延暦寺
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比叡山の修行
籠山行
山内の院や坊の住職になるためには三年間山にこもり続けなければならない。三年籠山の場合、一年目は浄土院で最澄廟の世話をする
十二年籠山行では
千日回峰行
7年間、1年に100日から200日、合計千日間、比叡山の山内を巡拝する回峰行。途中、堂入りという荒行を行い、これを満行した者は生身の不動明王、当行満阿闍梨と呼ばれる。千日間を満行した者は北嶺大行満大阿闍梨と呼ばれる[23]。第二次世界大戦以降で満行した者は、2017年現在、14人。
境内
比叡山の山内は「東塔(とうどう)」「西塔(さいとう)」「横川(よかわ)」と呼ばれる3つの区域に分かれている。これらを総称して「三塔」と言い、さらに細分して「三塔十六谷二別所」と呼称している。このほか、滋賀県側の山麓の坂本地区には本坊の滋賀院、「里坊」と呼ばれる寺院群、比叡山とは関係の深い日吉大社などがある。境内には歴史的経緯から他宗派の管理する堂宇も存在する。
- 三塔十六谷二別所
- 東塔 - 北谷、東谷、南谷、西谷、無動寺谷
- 西塔 - 東谷、南谷、南尾谷、北尾谷、北谷
- 横川 - 香芳谷、解脱谷、戒心谷、都率谷、般若谷、飯室谷
- 別所 - 黒谷、安楽谷
東塔
伝教大師最澄が開いた延暦寺発祥の地であり、本堂にあたる根本中堂を中心とする区域である。
- 根本中堂(国宝) - 詳しくは「延暦寺根本中堂」を参照。最澄によって延暦7年(788年)に建立された一乗止観院の後身で、延暦寺の総本堂である。延暦寺五大堂の一つ。現在の建物は織田信長による比叡山焼き討ちの後、寛永19年(1642年)に徳川家光によって再建されたもの。1953年(昭和28年)に国宝に指定されている。入母屋造で幅37.6メートル、奥行23.9メートル、屋根高24.2メートルの大建築。土間の内陣は外陣より床が3メートルも低い、独特の構造になっている。内部には3基の厨子が置かれ、中央の厨子には最澄自作の伝承がある秘仏の本尊・薬師如来立像を安置する(開創1,200年記念の1988年(昭和63年)に開扉されたことがある)。本尊厨子前の釣灯篭に灯るのが最澄の時代から続く「不滅の法灯」である。この法灯は信長の焼き討ちで一時途絶えたが、山形県の立石寺に分灯されていたものを移して現在に伝わっているもの。中陣中央には玉座があり、その上にある勅額「傳教」は昭和天皇の宸筆である。
- 廻廊(重要文化財)
- 中門
- 伝教大師童形像
- 伝教大師像
- 文殊楼(重要文化財)[24] - 延暦寺の山門。寛文8年(1668年)の火災後の再建。二階建ての門で、階上に文殊菩薩を安置する。根本中堂の真東の丘の上に位置している。そもそもは慈覚大師円仁が唐の五台山・文殊菩薩堂に倣って創建したものである。
- 十三重石塔
- 文殊楼鐘楼 - 国連平和の鐘と呼ばれる。
- 星峯稲荷社 - 祭神:荼枳尼天
- 総持坊
- 蓮如堂 - 浄土真宗本願寺派の本願寺8世蓮如が18歳の時にここで念仏の修行をしたという。
- 八部院 - 1991年(平成3年)再建。
- 登天天満宮
