地中海での哨戒
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/16 05:41 UTC 版)
「U81 (潜水艦・2代)」の記事における「地中海での哨戒」の解説
「U81」は第4次哨戒では何の戦果も得られなかった。1942年4月4日地中海東部へ向けて第5次哨戒に出航した。4月16日にエジプトの帆船「バブ・エル・ファラグ」と「ファトウ・エル・カール」に加え、イギリス船「カスピア」と自由フランス海軍対潜トロール漁船改造艇「ヴィーキングス」も沈めた。「U81」はさらに4月19日にエジプト帆船「ヘフツ・エル・ラーマン」を、4月22日に「エル・サーディアー」ともう1隻を沈めた。「U81」は4月25日まで哨戒を行いサラミスに入港し、この22日間で7隻7,682トンの船を沈めた。サラミスからの第6次哨戒では戦果を得られず、次の第7次哨戒でイギリス船「アーヴル」を6月10日に沈め、ラ・スペツィアに戻った「U81」の第8次哨戒は地中海西部で行なわれた。イギリス船「ガーリング」を11月10日に沈め、トーチ作戦中の1船団の攻撃に向かい11月13日に「マロン」を沈めた。 「U81」の次の哨戒は戦果がなく、しばらくポーラ方面へ移動した。12月25日に艦長がグッゲンベルガーからヨハン・オットー・クリーク(de:Johann-Otto Krieg)中尉へ交代した。「U81」は1943年1月30日、ポーラから次の哨戒に出航した。2月10日にオランダ船「サロエナ」に損傷を与え、翌11日には4隻の帆船、エジプト船「アル・カスバナー」、「サッバーフ・エル・キール」とレバノン船「フスニ」及びパレスチナ船「ドルフィン」を沈めた。U-81は2月19日にサラミスに入港し、21日間の哨戒で4隻388トンを沈め、1隻6,671トンに損傷を与えた。 次の第11次哨戒ではエジプト帆船「ブーギー」、「マワッハーブ・アッラー」及び「ロスディ」を沈めたが、実質的にはたいした戦果ではなく、次の哨戒任務で戦果をあげることができた。第12次哨戒で、6月17日にイギリス兵員輸送船「ヨーマ」を沈め、続いて25日にはエジプト帆船「ニスル」を、26日にはシリア帆船「ネリー」及び「トウフィック・アッラー」を沈めた。同27日にはギリシア船「ミカリオス」を沈めたが、ラタキア沖で海岸砲の攻撃を受けた。次の第13次哨戒で7月22日「エンパイア・ムーン」に魚雷を命中させ重大な損傷を与えた。これにより、「エンパイア・ムーン」は戦争終了まで修理を要することとなった。それ以降の3次の哨戒では、11月18日(第16次哨戒)で「エンパイア・ダンスタン」を沈めた他は戦果が無かった。
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