地中海での任務とネルソンとは? わかりやすく解説

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地中海での任務とネルソン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/12 14:14 UTC 版)

トマス・ハーディ (イギリス海軍)」の記事における「地中海での任務とネルソン」の解説

ハーディ1790年2月5日5等艦ヘーベ英語版)にミジップマン(英語版)として乗艦した。後にアンソニー・ハント艦長6等艦ティシフォーン(英語版)に転属し、その後1793年5月6等艦アンフィトリト(英語版)に乗って地中海向かったハーディマルセイユトゥーロン沖合任務につき、1793年11月10日にチャールズ・タイラー(英語版艦長5等艦メリーガー(英語版)に二等海尉として乗務した。 1794年6月、ジョージ・コックバーンがメリーガーの指揮官となり、そのコックバーンは1796年8月5等艦ミネルヴ (戦列艦)(英語版)に転属した。ハーディもコックバーンと共にミネルヴ」で任務につき、その後すぐに一等海尉昇進した1796年12月には、その当時准将だったホレーショ・ネルソンミネルヴを自らの旗艦とした。ジブラルタルへ向かう途中スペイン海軍との間で1796年12月19日海戦英語版)が起きミネルヴと、僚艦5等艦ブランチェ(英語版)は2隻のスペイン艦と交戦し、「サンタ・サビーナ」を降伏させた。ハーディとカルヴァーハウスの両海尉は、捕囚された乗組員共々「サンタ・サビーナ」に乗り込むように指示を受け、この3隻の艦はジブラルタル目指し続けた。しかし夜が明ける前にネルソンスペイン艦隊と出くわし、何とかしてその場切り抜けることに専心したその時ハーディは、「ミネルヴ」からスペイン艦を引き離そうとして交戦したが、マスト折れ拿捕されてしまった。ハーディとカルヴァーハウスはその後間もなく、「サンタ・サビーナ」の艦長であるドン・ハコボ・ステュアートと交換され1797年2月9日、再びジブラルタルで「ミネルヴ」に乗艦することができた。 敵艦2隻に尾行されていたため、コックバーンは「ミネルヴ」の速度上げるように命じた。この逃走最中に、檣楼長が海中落下し、艦は航行停止してハーディ乗せたボートが、落下した檣楼長を探すために下ろされた。敵艦速度上げて接近したため、コックバーンは撤退には慎重であるべき考えたが、ネルソンはわれを忘れて叫んだ。「神に誓い、私はハーディを失うことはしない、ミズン・トップマストへ戻れ!」 これは、どこまで進んだかを確認していたスペイン艦を混乱させ、ハーディはこのおかげでミネルヴ」に戻ってスペインからの逃亡やりおおせた。

※この「地中海での任務とネルソン」の解説は、「トマス・ハーディ (イギリス海軍)」の解説の一部です。
「地中海での任務とネルソン」を含む「トマス・ハーディ (イギリス海軍)」の記事については、「トマス・ハーディ (イギリス海軍)」の概要を参照ください。

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