四万十川 -とは? わかりやすく解説

しまんと‐がわ〔‐がは〕【四万十川】


四万十川

日本最後清流「四万十川」
四万十川は、高知県高岡郡東津野村不入山に源を発し上流部大野見村窪川町緩やかに南下し中流域大正町流れを西に向け、十和村西土佐村激しく蛇行して再び南下し下流中村市から太平洋注いでます。流域面積2,270km2流路延長196流域面積比べ流路延長長く河床勾配が緩いのが特徴です。

西土佐村を流れる四万十川
西土佐村流れる四万十川

河川概要
水系渡川水系
河川名四万十川
幹川流路延長196km
流域面積2,270km2
流域内人100,000
流域関係都県高知県愛媛県

四万十川流域図
○拡大図
1.四万十川の歴史
"清流四万十川は、時に恐ろしい暴れ川となり、流域人々多大な被害あたえてきました昭和4年渡川改修計画定められ築堤支川中筋川合流点付替工事等により、洪水による被害軽減しいきましたこうした一方明治・大正期には舟運が活発であり、物資輸送同時に文化伝えてきました。"

四万十川は、河川法制定時登録され正式名称は「渡川(わたりがわ)」でした。元々下流中村市周辺では渡川呼んでおり四万十川は通称でした。しかし、「日本最後清流・四万十川」として一躍脚光をあびることとなり、地元から名称変更希望起こり平成6年7月25日に「四万十川」に変更されました。
清流知られている四万十川ですが、時には恐ろしい暴れ川となることがあり、流域人々暮らしは、洪水との闘い歴史でもありました
【昭和10年8月 大洪水】
昭和10年8月 大洪水

四万十川流域台風常襲地帯であり、古くから度々大洪水見舞われその都度多大被害被っていました。しかし、明治時代には、交通の便悪いことから、道路改築急務であると考えられ度重なる明治大洪水にもかかわらず河川改修村費私費をもってわずかに在来堤の修復が行われていたに過ぎませんでした
昭和4年渡川改修計画定められ新堤築造河道掘削支川後川ショートカット等により中村町洪水により防御しました。
中でも支川中筋川合流点付替工事は、当時中・四国地建管内では一、二を争う大規模な工事でした。中筋川は低奥型内水地形で、河床勾配極端に緩やかであったため、四万十川本川洪水逆流し洪水の度に中筋川低地帯は、水没していました。そのため、稲を植え付けしても収穫できるのは10年1度干ばつの年しかないというような悲劇繰り返していました合流点付替工事は、ドラグラインやラダエキスカー、機関車等の大型機械化施工部隊編成して行い合流点を4.9下流付替え本川背水影響軽減させました
現在までに、本支川主要地区防御する堤防次々と整備され洪水による被害軽減しいきました
【背割堤工事状況】写真左:四万十川 右:中筋川 【背割堤工事完成直後の航空写真(S41)】
背割堤工事状況写真左:四万十川 右:中筋川背割堤工事完成直後航空写真(S41)】


【四万十川流域図】
【四万十川流域図】
【昭和初期、渡川の帆掛け舟(舟母)】 幡多郷土資料館提供
昭和初期渡川帆掛け舟(舟母)】
幡多郷土資料館提供
こうした一方地域人々は、川の恵みを生活に取り入れてきました
とりわけ舟運については藩政期経た明治・大正期に最も活発であり、上流大正町(たいしょうちょう)から河口まで、多数川舟往来し物資輸送とともに京阪神文化伝えてきました
西土佐村江川崎(かわさき)中村市下田(しもだ)の間を「舟母(せんば)」と呼ばれる帆掛け舟運行し木炭農林産物など中村市運んでいました
しかし、昭和30年以降高度経済成長期には、陸上交通網の発達により、舟による物資輸送衰退の道をたどり、そして130隻以上あった舟母も昭和37年頃には1隻も見られなくなりました
2.地域の中の四万十川
"国の重要無形民俗文化財津野山神楽始め多く民俗芸能伝統漁法など地域個性表した流域の文化が今も伝えられています。また、河川生かした様々なイベントキャンプ釣りカヌーなどレクリエーション利用されています。"


