1970年代
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西暦(グレゴリオ暦)1970年から1979年までの10年間を指す十年紀。この項目では、国際的な視点に基づいた1970年代について記載する。
(せんきゅうひゃくななじゅうねんだい)は、- ^ アーサー・C・クラーク『幼年期の終り』早川書房、1979年、12-18,23,28-30頁。ISBN 978-4-15-010341-5。
- ^ アーサー・C・クラーク『幼年期の終わり』光文社、2007年、9,20-22,450頁。ISBN 978-4-334-75144-9。
- ^ アーサー・C・クラーク『失われた宇宙の旅2001』早川書房、2000年、11,16-19頁。ISBN 978-4-15-011308-7。
- ^ フィリップ・K・ディック『アルベマス』東京創元社、1995年、107,109,293-295,333-341,346,354,362頁。ISBN 978-4-488-69613-9。
- ^ スタニスワフ・レム『天の声』サンリオ、1982年、6・35・42・62 - 75・86・89・99・130 - 133・206 - 211・329頁。NCID BA58553778。
- ^ ウィリアム・ギブスン『ニューロマンサー』早川書房、1986年、121,122,435頁。ISBN 978-4-15-010672-0。
- 1 1970年代とは
- 2 1970年代の概要
- 3 できごと
- 4 世相
- 5 脚注
(1969年~)1970年代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 05:49 UTC 版)
「スティーヴン・スピルバーグ」の記事における「(1969年~)1970年代」の解説
スタジオと契約し、1969年にプロ監督として初めて手掛けた作品は、ロッド・サーリングが脚本を手掛けたテレビシリーズ『四次元への招待』パイロット版の一編「アイズ」。1971年には『刑事コロンボ』の第3作目である「構想の死角」で監督を務めたほか、テレビ映画として撮った『激突!』が評判を呼び、海外で劇場公開されたことで、スピルバーグの名が世界に知られるようになる。1974年に『続・激突! カージャック』で、劇場用映画監督に進出する。 1975年に公開された『ジョーズ』は、それまでの『ゴッドファーザー』の記録を破り、1977年に『スター・ウォーズ』に抜かれるまで世界歴代興行収入1位を記録する大ヒットとなり、一流監督の仲間入りを果たす。1977年に公開された、人類と宇宙人のコンタクトを描いた『未知との遭遇』も話題となった。
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1970年代(1976年〜)
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「月刊プリンセス」の記事における「1970年代(1976年〜)」の解説
1976年1月号から『イブの息子たち』(青池保子)、同年10月号から『王家の紋章』(細川智栄子あんど芙〜みん)、1977年9月号から『アンジェリク』(原作 セルジュ・ゴロン&アン・ゴロン、作画 木原敏江)、同年10月号から『オリンポスのポロン』(吾妻ひでお)、1979年9月号から『エロイカより愛をこめて』(青池保子)が連載開始、これらは人気作品となり部数が80万部突破、黄金期が始まる。 他に、この時期の作品としては『孔雀の微笑』(イケスミチエコ)、『青春はラブ・40』、『花詩集』、『わたしのお気に入り』(せがわ真子)、『恋のフーガ』、『危険な関係』、『プレイボーイブルース』(忠津陽子)、『クレア』(村野守美)、『犬・けん・ケン物語』、『水の町』(樹村みのり)、『はいどうぞ!』(中山星香)、『天使と挽歌』(原作:日向葵、作画:わたなべまさこ)、『港のマルタとデラシネ』、『4月はたそがれの海』(わたなべまさこ)、『はるかなる国 遠い詩』、『すぎ去りし日の…』(あすなひろし)、『恐怖の復活』(和田慎二)、『わんぱく天使』(赤塚不二夫)、『母恋い千鳥』(古谷三敏)、『少女ろまん』、『花々に住む子供』、『ヨーロッパみぎひだり』(萩尾望都)、『満智子のすてきな小劇場』(里中満智子)、『タンポポ』(大島弓子)、『クリスマス』(山岸凉子)、『振袖無頼控』、『黄昏の鳥』(山田ミネコ)、『君よ私に口づけを』(ささやななえ)、『翔べ翔べドンキー』(吾妻ひでお)などがある。 