- 大講堂(重要文化財) - 寛永11年(1634年)建立。もとは東麓・坂本の東照宮の讃仏堂であったものを1964年(昭和39年)に現在地に移築したもの。重要文化財だった旧大講堂は寛永19年(1642年)に完成した裳階付きの大堂だったが、1956年(昭和31年)に放火による火災で焼失した。本尊は大日如来坐像。本尊の両脇には向かって左に日蓮、道元、栄西、円珍、右に法然、親鸞、良忍、真盛、一遍の像が安置されている。いずれも若い頃延暦寺で修行した僧で、これらの肖像は関係各宗派から寄進されたものである。外陣には釈迦を始めとして仏教や天台宗ゆかりの高僧の肖像画が掲げられている。
- 鐘楼 - 開運の鐘、世界平和の鐘と呼ばれる。
- 瑞雲院
- 前唐院 - 慈恵大師良源(元三大師)の住房。
- 国宝殿 - 山内諸堂の本尊以外の仏像や絵画、工芸品、文書などを収蔵展示する。「国宝殿」という名称は、最澄が著わした『山家学生式』の中の「一隅を照らす これ則ち国宝なり」という言葉から採られたもの。
- 鎮魂塚 - 1992年(平成4年)建立。元亀2年(1571年)に織田信長によって行われた比叡山焼き討ちで亡くなった人達の供養塔。しかし、法要では焼き討ちで亡くなった人達だけではなく、織田信長などの焼き討ちを行った側の人達も併せて供養を行っている。
- 戒壇院(重要文化財) - 延宝6年(1678年)再建。僧侶に戒律を授ける場所である。本尊の釈迦牟尼仏は1987年(昭和62年)に西村公朝によって作られたもの。
- 戒壇院鐘楼
- 阿弥陀堂 - 寂光殿とも呼ばれる。1937年(昭和12年)に山口玄洞の寄進により建立。本尊は阿弥陀如来坐像。先祖回向が行われている。
- 法華総持院東塔 - 1980年(昭和55年)再建。多宝塔型の塔であるが、通常の多宝塔と異なり、上層部は平面円形ではなく方形である。下層には胎蔵界大日如来坐像、上層には仏舎利と法華経1,000部を安置する。最澄は日本全国に6か所の宝塔・六所宝塔を建てて日本を護ろうと考えた。この東塔はその総塔となる塔・近江国宝塔である。
- 灌頂堂
- 阿弥陀堂鐘楼(重要文化財)
- 山王院 - 智証大師円珍の住房。千手院や後唐院とも呼ばれる。正暦4年(993年)に円珍派(後の寺門派)が本拠地を園城寺に移す前はここが本拠地であった。
- 浄土院 - 宗祖最澄の廟があり、山内で最も神聖な場所とされている。ここには十二年籠山行に臨む侍真がおり、宗祖最澄が今も生きているかのように食事を捧げ、境内一円を落ち葉一枚残さぬように一心に掃除している。西塔地区寄りの場所に建てられているが所属は東塔である。東塔地区から歩くと約15分の所にある。
- 万拝堂 - 日本全国の神社仏閣の諸仏諸菩薩諸天善神を勧請し、合わせて世界に遍満する神々をも共に迎えて奉安し、祀っている。
- 一隅会館
- 寺務所
- 大黒堂 - 日本の大黒天信仰の発祥の地である。本尊は三面出世大黒天。
- 山王社(重要文化財)
- 大書院(国登録有形文化財) - 昭和天皇の即位大典記念と比叡山開創1150年の記念事業として、1928年(昭和3年)に東京赤坂山王台にあった武田五一設計の村井吉兵衛邸の一部を移築したもの。迎賓館として使用されている。
- 庭園 - 枯山水庭園。
- 庭門(国登録有形文化財)
- 正覚院不動 - 正覚院に祀られていた不動尊を祀る。
- 延暦寺会館 - 宿坊。かつて灌頂が行われていた正覚院の跡地に建てられている。
- 法然堂 - 正式には金勝院という。皇円の住坊で法然が得度した功徳院の跡地にある。西山浄土宗が管理している。
- 聖尊院堂(亀堂)
- 天梯権現
- 慈覚大師円仁廟
無動寺谷
- 無動寺明王堂 - 根本中堂から南へ1.5キロほど離れたところにある、千日回峰行の拠点である。延暦寺五大堂の一つ。不動明王と弁才天を祀っている。貞観7年(865年)、回峯行の創始者とされる相応和尚が創建した。
