発言、思想
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人民戦線政府が成立したフランスで日本の左翼について質問された際には「左翼はなかなか繁栄したときもあります。しかし、日本は昔からそのときの思想状態を是非必要と感覚しないかぎり、どのような思想も行為も無駄となりますから、そのために秩序が乱れる恐れが生じると、これを枯らしてしまう自然という恐ろしい力があるのです。この自然力は物理的なもので、ヨーロッパの知性も日本へ侵入して来る度に、この自然力と争わねばならぬのです。つまり、日本はいかなる思想も物もそれを選択する場合に個人の意志では出来ません。自然力に任せてこれの命ずるままに従わねばならぬのです。個人の役に立たぬそのような日本では、従って第一番の芸術家や思想家は自然という秩序です。日本の左翼も自然発生から自然消滅の形をとって進行していますが、それは思想の無力というよりも、思想と同程度に整えられた秩序の強力なためなのです」と答えた。 フランスの婦人に日本人はなぜ腹切りをするのかと聞かれ、横光は体験記の体裁の小説『厨房日記』で「それは見栄でも責任でもない。世の中の秩序を乱したと感じるものが、自分の行為を是認するために行うもの」で、「日本人は社会の秩序を何より重んじるから、自然に個人を無にしなければならぬ。つまり、生活の秩序を完成さすためには人間は意志的に無になる度胸を養成しなければならぬ。日本文化の一切の根柢はこの無の単純化から咲き出したもので、地球上の総ての文化が完成されればこのようになるものだという模型を造っているような社会形態が、日本だと思う」「つまり知性の到達出来る一種の限界までいっている義理人情の完璧さのために、も早や知性は日本には他国のようには必要がないのだと思う」と答えた。
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発言・思想
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 23:27 UTC 版)
「人生の目標は死なないこと、そして自由に生きること」を信条にしており、きっかけは小学生の時、父親の建てたやぐらから流れ星を眺めていた時に、「死んだらあの星みたいに消え去ってしまうのか」と急に“死”が頭をよぎり恐怖を覚えたためという。それ以来、誰かに殺されないために「出来るだけ人と群れないようにし、人から恨まれないように生きてきた」と述べている。また、「自由」に関しては、「あの流れ星のような一瞬の人生なんだから、他人の顔色を窺うこと無く死ぬまで楽しく自由に生きればいい。答えはそれだけ。もちろん自身が自由であるためには、他人の自由も尊重しないといけないという信念であり、それが鉄則なんです。自由気ままで自分勝手に生きていると思われているオレですが“自由に生きること”は絶対に守りたかったから、それでもいいんです」と述べている。また、息子や娘にも「人はそれぞれ自由に生きればいい」として放任主義を取っていた。 「人から嫌われていると思ったことがない」とエッセイで述べており、「みんな嫌われるんじゃないかとか、友達だから嫌われたくないとか考えすぎです。他人にどう思われたっていいじゃないですか。僕は人から嫌われていると思ったことがない。だって人に迷惑をかけることをしていないもの。そう胸を張っていればいい」と持論を述べている。 ブラックで過激な漫画の内容とは対照的に「殺戮なんて結局は虚しいだけ」として平和主義者である事を公言している。戦争に関しても「戦争ほど個人の自由を奪うものなんて他にない。誰かの自由を強制的に奪うようなものは、いかなる理由があっても断固として反対です」と強く否定的な意見を持っている。また稲田朋美防衛相が安保法に基づく新任務の訓練を開始すると表明したことについて「戦うのはアメリカに任せとけばいい」と事実上、皮肉を込めて批判している。 偉そうにしたり恰好をつけたりするのが大の苦手と公言しており、「恰好をつけるとお金がかかって貧乏になり、最終的に恰好悪くなる」と述べている。 