プレヴェザの海戦とは? わかりやすく解説

プレヴェザの海戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/15 04:32 UTC 版)

プレヴェザの海戦
ハプスブルク=オスマン帝国戦争スペイン語版イタリア語版英語版

プレヴェザの海戦 (Ohannes Umed Behzad)
1538年9月28日
場所プレヴェザ, イオニア海
結果 オスマン帝国の勝利
衝突した勢力

神聖同盟 (1538年)英語版:
ヴェネツィア共和国
スペイン
教皇領
ジェノヴァ共和国

聖ヨハネ騎士団
オスマン帝国
指揮官
アンドレア・ドーリア バルバロス・ハイレッディン
戦力
大小162隻のガレー船
140 barques,
60,000人の兵士[1][2]
大小122隻のガレー船
20,000人の兵士[1][2]
被害者数
13隻の艦船が沈没
36隻の艦船が拿捕
3,000人の捕虜[1][2]
死者およそ400人
負傷者およそ800人[1][2]
プレヴェザの海戦時における、ヨーロッパ艦隊の配置

プレヴェザの海戦(プレヴェザのかいせん)は、1538年9月28日バルバロス・ハイレッディンの指揮するオスマン帝国艦隊と、アンドレア・ドーリアが指揮するスペインヴェネツィアローマ教皇の連合艦隊とによって戦われた海戦[3]イオニア海レフカダ島沖が戦場となった。連合艦隊は統制が取れずに敗走し、オスマン帝国はクレタマルタを除く全地中海域の制海権を握ることとなった。この優位は1571年レパントの海戦で揺らぐものの、以後もオスマン帝国は地中海での一大勢力であり続けた。この勝利は、オスマン帝国側に帰属したバルバリア海賊の影響力無しには為し得なかった。

背景

1537年、バルバロス・ハイレッディン率いるオスマン帝国艦隊は、エーゲ海イオニア海に浮かぶヴェネツィアの支配下にあった島々を次々に占領し、地中海の制海権を着実に手にしつつあった。このような動きに対して、教皇パウルス3世、スペインのカルロス1世、ヴェネツィア共和国を中心とするキリスト教勢力は、アンドレア・ドーリアを総司令官とする連合艦隊を結成して、オスマン帝国艦隊に打撃を加えようとしていた。

展開

キリスト教側の連合艦隊は、ヴェネツィアの拠点であるコルフ島に集結し、1538年9月コルフ島を出発した。一方、オスマン帝国側はアルタ湾の内側に集結していた。

連合艦隊は、湾の入り口にあるプレヴェザに近づいたが、攻めきれないと見るや南方へ退く。それに対しオスマン帝国艦隊は連合艦隊を追跡し、レフカダ島沖で追い着いた。連合艦隊は一旦は受けて立とうとしたが、陣形の整わないうちにオスマン艦隊の襲撃を受け、数隻の船がオスマン側に捕獲されたところで、アンドレア・ドーリアによる撤退命令が出て撤退した。

結局、大した戦闘をしないまま撤退したので、連合艦隊の損害はさほど大きくはなかったが、キリスト教側は大きな失望感を味わい、またオスマン帝国の優位を印象づけることになった。

戦後

一旦スペインなどキリスト教側について戦ったヴェネツィア共和国だったが、再びオスマン帝国との友好関係を築いた。

参照

関連項目


プレヴェザの海戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/17 16:05 UTC 版)

ムラト・レイース」の記事における「プレヴェザの海戦」の解説

ムラト・レイースはトゥルグット・レイースの初期遠征のほとんどに従っている。1538年9月25日から26日、彼はアンドレア・ドーリア率い神聖ローマ帝国艦隊プレヴェザ上陸妨害する役を与えられ、これに成功した9月28日のプレヴェザの海戦ではトゥルグット・レイースとともにY字のオスマン艦隊後方陣取りオスマン帝国勝利大きく貢献したその後ムラト・レイースはトゥルグット・レイースに従い続けたが、後にインド洋艦隊指揮官任命され地中海離れた

※この「プレヴェザの海戦」の解説は、「ムラト・レイース」の解説の一部です。
「プレヴェザの海戦」を含む「ムラト・レイース」の記事については、「ムラト・レイース」の概要を参照ください。

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