【津野山神楽】
津野山神楽
四万十川源流域津野(つのやま)地域梼原町(ゆすはらちょう)東津野村(ひがしつのむら))には、神楽はじめとする信仰文化や、厳しい山里の暮らし支え農耕文化生活文化など様々な山の文化生まれました100年伝統を持つ国の重要無形民俗文化財指定受けた津野山神楽始め、花取踊り回り舞台での農村歌舞伎等の民俗芸能が今も伝承されています。

【神様の結婚式】
神様結婚式

下流域中村市では、河口に近い一宮(いっく)神社女神輿(おんなみこ)が、満潮に乗って上流にある不破八幡宮(ふばはちまんぐう)男神輿(おとこみこ)のもとへ赴き、そこで三三九度神輿(みこし)合わせなど行う、「神様結婚式」と呼ばれる全国でも珍しい神事が川を舞台執り行われています。

四万十川流域では、河川生かしたさまざまなイベントが行われています。十和村(とうわむら)では、約200m川幅いっぱいに、数百匹のこいのぼり舞い泳ぐ「こいのぼり川渡し」、中村市では、四万十川の清流舞台5㎞2.5コース競われる清流四万十川水泳マラソン」、また、中村市西土佐村十和村の3市村経由して清流沿いのコース100走り抜く四万十川ウルトラマラソン」など様々なイベント全国各地、また海外からも参加者集まってます。
【こいのぼりの川渡し】 【四万十川水泳マラソン】 【四万十川ウルトラマラソン】
こいのぼり川渡し 【四万十川水泳マラソン 四万十川ウルトラマラソン

【火振り漁】 【柴漬け漁】
火振り漁 柴漬け漁】
四季折々営まれる火振(ひぶり)り漁」や「柴漬(しばつ)け漁」などの伝統漁法は、流域人々の生活支えと共に、四万十川の自然と調和しのどかな風景作り出してます。
また、伝統漁法川魚習性を基に独特の工夫施し後世伝えられており、漁の道具と共に地域個性表した流域の文化となってます。
3.四万十川の自然環境
"四万十川には水中陸上ともに多く生物生息してます。源流セイランをはじめトサシモツケ汽水域天然スジアオノリ、高知県天然記念物ヤイロチョウミサゴ等の猛禽類をはじめ、アユ幻の魚アカメなどの魚介類多数生息し、今も豊かな自然環境残されています。"


【四万十川源流部】 【セイラン】
【四万十川源流部】セイラン

四万十川の源流不入山(いらずやま)にありその源からわき出たむした岩組の中を絶え間なく流れ下流へと下ります。かつてこの一帯藩政期時代からの保護林であり、ブナヒメシャラ等が茂りモミツガ主とする原生林残されています。また、その源流部を流れ清流には、セイラン(川のり)が自生しその清らかさ表してます。

【四万十川中流部】
【四万十川中流部
四万十川中流域は、豊かな森林囲まれた自然河岸の中を激しく蛇行しながら岩場勢いよく流れところや、ゆったりと流れる場所など変化あります中流部比較自然度の高い森林存在しアカマツオンツツジ群集やシイ・カシ萌芽林見られます。
生物の特徴としては、高知県天然記念物であるヤイロチョウ夏場川筋乱舞するゲンジボタル上げられます。
【ヤイロチョウ】 トビハゼ
ヤイロチョウ トサシモツケ
川の中では、アユテナガエビモクズガニ等の四万十川では水産資源として重要な生物数多く生息してます。また、川沿い岩上には、トサシモツケシチョウゲ等が群生してます。