- 法曼院
- 護摩堂
- 宝珠院
- 大乗院
- 玉照院
- 松林院
- 無動寺弁財天社
- 白龍大明神
- 建立院
- 西尊院堂 - 坂本ケーブルケーブル延暦寺駅の近くにあり、比叡山ドライブウェイの脇にある。
- 相応和尚墓所
- 紀貫之の墓
-
文殊楼
-
大講堂
-
東塔
-
戒壇院
-
阿弥陀堂
-
灌頂堂
-
鐘楼
-
無動寺弁財天社鳥居
-
無動寺明王堂
西塔
第2代天台座主・寂光大師円澄が開いた地であり、本堂にあたる釈迦堂を中心とする区域である。東塔から北へ1キロほどの所にある。
- 釈迦堂(転法輪堂、重要文化財) - 西塔の中心堂宇。信長による焼き討ちの後、文禄4年(1595年)、当時の園城寺弥勒堂(金堂。貞和3年(1347年)建立)を豊臣秀吉が現在地に移築させたもの。現存する延暦寺の建築では最古のもので本尊は秘仏の清凉寺式釈迦如来立像(重要文化財)。延暦寺五大堂の一つ。
- 寺務所
- 西塔鐘楼(重要文化財)
- 恵亮堂 - 大楽大師恵亮を祀る。
- 西塔政所 - 止観道場。
- 常行堂(重要文化財) - 法華堂とともに2棟の全く同形の堂が左右に並んでいる。向かって左が阿弥陀如来坐像を本尊とする常行堂。文禄4年(1595年)再建。2つの堂の間に渡り廊下を配した全体の形が天秤棒に似ているところから両堂を合わせて「にない堂」の称がある。武蔵坊弁慶が担いだという伝説がある。
- 法華堂(重要文化財) - 常行堂とともに2棟の全く同形の堂が左右に並んでいる。向かって右が普賢菩薩坐像を本尊とする法華堂。文禄4年(1595年)再建。
- 椿堂 - 伝説では聖徳太子が建立したという。
- 椿堂鐘楼
- 箕淵弁財天社
- 本覚院
- 居士林研修道場 - 一般の方々の研修道場。
- 弥勒石仏(大津市指定有形文化財) - 釈迦堂の北の山林にある。
- 相輪橖(重要文化財) - 釈迦堂の北の山林にあり、青銅製で1895年(明治28年)に再建された。この塔は六所宝塔のうちの山城国宝塔である。
- 伝教大師像
- 瑠璃堂(重要文化財) - 西塔地区から黒谷青龍寺へ行く途中に位置するが、現在は道路の崩壊により瑠璃堂で行き止まりとなっている。信長の焼き討ちをまぬがれた唯一の堂といわれる。様式上、室町時代の建築である。延暦寺では珍しく禅宗様(唐様)で建てられている。
- 黒谷青龍寺 - 西塔地区から1.5キロほど離れた黒谷にある。法然が修行した場所として有名である。
- 狩籠の丘
-
転法輪堂(釈迦堂)
-
常行堂
-
法華堂
-
にない堂渡廊下
-
浄土院拝殿
-
相輪橖
-
弥勒石仏
-
恵亮堂
-
箕淵 弁財天社(聖光院跡) -
西塔鐘楼
-
瑠璃堂
横川
第3代天台座主・慈覚大師円仁が開いた地であり、本堂にあたる横川中堂を中心とする区域である。西塔から北へ4キロほどの所にある。嘉祥3年(850年)に円仁が建立した首楞厳院(しゅりょうごんいん)が発祥である。
- 横川中堂(よかわちゅうどう) - 旧堂は1942年(昭和17年)に落雷で焼失し、現在の堂は1971年(昭和46年)に鉄筋コンクリート造で再建されたもので、舞台造りとなっている。新西国三十三箇所第18番札所で本尊は円仁作と伝えられる聖観音立像(重要文化財)。延暦寺五大堂の一つ。
- 根本如法塔 - 多宝塔。1925年(大正14年)再建。円仁が法華経を写経し納めた塔が始まりである。
- 三十番神社
