五條順教とは? わかりやすく解説

五條順教

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/23 03:51 UTC 版)

五條 順教(ごじょう じゅんきょう、大正15年(1926年11月9日[1] - 平成21年(2009年5月16日)は、日本の金峯山修験本宗の僧侶、2代管長金峯山寺28代管領

略歴

1926年(大正15年)、東南院住職、五條覚澄の長男として吉野に生まれる。旧制五條中学校を経て旧制京都第三中学校に転校。出征して復員後に叡山学院に入学。箱崎文応から四度加行を受ける。叡山学院を卒業後に大正大学文学部史学科に編入、書道部部長になる。

1947年(昭和22年)、大峯修験宗として天台宗から独立する。1948年(昭和23年)から大峯奥駈け修行を22年間続ける。

1952年(昭和27年)、大正大学を卒業して吉野に戻り、東南院の副住職に就任。1954年(昭和29年)に住職となる。福田赳夫の助言で開発を止め、後の世界遺産登録に繋げる。

1971年(昭和46年):2代目管長に就任。1974年(昭和49年)、堂入りを吉野で初めて行い、四無行と名付ける。1975年(昭和50年)に十万枚大護摩供を、1976年(昭和51年)に八千枚大護摩供を行う。

2009年(平成21年)5月16日、心不全にて遷化[2]。四弟の五條覚尭が管長を継いだ。

脚注

  1. ^ 『現代物故者事典2009~2011』(日外アソシエーツ、2012年)p.235
  2. ^ 【朝日】2009年5月16日付「奈良・金峯山寺管領の五條順教さん死去」

弟子

兄弟

  • 五條覚照
  • 五條覚雄
  • 五條覚尭

参考文献

  • 『〈修験〉のこころ』(塩沼亮潤との共著、春秋社、2008年)
先代
五條覚澄
金峯山修験本宗管長
2代:1971年 - 2009年
次代
五條覚尭

五條 順教

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/07/02 00:04 UTC 版)

「五條順教」の記事における「五條 順教」の解説

平成21年2009年5月16日)は、日本金峯山修験本宗僧侶2代管長金峯山寺28管領

※この「五條 順教」の解説は、「五條順教」の解説の一部です。
「五條 順教」を含む「五條順教」の記事については、「五條順教」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「五條順教」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「五條順教」の関連用語

五條順教のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



五條順教のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの五條順教 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの五條順教 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS