地中海 地中海の形成

地中海

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/05/29 14:22 UTC 版)

地中海の形成

約2億年前ないし約1億8000万年前、パンゲア大陸が南のゴンドワナ大陸と北のローラシア大陸へと分裂し始めテチス海が誕生した。テチス海は、現在の地中海の原型にあたり、古地中海とも呼ばれる。テチス海は、地殻変動が繰り返され、現在のユーラシア大陸やヨーロッパ、アフリカ大陸が形成されていく中で、カスピ海黒海を切り離す形で縮小してきた。

中新世末期のメッシーナ期(7.246±0.005百万年前 - 5.332±0.005百万年前)には一時的に大西洋との間で断絶が起き、596万年前から533万年前にかけてメッシニアン塩分危機が起こり、テチス海は塩湖化しながら縮小もしくは完全に干上がった時期が確認されている。

533万年前、再び大西洋とジブラルタル海峡で繋がると、200年以上かけて海水が流れ込み地中海が形成された。塩湖からの影響で地中海は現在も大西洋より塩分濃度が高くなっている。

気候

地中海周辺のケッペンの気候区分図

地中海沿岸の多くは、夏は南方のサハラ砂漠方面から北上してくる高気圧によって乾燥し、晴天に恵まれる。一方冬は北方から南下してくる低気圧によって雨が降り、湿潤な気候となる。この特徴的な気候はスペインからイタリア半島、ギリシャ、アナトリア半島マグリブ諸国のアトラス山脈以北などに分布し、ケッペンの気候区分においても地中海性気候(Cs)と呼ばれる独立した一区分となっている。一方、地中海でも緯度の低いリビアやエジプト沿岸においては、ハドレー循環による北緯20度から30度にかけての亜熱帯高圧帯の直下に位置し、一年中高気圧に覆われるため、ナフサ山地によって海風が山にぶつかるトリポリタニア北部と、同じくアフダル山地にぶつかるキレナイカ北部を除き、砂漠地帯が広がっている。

また、前述した高気圧と低気圧の移動に伴い、地中海は多数の局地風があることで知られる。夏に南から吹く風としては、イタリアのシロッコやリビアのギブリなどがある。ギブリは乾燥しているが、シロッコは地中海を越えてくるために蒸し暑い風となる。冬は逆に、北から強風が吹くようになる。アドリア海ボーラやフランスのミストラルなど、寒く乾燥した風が多い。

地中海の水温

平均海水温度 (℃)
Jan Feb Mar Apr May Jun Jul Aug Sep Oct Nov Dec Year
マルセイユ[8] 13 13 13 14 16 18 21 22 21 18 16 14 16.6
ジブラルタル[9] 16 15 16 16 17 20 22 22 22 20 18 17 18.4
マラガ[10] 16 15 15 16 17 20 22 23 22 20 18 16 18.3
アテネ[11] 16 15 15 16 18 21 24 24 24 21 19 18 19.3
バルセロナ[12] 13 13 13 14 17 20 23 25 23 20 17 15 17.8
イラクリオン[13] 16 15 15 16 19 22 24 25 24 22 20 18 19.7
ヴェネツィア[14] 11 10 11 13 18 22 25 26 23 20 16 14 17.4
バレンシア[15] 14 13 14 15 17 21 24 26 24 21 18 15 18.5
マルタ[16] 16 16 15 16 18 21 24 26 25 23 21 18 19.9
アレキサンドリア[17] 18 17 17 18 20 23 25 26 26 25 22 20 21.4
ナポリ[18] 15 14 14 15 18 22 25 27 25 22 19 16 19.3
ラルナカ[19] 18 17 17 18 20 24 26 27 27 25 22 19 21.7
リマッソル[20] 18 17 17 18 20 24 26 27 27 25 22 19 21.7
アンタルヤ 17 17 17 18 21 24 27 28 27 25 22 19 21.8
テルアビブ[21] 18 17 17 18 21 24 26 28 27 26 23 20 22.1

人類史

古代

地中海沿岸は古くより多くの民族が栄えてきた。最初に文明が栄えたのは東地中海で、エジプト文明をはじめ、アナトリアのヒッタイトクレタ島ミノア文明、ギリシアのミケーネ文明などが盛んに交易をおこなっていた。なかでもミノア文明は地中海のただなかにあり、沿岸の各文明と盛んに交易をおこなっていた。しかし、紀元前1200年ごろ、前1200年のカタストロフと呼ばれる大変動がこの地域を襲い、海の民と呼ばれる人々の襲撃によってヒッタイト・ミノア・ミケーネは崩壊、エジプトも大きく力を落とした。

