弟子・法嗣とは? わかりやすく解説

弟子・法嗣

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 03:10 UTC 版)

叡南祖賢」の記事における「弟子・法嗣」の解説

葉上照澄 千日回峰行大行満大阿闍梨大僧正東京帝国大学卒業大正大学教授をしていたが、敗戦機に決然として比叡山にのぼり千日回峰行を満行する。祖賢師とは義兄弟契りを結ぶ仲だった。上師は祖賢師を「300年1人人材天海大僧正以来人物」と評価する勧修寺信忍 千日回峰行大行満大阿闍梨大僧正祖賢大阿闍梨御所土足参内貢献した伯爵葉上照澄師に続き千日回峰行を満行 叡南覚照赤山禅院住職千日回峰行大行満大阿闍梨大僧正1927年生まれ1960年(昭和35年)、33歳のときに千日回峰行を満行。「赤山御前さま」と呼ばれる祖賢師に師事する小僧筆頭であった。 叡南覚範 毘沙門堂門跡61門主大僧正天台教学最高位探題」に就任世界連邦日本仏教徒協議会会長藤光曼殊院門跡門主大僧正佐賀県神埼郡吉野ヶ里町金乘院住職村上光田 信州善光寺長臈、大僧正比叡山延暦寺東塔住職信州善光寺福生院住職最澄東山道現在の中山道)の難所である神坂峠開いた布施屋宿泊施設広拯院復興し信濃比叡広拯院開山した。他、比叡山諸堂仏像数体寄進し、復興寄与している。 堀澤祖門 三千院門跡門主大僧正。前叡山学院院長京都大学学生時代比叡山にのぼり、仏道きわめたいと中退し弟子となる。「侍真」として十二年籠山行を満行。これにより明治以来途絶えていた本格的な十二年籠比丘復興した中野英賢 比叡山延暦寺観樹住職大僧正堀澤祖門師に続いて十二年籠山行を満行。東塔復興新築寄与。 叡南俊照 律院赤山禅院住職千日回峰行大行満大阿闍梨大僧正叡南覚照師の弟子祖賢師の謦咳にも接している。千日回峰行を満行。 福田徳衍(徳郎) 小学5年12歳)のときに弟子となり22歳まで祖賢師の元で小僧生活をして過ごす。大学卒業後、朝日新聞記者カメラマンとなり、司馬遼太郎街道をゆく』「叡山諸道」では福田自身法華大会(広学竪義)を司馬御簾ごしに見学し、「すべてが鬱金色のなかに沈んでいる」と表している。

※この「弟子・法嗣」の解説は、「叡南祖賢」の解説の一部です。
「弟子・法嗣」を含む「叡南祖賢」の記事については、「叡南祖賢」の概要を参照ください。

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