金星
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/01 06:52 UTC 版)
人類との関連
歴史と神話
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欧米では明けの明星の何にも勝る輝きをローマ神話の美と愛の女神ウェヌス(ヴィーナス、ギリシャのアプロディーテー)に例え、その名で呼んでいる。メソポタミアでその美しさ(明るさ)ゆえに美の女神イシュタル(アッカド語)、イナンナ(シュメール語)の名を得て以来、世界各地で金星の名前には女性名が当てられていることが多い。
日本でも古くから知られており、日本書紀に出てくる天津甕星(あまつみかぼし)、別名香香背男(かがせお)と言う星神は、金星を神格化した神とされている。時代が下って、平安時代には宵の明星を「夕星(ゆうづつ / ゆうつづ)」と呼んでいた。清少納言の随筆「枕草子」第254段「星はすばる。ひこぼし。ゆふづつ。よばひ星、すこしをかし。」にあるように、夜を彩る美しい星のひとつとしての名が残されている。
キリスト教においては、ラテン語で「光をもたらす者」ひいては明けの明星(金星)を意味する言葉「ルシフェル(Lucifer)」は、他を圧倒する光と気高さから、唯一神に仕えるもっとも高位の天使(そしてのちに地獄の闇に堕とされる堕天使の総帥)の名として与えられた。
聖書の黙示録中では、イエスのことが「輝く明けの明星」と呼ばれている[38]。
仏教伝承では、釈迦は明けの明星が輝くのを見て真理を見つけたという。また弘法大師空海も明けの明星が口中に飛び込み悟りを開いたとされ、虚空蔵菩薩・明星天子は仏格化された金星の現れとされている。
アステカ神話では、ケツァルコアトルがテスカトリポカに敗れ、金星に姿を変えたとされている。
マヤ創世神話内では、金星は太陽と双子の英雄であるとされ[39]、金星を「戦争の守護星」と位置づけ、特定位置に達したときに戦を仕掛けると勝てると考えられた[39](一種の軍事占星術であり、金星の動きと戦争がつながっていた)。
近代に入ると、金星の太陽面通過に大きな関心が寄せられるようになった。太陽系の大きさを測定する過程において、金星の太陽面通過で得られるデータは重要な役割を果たすと考えられたためである。1761年と1769年の太陽面通過観測は世界中に観測隊を派遣して行われたが、中でも1768年から太平洋に派遣されたジェームズ・クックの探検隊[40]は、太平洋各地で重要な地理的発見を行った。また、1874年の金星の太陽面通過においてはすでに産業化時代に入っていたこともあり、世界各国が各地に観測隊を派遣した。この時は日本も観測可能な地域に含まれており、フランス、アメリカ、メキシコの3か国が日本に観測隊を派遣した[41]。
占星術
「金星」の名は中国で戦国時代 (中国)に起こった五行思想と関わりがある。また、中国ではかつて金星を太白とも呼んだ[42]。
西洋占星術では、金牛宮と天秤宮の支配星で、吉星である。妻・財産・愛・芸術を示し、恋愛、結婚、アクセサリーに当てはまる[43]。
惑星記号
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女性を象徴する手鏡を図案化したもの(通説のひとつ)が、占星術・天文学を通して用いられる。また、転じて女性を示すシンボルとしても利用されている。 →惑星記号
近年の研究
近代の科学者は、金星の姿を推測し続けた。ノーベル賞受賞者であるスヴァンテ・アレニウスは、金星は石炭紀の湿原のようであると主張した。これは当時、相当程度の学者から支持されたが、1920年代には、光学分析などの研究調査結果により金星の大気に大量の水日本
計画中
注釈
出典
金星と同じ種類の言葉
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