【四万十川下流部】
【四万十川下流部
四万十川下流域は、大きく蛇行しながらゆったりと流れ、全川の中でも最も四万十川らしい景観呈してます。
汽水域には、四万十川の幻の魚呼ばれるアカメをはじめ多く魚介類生息してます。また、全国生産の約7割を占め天然スジアオノリや仔稚魚生育となっているコアマモ自生してます。
【アカメ】
アカメ
鳥類ではミサゴオオタカハヤブサ等の猛禽類数多く見られ、餌条件生息環境良いことがわかります
昆虫類では、トンボ類も多く全国215記録されているトンボのうち、四万十川流域88種見つかってます。また、世界初トンボ保護区であるトンボ自然公園造られる等、まさにトンボの楽園となってます。

【スジアオノリ】 【コアマモ】 【ミサゴ】
【スジアオノリ】 コアマモ ミサゴ

【トンボ自然公園】
トンボ自然公園
4.四万十川の主な災害


発生発生原因被災市町村被害状況
昭和38年8月台風9号中村市床上浸水 2,145
床下浸水 1,100
平成4年8月台風11号中村市床上浸水 165
床下浸水 116

(注:この情報2008年2月現在のものです)

四万十川(しまんとがわ)

河川 高知県県西
名水画像
流域面積85%が森林で、人工改変度が小さい。中流域流れ激し蛇行繰り返し、それは多くの瀬や淵を作り豊かな自然景観が残る。天然アユ漁場としても名高く、火を振りながら追い込む火振り漁は独特のものである
位置情報

おすすめの時期
5月鯉のぼり川渡し雄大な四万十川の両岸ワイヤーで結び数百匹のこいのぼり空中を泳ぐ姿は雄大四万十町十和地区) 5月9月は、四万十川流域市町夏のイベントあり、鮎釣り水泳カヌーキャンプ等川の遊び多種多様楽しめる。(場所・時期等は要問合せ
周辺の自然環境
源流域から河口に至る間に、非常にバリエーション富んだ自然の姿を見せてくれる。カルスト台地から河口堆積層に至る地質、ブナ・ササの冷帯からヤナギまでの植生、約160種にも及ぶ魚種豊富な鳥獣類・昆虫類などの生物相と、自然環境多様豊富さ全国でも類を見ないのである
利用状況
アユの「火振り漁」をはじめとする伝統漁法による川漁水浴カヌーなどの水遊び屋形船による遊覧農業用水発電など。
イベント情報
四万十町家地川桜まつり(4月)
中土佐町:アメゴ釣りな祭(4月)
四万十町こいのぼり川渡し(4~5月)
津野町:四万十川源流点ウォーキング5月
梼原町土佐まるかじり大会(6月)
四万十町下津井ホタル見学遊覧船(6月)
四万十市フェスティバル西土佐(7月)
四万十市四万十川ウルトラマラソン10月

水質・水量
水質水質調査結果をみると良好な状態を保っている。水量は6~10月までが出水となっており、四万十市具同では、月平均100~200m3/日。113月冬期30~60m3/日と出水期の3分の1程度になっている例年訪れ台風影響については、大雨降った直後2~3日茶褐色のうえ、水量多く遊びには危険であるが、4日目頃から青い清流に戻る。この頃水量が豊富で釣りカヌーなどの遊び最適
由来・歴史
①シ・マムタ(大変大きく美しい川の意)というアイヌ語説 ②梼原町支流四万川と旧十和村地名十川合成語説 ③多くの谷や支流集めた川という形状説 ④四万石の木を10回、流送する森林があったという林業説 などいくつかの説があるが、定説はなっていない。
水質保全活動
流域住民による四万十川の一斉清掃NPO任意団体による植林間伐作業など、川や川の保全活動積極的に行っている。また、流域住民グループ高校生による定期的な水質調査活動行われている。
アクセス
鉄道バスお越し場合
下流から上がる場合四万十市起点に、源流から下る場合津野町起点に、また中流域では四万十町窪川起点とすると便利です。JR高知から特急列車窪川まで約1時間高知から特急列車中村まで約2時間 

