日本赤十字社
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歴史
博愛社として
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日本赤十字社の前身は旧田野口藩主の伯爵大給恒(おぎゅう ゆずる)や元老院議官で後に伯爵となった佐野常民(さの つねたみ)、同じく後に子爵となる桜井忠興(さくらい ただおき)らが、西南戦争時の1877年(明治10年)に熊本洋学校(くまもと ようがっこう)に設立した博愛社(はくあいしゃ)である。佐野らは、「戦争の悲惨な状況が拡大していること」に鑑みて、陸軍省に「敵味方の区別なく救護を行う」という赤十字の精神を発現する博愛社として、救護班を派遣することを願い出た。しかし、陸軍卿代行の西郷従道(明治維新の功労者西郷隆盛の実弟)は、「内戦は国家間戦争とは異なり、逆賊=犯罪者の救護は赤十字の救護とは言えないのではないか」と、その精神に理解を示せず、設立を許可しなかった。そこで、佐野らは元老院議長で征討総督の有栖川宮熾仁親王に直接、設立と救護班の派遣を願い出る。逆徒であるが天皇の臣民である敵方をも救護するその博愛の精神を熾仁親王は嘉し、中央に諮る事なく設立を認可した。ただ「敵味方ともに助ける」というその思想が一般兵士にまでは理解されず、反乱士族側と明治政府軍側の双方から攻撃もしくは妨害などを受け死者が出たと言われている。
日本赤十字社
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1887年(明治20年)前年、ジュネーブ条約に調印した日本政府の指針により博愛社を日本赤十字社と改称。特別社員および名誉社員制度を新設し、初代名誉総裁に小松宮彰仁親王が着任した。
なお、当時西欧の王室、皇室は赤十字活動に熱心であり、近代化を目指す日本の皇室でも昭憲皇太后(明治天皇皇后)が初代名誉総裁を務め積極的に活動に参加し、正式紋章「桐竹鳳凰赤十字章(とうちくほうおうせきじゅうじしょう)」[1]は、昭憲皇太后の宝冠のデザインを模倣して制作・制定された。同社の活動に際しては、華族や地方名望家がその指導的立場に就いた。また、当初、活動の本拠が置かれたのも、東京都千代田区の子爵桜井忠興邸であった。
1888年(明治21年)6月、支部設置を決定した他、有功章、社員章を制定した。全国に赤十字運動への理解と普及を目指す最中、1888年(明治21年)7月、福島県の磐梯山が巨大な水蒸気爆発により山体崩壊を招き、大災害を引き起こした。このため、当時国際紛争解決にむけた人道組織であった赤十字を、自然災害にも活用すべく政府に願い出た。赤十字として国際的にも例がない戦時以外の活動であったが、政府はこれを了承し、即時に救護班を現地へ派遣、救援活動を行った。
1894年(明治27年) - 1895年(明治28年)、日清戦争時には、初めて国際紛争の医療救護班を戦地に送り出した。この時、帝国陸軍近衛師団軍楽隊楽手でもあった加藤義清が出征する友人を見送りに駅に行った際、同じく大陸の戦地に向けて出発しようとしている日本赤十字社従軍看護婦達の凛々しい姿に強い感銘を受け、一夜で作詞したといわれている軍歌『婦人従軍歌』がある(従軍看護婦を唄った歌曲は世界的にも珍しく、同時に明治日本軍歌を代表する曲の一つに数えられている)。
1901年(明治34年)には明治天皇の名による勅令により「日本赤十字社条例」が設置され、「日本の陸軍大臣・海軍大臣の指定する範囲内において陸海軍の戦時衛生勤務を幇助すること」ができるようになった[13] [注釈 4]。
1904年(明治37年) - 1905年(明治38年)、日露戦争が起こると、日本赤十字社は旅順など満洲で投降したロシア人捕虜の人道的な待遇に尽力した。
1914年(大正3年) - 1918年(大正7年)、第一次世界大戦時には、連合国のフランス、イギリス、ロシアからの要請に応え、3カ国に国際救護班派遣を決定[15]。病院船「博愛」「弘済」の2隻が看護士を含む救護班を戦地に送った[16]。また、中国山東省の青島で捕虜となったドイツ人が、日赤の援助により人道的な待遇を受けた[注釈 5]。
1920年(大正9年)、第一次世界大戦終戦にともなう外務次官の要請により、在ウラジオストクのポーランド難民児童救済活動を行った[17][注釈 6]。
1934年(昭和9年)、第15回赤十字国際会議が東京で開催されているが、軍部の勢力が拡大するにつれ、日本赤十字社による戦争捕虜への援助が困難になった。
1938年(昭和13年) - 1945年(昭和20年)、日中戦争(支那事変)では宣戦布告なしの「事変」であったため、両軍はジュネーヴ条約を適用しなかった。
1941年(昭和16年) - 1945年(昭和20年)、大東亜戦争が勃発すると、赤十字救護班は積極的に戦地に赴き、多数の殉職者を出すこととなった。一方、日本軍が東南アジア方面で数十万人にのぼる欧米人(軍人、民間人を問わず)を収容所に収容したが、「国際赤十字委員会や日本赤十字社が積極的な救護活動をしなかった」として連合国側のマスメディアから非難があった。
戦後
大東亜戦争終結後、捕虜とともに民間人として現地に抑留された救護班は、収容された日本人に対する救護を行った。
敗戦直前の広島と長崎の原爆被害者に対して、国際赤十字委員会と日本赤十字社は積極的に救護を行い、現在でも、日本赤十字社は広島市と長崎市に原爆症患者を救護する病院を経営している。
また、連合国軍占領下の日本では、衛生状態が深刻な状態にあり、赤十字では駅などに救護所を設けて、病院内外での救護活動を活発に行った。
注釈
- ^ 2019年(令和元年)5月1日以降(皇太子妃不在のため)。
- ^ 名誉副総裁は、秋篠宮皇嗣妃・常陸宮・常陸宮妃・三笠宮妃・寬仁親王妃・高円宮妃の6人[10][2]。名誉副総裁の節を参照。
- ^ 北海道では市民が務めていたが、2024年6月1日付けで北海道知事が新支部長に就任した。
- ^ のちに、この「幇助することができる」との規定は、1910年(明治43年)の変更により「日本赤十字社は救護員を養成し救護材料を準備し陸軍大臣海軍大臣の定むる所に依り陸海軍の戦時衛生勤務を幇助す」と改められ、つまり「陸海軍の戦時衛生勤務を幇助する義務を負う」趣旨のものとなった[14]。
- ^ 獨逸学協会(Verein für deutsche Wissenschaften)を参照。
- ^ ポーランド第二共和国、元首ユゼフ・ピウスツキを参照。
- ^ 東京都渋谷区広尾の医療センターは本社直轄。
出典
- ^ a b 社紋ペンダント―明治20年、博愛社から日本赤十字社に改称するにあたって創定された社紋「桐竹鳳凰赤十字」。株式会社日赤サービス
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- ^ “アイドル衣装に赤十字マークは「違反」 国際条約で決められた厳しいルール”. J-CASTニュース (ジェイ・キャスト). (2016年11月30日) 2017年12月21日閲覧。
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- ^ 生成AIで関東大震災「新証言」を作成…「捏造」批判受け日赤の企画展中止 読売新聞 2023年9月3日
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