カーペンタリア湾
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座標: 南緯13度45分 東経139度00分 / 南緯13.750度 東経139.000度
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- ^ Richard A. Lovett (3 February 2010). Giant Meteorites Slammed Earth Around A.D. 500?. National Geographic News. National Geographic Society. Retrieved 3 March 2013.
- 1 カーペンタリア湾とは
- 2 カーペンタリア湾の概要
カーペンタリア湾
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「バーク・ウィルズ探検隊」の記事における「カーペンタリア湾」の解説
1861年2月9日、バークらはフリンダーズ川デルタの支流リトル・バイノー川に到達した。水の塩からさと水位の干満で海の近いことは確認できたが、渡渉困難な湿地と食料の欠乏のため、彼らは海へ到達できなかった。バークとウィルズはキャンプ119にキングとグレイそしてラクダを残し、湿地を通り抜け24キロ進んだ所で引き返すことに決めた。その時点で食糧は絶望的な量となっていた。5週間分の食糧しか残っていないのに、彼らは10週間でクーパーズ・クリーク補給地へ引き返すことになったのである。 彼らが北を目指すうち、気候は暑く乾燥していたが、復路では雨季が始まり熱帯モンスーン気候特有の局地的豪雨が始まった。ゴラー・シンという名のラクダが歩けなくなって3月4日に乗り捨てられた。他の3頭は射殺されて途中で食糧にされた。隊は唯一の馬、ビリーをディアマンティナ川の岸辺で4月10日に射殺した。備品は、運んでいたラクダや馬が減るにつれ道々で捨てられた。これらの場所で復路キャンプ32が1994年に特定され、バーク・アンド・ウィルズ歴史協会は、2005年に発見されたラクダの骨を照合してこの探険時のものだと判定した。 彼らは食料を節約するためにスベリヒユを食べ、グレイが捕らえた体重5.0 kgのニシキヘビ(恐らくズグロニシキヘビ)も食べた。バークとグレイはすぐに赤痢にかかった。グレイは体調不良を訴えたが、他の隊員たちは仮病だとみていた。3月25日バーク川のほとりで、グレイは盗んだ小麦粉で粥を作り隠れて食べていたところを見つかり、バークに殴られた。グレイは、隊がポリゴナム湿地と呼んだこの地で、4月17日に赤痢で死亡した。グレイの死んだ場所は特定できず、南オーストラリアのマサカー湖だと一般的に信じられている。バークがグレイを殺した可能性はひとまず措かれたが、殴打したバークの酷薄さは議論の的となった。生き残った3人の男たちは、グレイを埋葬するため、そして自分たちも体力を回復させるために1日足を止めた。彼らはこの時点で飢えと疲労からひどく弱っていた。
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