赤山禅院とは? わかりやすく解説

赤山禅院

読み方:セキザンゼンイン(sekizanzen’in)

別名 赤山

宗派 天台宗

所在 京都府京都市左京区

本尊 赤山明神

寺院名辞典では1989年7月時点の情報を掲載しています。

赤山禅院

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/01 07:32 UTC 版)

赤山禅院

所在地 京都府京都市左京区修学院開根坊町18
位置 北緯35度3分21.1秒 東経135度48分4.8秒 / 北緯35.055861度 東経135.801333度 / 35.055861; 135.801333座標: 北緯35度3分21.1秒 東経135度48分4.8秒 / 北緯35.055861度 東経135.801333度 / 35.055861; 135.801333
山号 なし
宗派 天台宗
寺格 延暦寺別院
本尊 泰山府君(赤山大明神)
創建年 伝・仁和4年(888年
開山 安慧
札所等 都七福神福禄寿
神仏霊場巡拝の道第107番(京都第27番)
法人番号 6130005001867
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赤山禅院(せきざんぜんいん)は、京都市左京区にある天台宗寺院延暦寺の別院の一つ。山号はなし。本尊泰山府君(赤山大明神)。京都御所から見て表鬼門の方角(北東)に当たるため、方除けの神として古来信仰を集めた。拝殿の屋根の上には御所の東北角・猿ヶ辻の猿と対応して、御幣と鈴を持った猿が安置されている。紅葉の名所でもある。また、「修学院歴史的風土特別保存地区」の指定を受けている。

歴史

開創は、仁和4年(888年)。「赤山」の名は、入円仁に由来する。円仁は、登州で滞在した赤山法華院に因んだ禅院の建立を発願したが、果たせないままに没した。その遺言により安慧が、唐の赤山にあった道教の神・泰山府君(赤山大明神)を勧請して建立したのが赤山社(後に赤山禅院に改称)である。しかし、安慧は貞観10年(868年)に没しており、仁和4年(888年)の創建には疑問が残る。

比叡山延暦寺の千日回峰行においては、そのうち100日の間、比叡山から雲母坂を登降する「赤山苦行」と称する荒行がある。これは、赤山大明神に対して花を供するために、毎日、比叡山中の行者道に倍する山道を高下するものである。

当寺は明治時代の神仏分離令の後も神仏習合の形を残したまま現在に至っている。

境内

  • 本殿 - 本尊は泰山府君。仏教の寺院であるが、道教の神を祀っている。泰山府君は赤山大明神と呼ばれる。
  • 拝殿 - 1911年明治44年)再建。屋根の上には鬼門除けの猿が置かれている。かつて抜け出して夜な夜な悪さをしたために、抜け出さないように金網の中に入れられている。
  • 地蔵堂(本地堂) - 1911年(明治44年)再建。赤山大明神の本地仏である地蔵菩薩を祀る。
  • 庫裏
  • 弁財天
  • 十六羅漢石像
  • 西国三十三所石仏群
  • 福禄寿殿 - 都七福神の一つである。
  • 相生社
  • 御滝堂
  • 雲母不動堂 - 明治時代に雲母坂にあった雲母寺(うんもじ)の本堂と本尊・不動明王を移築したもの。
  • 山門

前後の札所

都七福神福禄寿
神仏霊場巡拝の道
106 三千院 - 107 赤山禅院 - 108 曼殊院

所在地

京都府京都市左京区修学院開根坊町18

アクセス

外部リンク


赤山禪院

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/19 10:12 UTC 版)

陰陽師 (漫画)」の記事における「赤山禪院」の解説

比叡山延暦寺別院一つで、比叡に次ぐ内裏鬼門封じの院。祭神冥府統べる道教の神で、陰陽道とも関わりが深い。晴明比丘尼二度目会った

※この「赤山禪院」の解説は、「陰陽師 (漫画)」の解説の一部です。
「赤山禪院」を含む「陰陽師 (漫画)」の記事については、「陰陽師 (漫画)」の概要を参照ください。

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赤山明神 デジタル大辞泉
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葉上照澄千日回峰行大行満大阿闍梨、大僧正。東京帝国大学を卒業、大正大学教授をしていたが、敗戦を機に決然として比叡山にのぼり千日回峰行を満行する。祖賢師とは義兄弟の契りを結ぶ仲だった。葉上師は祖賢師を「300年に1人の人材、天海大僧正以来の人物」と評価する。勧修寺信忍千日回峰行大行満大阿闍梨、大僧正。祖賢大阿闍梨の御所土足参内に貢献した元伯爵。葉上照澄師に続き千日回峰行を満行叡南覚照前赤山禅院住職、千日回峰行大行満大阿闍梨、大僧正。1927年生まれ。1960年、33歳のときに千日回峰行を満行。「赤山の御前さま」と呼ばれる。祖賢師に師事する小僧の筆頭であった。叡南覚範毘沙門堂門跡第61世門主、大僧正。天台教学の最高位「探題」に就任。世界連邦日本仏教徒協議会会長。藤光賢曼殊院門跡門主、大僧正。佐賀県神埼郡吉野ヶ里町・金乘院住職。村上光田信州善光寺長臈、大僧正。比叡山延暦寺東塔院住職、信州善光寺福生院住職。最澄が東山道の難所である神坂峠に開いた布施屋広拯院を復興し、信濃比叡広拯院を開山した。他、比叡山の諸堂の仏像を数体寄進し、復興に寄与している。堀澤祖門三千院門跡門主、大僧正。前叡山学院院長。京都大学学生時代に比叡山にのぼり、仏道をきわめたいと中退し弟子となる。「侍真」として十二年籠山行を満行。これにより明治以来途絶えていた本格的な十二年籠山比丘が復興した。中野英賢比叡山延暦寺観樹院住職、大僧正。堀澤祖門師に続いて十二年籠山行を満行。東塔の復興新築に寄与。叡南俊照
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