社会問題に発展
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この事件はN響にとどまらず政財界を巻き込む社会問題に発展し、青柳正美、秋山邦晴、浅利慶太、安倍寧、有坂愛彦、一柳慧、石原慎太郎、井上靖、大江健三郎、梶山季之、曽野綾子、高橋義孝、武満徹、谷川俊太郎、團伊玖磨、中島健蔵、黛敏郎、三島由紀夫、村野藤吾、山本健吉、由起しげ子が「小澤征爾の音楽を聴く会」を結成し、NHKとN響に質問書を提出すると共に、芥川也寸志・武満徹・小倉朗といった若手音楽家約10名が事件の真相調査に乗り出した。小澤は活動の場を日本フィルに移し、翌1963年1月15日、日比谷公会堂における「小澤征爾の音楽を聴く会」の音楽会で指揮。三島由紀夫は『朝日新聞』1月16日付朝刊に「熱狂にこたえる道―小沢征爾の音楽をきいて」という一文を発表し、 「日本には妙な悪習慣がある。『何を青二才が』という青年蔑視と、もう一つは『若さが最高無上の価値だ』というそのアンチテーゼ(反対命題)とである。私はそのどちらにも与しない。小澤征爾は何も若いから偉いのではなく、いい音楽家だから偉いのである。もちろん彼も成熟しなくてはならない。今度の事件で、彼は論理を武器に戦ったのだが、これはあくまで正しい戦いであっても、日本のよさもわるさも、無論理の特徴にあって、論理は孤独に陥るのが日本人の運命である。その孤独の底で、彼が日本人としての本質を自覚してくれれば、日本人は亡命者(レフュジー)的な『国際的芸術家』としての寂しい立場へ、彼を追ひやることは決してないだらう」 「私は彼を放逐したNHK楽団員の一人一人の胸にも、純粋な音楽への夢と理想が巣食っているだろうことを信じる。人間は、こじゅうと根性だけでは生きられぬ。日本的しがらみの中でかつ生きつつ、西洋音楽へ夢を寄せてきた人々の、その夢が多少まちがっていても、小澤氏もまた、彼らの夢に雅量を持ち、この音楽という世界共通の言語にたずさわりながら、人の心という最も通じにくいものにも精通する、真の達人となる日を、私は祈っている」 と概括した。
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社会問題に発展
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「立花町連続差別ハガキ事件」の記事における「社会問題に発展」の解説
2005年6月11日には部落解放同盟筑後地区協議会が立花町隣保館で学習会を開催。この会の席上、Aは 「ハガキが届いたときから家族のことや、職場をいつ解雇になるのか不安だった。今は、地域の人や地協の同盟員に励まされ立ち直った。犯人には怒りを感じ、見つかったら強く抗議したい」 と語った。部落解放同盟福岡県連合会は2005年8月22日、県連委員長松本龍を本部長、県連書記長吉岡正博を事務局長とする「立花町連続差別ハガキ事件糾弾闘争本部」を設置すると共に「人権侵害救済法」制定の必要性を強く訴えた。福岡県も2005年10月、法務局や県関係機関などで構成する「福岡県立花町差別はがき事件対策会議」を設置し、県を挙げてこの事件の解決に取り組んだ。 2006年12月7日、福岡県会議員吉村敏男(民主党福岡県連副代表)が福岡県議会で初めてこの問題を取り上げ、福岡県知事麻生渡に「県内においても八女郡立花町において、2003年12月から町職員に対し、同和地区出身者であることを理由に、仕事をかわるように、辞めるように要求する匿名はがきが連続して送りつけられる極めて悪質な差別事件が発生しています。現在、立花町や関係機関により、解決に向けた取り組みがなされていますが、今なお事件解決のめどは立っておらず、いっときも早い解決が強く望まれます。そこで知事に伺います。県として立花町差別はがき事件に対する取り組み、さらには人権、同和問題解決に向けて啓発の一層の取り組みが重要と考えますが、見解をお聞きします」と質問した。これに対して麻生は「立花町におきます差別事件につきましては、まことに遺憾なことでございます。法務局、地元の立花町など関係機関と対策会議を設けて連携をしながら取り組んでいるわけでございますが、今後とも解決に向けました取り組みを幅広く積極的に進めてまいる考えでございます」と答えた。 2006年12月21日には、福岡県教育長森山良一が「部落差別の実態に学ぶ」とりくみとして立花町を視察。2006年末から2007年初頭にかけて犯行は拡大し、同じく被差別部落出身の職員Bのもとに「次はあなたの番よ!」「明けま死んでおめでとう」という葉書が送りつけられた。