友達観に対して、「自由であることを第一に考えていると、友だちはいい存在である一方で、時には自由を妨げる存在にもなる。だから“誘われても断れる友達”以外は必要ない。友達の誘いだから断れないのはおかしい。誘いを断れないような間柄を友達というのなら、僕は友達なんていりません。実際に友達になると大体は私の方が立場は弱く、相手の言いなりになってパシリになる役回りなので、積極的に友達をつくろうと思ったことは昔からほとんどありません。たしかに友達は少ないですが、全然、寂しくなんかありませんよ。あんまり自分が孤独だと思い続けていると、いつしか得体の知れない狂気に変わってしまうこともあります。オレは女房さえいれば、友達なんかいてもいなくてもいいかな」と独自の持論を述べている。 集団行動などの“群れ”にも懐疑的な立場を取っており、「昔の学生運動にしろ オウム真理教にしろ、最初は友達から始まったものが、行き着いた先は犯罪であり、殺し合いですよ。何人かが集まると、大体、リーダーというか親分が出てきます。そういう人についていけば、考えなくていいから楽かもしれませんが、その先には死が待ち構えているかもしれない。これは恐ろしいことですよ。集団では個人の自由が無くなり、リーダーの命令を聞かないと叩かれる。自分で正しい判断ができなくなるんです。最近SNSなどで様々な人につながることが流行っていますが、一方で色々な事件も起こっていますよね。LINEのグループチャットで悪口を言われたひとりが、悪口を言っていた友達を殺してしまった事件とかね。最初は友達だったのに仲間割れしていく。だって人の考えなんてそれぞれだからね。それを無理やりまとめていこうとすると、最悪の場合殺人に行き着くことさえある。あんまり友達とべったり仲良くし過ぎると、将来敵同士になる可能性があるんです」と独自の持論を述べ、現代の「人付き合い」や「つながり礼賛」の風潮に疑問を投げかけている。その一方で、趣味を共有するグループなど、限られた目的を持ったグループには肯定的な立場を取っている。 裁判員制度について「行くのがめんどくさいから反対」という本音を語っている。 長崎時代にベ平連のデモに参加したことがあるが「あれ見てる方もやる方も恥ずかしいですね」と回想している。 女遊びや浮気をする男性に対し「家に帰れば嫁さんとタダでヤレるのに(浮気する)理由が分からない」と批判的な意見を持っている。 「幸せな家庭は他人に見せつけない方がいい。誰に見られてるか分からないし、もしかしたら不幸そうな人が傍からジーっと見ているかもしれない」と独自の持論を述べており、幸福そうな人達が通り魔に惨殺されるだけの漫画を描いたこともある。 不特定多数の人が見るブログやSNSで“幸せアピール”をする事に疑問を抱いており、「他人の幸せそうな姿なんて見て誰が喜ぶの?みんな不幸になるように呪いをかけてるかもよ。とにかく人にやっかまれることはしないほうがいい。絶対にしっぺ返しが来る。そもそも他人に好かれよう嫌われまいという気持ちが強すぎ。大体、今日これ食べたとかどこに行ったとか、うちのネコちゃんが可愛いとか、要するに“私楽しい人生を送ってます”というアピールでしょ?そんなもん誰も知りたくないし、どうでもいい。人間が知りたいのは他人の不幸。だから楽しいことは一切投稿するなと言いたい」と批判的な意見を述べている。 日本尊厳死協会に入っており、「寝たきりになって意識もないのに、人の世話になってまで生き続けたいと思わない。介護や看病されて過ごすのもまっぴらです。だって、自分が何より大切にしてきたのは自由だし、その自由を他人から奪ってまで長生きしたいと思わない。だから今の医学でも回復の見込みがない状態になったら延命措置をせず、その時を迎えます」と述べている。 かつてテレビ番組で「エレベーターの底が抜ける気がして怖い」と発言し、周りから「そんなことありえない」と笑われたことがあるが、ほどなくしてエレベーターでの死傷事故が多発し、社会問題に発展した。 