三千院門跡とは? わかりやすく解説

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三千院

(三千院門跡 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/22 06:11 UTC 版)

三千院(さんぜんいん)は、京都市左京区大原来迎院町にある天台宗寺院山号は魚山(ぎょざん)。本尊薬師如来。三千院門跡とも称する。


注釈

  1. ^ 船底のような形状に板を貼り、中央部を高くした天井
  2. ^ 「山水有清音」の由来について、参考文献は謝霊運の詩を出典とするが、実際の出典は左思の「招隠詩」であると思われる。たとえば以下の論文[33]を参照。
  3. ^ この像は円珍(智証大師)が感得した黄不動(画像)を彫像に象った貴重な例のひとつである。平親範1137年1220年)は承安4年(1174)に極楽院(現・往生極楽院)で出家、円智と号し黄不動を信仰した。親範の曽祖父の平時範はやはり出家して黄不動の図像をまつっており、本像の造立には父祖以来の黄不動信仰が関係しているとみられる。装飾に切金を使う様式は平安時代後期の正統な特色を伝えているが、像本体の根幹部と足下の台座の中心部を共木で造る点には、平安末期よりも古い形式が見られる。像表面の漆箔は大部分後補である[37]
  4. ^ 当初指定時(1988年)の員数は3,021点[45]。2015年に5,350点が追加指定され、計8,371点となった[46]

出典

  1. ^ 天台宗について - 主な寺院 天台宗
  2. ^ #岩田、2006年、p.118
  3. ^ #杉田、2006年、p.118
  4. ^ #杉田、2006年、p.91
  5. ^ a b #杉田、2006年、p.95
  6. ^ 古寺巡礼 京都 4 2006, p. 137.
  7. ^ #杉田、2006年、pp.95, 96
  8. ^ #杉田、2006年、pp.96, 97
  9. ^ #杉田、2006年、pp.91–95
  10. ^ 多田孝正『お位牌はどこから来たのか:日本仏教儀礼の解明』興山舎、2008年、217-218頁。ISBN 978-4-904139-10-3 
  11. ^ #杉田、2006年、p.96
  12. ^ 『古寺巡礼 京都 4 三千院』, p. 137.
  13. ^ a b #杉田、2006年、p.97
  14. ^ #杉田、2006年、p.98
  15. ^ 古寺巡礼 京都 4 2006, p. 34.
  16. ^ #杉田、2006年、p.101
  17. ^ #岩田、2006年、p.121
  18. ^ a b 往生極楽院阿弥陀堂 | 国指定文化財等データベース、文化庁

    員数:1棟、種別:近世以前/寺院、時代:平安後期、年代:久安4、西暦:1148、構造及び形式等:桁行四間、梁間三間、一重、入母屋造、妻入、向拝一間、こけら葺。指定番号:00013、国宝・重文区分:重要文化財、重文指定年月日:1897.12.28(明治30.12.28)

  19. ^ #杉田、2006年、p.102
  20. ^ #白幡、2006年、pp.126, 127
  21. ^ #白幡、2006年、p.126
  22. ^ #杉田、2006年、p.99
  23. ^ 古寺巡礼 京都 4 2006, pp. 17, 19.
  24. ^ #杉田、2006年、pp.101, 103
  25. ^ 古寺巡礼 京都 4 2006, p. 22.
  26. ^ a b #米屋、2006年、p.135
  27. ^ 「三千院の由来」(寺公式サイト)
  28. ^ a b 木造救世観音半跏像 | 国指定文化財等データベース、文化庁。

    員数:1躯、種別:彫刻、国:日本、時代:鎌倉、西暦:願文1246。指定番号(登録番号):03016、枝番:00。国宝・重文区分:重要文化財、重文指定年月日:1955.02.02(昭和30.02.02)

  29. ^ a b 木造不動明王立像〈(伝円仁作)/〉| 国指定文化財等データベース、文化庁。

    員数:1躯、種別:彫刻、国:日本、時代:鎌倉、作者:伝円仁。指定番号(登録番号):00883、枝番:00。国宝・重文区分:重要文化財、重文指定年月日:1903.04.15(明治36.04.15)

  30. ^ #杉田、2006年、p.100
  31. ^ #白幡、2006年、pp.124, 125
  32. ^ 古寺巡礼 京都 4 2006, p. 25, 28.
  33. ^ 安藤信廣「中国文学と自然 謝霊運を中心に」(pdf)『日本文學』第84巻、東京女子大学、1995年。 
  34. ^ #杉田、2006年、p.103
  35. ^ 平成14年6月16日文部科学省告示第114号
  36. ^ 木造阿弥陀如来及両脇侍坐像(往生極楽院阿弥陀堂安置)| 国指定文化財等データベース、文化庁

    指定番号(登録番号):00125、枝番:0 国宝・重文区分:国宝、国宝指定年月日:2002.06.26(平成14.06.26)