お問い合わせ
高知県文化環境清流環境
〒 780-8570
高知県高知市丸ノ内1-2-20
TEL : 088-823-9795
shimanto@pref.kochi.jp
その他
四万十川流域市町高知県では四万十川を保全し流域振興を図るため、「四万十川の保全及び流域振興に関する基本条例」を制定し様々な取り組み行ってます。
アクセスマップ
アクセスマップ図

四万十川

読み方:シマントガワ(shimantogawa)

所在 高知県愛媛県

水系 渡川水系

等級 1級


四万十川

作者木原音瀬

収載図書嫌な奴
出版社ビブロス
刊行年月1998.4
シリーズ名ビーボーイノベルズ


四万十川

読み方:シマントガワ(shimantogawa)

作者 大江満雄

初出 昭和17年

ジャンル


四万十川

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/10/17 14:57 UTC 版)

四万十川
四万十川(岩間沈下橋付近)
水系 一級水系 渡川(四万十川)
種別 一級河川
延長 196 km
平均流量 -- m3/s
流域面積 2186[1] km2
水源 不入山高知県高岡郡津野町
水源の標高 1,336 m
河口・合流先 土佐湾高知県四万十市
流域 日本 高知県

テンプレートを表示
四万十川(佐田沈下橋付近)
四万十川(中半休憩所付近)

四万十川(しまんとがわ)は、高知県の西部を流れる一級河川で渡川水系の本流[2]。全長196km、流域面積2186km2[1][注釈 1]四国内で最長の川である。本流に大規模なダムが建設されていないことから「日本最後の清流」、また柿田川長良川とともに「日本三大清流の一つ」と呼ばれる。名水百選[3]日本の秘境100選にも選ばれている。

四万十川には支流も含めて47の沈下橋があり、高知県では生活文化遺産として保存する方針を1993年に決定している。

地理

高知県高岡郡津野町不入山(いらずやま)を源流とし、県中西部を逆S字を描くように蛇行しながら多くの支流を集め、四万十市太平洋に注ぎこむ。河口附近では「渡川」という名前であるため、水系名は「渡川水系」となっている。

清流2つの名前

河川法上では1928年から1994年まで「渡川(わたりがわ)」が正式名称だった。「渡川」の名称は古来関係の深かった九州に向かって「向川(現在名:中筋川)」、「渡川」を渡って中村(四万十市)の市街、その後ろに「後川」という位置関係が語源となっており、「四万十川」は渡川上流部の支流四万川と中流部の支流十川を指す名称であった。

1896年(明治29年)の旧河川法により、1928年(昭和3年)11月1日に「渡川」を法律上の公式名称に採用。1964年(昭和39年)の新河川法でも「渡川」だったが、1994年(平成6年)7月25日に「四万十川」と改名された。河川法の一級河川名称変更はこれが初めてで、これは「四万十川」が「日本最後の清流」として全国的に有名となり認知されているという実情によるところが大きい[4]

流域概要

佐賀堰堤(通称家地川ダム)
若井沈下橋(若井大橋下流)
四万十川にかかる沈下橋(佐田沈下橋)
四万十川橋(赤鉄橋)

不入山から流れ出た川は、山間を縫いながら周辺の小川を集めてだんだん太く大きな流れになってゆく。山清水を集めた川は清流の名にふさわしい透明な水をたたえて窪川盆地に入る。窪川盆地では周辺の田圃を潤すが、窪川駅近くでは四万十町内の下水道が流れ込み、清流とは言いがたい状態になる。その後、四万十川は四万十町家地川の佐賀堰堤(通称家地川ダム1937年竣工)という発電用ダム(堤高8.0メートルと小規模で、魚道も整えられていることから正確には堰堤)で水の半分近くを抜かれてしまう。特に上流の水量が少ない時期はダム直下の川底から水が消えてしまい、川が無くなる事もある。→ダムの水は黒潮町へ流れる伊与木川(伊与喜川)へ放流されている。ただ、このダムの存在により、四万十町の下水を含んだ水がほとんど下流に流れず、下流域の清流を保っている要因となっていることも事実である。

