ボスニア・ヘルツェゴビナの歴史とは? わかりやすく解説

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ボスニア・ヘルツェゴビナの歴史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/05 05:59 UTC 版)

ボスニア・ヘルツェゴビナの歴史(ボスニア・ヘルツェゴビナのれきし、Историја Босне и Херцеговине、History_of_Bosnia_and_Herzegovina)について、この項目では記述する。

古代

中世

ボスニア・ヘルツェゴビナは、長い間他の国に支配されていたが、12世紀前半にクリンがボスニア中部を統一し、ボスニア王国を建国。その後、領土を拡大し、衰退するセルビアに代わってこの地域の最大勢力となった[1]

近世

1463年、バルカン半島に進出したオスマン帝国がボスニアへ侵攻。その後400年間に渡りオスマン帝国の支配が続いた。しかし、1873年に起こった農民の反乱がきっかけで起こった露土戦争によるベルリン条約で、オーストリア=ハンガリー帝国の支配下に移った[2]

近代

サラエボ事件

現代

第二次世界大戦

ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争

1992年、当時ユーゴスラビアの構成国だったボスニア・ヘルツェゴビナは、スロベニアクロアチア北マケドニアに続いて独立宣言をした。しかし、ボスニア・ヘルツェゴビナは他民族国家であったため、独立を巡って問題があり、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争が発生した。EU国際連合が和平案を提示したが、同意を受けることはできず、紛争は長期化した。1995年には、NATOによる空爆が開始され、多くの死者が出た[3]。1995年11月、アメリカ合衆国主導でデートン和平合意が成立。これにより、国連監視のもとで、ムスリム系とクロアチア系の「ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦」とセルビア系の「セルビア人共和国」の二つの政体による一つの主権国家が成立した[4]

脚注

  1. ^ 小項目事典, デジタル大辞泉,共同通信ニュース用語解説,精選版 日本国語大辞典,日本大百科全書(ニッポニカ),改訂新版 世界大百科事典,百科事典マイペディア,ブリタニカ国際大百科事典 (2023年3月29日). “ボスニアヘルツェゴビナ(ぼすにあへるつぇごびな)とは? 意味や使い方”. コトバンク. 2025年3月25日閲覧。
  2. ^ ボスニア王国/ボスニア・ヘルツェゴヴィナ”. www.y-history.net. 2025年3月25日閲覧。
  3. ^ ボスニア内戦”. www.y-history.net. 2025年3月25日閲覧。
  4. ^ 小項目事典,日本大百科全書(ニッポニカ), ブリタニカ国際大百科事典. “ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争(ボスニア・ヘルツェゴビナふんそう)とは? 意味や使い方”. コトバンク. 2025年3月25日閲覧。

関連項目

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