アンガールズの田中卓志が「スベっているのに仕事が急激に増えた」と悩んでいた頃に雑誌の対談で蛭子に相談したところ、蛭子は漫画の原稿を間違えて他誌の編集部へ送った経験を述べた。蛭子によると、「数日が過ぎてから、競艇雑誌にエッチな漫画を、エッチな雑誌に競艇の漫画をあべこべに送ってしまったことに気づいたけど、結局どちらの編集部からも“漫画の原稿うちのじゃないですよ”と言われず、そのまま雑誌に掲載されて、その後もこの件について、どこからも何も言ってこなかった。誰も俺の漫画なんか見ていない」と田中に述べ、「だからさ(田中君が悩むほど)世の中の人は田中君のことは見てないから気にせずやったら良いよ」と励ました。 「自己主張しない」という持論を持っており、「自己主張は自分の心のなかにこそ持っているべきで、それを口に出して言わない方がいいと思うんですよ。自分にただ言い聞かせるだけで。そうしたら人と喧嘩しなくて済む。自己主張を口に出して言うと他の人の自己主張と対立してしまうかもしれないし、言い合ったところでたいした問題でもないかもしれない。そういう場合は、意見があったとしても向こうがそう言っているならその場は降りる。相手を立たせてあげるということも大事ですよ」と述べている。その一方で、「自分のやりたいことができるかできないかは、そのやりたいことに他人が関わる程度によると思います。自分がどうしてもやりたいことで他人が関わってくる話ならば、やっぱり相手をしっかり説得する必要があります。ただ、説得は自己主張とは違います」とも述べている。 「お金は貸したら返ってこない、だから絶対に貸さない」という持論を持っており、恩人の高杉弾(メディアマン)から借金を頼まれた時も「高杉さんに貸しても返ってこないから」とはっきり断ったことがある。蛭子自身「テレビに出るようになってから、昔の友達じゃないかという人からわんさか電話がかかってきましたが、結局みんなの目的は『金を貸してくれ』でした。人に金を借りにくる人はだいたい無計画で無責任。もちろん貸した金が返ってくるはずもなく踏み倒されて大損しました。でも、しつこく返してくれとも言えないし、言えない自分がまた嫌で、そんな気持ちになるくらいなら友達なんていらないですよ」と過去の苦い経験を語っており、息子にも「とにかくお金を借りず貸さず盗まずに生きなさい」とだけ教育していた。 職業差別問題について「この世にはありとあらゆる職業があって、誰かしらがそれをこなしているわけだから、仕事に上下の差をつけるという考えが間違っているのだ。人に必要とされるものに差別があってはならないとオレは思う」と自論を述べ、批判的な意見を持っている。 児童虐待問題について「子供を虐待する親は人として発達していない、人間になる途中の人。抵抗できない子供を虐待する親は“病気”として捉えるべき」と述べている。 温厚でのんびりしたような性格に見えるがとてもせっかちである。本人曰く、「ちょっとでも暇な時間があったら好きなことをぱっとやる。無駄には使わない。せっかくの日曜日だというのに家で朝まで寝ていたり、CD聴いてたり、パソコンいじってたり、テレビ見てたり、休日を家でボンヤリ過ごす、これはもうギャンブラー失格です。ギャンブラー失格というよりも人間失格ですね。自分で何がしたいか解らないと、ただボーッとしているだけになっちゃう。だから自分のしたいことを考えないと。それを持っていない人はやはりちょっとおかしいですよね。一人でいられないから人に流されて人に使われるようになっちゃう。群れることに一生懸命になる人って本当にしたい事なんて無いんじゃないですか。一生、他人に使われて終わるんじゃないかと思いますよ」とコメントしている。 芸能人ではビートたけしを最も尊敬しており、「いつも自分の思った事を説得力を持った上で自由にコメントしている。芸にしても時に滅茶苦茶なことをわざとやったりして、とっても自由。さらに、自分の好きな映画も撮って、国際映画祭で賞もたくさんもらっている。類い稀な才能に溢れた凄い人だと思います。でもなにより尊敬するのは、芸能界の大御所であるにも関わらず、いつだって謙虚なところかもしれない。憧れの存在です」と述べている。 