- 龍ヶ池弁財天社
- 龍ヶ池
- 西国三十三所石仏群
- 赤山宮
- 虚子の塔 - 高浜虚子の生前墓で、1953年(昭和28年)建立。
- 横川鐘楼(重要文化財)
- 比叡山秘宝館 - 現在は使われていない。
- 恵心堂 - 現在の堂は坂本・生源寺の別當大師堂を移築したもの。恵心僧都源信の住坊の跡であり、ここで『往生要集』や『二十五三昧式』が著された。
- 恵心廟
- 四季講堂(元三大師堂、重要文化財) - 康保4年(967年)に村上天皇の勅命により、四季に法華経の論議が行われたことから四季講堂と呼ばれる。元三大師(慈恵大師)良源の住坊跡地にあり、元三大師を祀る。天台宗やその流れをくむ寺院で授与されている魔除けの「角大師」(元三大師が鬼になったもの)の護符発祥の地であり、おみくじ発祥の地でもある。
- 庫裏
- 表門
- 箸塚弁財天社
- 甘露山王社
- 比叡山行院
- 定光院 - 日蓮宗の宗祖である日蓮の修行の地である。その経緯から日蓮宗が管理している。
- 元三大師御廟
- 御廟拝殿(重要文化財)
- 稲荷社
- 西塔峰道伝教大師ご尊像 - 西塔と横川の間にある「比叡山峰道レストラン」の前にある。高さ約12mで1987年(昭和62年)に建立された。
飯室谷
平安時代、良源が弟子の尋禅のために、飯室谷に妙香房を建立したのが始まりである。寛和元年(985年)、良源没後に尋禅が妙香院と改称し、整備拡充を行った。
- 飯室谷不動堂 - 本尊は不動明王。延暦寺五大堂の一つ。
- 長寿院
- 赤山明神
- 飯室弁天堂
- 回向三昧堂
- 鐘楼
- 文應大僧正像
- 玉広弁才天
- 地蔵堂
- 稲荷明神社
- 日吉権現十禅師社
- 護摩堂
- 拝殿
- 千手堂(八角堂)
- 御供所
- 松禅院
- 慈忍和尚廟
- 安楽律院 - 天台宗安楽律法流の道場。
- 霊空廟
-
横川中堂
-
根本如法塔
-
四季講堂(元三大師堂)
-
恵心堂
-
定光院
-
恵心堂
-
箸塚弁財天社
葛川明王院
- 明王院
- 地主神社
坂本
比叡山上に建てられている坊である山坊に対して、麓の坂本にある坊は里坊と呼ばれる。もともとは山上に住んでいた老僧が隠棲するために建てられたものであるが、中世には主に僧兵集団の住坊となっていた。
現在、坂本には里坊が54か所ある。※印の付いた寺院の庭園は、国の名勝に指定されている。
- 滋賀院門跡 - 総里坊。※
- 大林院
- 厳王院
- 戒光院
- 弘法寺
- 禅定院
- 延命院
- 大慈院
- 円乗院
- 真蔵院
- 華蔵院
- 行泉院
- 乗実院
- 観明院
- 無量院
- 求法寺 - 日吉大社の入口にある。
- 止観院
- 蓮華院 - ※
- 恵光院
- 律院 - ※
- 実蔵坊 - ※
- 寿量院 - ※
- 薬樹院
- 生源寺 - 最澄が生まれた場所に建てられている。
- 別当大師堂
- 日増院
- 霊山院
- 松寿院
- 仏乗院 - ※
- 妙行院
- 円教院
- 瑞応院
- 双厳院 - ※
- 星光院
- 金蔵院
- 金台院
- 竜禅院
- 戒蔵院
- 観樹院
- 恵日院 - 天海の廟所である慈眼堂がある。
- 円頓坊
- 五智院
- 玉蓮院
- 竜珠院
- 宝積院 - ※
- 華王院
- 理性院
- 吉祥院
- 竜王院
- 十妙院
- 大覚寺
- 千手院
- 明徳院
- 真乗院
神坂(みさか)