一旦細くなった四万十川は、四万十町田野々で梼原川と合流する。梼原川は水量が豊富な支流であり、四万十川本流を清流の様相に戻す。ただ、梼原川には津賀発電所下道堰堤(都賀ダム、1944年竣工、堤高45.5メートル)というダムが存在する。合流点の少し下流には轟の瀬と呼ばれる落差の大きい急流がある。続く、四万十町昭和には最大の中州の三島があり、キャンプ場が整備されているほか、からにはアユ漁を営む人々の姿が見られる。またテナガエビが名産であり、漁が行われるが、激減している。四万十町十川では、4月下旬から5月上旬にかけては鯉のぼりの川渡しが行われている(昭和49年から始められ、鯉のぼりの川渡し発祥の地である)。

四万十市西土佐江川崎で愛媛県に端を発する広見川と合流し更に川幅を広げ、ゆったりとした雰囲気をかもしだす。江川崎には温泉カヌーの施設があり、ここから下流はカヌーが行き交い、あちこちにキャンプ場が見られる。四万十川は流域に湧き水が多く、支流以外の随所から常時きれいな水が供給されている。

江川崎から少し下ると目黒川を合流する。この目黒川上流には滑床渓谷があり、川底の滑らかな岩盤が特徴で、紅葉の時期には観光客で賑わう。

下流は四万十市街の端を流れ、川幅も広くなり、満潮時には海水が遡上する。

国土交通省手づくり郷土賞を四万十川関連では「渡川第二緑地」で昭和63年度(ふるさとに恵みを与える川)、「渡川」で、平成2年度(生活を支える自然の水)、「黒尊川」で平成5年度(自然とふれあう水辺づくり)、「四万十川と共存するツルの里づくり事業」で平成26年度、「流域住民主体で四万十川の環境保全と地域活性化の活動」で平成28年度と、それぞれ受賞している[5]

沈下橋

四万十川の沈下橋は、本流に22本、支流を含めると47本ある。鉄筋コンクリート造りで、欄干がなく、通常の水位より2-3m上にかけられている。台風大雨時には沈下することで、流木などが橋脚などに引っ掛って滞留し水圧がかかり橋全体が破損、流失するのを防いでいる。

沈下橋と川、周囲の山並みの醸し出すのどかな景観は、四万十川の代名詞にもなっており、しばしば好まれて写材にもなっている[6]

幻の電源開発計画

1950年代まで、日本の電力供給は水力発電によるものが多くを占めていたため、冬場の渇水期には慢性的な電気不足に悩まされていた。こうした背景から四万十川流域でも、大規模なダムと複数の発電所の建設がセットで計画された過去がある。具体的には梼原川ダム、秋葉川ダム、渡川ダムを建設して相互に水の調節を行いながら、松葉川ダムから久礼発電所に引水して発電(16万kw)、境川ダムから興津発電所に引水して発電(10万kw)を行うものである。なお、それぞれの発電所の排水は、四万十川に戻さずに直接土佐湾に流し込む計画となっていた[7]

四万十川源流の森

不入山北麓に広がる四万十川源流のを中心とした森林で四国カルスト県立公園の指定区域にあり、四万十川源流の森として水源の森百選に指定されている[8]

山岳 面積(ha) 標高(m) 人工林(%) 天然林(%) 主な樹種 制限林 種類 流量(m3/日)
不入山 215 740 - 1336 20 80 スギヒノキモミアカマツツガブナコウヤマキ 水源かん養保安林、保健保安林、学術参考林 流水(四万十川 1万5000

樹齢200年に近い自然林国有林が管理する針葉樹林人工林が茂る。源流はv字谷を刻み岩肌と森林の緑と清流石灰岩質の岩肌で渓谷美を形成している。

所在地
高知県高岡郡津野町大字船戸(データは指定年1995年(平成7年)7月)