死生観について「オレが死んだ時は誰も葬式に来てくれなくていいからね」と述べており、「オレは死んでしまったら魂も意識もなくなってしまうと思っているんです。あの世にいったら亡くなった家族の元に帰れるんだ、という考えもありません。そんなオレのために生きている人がわざわざ墓参りに来て欲しくないですね。人の自由な時間を奪いたくありませんからね。オレが死んだら食べても良いですし、葬式で笑われても構わないですね。遺灰なんてそのあたりの土手でもいいし、道路でも川でも適当にまいてくれればいいですよ。死んだらもう自分としては意識がないんだから何もしてくれんでもいいですよ。親族も悲しがってくれなくていいです。悲しんでもらってもオレにはわからないんだから全然必要ないですね」と独自の持論を語っている。また、「過去に死んだ人より今を生きる人と過ごす時間を大事にしたい、冷たいって思われるかもしれないけど」とも述べている。 生きていく上で一番幸せなことは「自分の考えている事を行動に移して実現すること」と述べている。
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発言・思想
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僧侶という職業について、「周りの人は、僧侶という職業をからかいの対象として思っている節があるような気がします。一方で、僧侶がいなくては困るという感じも持っている」と述べている。 東京大学で10年間助手を務めていた際、学生に対し、「大学院に行くということは極道の世界なんだ。道を極めると書いて極道と読む」「親兄弟を泣かせる職業だということを頭にいれとけ。まっとうな人は学者にならない方がよい」と語っていたという。 学者の養成について、「学者にとって何が大事かと言うと、オリジナリティーを磨くことです。オリジナリティーを磨くためには、自分自身で勉強しなければならない。教えすぎるとろくでもない学者にしかならない。本当に独創的で外でも使える学者を育てるにはあまり教えてはならない」という持論を述べている。
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発言・思想
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/12 04:45 UTC 版)
仏教団体・仏教者が被災地で活動することについて、「自由市場に投げ出されるのだから、最初は混乱するでしょう。非常に僭越ですが、それは日本仏教が鍛えられていく場面なんだろうと思う」「昨今の「仏教」ブームは本当に人々を救う力となりうるのか。震災はそれを試してもいる」と述べている。 大学教育について、「いくら教員がその何かを提供しようとしても、それは所詮与えられたもの、せいぜいきっかけにすぎない。自ら動ける学生を、私は自律の観点から『立派だ』と評価している。共有できる何かを求め、その環境を自ら創造できる場、あるいはそうした力を養う場が大学であると思う」という持論を主張している。
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発言・思想
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/30 05:25 UTC 版)
侵略戦争について田原は歴史認識においては、「日清・日露戦争は自衛戦争だが、満州事変、日中戦争は侵略戦争」という認識を再三示している。これに異を唱える者には激しく反発する。たとえば、自らの番組内で満州事変以降の戦争を「全体としては自存自衛、セキュリティ(安全保障)のための戦争だった」と述べた高市早苗(衆議院議員)に対し激昂し、「僕はね、靖国神社はあっていい、参るのもいいと思うけど、こういう下品なの、憎たらしい顔したのが集まってるから可哀想だよ」と罵倒した。同番組内で「侵略ではない」と主張する勝谷誠彦に対しても同様に罵倒した。