長野県境に近い岐阜県中津川市神坂(みさか)に最澄が弘仁8年(817年)に設けた広済院があったと思われる所を寺領とした「飛び地境内」である[8]。 1958年(昭和33年)に建立された最澄の「遺跡顕彰碑」があり、最澄の遺徳をしのぶ法要が毎年営まれる[8]。
文化財
国宝
- 根本中堂(附:須弥壇及び宮殿 3具)[25]
- 金銅経箱 1合 - 平安時代後期の金属工芸。横川から発掘された。[26]
- 宝相華蒔絵経箱(ほうそうげまきえきょうばこ) 1合 - 平安時代後期の漆工芸品。[27]
- 七条刺納袈裟 1領、刺納衣 1領 - 最澄が持ち帰った、唐時代の染織遺品。[28]
- 伝教大師将来目録 1巻 - 貞元21年(805年)跋、唐の越州から最澄が将来した経典類の自筆目録。[29]
- 羯磨金剛目録(かつまこんごうもくろく) 1巻 - 最澄自筆の将来品目録、弘仁2年(811年)。[30]
- 天台法華宗年分縁起 1巻 - 最澄筆。[31]
- 六祖恵能伝(ろくそえのうでん) 1巻 - 貞元19年(803年)奥書、最澄が持ち帰った、唐時代の写本。中国禅宗六祖恵能の伝記。[32]
- 伝教大師入唐牒(でんぎょうだいしにっとうちょう) 1巻 - 最澄の唐での通行許可書、明州牒(貞元20年・804年)と台州牒(貞元21年・805年)からなる。[33]
- 嵯峨天皇宸翰光定戒牒(さがてんのうしんかんこうじょうかいちょう) 1巻 - 「三筆」の一人嵯峨天皇の筆、弘仁14年(823年)。[34]
重要文化財(国指定)
(建造物)
- 根本中堂廻廊
- 大講堂(旧東照宮本地堂)
- 転法輪堂(釈迦堂)
- 大乗戒壇院堂
- 瑠璃堂
- 相輪橖(そうりんとう)
- 常行堂及び法華堂(附:廊下)
- 延暦寺 11棟[35]
(絵画)
- 絹本著色天台大師像 1幅
- 絹本著色天台大師像 有賛 1幅
- 絹本著色相応和尚像 1幅
- 絹本著色不動明王三大童子五部使者像 1幅
- 絹本著色文殊菩薩像 1幅
- 絹本著色山王本地仏像 1幅[注釈 1]
- 紙本著色山王霊験記 1巻
(彫刻)
- 木造釈迦如来立像 - 釈迦堂安置の本尊。秘仏[36]。清凉寺式釈迦如来。
- 木造聖観音立像(横川中堂安置の本尊)
- 木造光定大師立像(旧所在山麓大師堂)
- 木造不動明王二童子像 3躯(旧所在無動寺明王堂)
- 木造降三世明王立像(旧所在無動寺明王堂)
- 木造軍荼利夜叉明王立像(旧所在無動寺明王堂)
- 木造大威徳明王像(旧所在無動寺明王堂)
- 木造金剛夜叉明王立像(旧所在無動寺明王堂)
- 木造四天王立像 4躯(旧所在根本中堂)
- 木造四天王立像 2躯(旧所在釈迦堂)
- 木造千手観音立像(旧所在山王院)
- 木造不動明王立像(旧所在飯室不動堂)
- 木造維摩居士坐像(黒谷青龍寺旧蔵)
- 木造慈恵大師坐像(黒谷青龍寺旧蔵)弘安9年(1286年)銘
- 木造慈恵大師坐像(本覚院旧蔵)文永2年(1265年)銘
- 木造阿弥陀如来立像(滋賀院旧蔵)
- 木造吉祥天立像(滋賀院旧蔵)
- 木造大黒天立像(律院旧蔵)
- 木造薬師如来坐像[注釈 2]
(工芸品)
- 尾長鳥繍縁花文錦打敷 1枚
(書跡典籍、古文書、歴史資料)
- 紺紙金銀交書法華経 8巻
- 紺紙銀字法華経 8巻
- 紙本墨書華厳要義問答 行福筆 2巻
- 悉曇蔵 8帖
- 伝述一心戒文 上中下 応徳元年良祐写 3帖
- 延暦寺楞厳三昧院解 天禄三年正月十五日 1幅
- 紙本墨書山門再興文書 4通
- 紙本墨書道邃和尚伝道文 1巻
- 宗存版木活字(付属品共)174,261点
(一山寺院所有分)