また、この頃は大御所漫画家を多く起用していたこともあり『変奏曲シリーズ』の一編である『アンダルシア恋歌(マドリガル)』(原作 増山のりえ 、作画 竹宮恵子)、『最終戦争シリーズ』の一編である『メランコリー・ブルー』(山田ミネコ)、『アメリカン・パイ』(萩尾望都)、『 リベルテ144時間』(大島弓子)、『フェネラ』、『白木蓮抄』、『四季つづり』、『カルキのくる日』、『夢ゆり育て』、『アナスタシアとおとなり』(花郁悠紀子)、『ラムちゃんの戦争』、『アラビアン狂想曲』、『恐怖の復活』(和田慎二)など読みきり、短期集中連載作品などの作品にも知名度の高い作品が存在する。
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1970年代(第二世代)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/13 21:58 UTC 版)
「スケートボード」の記事における「1970年代(第二世代)」の解説
それまでの単なるサーフィンの練習用のものから、グラスファイバーを使ったスラローム向けの小さめ(幅約15cm)の板と、合板を使ったランプ向けの大きめ(幅約25cm程)の板に分派した。ウィールはポリウレタンが一般化する。 プレイスタイルとしては、ボウルやハーフパイプを備えたスケートパークが建設され、様々な技が生み出される。パーク以外でもフラットランドスケートボーディングが発達する。1978年にはアラン・ゲレファンドがランプ(斜面)で手を使わずにボードを浮かせる技「ノーハンドエアリアル」を開発する。この技は彼のニックネームである「オーリー(Ollie)」の名で広まった。 またこの時代より、大きめの板の「裏側」に着目して飲料水メーカーなどのグラフィックが描かれる様になる。この裏面のグラフィックアートが、その世代の流行を反映しながら今日まで続いている。 有名なところではZ-Boysが世間に名を知らしめた時代である。
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「1970年代」の例文・使い方・用例・文例
- ブラックスプロイテーション映画は1970年代に都会の黒人観客を引き付けるために制作された。
- 1970年代までは額面発行をする企業が多かった。
- 1970年代にウーマンリブが始まった.
- 女性の中絶の権利は、1970年代に憲法に組み入れられた
- 1970年代後期のアルゼンチンの汚い戦争の間に、数千人が姿を消し、殺された
- 1970年代に打ち上げられた2台のソビエト宇宙ステーションのどちらか
- 1960年代から1970年代の米国における若者の対抗文化
- 1台のネットワーク装置から別の装置にデータを送信するために1970年代にインターネット用に開発された(TCPを含む)プロトコル
- 人気があるダンスミュージック(特に1970年代後半の)
- 1960年代と1970年代の主要なBlack音楽ジャンルであった世俗的なフォームに関する福音
- 1970年代に出現したロックミュージックのスタイル
- 大いに農業生産性を上昇させた1960年代と1970年代の農薬の導入、高収率穀物とより良い管理
- アル・ファタハは、1970年代に西ヨーロッパと中東で多数の国際テロ行為を行った
- 1970年代後期から活発な、イスラム過激派グループ
- 1970年代後半のパンクロックに緊密に関係する若者のサブカルチュアー
- ベビーブーム(特に、1960年代と1970年代に生まれたアメリカ人とカナダ人)に続く世代
- キム総書記は「拉致は1970年代から1980年代に特殊機関によって行われた。日本語を学び,日本人の身分を手に入れて南(韓国)に入るためだった。非常に遺(い)憾(かん)であり,この事件についておわびしたい。」と述べた。
- 1970年代の少年たちはどんな風だったのだろうか?
- この2つの映画は,1970年代に人気のあった米国のテレビシリーズの映画版である。
- 日本では,1970年代に男性用化粧品のテレビコマーシャルに出演したブロンソンさんを覚えている人もいるかもしれない。
固有名詞の分類
日本のテレビアニメ作品 | 1960年代 あ行 1970年代 た行 は行 |
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