  37. ^ 文化庁文化財部「新指定の文化財」『月刊文化財』537、第一法規、2008、pp.16 - 17
  38. ^ 平成20年7月10日文部科学省告示第115号
  39. ^ 木造不動明王立像 | 国指定文化財等データベース、文化庁。

    員数:1躯、種別:彫刻、時代:平安。指定番号(登録番号):3554、国宝・重文区分:重要文化財、重文指定年月日:2008.07.10(平成20.07.10)

  40. ^ 慈覚大師伝 | 国指定文化財等データベース、文化庁。

    員数:1巻、種別:書跡・典籍、国:日本、時代:室町。ト書:紙背長承二年具注暦。指定番号(登録番号):02220、枝番:00。国宝・重文区分:重要文化財、重文指定年月日:1969.06.20(昭和44.06.20)

  41. ^ 性空上人伝記遺続集 | 国指定文化財等データベース、文化庁。

    員数:1冊、種別:書跡・典籍、国:日本、時代:鎌倉。指定番号(登録番号):02223、枝番:00、国宝・重文区分:重要文化財、重文指定年月日:1969.06.20(昭和44.06.20)

  42. ^ 四天王寺縁起残巻 | 国指定文化財等データベース、文化庁。

    員数:1巻、種別:書跡・典籍、国:日本、時代:平安、西暦:1173。ト書:承安三年三月廿二日惟宗季重書写奥書。指定番号(登録番号):02221、枝番:00。国宝・重文区分:重要文化財、重文指定年月日:1907.05.27(明治40.05.27)

  43. ^ 古文孝経 | 国指定文化財等データベース、文化庁。

    員数:1巻、種別:書跡・典籍、国:日本、時代:鎌倉、西暦:1277。ト書: 建治三年八月書写、同九月加点金王麿奥書。指定番号(登録番号):02222、枝番:00。国宝・重文区分:重要文化財、重文指定年月日:1907.05.27(明治40.05.27)

  44. ^ 帝王系図 | 国指定文化財等データベース、文化庁。

    員数:1巻

    種別:古文書、国:日本、時代:室町。指定番号(登録番号):00423、枝番:00。国宝・重文区分:重要文化財

    重文指定年月日:1969.06.20(昭和44.06.20)

  45. ^ 三千院円融蔵典籍文書類 | 国指定文化財等データベース、文化庁。

    員数:3021点、種別:書跡・典籍、国:日本、時代:平安–江戸。指定番号(登録番号):02437、枝番:00。国宝・重文区分:重要文化財、重文指定年月日:1988.06.06(昭和63.06.06)

  46. ^ 平成27年9月4日文部科学省告示第145号)
  47. ^ 『所有者別総合目録・名称総索引・統計資料』毎日新聞社〈国宝・重要文化財大全 別巻〉、2000年。ISBN 4-620-80333-2全国書誌番号:20091088 





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葉上照澄千日回峰行大行満大阿闍梨、大僧正。東京帝国大学を卒業、大正大学教授をしていたが、敗戦を機に決然として比叡山にのぼり千日回峰行を満行する。祖賢師とは義兄弟の契りを結ぶ仲だった。葉上師は祖賢師を「300年に1人の人材、天海大僧正以来の人物」と評価する。勧修寺信忍千日回峰行大行満大阿闍梨、大僧正。祖賢大阿闍梨の御所土足参内に貢献した元伯爵。葉上照澄師に続き千日回峰行を満行叡南覚照前赤山禅院住職、千日回峰行大行満大阿闍梨、大僧正。1927年生まれ。1960年、33歳のときに千日回峰行を満行。「赤山の御前さま」と呼ばれる。祖賢師に師事する小僧の筆頭であった。叡南覚範毘沙門堂門跡第61世門主、大僧正。天台教学の最高位「探題」に就任。世界連邦日本仏教徒協議会会長。藤光賢曼殊院門跡門主、大僧正。佐賀県神埼郡吉野ヶ里町・金乘院住職。村上光田信州善光寺長臈、大僧正。比叡山延暦寺東塔院住職、信州善光寺福生院住職。最澄が東山道の難所である神坂峠に開いた布施屋広拯院を復興し、信濃比叡広拯院を開山した。他、比叡山の諸堂の仏像を数体寄進し、復興に寄与している。堀澤祖門三千院門跡門主、大僧正。前叡山学院院長。京都大学学生時代に比叡山にのぼり、仏道をきわめたいと中退し弟子となる。「侍真」として十二年籠山行を満行。これにより明治以来途絶えていた本格的な十二年籠山比丘が復興した。中野英賢比叡山延暦寺観樹院住職、大僧正。堀澤祖門師に続いて十二年籠山行を満行。東塔の復興新築に寄与。叡南俊照
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