塩沼亮潤とは? わかりやすく解説

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塩沼亮潤

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/30 06:19 UTC 版)

塩沼 亮潤(しおぬま りょうじゅん、1968年昭和43年〉3月15日 - )は、宮城県仙台市出身の日本金峯山修験本宗の僧侶で、仙台市太白区秋保の福聚山慈眼寺住職[1]を務める大峯千日回峰行者(大行満大阿闍梨)である。

略歴

1968年に宮城県仙台市の仙台駅そばで生まれる。テレビ番組で酒井雄哉師を観て千日回峰行に憧れる。1986年東北高等学校を卒業後、資金を貯めて金峯山修験本宗管長五條順教に師事し、1987年5月6日に総本山金峯山寺出家して修験行院に入る。2年後に正行院に入りさらに2年後に大行院に入る。

1991年5月3日の戸開けから百日回峰行に入り、8月10日に達成する。1992年5月3日から千日回峰行に入り、1999年9月2日に金峯山史上2人目[注 1]となる千日回峰行を達成する。2000年9月28日から四無行を満行し、2006年に八千枚大護摩供を満行した。

その後、帰郷して慈眼寺を建立して住職となる。

思想

塩沼亮潤と竹田恒泰は共に、近代合理主義IT拝金主義などによる悪影響が広まっていると見なし、伝統や宗教が本来重要であるとして、次のようにも論じている。

竹田  … 行き過ぎた近代合理主義が蔓延することで日本人の価値観が大きく変わったかのように思われました。 … そういう人がIT社長など稼いでいる人を見ると、自分がゴミみたいに思えたのでしょう。

塩沼 しかし、いつの間にかIT社長のような拝金主義的な人たちは、みんな見かけなくなりました。一方、昨年、ブータンの国王夫妻が来日したとき、合掌してにこやかにお辞儀をされるお姿を見て爽やかな気持ちを抱いた人は多かったと思います。国王が合掌して哀悼の意を示される尊い姿を見た日本人は、人間本来の、あるべき姿を思い起こしたのではないでしょうか。 …

竹田 かつて日本人の多くは、今回のブータン国王と同じような美しい振る舞いをしていました。いま我々がどこに戻るべきか、それを示していただいたように思えます。 — 塩沼亮潤・竹田恒泰 『日本がもっと好きになる神道と仏教の話』 PHP研究所、2014年 pp.167-168

著作リスト

単著

共著

出演歴

TV

ラジオ

参考文献

関連文献

  • CiNii>塩沼 亮潤
  • 『大峯千日回峰行 - 修験道の荒行』(板橋興宗との共著、春秋社、2007年)
  • 『人生生涯小僧のこころ - 大峯千日回峰行者が超人的修行の末につかんだ世界』(致知出版社、2008年)

脚注

注釈

  1. ^ 最初は柳澤眞悟・金峯山寺副住職

出典

外部リンク

先代
柳澤眞悟
大峯大行満大阿闍梨
2代:1999年
次代



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