叡山学院とは? わかりやすく解説

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叡山学院

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/12/28 14:56 UTC 版)

叡山学院
北緯35度4分8.29秒 東経135度52分4.83秒 / 北緯35.0689694度 東経135.8680083度 / 35.0689694; 135.8680083座標: 北緯35度4分8.29秒 東経135度52分4.83秒 / 北緯35.0689694度 東経135.8680083度 / 35.0689694; 135.8680083
国公私立の別 私立学校
設置者 延暦寺学園
併合学校 比叡山大学林(西部大学)
比叡山中学林
比叡山専修院
設立年月日 806年延暦25年)1月26日
開宗記念日 1月26日
単位制・学年制 学年制
設置学科 仏教総合学科(4年制)
仏教基礎学科(2年制)
仏教研究学科(2年制)
仏教専修学科(2年制)
学期 前後期制
学校コード H125320100059
所在地 520-0113
外部リンク 延暦寺学園 叡山学院
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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叡山学院(えいざんがくいん)は、滋賀県大津市坂本4丁目にある天台宗法嗣養成校専修学校)である[1]

沿革

  • 806年延暦25年)1月26日 - 創立。当時は天台法華宗に止観業(天台専攻)と遮那業(真言専攻)との年分学生であった。
  • 1873年明治6年) - 学制を制定。比叡山上に比叡山総が置かれ、比叡山大学林(後の西部大学)と比叡山中学林が誕生する。
  • 1906年(明治39年) - 比叡山総を坂本に移転する。
  • 1925年大正14年) - 比叡山専修院と叡山学院を併設し、旧校舎を建設する。
  • 1951年昭和26年) - 学校法人延暦寺学園を設置。併せて、比叡山専修院を廃止。叡山学院に本科・研究科・専修科を設ける。
  • 1984年(昭和59年)7月 - [注 1]増改築竣工する。
  • 1986年(昭和61年)9月 - 新校舎が竣工する。校舎の建築費は慶讃記念事業の一環として行われた募金活動で得た寄付金などが使われた。
  • 1990年平成2年)10月 - 図書館が竣工する。
  • 1996年(平成8年)4月 - 寮の第一期工事が完了する。その後、2001年(平成13年)4月に第二期工事が完了し、寮の改修工事を終える。
  • 2006年(平成18年)4月 - 4年制の課程、仏教総合学科を新設。2年制の課程を仏教基礎学科・仏教研究学科・仏教専修学科に改称し、同年度の仏教総合学科修了者から高度専門士の称号授与と大学院受験資格の認定を開始する。

(注記なき出典:[3]

主な行事

  • 三塔巡拝
  • 居士林研修[4]
  • 研修旅行
  • 山家会
  • 学院文化祭 布教大会
  • 天台会

(出典:[5]

アクセス

脚注

注釈

  1. ^ 「叡山学院寮」という名が付いた修養道場[2]。規律ある生活を通じて僧風教育の涵養を務めることを目的として設置された[2]

出典

  1. ^ 活動紹介 叡山学院で入学式 伝統1200年、僧侶への道 /滋賀」『毎日新聞』2017年4月8日。オリジナルの2021年7月11日時点におけるアーカイブ。2023年12月1日閲覧。
  2. ^ a b 学生寮について”. 学科案内. 延暦寺学園 叡山学院. 2023年9月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年12月1日閲覧。
  3. ^ 学院沿革”. 学院概要. 延暦寺学園 叡山学院. 2023年9月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年12月1日閲覧。
  4. ^ 研修道場 居士林(こじりん)のご案内”. 天台宗総本山 比叡山延暦寺. 2023年8月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年12月1日閲覧。 “(参考資料)”
  5. ^ 年間スケジュール”. 学科案内. 延暦寺学園 叡山学院. 2023年9月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年12月1日閲覧。
  6. ^ 延暦寺学園叡山学院 アクセス”. 延暦寺学園叡山学院. 2023年9月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年12月2日閲覧。
  7. ^ 叡山学院のアクセス”. NAVITIME. ナビタイムジャパン. 2023年12月1日閲覧。 “(バス事業者の案内は「最寄りバス停」に記された各停留所を参照)”

関連項目

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葉上照澄千日回峰行大行満大阿闍梨、大僧正。東京帝国大学を卒業、大正大学教授をしていたが、敗戦を機に決然として比叡山にのぼり千日回峰行を満行する。祖賢師とは義兄弟の契りを結ぶ仲だった。葉上師は祖賢師を「300年に1人の人材、天海大僧正以来の人物」と評価する。勧修寺信忍千日回峰行大行満大阿闍梨、大僧正。祖賢大阿闍梨の御所土足参内に貢献した元伯爵。葉上照澄師に続き千日回峰行を満行叡南覚照前赤山禅院住職、千日回峰行大行満大阿闍梨、大僧正。1927年生まれ。1960年、33歳のときに千日回峰行を満行。「赤山の御前さま」と呼ばれる。祖賢師に師事する小僧の筆頭であった。叡南覚範毘沙門堂門跡第61世門主、大僧正。天台教学の最高位「探題」に就任。世界連邦日本仏教徒協議会会長。藤光賢曼殊院門跡門主、大僧正。佐賀県神埼郡吉野ヶ里町・金乘院住職。村上光田信州善光寺長臈、大僧正。比叡山延暦寺東塔院住職、信州善光寺福生院住職。最澄が東山道の難所である神坂峠に開いた布施屋広拯院を復興し、信濃比叡広拯院を開山した。他、比叡山の諸堂の仏像を数体寄進し、復興に寄与している。堀澤祖門三千院門跡門主、大僧正。前叡山学院院長。京都大学学生時代に比叡山にのぼり、仏道をきわめたいと中退し弟子となる。「侍真」として十二年籠山行を満行。これにより明治以来途絶えていた本格的な十二年籠山比丘が復興した。中野英賢比叡山延暦寺観樹院住職、大僧正。堀澤祖門師に続いて十二年籠山行を満行。東塔の復興新築に寄与。叡南俊照
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