黄がフェニキア人の都市、赤がギリシア人の都市、灰はその他。

やがて、紀元前12世紀ごろから、地中海東端、現在のレバノン付近に居住していたフェニキア人が地中海交易を開始する。ついで古代ギリシア諸都市も沿岸交易を開始し、地中海沿岸にはフェニキアとギリシアの多くの植民都市が建設されていった。イスタンブール(ビザンチウム)、ナポリ(ネアポリス)、マルセイユ(マッサリア)、パレルモメッシーナシラクサなど、この植民都市に起源を持つ都市は現在でも多く残っている。この時期から、地中海においてはガレー船が多用されるようになった。地中海では風向きが安定しないため純帆船の使用は遅れ、17世紀に技術進歩によって帆船にとってかわられるまではガレー船が地中海の船舶の主流となっていた。

紀元前8世紀フェニキアが政治的独立を失ったものの、植民都市の一つカルタゴが強大化し、地中海西部に覇を唱えるようになった。一方、地中海中央部では共和政ローマが強大化し、3度にわたるポエニ戦争によってカルタゴを滅亡させ、さらにギリシア諸都市や沿岸諸国を次々と占領していき、最終的に紀元前30年プトレマイオス朝エジプトを併合して、地中海はローマ帝国の内海となり、「我らが海」(Mare Nostrum)と呼ばれるようになった。ローマの外港であるオスティアは拡大整備され、地中海沿岸各地に広がる属州から、ローマを支える大量の穀物や各種商品が運び込まれた。地中海全域が統一政府のもとにおかれたことで海運は活発化し、地中海全域が一つの経済圏となった。

中世

ローマ帝国の東西分裂と西ローマ帝国の崩壊は地中海にも混乱をもたらし、ゲルマン民族の大移動によってやってきたゲルマン人が地中海を渡り、西ゴート王国やヴァンダル王国を建国した。一時的に東ローマ帝国ユスティニアヌス1世のもとでイタリア半島や北アフリカを回復したものの、7世紀に入るとイスラム帝国が地中海地域に進攻を開始し、8世紀には地中海南岸および東岸を領域化した。これに対し地中海北岸はフランク王国の主導のもとキリスト教のもとにとどまり、これによって地中海世界は異なる二つの文明体系に分裂することとなった。キリスト教内においても、このころ東ローマ帝国のギリシア正教圏とローマ教皇・フランク王国のローマ・カトリック圏とに大きく分かれ、異なった文明となっていった。

イスラム帝国の侵攻とフランク王国経済の重心が北部に移動したことにより、一時衰退した地中海交易は、9世紀にはいると、アマルフィピサジェノヴァヴェネツィアといったイタリア半島の諸都市が地中海交易に乗り出し、交易がふたたび盛んとなった。やがて徐々に力を蓄えたヨーロッパ諸国は東方への進出を試み、1095年にはじまる第一次十字軍によってエルサレムを中心に地中海東岸に十字軍諸王国と呼ばれる国家群が建設された。この後、7度を数える十字軍が起こされたが、十字軍諸国家は12世紀末以降徐々に衰退し、1187年にはアイユーブ朝をおこしたサラーフッディーンによってエルサレムがイスラム側に再占領された。これにより再び十字軍が組織されたが、第三回十字軍はエルサレム奪回に失敗し、第四回十字軍はイスラムではなく東ローマ帝国に矛先を向け、1204年に東ローマの首都コンスタンティノープルが陥落して東ローマ帝国が一時滅亡し、ラテン帝国が建国された。第一回十字軍は陸路を取ったものの、第二回十字軍以降は海路での侵攻が主流となった。この軍輸送はイタリア半島の交易都市群によって負担され、このころまでにはこの大軍を輸送するだけの輸送力をこれらの諸都市が持っていたことをあらわしている。この十字軍は一面で地中海の移動の活発化をもたらし、これ以降交易や文化交流は一層盛んとなった。ジェノヴァヴェネツィアドゥブロヴニクラグーザ共和国)などが大貿易都市として栄え、この交易によって蓄えられた富や知識を基に、やがてイタリア半島においてルネサンスが始まることとなった。一方、西地中海においてはアラゴン王国が13世紀以降サルデーニャコルシカシチリア王国ナポリ王国を領有し、アラゴン連合王国として西地中海の制海権を握っていた。この制海権は、1479年にアラゴン王国とカスティーリャ王国が合同して成立したスペイン王国へと引き継がれることとなった。

