オレたちひょうきん族
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/06 01:28 UTC 版)
『オレたちひょうきん族』(オレたちひょうきんぞく)は、フジテレビ系列で1981年5月16日から1989年10月14日まで毎週土曜日20:00 - 20:54(JST)に放送されていた日本のお笑いバラエティ番組。通称「ひょうきん族」「ひょうきん」。
- ^ 具体的には、たけし曰く「(当時たけし自身がパーソナリティを務めていた)『オールナイトニッポン』を親に隠れて聞いているようなやつら」。
- ^ 尤も、吉本自体大正時代には早くも東京に進出しており、当時東京最大の歓楽地であった浅草公園六区に劇場を建設、戦前にはプロ野球の巨人軍の設立や映画会社の経営に関与するなど全国規模での活動をしていたが、戦後の浅草の急激な斜陽化とともに吉本は撤退した。その後1980年に上京する芸人のマネジメントをする「東京連絡事務所」を設立していたが、社員は2名のみ・事務所もマンションの一室と小規模な状況でのスタートだった。
- ^ ビートきよしの出演が無くなってからは『ツービート』表記は無くなった。
- ^ 初代OP時でのクレジット上での扱いは正式レギュラーが顔つきで紹介された後に、タレント名だけがテロップで表示される、いわゆる準レギュラー格での扱いで、正式レギュラー扱いとなったのは1983年4月、3代目のOPに切り替えられてからのことであった。
- ^ 一時、裏番組『ダントツ笑撃隊!!』(日本テレビ)に出演して番組を離れるも1982年に復帰。「ぼんちおさむ」を名乗るようになってからも当番組では「おさむ」名義のままだった。
- ^ 1982年頃に降板し、約2年間番組を離れていたが石井章雄の洋七が好評で「W洋七」として復帰し、太平サブローの洋八と「B&B」として活躍。
- ^ 『赤信号』名義
- ^ 当初は本名の「松尾憲造」名義
- ^ 収録の度に牛を連れて茨城から来ていたが、たけしの発案で番組に出演するようになった。
- ^ たけしがミルクの方を、女性ではあるが顔と太目の容姿を見て「お笑い界の坂上二郎」と呼んでいた。
- ^ ただし、衛星受信の放送のみに許可されており、IPTV向けの放送では許可されていない。
- ^ 最終回では「SPECIAL THANKS」として表記。
- ^ 栗原は「ひょうきん族」で接したジミー大西を見てドラマ『ピュア』の主人公の着想を得たという[7]。
- ^ 1982年に「ひょうきんディレクターズ」としてレコード「ひょうきんパラダイス」をリリースした。
- ^ 番組初期は「荻野ノコルゾ繁」名義。
- ^ 長らくローカルセールス枠であったことも起因。
- ^ この件は、さんまからしばしば指摘されており、たけしのサボタージュを皮肉った「カスタネットマン」というキャラクターも誕生している。
- ^ また、このことは最終回でも指摘されており、さんまはたけしに「今日は早退とかやめろよ」と言われている。
- ^ 最後に退場した山田邦子にスタッフから大きな拍手が送られた。これは『ひょうきん族』の流れを『邦ちゃんのやまだかつてないテレビ』(『やまかつ』)で継ぐ意味もあった。ただし、『やまかつ』の内容は『ひょうきん族』とは大きく異なっており、スタッフも引き継がれていない。これは元々『やまかつ』が『いきなり!フライデーナイト』から派生した企画であるため。
- ^ CG導入以前は、番組の映像を静止画で断片的に流していただけだった。
- ^ 翌週が特番やナイター中継の場合はその告知。なお、初期の放送や「ひょうきんスペシャル」では提供・エンドカードはCMを挟んで別途表示していた。
- ^ a b c d 『昭和55年 写真生活』(2017年、ダイアプレス)p52-53
- ^ 『朝日新聞』2004年9月10日付「懐かしのお笑い、なぜ人気(サブch.)」
- ^ a b c 週刊ポスト2021年6月4日号「オレたちひょうきん族」40年目の真実 p15
- ^ a b 週刊ポスト2021年6月4日号「オレたちひょうきん族」40年目の真実 p141-143
- ^ (日本語) 「オレたちひょうきん族」オープニング35連発【音声のみ】 2023年6月7日閲覧。
- ^ 放送局の損失額は2億3000万円に
- ^ 和久井映見=ジミー大西? 月9ドラマ『ピュア』の意外な創作秘話 90sチョベリグー 2020年4月19日閲覧
- ^ 視聴率#土曜夜戦争参照
- ^ 『朝日新聞』1989年10月14日付朝刊、32面、テレビ欄。
- ^ “さんま明かした「ひょうきん族」終了の舞台裏 たけしは「『全員集合』やっつけたけど…」”. スポニチアネックス. スポーツニッポン. (2018年10月16日) 2018年11月26日閲覧。
- ^ 『オレたちひょうきん族 オリジナル・サウンドトラック』タワーレコード オンライン商品紹介