ただ、2009年4月「朝まで生テレビ」において「僕はね、極東国際軍事裁判は正しくないと思ってる。なぜなら戦勝国が戦敗国を裁くんだから。こんなものは集団リンチだよ。…ソ連は日ソ中立条約を破ってきたんだぞ。あんなものは明らかに戦犯だぞ」と極東国際軍事裁判については不正との認識を示した。戦後、日本人の戦争に対する価値観が変わっていく中で自身の考えを表明しなかったことについて、「言えなかった、恐かった、世の中に言うとやられるんじゃないかと思った」と説明した。「アメリカ、イギリス、フランス、オランダ、スペインの戦争は全部侵略戦争だ」、「日本はアジアを解放する意気込みがあったが外交で失敗した」と説明した。 女性・女系天皇を可能にする皇室典範改正を支持している。これに反対する四宮正貴に対して「聖徳太子、知ってる?」などと発言、四宮が「聖徳太子を知らないのかとは何事だ。君はイエス・キリストを知っているのか」と激怒した。ただし、竹田恒泰の著書『古事記完全講義』(学研パブリッシング、2013年9月)によると、雑誌で対談した際に、「竹田さん、皇統は男系じゃなきゃダメなんだ」「伝統だよ、伝統」と考えを改める発言をしていたことと、中央公論で『日本人にとって天皇とは何か』の連載を始めた理由を竹田に問われ、「竹田さん、僕はね、この年になってやっと気づいたんだよ、日本人は最後は天皇だ」と答えたことが記されている。 『サンデープロジェクト』では菅直人の年金未納問題に絡む代表辞任騒動の討論で、自身の過失ではなく、行政の過失(後に武蔵野市が菅に謝罪の書面を送付していたことが明らかになる。ただし、当時の年金行政の最高責任者の厚生大臣は菅自身であったため、社会保険庁の過失という事実が判明後もほとんど報道されなかった)から年金未納期間が生じた菅を激しく非難。民主党代表辞任を決定的とした。しかし、田原自身に年金未納期間(1977年2月〜9月)があったことが判明し、翌週番組において謝罪した。 日本共産党が公表した宮澤内閣時代の内閣官房報償費(いわゆる官房機密費)の会計記録で田原が香典代として5万円を受け取っていたことが明らかになり田原も番組内でこれを認めた(当時の官房長官は加藤紘一)。またこれ以前に写真週刊誌フォーカス(現在は休刊)で100万円単位で内閣官房報償費を受け取っていた疑惑を報道された。田原はこれを否定しているが、真相は未だ不明。ただし2010年野中広務元官房長官が内閣官房報償費の使用用途について複数のメディアに明かした際、複数の政治評論家たちに対し「盆暮れ500万円ずつ届ける」など報償費を配付したが「返してきたのはジャーナリストの田原総一朗氏だけだった」と証言している。 筑紫哲也の著書『ニュースキャスター』によると田原は「(番組を)引退をしようにも後を継げる人がいないから(番組を)続けるしかない」と発言をしている。また岡留安則との対談では「倒れるまで番組を続ける」趣旨の発言をしている。 小泉首相と拉致被害者家族会とのやり取りをテレビで見ながら『2ちゃんねる』の反応を見て「これで世論が変わる」「マスコミのミスリードにいら立っていた人々が、『2ちゃんねる』と同様の反応をしたのだと、わたしは捉えている」と雑誌で発言した。 政治改革関連法案の可否をめぐり自民党が紛糾していた1993年「総理と語る」にて総理の宮澤喜一に対し執拗な挑発を行い、「やります、やるんです」との言質を取ったが、政治家改革関連法案が廃案にされると、そのインタビューの模様が何度も放映され、宮澤が退陣に追い込まれるきっかけを作った。 2000年に小渕恵三首相が番組にブッチホンして総理の単独会見は認められないと記者クラブから抗議された(その一方で同じく小渕首相が電話出演した日本テレビはお咎めなしだった)。 北京五輪に際して、中華人民共和国のラサにて、人権弾圧をされているチベット人が抗議活動を行った。その抗議に中国政府は武力弾圧をしたことが報道され、世界の報道機関や日本のマスコミもチベット人死者数について、中国政府側主張とチベット亡命政府側主張の両方を取り上げていたが、田原は自身のコラム にて、「日本のマスコミは死者数を140人と報じているが、これはチベットの反政府運動側の発表であり、中国側は20人と言っている。