近世

レパントの戦い

15世紀には、オスマン帝国アナトリア半島から勢力を広げ、1453年には東ローマ帝国の首都コンスタンティノープルを攻略した。これにより、ボスポラス海峡を通って黒海方面に貿易帝国を築き上げていたジェノヴァ共和国は大打撃を受け、活動を西地中海へと移していくことになった[22]。一方、エジプトやシリアはいまだオスマン領ではなかったため、この地域を交易の基盤とするヴェネツィア共和国は東地中海の支配権を握り続けた。しかしオスマン帝国の膨張は止まらず、1517年にはエジプトのマムルーク朝がオスマンに征服され、オスマン帝国は地中海東方および南方を手中に収め、それまで地中海の制海権を握っていたヴェネツィア共和国スペインと激しく対立した。1538年プレヴェザの海戦によってオスマンは全地中海の制海権を握ったものの、1571年レパントの海戦によって歯止めがかけられ、西地中海の制海権はやがてスペインが奪回した。一方、アメリカ大陸の発見により、ヨーロッパの交易中心は地中海から大西洋および北海へと移り、地中海の交易は相対的に地位が低下した。また、15世紀以降マグリブ諸国からの海賊がキリスト教国の脅威となり、バルバリア海賊と呼ばれて19世紀初頭まで猛威を振るった。1783年に独立したアメリカ合衆国も、1801年第一次バーバリ戦争1815年第二次バーバリ戦争の2度にわたってバルバリア海賊と戦火を交えている。

スペイン継承戦争の結果、1713年ユトレヒト条約においてイギリスはジブラルタルミノルカ島を獲得する。ミノルカ島はその後、アメリカ独立戦争中の1782年メノルカ島侵攻によってスペインが奪還するが、ジブラルタルは以後現在までイギリスの重要な軍事基地となっている。

1798年には、フランス共和国のナポレオン・ボナパルトが海路エジプト遠征を行い、イギリスの地中海と紅海・インド洋との連絡を断ち切ろうとした。しかし海軍力に勝るイギリスはホレーショ・ネルソンのもとナイルの戦いにおいて勝利を収め、地中海の制海権を確立する。補給を絶たれたフランス軍は1801年に降伏した。以後もナポレオン戦争中、イギリスはマルタ島やイオニア諸島を占領し、地中海における重要拠点とした。とくにマルタ島には地中海艦隊の本部が置かれ、イギリスの地中海制海権を担っていた。

近代

19世紀にはいると、オスマン帝国の衰退に乗じ、北岸のヨーロッパ諸国が対岸の北アフリカを植民地化していった。1830年にはフランスがアルジェリア侵略をおこない、これによりバルバリア海賊が完全に消滅するとともに、以後1962年にいたるまでフランスがアルジェリアを支配した。

1820年ごろから、一時は完全に喜望峰回りに移っていた東西交易のメインルートが、再び地中海経由に戻る兆しを見せ始めた。イギリス東インド会社の非効率と、そのころ外洋へ進出し始めた蒸気船の進歩が、距離の短い地中海ルートの復権を促したのである。1820年代には英領インドからイギリスまでの定期蒸気船航路の開設が叫ばれるようになるが、このルートには、カルカッタ財界の推す喜望峰ルートと、ボンベイ財界の推すスエズルートの二つのルートが存在した。喜望峰ルートは一時定期船を就航させたものの、燃料である石炭の補給基地の開設に失敗し、結局1835年にイギリス政府はボンベイからスエズへ蒸気船航路を開設し、スエズからアレキサンドリアまで陸送したのち、アレキサンドリアから地中海を西へ向かい、マルタ島を経由してジブラルタルで英国本土行きの帆船に載せ替える郵便ルートを正式に採択する[23]。これにより、地中海は再び東西を最速で結ぶ経路となった。

19世紀、スエズ運河開通直後の風景

このころ、東西海運のネックとなっているスエズ地峡に運河を開削する案が浮上する。この案は歴史上何度も現れては消えた案であったが、産業革命の進展により実際に運河を建設する条件が整ったからである。イギリスはこの案に消極的であったが、フランスがこの案を積極的に進め、フェルディナン・ド・レセップスによって設立されたスエズ運河会社によって運河は1855年着工し、1869年に開通した。これにより、地中海と紅海が一本の水路でつながり、地中海を経由する東西直航ルートが可能になった。

スエズ運河が開通することで、地中海は完全に東西交易のメインルートへと復帰した。地中海沿岸、とくに北岸は産業革命の進んだ先進地域が多く、また喜望峰回りの従来のメインルートに比べ、時間・距離・コストともに圧倒的に有利だったからである。蒸気船の就航により地中海内一般航路の時間も短縮され、本数も増加して、多数の航路が地中海内に開設されるようになった。この時期、とくに19世紀に入って以降、従来の地中海沿岸諸国に加え、地中海への入り口を確保したオーストリア帝国(のちにオーストリア・ハンガリー帝国)が、アドリア海の湾奥にあるトリエステ港を整備し[24]、ここを拠点として地中海進出を進めていた。

