五校戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/28 14:14 UTC 版)
岡山五校は1998年(平成10年)まで、毎年5月に、岡山市北区の県総合グラウンドを会場として、各校運動部員が出場・学校対抗戦である「五校戦」(岡山市内普通科五校対抗競技大会)を開催していた。 岡山朝日、岡山操山の両校生徒が、早慶戦にならって1954年(昭和29年)に始めた「朝操戦」(岡山操山側は操朝戦と呼んだ)が起源。岡山大安寺の開校(1963年)を受けて「三校戦」(朝操大戦)となった。以後、岡山芳泉(1974年開校)を加えて四校戦に、岡山一宮(1980年開校)を加えて五校戦に改称した。岡山一宮の開設まもない1982年(昭和57年)ごろ、各校の生徒会執行部、文化系の部長など生徒有志が合同で、文化部版の五校戦を始めたいと学校側に働きかけたが、実現しなかった。 各校とも毎年4月、新1年生の各学級から男女数人ずつを五校戦応援要員に選び、約1カ月にわたって応援団または生徒会執行部員の指導を受けて猛練習を行い、本番の応援に臨むという慣習があった。当日は5高校の全生徒が県総合グラウンドに集まり、現地で学級担任が出欠を取る等、各学校とも全校参加行事であった。 1999年総合選抜制度廃止と同時に消滅し、現在に至っている。なお、現在は年に一度部活動単位で五校が集まり非公式戦が行われているものもある。
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