主な支流

漁業

四万十川は水質も良く日本有数の清流で、古くからが盛んに行われてきた。天然ウナギアユゴリチチブ、ヌマチチブ)、ツガニ(モクズガニ)、テナガエビなどの魚介類のほか、青海苔の産地として知られている。四万十川は川漁で生計を立てている人が多いことでも日本有数の河川といえる。

アユ

四万十川は全国屈指のアユの産地であり、かつては四万十川のアユ漁獲量は高知県全体の6割以上を占め、そのため高知県のアユ漁獲量は全国第1位を記録することも珍しくなかった[9]1986年までに漁獲量を6,000t台後半を記録しながら推移し、いったん減少したものの増加して1991年には935tでピークを打ち、その後漁獲量を減らし2004年には50tまで激減した[10][11]。2004年8月には、この事態に危機感を持った四万十川中央漁協(岡山静夫代表理事)などの漁師らが「四万十川にアユをとりもどすシンポジウム」を開き、アユの保護策を検討した。アユの入荷量を流域別の比較では、流域によって減少傾向が異なり、最も入荷量が多かった下流域の幡多公設市場(中村)の落ち込みが顕著で、かつ回復傾向がみられていない。アユの激減の理由には、ダム建設による汚染、川砂利採取(現在は禁止)、に下りたアユの稚魚が海水温上昇で死んだ、釣り人・漁師の増加や漁具の発達による乱獲などと、それらが複合的に絡み合っていると考えられているが[9][12]、橋下克彦は砂利採取による河口から中流域の川床の荒廃、とりわけ河口付近の浅瀬の産卵場、ふ化場の減少と流域全体のヒノキスギといった針葉樹植樹による山林の保水力の低下、を持つ落ちアユの乱獲を挙げている。砂利採取には、漁協の許可と保証金や見返りとなる金銭が必要であるが、この場合の漁協は必ずしも四万十川で川漁を専業とするものではない。砂利採取の跡は、法律で埋め戻しが義務付けられているが、山土を使うため、泥水が発生し川床の小石を覆うことでアユのとなるが生えず、餌不足に陥る。また、落ちアユは群れをなして流れを下り、冷たい湧き水を好むが、その噴出口を山土がふさぐ。こうしたことと天候不順が重なり、漁獲量の激減につながったと橋下は結論付けている[11]

テナガエビ

四万十川に生息する主なテナガエビは、ミナミテナガエビ、ヒラテテナガエビ(ヤマトテナガエビ)、テナガエビの三種類。四万十川でのテナガエビ類の年間漁獲高は30トン前後あり、ウナギや藻類に次いで多く、漁師にとって重要な水産資源となっている。高知県内の主要8河川と比較すると、四万十川が30トン前後なのに対し、他の7河川は2トン以下と少ない。

ミナミテナガエビとヒラテテナガエビは両側回遊を行う種で、河川で孵化した幼生は河口の塩度の濃い場所、または海まで下り、稚エビとなって川を遡上してくる。その期間は約1ヶ月。テナガエビは『汽水域』と『河川静水域、湖沼』に分布する2つのグループがあり、『汽水域』のテナガはミナミとヒラテ同様の孵化、遡上をするが『河川静水域、湖沼』のテナガは、卵の中でゾエアまで成長してから放出され、親エビと同じ環境で育つと考えられている。

流長196kmの四万十川の流れの中で、テナガエビ三種の流程分布は以下の通り。

  • ミナミテナガエビ - 河口から江川崎までの範囲。河口から50km。
  • ヒラテテナガエビ - 不破から大正までの範囲。河口から100km。
  • テナガエビ - 不破より下流域。河口から8km。

伝統漁法

四万十川では、以下のような伝統漁法が行われてきた。

柴漬け
テナガエビスジエビウナギ、魚
葉の付いたままの枝を束ね、水中に沈める。何日か置くと枝や葉の隙間にテナガやウナギ、カニ、魚等が住み着くので、柴漬けを上げ、大きな受け網の上で振るうと、獲物が落ちてくる。
コロバシ
テナガ、ウナギ
テナガ用とウナギ用があり、現在では塩ビ製の筒状の仕掛けを使う。テナガ用は径10×40cmくらい、ウナギ用は径4×70cmくらいの物を使い、入り口には戻し、出口には網を張ってあるので一度入れば出られないようになっている。セルビンと同じ原理。
石黒
ウナギ
岸近くに1.5mほどのすり鉢状の穴を掘り、その中に20cmくらいの石を隙間を作りながら、2、3段積み上げる。更にその上に5~10cmくらいの小石をピラミッド状に積む。こうしてできた石の山を『石黒』と呼ぶ。満潮時に石黒を解体し、囲い網に獲物を追い込む。
ゴリガラ曳
ヌマチチブ
四万十川流域ではハゼ科のチチブ、ヌマチチブの稚魚を「ゴリ」と呼ぶが、そのゴリを狙った漁法である。サザエ貝殻を何百個も吊るしたロープを両端の人が上流から下流に向けて曳き、サザエの光と音に驚いたゴリを網に追い込んで漁獲する。ゴリは佃煮や卵とじにして賞味する。
火振り
アユ
夜間、火の着いた松明(たいまつ)を川面近くで振りながら網に鮎を追い込む。同時に櫂で水面を叩き、火と音に驚いて逃げようとするアユが網にかかる。

四万十を扱った作品

遅咲きのヒマワリ〜ボクの人生、リニューアル〜』は、四万十川を舞台としたテレビドラマである。

斎藤惇夫の児童文学作品『ガンバとカワウソの冒険』(また映画化作品)は仁淀川と四万十川を舞台のモデルとしている。

ドキュメンタリー

友好河川

隅田川と、1989年より友好河川である。

並行する交通

道路

鉄道

脚注

注釈

  1. ^ 2187km2とする文献も存在する。
    海津正倫(1982)愛媛県地形地域区分.『愛媛県の地域区分と地域設定に関する研究』.愛媛大学地域社会総合研究所報告, Ser.A.18.5-15.

出典

  1. ^ a b 国土交通省 水管理・国土保全局 日本の川 - 中国 - 四万十川 2019年10月17日閲覧。
  2. ^ 渡川水系河川整備基本方針 - 国土交通省河川局
  3. ^ 四万十川 - 名水百選 Archived 2011年9月26日, at the Wayback Machine. - 環境省
  4. ^ 渡川水系河川整備基本方針 P4.
  5. ^ 国土交通大臣表彰 手づくり郷土賞 - 国土交通省
  6. ^ アサヒカメラ」2012年9月号 76P-78P 雨の沈下橋 椎名誠朝日新聞社
  7. ^ 「四万十川に電源開発計画 年間に十二億キロ 規模は信濃川に匹敵」『朝日新聞』昭和25年11月2日3面
  8. ^ 四万十川源流の森 - 水源の森百選 - 林野庁
  9. ^ a b 2-2 川の生物・水産資源 - 四万十町役場”. 2020年5月30日閲覧。
  10. ^ 東健作「四万十川におけるアユの長期的な漁獲変動と近年の特徴」『水産増殖』第58巻第3号、日本水産増殖学会、2010年、401-410頁、doi:10.11233/aquaculturesci.58.4012020年6月1日閲覧 
  11. ^ a b 『Bises』2005年冬号 NO,39 橋下克彦「危うし、最後の清流四万十川」
  12. ^ 日本共産党2004年10月11日(月)「しんぶん赤旗」”. 2020年5月30日閲覧。
  13. ^ NHK特集 土佐・四万十川~清流と魚と人と~”. NHK. 2022年4月4日閲覧。
  14. ^ NHKクロニクル 1983年9月12日 総合 番組表”. NHK. 2022年4月4日閲覧。
  15. ^ NHK特集「土佐・四万十川〜清流と魚と人と〜」”. NHK (2021年5月4日). 2021年5月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年5月6日閲覧。

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