現代

第一次世界大戦は、地中海においても大きな動きをもたらした。地中海、とくにアドリア海はイタリアとオーストリア・ハンガリーの海戦の舞台となり、オトラント海峡海戦などいくつかの海戦が起こった。第一次大戦後、オーストリア・ハンガリーは地中海への出口を喪失し、セルビア王国の後継であるユーゴスラビア王国がその地域を得た。

第二次世界大戦においては、地中海は第一次世界大戦よりさらに大規模な戦いの舞台となった。イタリア・ドイツとイギリスの間に地中海の戦いと総称される多数の戦闘が起き、イギリスはマルタ島を基地として枢軸軍の補給を脅かし続けた。

第二次世界大戦終結後、1956年スエズ動乱によってイギリスはスエズ運河の支配権を完全に喪失し、ガマール・アブドゥル=ナーセル率いるエジプト政府がスエズ運河を国有化した。しかし1967年第三次中東戦争が勃発し、大勝したイスラエルシナイ半島を占領下に置き、スエズ運河東岸を支配した。これによりスエズ運河は通行不能状態となり、地中海を経由する東西交易は一時完全にストップし、古い喜望峰回りのルートへの移行を余儀なくされた。この状態は1973年10月の第四次中東戦争まで続いたが、この戦争後両国は歩み寄りを見せ、1975年に運河通航は再開されて、これにより地中海経由の東西貿易もふたたび復活した。




  1. ^ Pinet, Paul R. (2008). Invitation to Oceanography. Jones & Barlett Learning. p. 220. ISBN 0763759937. http://books.google.com/books?id=6TCm8Xy-sLUC&pg=PA220&lpg=PA220. 
  2. ^ 厳密にはもう一箇所、スエズ運河を介しても外海と接続しているが、海況に与える影響は極僅かと言える
  3. ^ Pinet, Paul R. (1996), Invitation to Oceanography (3rd ed.), St Paul, Minnesota: West Publishing Co., p. 202, ISBN 0-314-06339-0 
  4. ^ Pinet 1996, p. 206.
  5. ^ Pinet 1996, pp. 206–207.
  6. ^ Pinet 1996, p. 207.
  7. ^ 「ビジュアルシリーズ 世界再発見1 フランス・南ヨーロッパ」p84 ベルテルスマン社、ミッチェル・ビーズリー社編 同朋舎出版 1992年5月20日第1版第1刷
  8. ^ Marseille Climate and Weather Averages, France
  9. ^ Gibraltar Climate and Weather Averages
  10. ^ Malaga Climate and Weather Averages, Costa del Sol
  11. ^ Athens Climate and Weather Averages, Greece
  12. ^ Barcelona Climate and Weather Averages, Spain
  13. ^ Iraklion Climate and Weather Averages, Crete
  14. ^ Venice Climate and Weather Averages, Venetian Riviera
  15. ^ Valencia Climate and Weather Averages, Spain
  16. ^ Valletta Climate and Weather Averages, Malta
  17. ^ Alexandria Climate and Weather Averages, Egypt
  18. ^ Naples Climate and Weather Averages, Neapolitan Riviera
  19. ^ Larnaca Climate and Weather Averages, Cyprus
  20. ^ Limassol Climate and Weather Averages, Cyprus
  21. ^ Tel Aviv Climate and Weather Averages, Israel
  22. ^ 「商業史」p67 石坂昭雄、壽永欣三郎、諸田實、山下幸夫著 有斐閣 1980年11月20日初版第1刷
  23. ^ 『世界一周の誕生――グローバリズムの起源』p62 園田英弘(文藝春秋[文春新書], 2003年)
  24. ^ 「ハプスブルク帝国を旅する」p99 加賀美雅弘 (講談社現代新書)1997年6月20日
  25. ^ “地中海で「近年最悪の海難事件」、難民500人水死の恐れ”. AFPBB News. (2014年9月16日). http://www.afpbb.com/articles/-/3025947 2016年11月28日閲覧。 
  26. ^ 『地球を旅する地理の本4 西ヨーロッパ』p.43-44 大月書店 1993年2月19日第1刷
  27. ^ Limits of Oceans and Seas, 3rd edition”. International Hydrographic Organization. p. 15-18 (1953年). 2012年4月20日閲覧。


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