発言・行動
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イラク戦争 イラク戦争には一定の理解を示しつつも、当初より懐疑的な立場をとった。 歴史認識 2009年(平成21年)6月1日、北京で開催された「中国科学・人文フォーラム」で演説し、「日本が起こした侵略戦争は日本の国益を損ねた」とする見解を示した。 2006年(平成18年)9月7日配信の「小泉内閣メールマガジン」内の特別寄稿では、小泉政権の外交政策について「とりわけ大きな業績は、対米関係の高水準化」「首相自らがあの北朝鮮を訪問し、拉致を認めさせ、問題解決の大筋を共同声明に示す大業は、小泉以外の誰にもできなかったであろう」などと述べ、高い評価を与えた。その一方で「(小泉首相の)靖国(神社)参拝一つで、どれほどアジア外交を麻痺させ、日本が営々と築いてきた建設的な対外関係を悪化させたことか」とも述べ、「後継者たちに残したものと考えて対処せねばなるまい」と締めくくった。 歴史認識問題について日本政府の姿勢を批判する論客や諸外国は、戦前の植民地支配や対外侵略だけでなく、その歴史を反省して平和的発展に尽くした戦後日本の歩みも踏まえて評価すべきだとしている。 福田康夫政権 歴代政権の外交政策の助言者として行動しているが、特に福田康夫政権では外交政策勉強会、防衛省改革会議と外交・防衛分野における主要なブレーントラストとなった。これは福田の内閣官房長官時代に私的親交を結ぶ機会があったからとされる。 防衛省改革に向けて2007年(平成19年)末に発足し、諮問機関「防衛省改革会議」に、五百籏頭が委員として参加した。最終報告書(2008年7月提出)を巡って、石破茂防衛大臣と激しく対立することとなった。しかし、首相であった福田康夫が、五百旗頭案を採用した為、五百旗頭の意見を軸に提案をまとめた。 新型コロナ 非渡航者による新型コロナウィルスの国内感染が日本で初めて確認され、相前後して世界保健機関が緊急事態を宣言した約1ヶ月後の2020年2月25日に、危機管理の専門家としてBSフジLIVE プライムニュースに招かれ、新型コロナウィルス拡大に伴う日本の危機管理について語った。番組内で五百旗頭は、流行性感冒であり春には終息するだろうという見方を示し、もし梅雨どきまで長引くようなことがあったら東京五輪の開催にも影響し、あるいは延期ということになりかねないと付け加えた[要出典]。
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発言・行動
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2004年10月15日、ニッポン放送のラジオ番組で、2004年アメリカ合衆国大統領選挙について、「(現職・共和党の)ブッシュ大統領でないと困る。(民主党の)ケリー氏は北朝鮮と二国間で交渉をやろうとしている。とんでもない話だ」とブッシュ候補を応援した。野党などは「内政干渉」と批判した。 2004年12月10日、自衛隊のイラク派遣中、フリーターやニートに対して、「一度自衛隊にでも入って(イラクの)サマワみたいなところに行って、本当に緊張感を持って地元の皆さん方から感謝されて活動してみると、3カ月ぐらいで瞬く間に変わるのではないかと思う」と発言した。 2005年8月、選挙期間中にフジテレビの『報道2001』に出演した際に「消費税は総理の任期が切れたら、すぐにでも上げるべき」という旨の発言をしたが、午後に事実上撤回した。 2005年8月27日、「衆院選で自民党と公明党ががっちり組んで、政権を守り抜くことができれば、武部勤幹事長は留任だ」と自ら発言し、のち撤回した。同じく選挙期間中に、公明党の太田昭宏が立候補した東京12区で「自民党と公明党は一つです!」と叫んでいる。 2005年9月4日、郵政民営化法成立に反対し、第44回衆議院議員総選挙では静岡7区で片山さつきに敗れ落選した城内実を評して「たびたび問題があった。一言で言うと二重人格者じゃないかと。私はそう思っておりました」と発言。城内は「幹事長たる人が、個人を誹謗中傷する発言をしていないと固く信じている。だが、事実だとしたら遺憾だ」とコメントを発表。 2005年12月5日、水戸市内で開かれた茨城県議会議員・山口武平のパーティーであいさつし「日本は天皇中心の国。中心がしっかりし、同時にみんなで支える国柄だ」と述べた。 2006年1月17日、全国都道府県議会議長会と自民党三役との懇親会で、皇室典範改正法案に関して、「(皇室典範改正は明仁(今上)陛下のご意思だ」「こんなことを国会で議論すること自体、不敬な話なんだ」「(ある女性皇族は)天皇の側室の子だ」などと発言した。宮内庁総務課報道室は「天皇陛下におかれては、記者会見で、皇位継承制度は法律に基づく制度の問題で、国会で議論されることであり、発言を控えたいとお答えになっています」と全面的に否定しており、週刊新潮から「不敬な政治利用」と批判されている。 2006年1月23日、第44回衆議院議員総選挙に無所属で出馬したライブドア元社長の堀江貴文が証券取引法違反で逮捕された。武部は選挙中自民党幹事長としてわざわざ選挙区まで足を運んで応援演説に立ち、「小泉改革の体現者」「我が弟です! 息子です!」と褒め称えていただけに野党の批判の矢面に立たされた。 2006年2月17日、衆議院予算委員会で民主党の永田寿康が質問したことで、いわゆる堀江メール問題が浮上。武部は国務大臣ではなかったため、国会の答弁席に立つことはなかったが、武部は幹事長会見で「事実無根」と完全に否定する。さらに、このメール自体の信憑性や証拠もないため、次男もこのメールにより名誉が傷付いたとして永田に対し告訴を検討した。最終的に民主党と永田側が全面的に事実無根と認め謝罪した。 2006年4月、衆議院千葉7区補欠選挙において、自民党が擁立した齋藤健の応援に出向いた際、応援演説で「最初はグー、齋藤健」というフレーズを連発。元自由民主党総務会長の堀内光雄は「最初はグー、武部はパー」と皮肉り、このジョークを堀内から聞かされた三宅久之がテレビで紹介したために広まった。ただし同様のジョークは鴻池祥肇や舛添要一も口にしている。なお、この補欠選で齊藤は民主党の太田和美に敗れ落選している。 2007年12月5日、衆議院議員・小野次郎のパーティーで挨拶した際、第45回衆議院議員総選挙の候補者の選定において、伊吹文明や古賀誠、菅義偉ら党執行部の選挙対策に関わる役員が小泉チルドレンを優遇しない姿勢について、「自分がかつて公認した議員が今回公認されないのなら、彼らを応援するには自分が党を出るしかない」と自らの離党をほのめかす発言を行ったが、党内からは冷ややかな声が聞かれた。小泉チルドレンの多くは第45回衆議院議員総選挙で比例上位の優遇措置を受けられず、大半が落選したが、武部は自民党に留まった。 2010年1月29日の鳩山由紀夫首相の施政方針演説に対し伊吹文明、村上誠一郎らと共にヤジを飛ばし続け(「命を守りたい」というフレーズに「約束を守れ」「守りたいのは政治生命じゃないのか」など。なお武部と村上は鳩山と同じ86年衆院選当選同期である)、産経新聞の記事上で「最後までうるさかった」と酷評された。
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