーンベテランDJとして活躍している。 田中秀幸 株式会社フレイムグラフィックス代表のアートディレクター電気作品アートワークPV多くを手がけ、「グルーヴ地獄V」にも参加した。瀧とは「プリンストンガ」なるVJユニット結成しWIREなどで活躍している。NHKのアマチュアクリエイター育成番組デジタル・スタジアム』には瀧をパートナー出演している。 ユニコーン 1990年代初頭バンドブーム以降日本のメジャーシーンでブレイクしたバンドの中で、珍しく公に電気リスペクト表明した存在。特にライヴでのハイテンションパフォーマンス目立った阿部義晴評価していた。そこから発展したのか、阿部ソロ作品発表の際は電気作詞担当している。また、ゲーム好きということで『オールナイトニッポン』では奥田民生との対決実現。のちに「“KARATEKAマガジン」にコメント寄せている。1993年9月21日電気の『オールナイト』の借りて組まれ特番にてバンド解散発表された。2009年2月15日テレビ朝日放送されユニコーン再結成記念番組では瀧が司会進行担当した宇川直宏 MOM/N/DAD PRODUCTIONS, Mixrooffice, GODFATHER主宰。『電気グルーヴ×スチャダラパー/TWILIGHT』のミュージック・ビデオ監督2006年には『フジロックフェスティバル』のグリーンステージ電気グルーヴVJ担当した。またWIREでは5年連続VJとして出演し石野との競演も多い。また新宿リキッドルーム(現/恵比寿リキッドルーム)では、毎年恒例となった石野卓球16時以上に及ぶ死亡遊戯カウントダウンプレイに、共にVJとしてウルトラロングセットを6年連続完走し解脱続けている。更には石野&川辺ユニットINKC-46』のCDジャケットミュージッククリップ手掛けている。 田中フミヤ テクノミュージシャン、DJ。まだ無名時期大阪訪れた石野意気投合し自身レーベルとれまレコード」を主宰1993年頃より黎明期日本のテクノシーン石野と共に牽引した石野DJ薦めたのも彼。「とれま」の初期リリースには石野変名DOVE LOVES DUB」の作品石野とまりんのユニットマンガヘッド」のリミックス曲などがあった。電気グルーヴ活動には一部楽曲プロデュースや「たんぽぽツアー」への参加(一部公演では彼のDJプレイ電気ライヴ二本イベント形式がとられた)などがある。また、石野以外ではWIRE毎年出演していた唯一のアクトである。 渡部高士 サウンドエンジニアミュージシャン90年代半ばより、石野卓球『ベルリントラックス』、電気グルーヴVOXXX』を始め多く作品関わる電気ライヴヨーロッパツアーWIRE等)や石野ソロライヴにもパートナーとして参加することもある。電気リミックスなども担当している。 リリー・フランキー イラストレーター小説家ミュージシャン等、幅広く活動。瀧とは『ココリコミラクルタイプ』で長年共演し石野とはインストアトークイベントとして『InKリリーフランキーの楽しいおしゃべり』を開催した三平×2 電気ANNにおいて、「ツチノコ市場」、「北京面(ペキンヅラ)」等のペンネーム知られ出待ちハガキ職人。現在は「ペイパービュウ」というコンビ西口プロレスイベント出演などで活動中スチャダラパー BOSE人生時代からのファンであり、電気グルーヴとほぼ同期2005年には「電気グルーヴ×スチャダラパー」としてコラボレーションをし、その後も度々コラボしている。 ソウル・フラワー・ユニオン ナオト(ORANGE RANGE) BOOM BOOM SATELLITES 有吉弘行 遠藤THE CRAZY SKB ダウンタウン オードリー ボケ春日俊彰が、「電気以外聴かない」と述べるほどの電気グルーヴ大ファンである。NHK・BS2にて放送された、「電気グルーヴ20周年 ライヴ&アンソロジー」にも、オードリー二人出演しVTRコメント寄せている。 牛尾憲輔 agraphLAMAメンバーで、(故)KAGAMI後任ライブ・サポートメンバープログラマーサウンドエンジニアプロデューサーPro Toolsオペレーター、またステージ演出に関するアイディア提供も行うなど、昨今電気活動にとって非常に重要な存在となっている。石野とは大学2年次に「STERNE(石野ホスト務めパーティ)」で出会い果たしPro Toolsオペレーターミュージシャン志望であること、音楽業界へ入りたいとの想い伝えたところ、石野から「裏で話そう」と誘われ10分ほど対話その場で「アルバム一緒に作ろう」との言葉かけられサポートメンバーとして迎えられる以降電気グルーヴ石野卓球RYUKYUDISKODISCO TWINSらをサポート

※この「電気グルーヴと関わりの深い人物」の解説は、「電気グルーヴ」の解説の一部です。
「電気グルーヴと関わりの深い人物」を含む「電気グルーヴ」の記事については、「電気グルーヴ」の概要を参照ください。

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