- 以下の重要文化財(比叡山麓坂本の里坊の所有)については、延暦寺が文化財保護法第32条の2の規定に基づく「管理団体」に指定されており、比叡山国宝殿に保管されている[37]。
- 恵光院 絹本著色不動二童子像 1幅
- 実蔵坊 絹本著色毘沙門天像 1幅
- 実蔵坊 水晶舎利塔 1基
- 大林院 絹本著色不動明王二童子像 1幅
- 大林院 木造不動明王坐像 1躯
- 寿量院 木造阿弥陀如来坐像 1躯
- 乗実院 木造阿弥陀如来立像 1躯
- 恵日院 木造慈眼大師坐像 1躯
- 求法寺 木造慈恵大師坐像 文永4年(1267年)銘 1躯
- 明徳院 絹本著色地蔵菩薩像 1幅
- 妙行院 木造地蔵菩薩立像 1躯
- 玉蓮院 木造不動明王二童子立像 3躯
- 弘法寺 金銀鍍水瓶 1口
- 弘法寺 法華経(装飾経) 8巻
上記のほか、以下の重要文化財についても、延暦寺が「管理団体」に指定されており、比叡山国宝殿に保管されている[38]。
- 明王院(大津市葛川坊村町)所有
- 紙本著色光明真言功徳絵詞 3巻
- 絹本着色不動明王二童子像 1幅
- 木造千手観音・不動明王・毘沙門天立像 3躯
- 葛川明王院御正体(不動明王及二童子像 5面、宝塔 1面 附:御正体 5面)
- 葛川明王院文書 4336通 附:文保二年文書櫃 3合
- 葛川与伊香立庄相論絵図 1巻、1幅
- 葛川明王院参籠札 501枚
- 蓮台寺(滋賀県栗東市)所有
- 木造薬師如来両脇侍像
その他の子院所有の重要文化財。
- 安楽律院所有
- 絹本著色弥陀三尊二十五菩薩来迎図 1幅
- 絹本著色千手観音像 1幅
典拠:2000年までに指定の国宝・重要文化財については、『国宝・重要文化財大全 別巻』(所有者別総合目録・名称総索引・統計資料)(毎日新聞社、2000)による。2000年以降の指定物件については、個別に脚注を付した。
重要美術品
国の史跡
- 延暦寺境内
国の名勝
国の天然記念物
- 比叡山鳥類繁殖地
国登録有形文化財
- 大書院
- 大書院庭門
滋賀県指定有形文化財
- 絹本著色山王本地仏曼荼羅図 1幅
- 絹本著色慈恵大師像 1幅 附:旧軸木 1本、旧裏書 2枚
- 木造厨子 1基
- 金銅独鈷杵 1口
- 往生要集 6冊(版本 4冊、写本 2冊)
- 明王院(大津市葛川坊村町)所有
- 梵鐘 1口
- 銅鉢 1口
- 弘法寺 所有
- 絹本著色阿弥陀二十五菩薩来迎図 1幅
滋賀県指定有形民俗文化財
- 明王院(大津市葛川坊村町)所有
- 参籠札 58本
大津市指定有形文化財
- 石造弥勒仏坐像 1躯
- 紙本著色日吉山王社古図 1幅
- 明王院(大津市葛川坊村町)所有
- 香盤 1基 附:香印をつくる道具 2点
大津市指定史跡
- 穴太衆積みの石垣
- 延暦寺
- 寿量院
- 実蔵坊
- 律院
- 恵光院
- 金蔵院
- 円乗院
- 大慈院
- 双厳院
- 瑞応院
- 円教院
- 妙行院
- 延暦寺学園
- 佛乗院
- 松寿院
- 日増院
- 竜珠院
- 玉蓮院
- 延命院
- 薬樹院
- 金台院
焼失した文化財
1942年7月30日、落雷による火災で以下の建造物1件、工芸品1件が焼失した[39]。
- (旧)横川中堂 - 旧国宝建造物。
- 銅筒 - 金銅経箱(現国宝)の付属品だったもの
1956年10月11日、上司に叱られたのを恨んだ延暦寺受付係の18歳の少年による放火により以下の建造物2件、彫刻5件(いずれも当時重要文化財)が焼失した。[40]
注釈
出典
