鬼門と寺院との関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/28 22:05 UTC 版)
平城京では鬼門の方向に東大寺(創建年8世紀前半)が、裏鬼門の方向に植槻八幡宮が、平安京では大内裏から鬼門の方向に比叡山延暦寺が、裏鬼門の方向に石清水八幡宮が、鎌倉では幕府から鬼門の方向に荏柄天神社が、裏鬼門の方角に夷堂が、江戸では江戸城から鬼門の方向に東叡山寛永寺が、裏鬼門の方向に三縁山広度院増上寺が置かれたといわれている。また平安京の表鬼門の方向には吉田神社があり、これとは別に赤山禅院は表鬼門で信仰を集めた。 神仏習合が大きく影響しており、伊勢神宮の丑寅(北東)に位置する金剛證寺(こんごうしょうじ)創建年(伝)6世紀 が「伊勢神宮の鬼門を守る寺」として伊勢信仰と結びつき、「伊勢へ参らば朝熊をかけよ、朝熊かけねば片参り」とされ、伊勢・志摩最大の寺となった。虚空蔵菩薩の眷属、雨宝童子が祀られており、当時は天照大御神の化現と考えられたため、伊勢皇大神宮の奥の院とされた。それらから、仏事に用いられる樒(しきみ)ではなく、神事に使われる榊(さかき)が供えられる、全国でも珍しい寺である。しかし、伊勢神宮を代表するようにすべて神仏習合時代に後付けで言われた、つくられたものである。
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