さらにAの子供が通学する学校や同町役場幹部、町教育関係者のもとにも同様の葉書が届き、これら一連の葉書は合計44通に及んだ。中にはカッターナイフが同封された封書(2007年8月15日頃)もあった。2007年2月23日、部落解放同盟福岡県連合会ならびに部落解放同盟筑後地協の主催により「立花町連続差別ハガキ事件真相究明集会」が立花町内で開かれ、約600名が参加。2007年夏には、Aは月刊誌『部落解放』に「手記──福岡県八女郡立花町・連続差別ハガキ事件 犯人を捜し出し、糾したい!」と題する手記を発表し、「差別をしているのは、加差別側にいる犯人、差別認識のない「あなた」です。そんな「あなた」を変えるには、正しい確かな教育・啓発が必要なのです」と「解放教育」の重要性を訴えた。2007年10月24日、Aはこれら一連の葉書や封書の差出人を被疑者不詳のまま刑事告訴した。2008年2月8日には、Aは「狭山事件を考える久留米市民の会」第2回学習会で「いまインターネットのブログで、『あなた様の自作自演』と書いている人がいる。……悲しい。……ただ新聞記事の上面だけを使って書いているだけで、差別ハガキの何を知っているの、私のなにを知っているのですか。『あなたも、名を名乗らず、顔も見せず、この卑怯な差別ハガキの犯人と同じですよ』と言いたい」と発言している。 2009年2月、Aは福岡県会議員宮浦寛(民主・県政クラブ)に電話を入れて「差別問題を県議会で取り上げてほしい」と依頼、宮浦に面会して犯人への怒りや家族の不安を語った。このため3月10日、宮浦もこの事件を福岡県議会で取り上げて行政側の取り組みを問題にすると共にインターネット上の「差別書き込み」への対処についても県の姿勢を糺した。このとき福岡県知事麻生渡は「極めて悪質な人権侵害事件でございます。したがいまして、我々としましては、一日も早く犯人を捕まえまして、この事件を解決しなければならないと思って努力いたしております」と表明。福岡県警本部長田中法昌も「捜査の具体的状況につきましては、今後の捜査に支障がありますので答弁を控えさせていただきますが、本件は長期にわたる悪質な犯行でありますことから、今後、鋭意捜査を推進してまいる所存であります」と答弁した。 Aは「差別脅迫事件」の被害者として部落解放同盟主催の人権フォーラムに出席すると共に「連続差別ハガキ事件、あなたを捜し出し、糾したい!」と題する講演を公民館でおこない、自らの受けた被害を大々的に訴えて同和問題の啓発にあたり、その都度講演料を手にしていた。講演は部落解放同盟筑後地区協議会に属する31の支部のほとんどで行われた他、部落解放同盟の全国大会や青年集会、また学校関係や運動関係の研修会でも頻繁に行われ、Aの妻や子供が壇上に立って話すこともあった。Aは東京や京都や四国や和歌山まで招かれて人権啓発講演を行ったこともあり、講演料は1回1万円から10万円に及んだ。Aの講演は、Microsoft PowerPointを駆使して作った映像を聴衆に見せ、ハガキの文面を滑り込ませたり、文字をクローズアップさせたりして説明するやり方だったため、組坂幸喜から「被害者本人がこういう映像を流しながら説明するのはおかしいでしょう」と批判されたが、Aは聞く耳を持たなかった。ギター演奏の趣味があったAは、立花町の人権フェスタでフォークギターを手にステージに立ち、『しあわせ…』という自作の歌を披露し、聴衆の涙を誘うこともあった。 そして、この事件は立花町役場のウェブサイトにも「今なお身近に残る部落差別の深刻さ」の象徴として紹介された。その他、一連の葉書の文面には、たとえば以下のようなものがあった。 あけましておめでたいはずがないでしょう 喪中見舞い申し上げます PTA副会長を部落の人がしているそうですが、やはり喧しく言われてされているのでしょうね。このように学校教育まで喧しく言ってくるのが部落の仕業です 部落にクソあれ、あんたに不幸あれ あんな集会をされたら町の汚点になる. 新聞にまで書かれて. 部落で町を汚さないで いつまで同和同和と言っているんですか。日常生活で苦しんでいる町民はたくさんいますよ。合併もできないようになりますよ 町長さん 町民一同 部落の人は辞めてないようですが、また子どもの指導をするのでしょうか。困ったものです。部落の人には指導をさせないでください。参加をためらいます。また、町長のチラシは本心でしょうか。子どもや孫が部落と結婚したら大変ですよ。きっと、部落に喧しく言われて書かれたのでしょう。同情致します 残死見舞 また正月に合いましょう
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