- ^ 武覚円「延暦寺の歴史」『比叡山延暦寺一二〇〇年』新潮社、1992年(初版1986年)、93頁。ISBN 4-10-601934-5
- ^ 「境内案内」(延暦寺公式サイト)
- ^ 『比叡山––日本仏教の母山』別冊太陽、平凡社、2006年、13頁。
- ^ 『比叡山––日本仏教の母山』別冊太陽、平凡社、2006年、42頁。
- ^ 西山厚「鎌倉新仏教と比叡山」『比叡山––日本仏教の母山』別冊太陽、平凡社、2006年、126頁。宇代貴文「比叡山で学んだ各宗派の開祖たち」、久保智康・宇代貴文『もっと知りたい延暦寺の歴史』アート・ビギナーズ・コレクション、東京美術、2021年、25頁。
- ^ 武覚円「延暦寺の歴史」『比叡山延暦寺一二〇〇年』新潮社、1992年(初版1986年)、93頁。
- ^ 渡辺守順 (1963年). “『比叡山 : 文学散歩』”. 白川書院/国立国会図書館デジタルコレクション. 2023年6月12日閲覧。
- ^ a b c 森川洋 (2016年11月24日). “街道が結ぶ最澄の縁 旅の難所に宿・顕彰碑前で法要 中津川「延暦寺飛び地」”. 朝日新聞 (朝日新聞社): p. 朝刊 岐阜全県版
- ^ a b c d 全国歴史教育研究協議会『日本史B用語集―A併記』(改訂版)山川出版社(原著2009-3-30)。ISBN 9784634013025。
- ^ a b c 佐藤信、五味文彦、高埜利彦、鳥海靖『詳説日本史研究』(改訂版)山川出版社(原著2008-8-30)。ISBN 9784634011014。
- ^ a b 日本史用語研究会『必携日本史用語』(四訂版)実教出版(原著2009-2-2)。ISBN 9784407316599。
- ^ 中世史家の伊藤正敏は、これ以降、京は比叡山の経済的影響を強く受けた「叡山の門前町」となり、また、この延久2年(1070年)をもって「中世の開幕」とすべきと主張している。伊藤正敏『寺社勢力の中世』ちくま新書
- ^ 京都・奈良の国宝建造物も大損害『大阪毎日新聞』昭和9年9月23日(『昭和ニュース事典第4巻 昭和8年-昭和9年』本編p234 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
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- ^ 平成28年7月25日文部科学省告示第102号。
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- ^ 管理団体指定は1966年に行われた(昭和41年3月24日文化財保護委員会告示第17号)
- ^ 管理団体指定は明王院については1966年、蓮台寺については1969年に行われた(昭和41年3月24日文化財保護委員会告示第17号および昭和44年11月4日文化庁告示第9号)
- ^ 焼失文化財については「文化財目録」(滋賀県教育委員会)(2019年9月7日閲覧)による(「指定解除」のページを参照)
- ^ 『読売年鑑』昭和32年版追録、読売新聞社、p21
- ^ “新日本風土記「比叡山」”. NHK (2018年3月16日). 2021年4月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年4月4日閲覧。
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