日本のマスコミは多い方を書く等、これは偏向報道だ」「中国では世間で言われているより開放が進んでいる」と発言している一方、日中ジャーナリスト交流会で「中国は外国人ジャーナリストを受け入れるべき」と中国側に発言し、別の記事で「中国には中華思想なるものが未だ根強く残っている」「中国は間違いを認めたがらない」と中国を批判する発言をしている。 映画靖国 YASUKUNIを公開前から支持しており、映画に関しての論争が起こったが、「日本の政治家の圧力により、出演者が拒否しはじめたのではないか」「日本の政治家の圧力により、上映中止の映画館が増えたのではないか」と主張。 2007年参議院選の民主党マニフェストに対して、「岡田さん、前原さんのときは消費税3パーセント増税だったから良かった」、「財源が示されてない」、「インチキだ」と批判した。2008年ガソリン税暫定税率、日銀総裁人事問題などに関して、小沢一郎民主党代表を指して、「民主党に約1名変なのがいる」、「政局にしようとしている」、「いつのまにか民主党は、北朝鮮のような党になっていたのだ。いつから民主党は、そんな情けない政党になってしまったのだろうか。これに比べれば自民党は、よほどマシである」 などと述べている。しかし後述のように一貫した検察の批判者でもあり、小沢一郎を巡る政治資金問題では、検察の捜査手法を強く批判している。 元厚生事務次官宅連続襲撃事件についての議論でコメンテーターが「政治家でなく官僚が狙われたことが問題」と発言した際、これに対して「政治家を狙え」と発言した。 2009年、自身がキャスターを務めるテレビ朝日『サンデープロジェクト』の番組内で、民主党の小沢一郎が東京地検特捜部の捜査を受けると検察ファツショでテレビ朝日局を挙げて検察と戦うと発言。 2009年、第45回衆議院議員総選挙の前、自身がキャスターを務めるテレビ朝日サンデ-プロジェクトの番組で当時の政治状況を明治維新に見立て、鳩山由紀夫が大久保利通、小沢一郎が西郷隆盛だと断言する。 メディアの公共性のあり方が問われている中で、田原は「いかに視聴率を上げるかが自分の役割だ。『いい番組なら視聴率が悪くてもいい』というのは、絶対に通用しない」とあえて視聴率至上主義を公言している。 「噂の眞相」に連載を持っていたが、後に両者の意見の相違が生じ、同誌の批判の俎上に田原が上がることも珍しくなくなった。田原への批判としてよく使われる「電波芸者」と言う言葉も、同誌が最初につけたと言われている。だが田原と岡留の対談は同誌発行中も休刊後も行われている。 総理との対談番組において、宮沢喜一首相が政治改革を断行すると言質を取ったり、橋本龍太郎首相が恒久減税に関する言質を取ったことが、後の解散総選挙敗北や参院選敗北によって総理退陣をするきっかけに繋がった。 『2ちゃんねる』管理人西村博之と雑誌「サイゾー」で対談をしたことがある。その対談の中で田原は『2ちゃんねる』に対し礼賛に近い発言をしている。このため、2ちゃんねるの暴走を奨励していたとして、批判派から徹底批判されている。 『爆笑問題のニッポンの教養』90分拡大スペシャル版 (NHK) 公開収録で太田光に向かって「そういう馬鹿なこといってテレビ出るなんて、とんでもないよ!」「ふざけるな!」と一喝。続けて田中角栄の金権政治を賛美「田中角栄は、革命だ!!」「金権政治の何が悪い」「冷戦の方がよかった」などと放言、また司会者の爆笑問題を差し置いて番組を仕切りだした。早稲田大学の学生500人が見守る中、看板教授陣も含め3時間半にも及ぶ論戦を繰り広げた。 芸能人による薬物事件に関し、BS朝日『激論!クロスファイア』スタート会見(2010年3月10日)で「僕も外国で大麻をやったことがある」と告白。しかしいいとは全く思わなかったそうで、酒井法子については「いったい薬の何がいいのか聞いてみたい」とコメントした。
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