- ^ [1]
- ^ DOWN TOWNへ繰り出そう♪土曜の夜を彩るひょうきん族エンディングテーマ
オレたちひょうきん族
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/10 07:34 UTC 版)
「仮面ライダースーパー1」の記事における「オレたちひょうきん族」の解説
1984年2月4日放送のタケちゃんマン内で、松本竜介がスーツを着用して登場。
※この「オレたちひょうきん族」の解説は、「仮面ライダースーパー1」の解説の一部です。
「オレたちひょうきん族」を含む「仮面ライダースーパー1」の記事については、「仮面ライダースーパー1」の概要を参照ください。
オレたちひょうきん族
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 05:37 UTC 版)
「明石家さんま」の記事における「オレたちひょうきん族」の解説
「タケちゃんマン」の敵役は、当時劇団東京乾電池に所属していた高田純次が演じ、さんまは「ひょうきんベストテン」の司会者として出演していた。第2回収録前に高田がおたふく風邪で入院した為、出演者の中で唯一高田と衣装のサイズが合ったさんまが代役となり、以降番組終了までタケちゃんマンの敵役として登場した。 同番組での代表的なキャラクターとしては以下のものがある。 アミダばばあ - コシノジュンコデザインの服、桑田佳祐作詞作曲の「アミダばばぁの唄」がリリースされた。 ナンデスカマン - 大阪万博のテーマソングである「世界の国からこんにちは」に似せた歌と共に登場。甲高い声で「ナンデスカー」と聞き返し相手に不快感を与える。対決の時にビックリ箱を使ってタケちゃんマンと戦う為、さんまが頼んで松山千春が「ビックリ箱の唄」を作っていた。 知っとるケ - 青森県出身の妖怪人間。「ヒャーホホ」と奇声をあげ、民謡を歌う少年少女合唱団と共に登場。「知っとるケのケ、俺の名前を知っとるケのケ、最低の男って知っとるケのケ、あ 今年で30、知っとるケのケ♪」と踊りながら歌う。 パーデンネン - 数々演じてきたキャラクターの中で、パーデンネンだけは恥ずかしかったと語る。当時人気だったマンハッタン・トランスファーに廊下ですれ違いざまに パーデンネンの格好を"oh crazy"と言われ、派手な服装や髪型で有名だった芳村真理から「さんまちゃん、派手ねー」と言われたこともある。(芳村は当時フジテレビの歌番組『夜のヒットスタジオDELUXE』の司会をしており、1985年に同番組の放送曜日が変更となってから、収録日が『ひょうきん族』と同じ水曜日であった)さんまが一番好きだったキャラクターはブラックデビル。ビートたけしがさんまのキャラで一番好きだったものは「サラリーマン」である。このサラリーマンはスーツにネクタイ、メガネといったありきたりの風貌で「高卒、手取り18万」という境遇でタケちゃんマンに難癖をつけて絡むというキャラクターだったが、視聴者から「夢がない」と苦情が入り、さらには子どもたちにも不人気だったことが災いして、わずが3週で打ち切りとなった。 フライデー襲撃事件でのたけし謹慎による不在時、吉永小百合の「奈良の春日野」をバックに鹿の着ぐるみを着て、渡辺正行と踊っていた。1987年に『笑っていいとも!』のトークコーナーで、吉永のファンであるタモリをいじるため、楽曲中に「鹿のフン」という吉永のイメージらしからぬ歌詞が出てくる同曲を発掘・放送、大きな話題になったことを流用したもの。 番組開始当初のコーナー「ひょうきんニュース」には本名の「杉本高文」を名乗っていた。また、「ひょうきんベストテン」の初代司会者でもあった。 1989年10月をもって『ひょうきん族』が放送終了。この終了に関して、もともと同じ土曜8時のTBS系『8時だョ!全員集合』打倒を掲げて開始して、実際に4年後の1985年10月で『全員集合』を番組終了に追い込むが、その事で出演者もスタッフも急激に番組に対するモチベーションが落ち始め、また番組の顔であったビートたけしが1986年12月にフライデー事件を起こし謹慎、翌年復帰したが、その後収録に来なかったり明らかにやる気がなくなっているのを見て、実際にそれを見た番組プロデューサーの横澤彪に「さんまちゃん、どうする?やりたかったら続けられるけど。さんまちゃんに最後を決めてほしい」と委ねられ、さんまは「みなこういう状態なんで、やめましょうか」と答えたという。たけしも「さんまという『毒』を飲み過ぎて、その毒で『全員集合』をやっつけたけど、結局その毒で自分たちも終わっちゃった」と言及している。
※この「オレたちひょうきん族」の解説は、「明石家さんま」の解説の一部です。
「オレたちひょうきん族」を含む「明石家さんま」の記事については、「明石家さんま」の概要を参照ください。
- オレたちひょうきん族のページへのリンク