地中海での任務とネルソン
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「トマス・ハーディ (イギリス海軍)」の記事における「地中海での任務とネルソン」の解説
ハーディは1790年2月5日に5等艦ヘーベ(英語版)にミジップマン(英語版)として乗艦した。後にアンソニー・ハント艦長の6等艦ティシフォーン(英語版)に転属し、その後1793年5月に6等艦アンフィトリト(英語版)に乗って、地中海へ向かった。ハーディはマルセイユとトゥーロンの沖合で任務につき、1793年11月10日にチャールズ・タイラー(英語版)艦長の5等艦メリーガー(英語版)に二等海尉として乗務した。 1794年6月、ジョージ・コックバーンがメリーガーの指揮官となり、そのコックバーンは1796年8月に5等艦ミネルヴ (戦列艦)(英語版)に転属した。ハーディもコックバーンと共に「ミネルヴ」で任務につき、その後すぐに一等海尉に昇進した。1796年12月には、その当時准将だったホレーショ・ネルソンがミネルヴを自らの旗艦とした。ジブラルタルへ向かう途中にスペイン海軍との間で1796年12月19日の海戦(英語版)が起き、ミネルヴと、僚艦の5等艦ブランチェ(英語版)は2隻のスペイン艦と交戦し、「サンタ・サビーナ」を降伏させた。ハーディとカルヴァーハウスの両海尉は、捕囚された乗組員共々「サンタ・サビーナ」に乗り込むように指示を受け、この3隻の艦はジブラルタルを目指し続けた。しかし夜が明ける前に、ネルソンはスペイン艦隊と出くわし、何とかしてその場を切り抜けることに専心した。その時ハーディは、「ミネルヴ」からスペイン艦を引き離そうとして交戦したが、マストが折れ、拿捕されてしまった。ハーディとカルヴァーハウスはその後間もなく、「サンタ・サビーナ」の艦長であるドン・ハコボ・ステュアートと交換され、1797年2月9日、再びジブラルタルで「ミネルヴ」に乗艦することができた。 敵艦2隻に尾行されていたため、コックバーンは「ミネルヴ」の速度を上げるように命じた。この逃走の最中に、檣楼長が海中に落下し、艦は航行を停止してハーディを乗せたボートが、落下した檣楼長を探すために下ろされた。敵艦が速度を上げて接近したため、コックバーンは撤退には慎重であるべきと考えたが、ネルソンはわれを忘れて叫んだ。「神に誓い、私はハーディを失うことはしない、ミズン・トップマストへ戻れ!」 これは、どこまで進んだかを確認していたスペイン艦を混乱させ、ハーディはこのおかげで「ミネルヴ」に戻って、スペインからの逃亡をやりおおせた。
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