国王 現在の「国王」

国王

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/13 03:42 UTC 版)

現在の「国王」

近代では立憲君主制を採用する国が多く、そのような国では国王の役割は儀礼的なものとなってきているが、外交や公式・非公式な場での発言などによる政治的な影響力は大きい。

現在の国王等一覧

この一覧は、国際連合加盟国の国王または各国それぞれの称号を持つ君主の一覧であり、イスラム諸国におけるマリクスルターンなどを含む。君主であってもエンペラーと訳される天皇や、首長と訳されるアミール、また大公は記載せず、イギリスの君主が兼ねる、イギリス連邦諸国に関しては、イギリスをのぞいて記載しない。また、国家内の自治領・州等に存在する国王は含めない。順序は地域別の在位年数による。

アジア

即位年月日
ハサナル・ボルキア ブルネイ[注 2] 77歳 1967年10月4日 
ノロドム・シハモニ カンボジア 70歳 2004年10月29日
ジグミ・ケサル ブータン[注 3] 44歳 2006年12月14日
ラーマ10世 タイ 71歳 2016年10月13日
アブドゥラ マレーシア[注 4] 64歳 2019年1月31日

中東

即位年月日
ハイサム オマーン[注 2] 69歳 2020年1月11日
アブドゥッラー2世 ヨルダン 62歳 1999年2月7日 
ハマド バーレーン 73歳 1999年3月6日
サルマーン サウジアラビア 88歳 2015年1月23日 

ヨーロッパ

即位年月日
フレデリック10世  デンマーク 55歳 2024年1月14日
カール16世グスタフ  スウェーデン 77歳 1973年9月15日 
ハーラル5世  ノルウェー 87歳 1991年1月17日
ウィレム=アレクサンダー オランダ 56歳 2013年4月30日
フィリップ ベルギー 63歳 2013年7月21日
フェリペ6世 スペイン 56歳 2014年6月19日
チャールズ3世 イギリス
英連邦王国
75歳 2022年9月8日

アフリカ

即位年月日
ムスワティ3世 エスワティニ 55歳 1986年4月25日 
レツィエ3世 レソト 60歳 1996年2月7日
ムハンマド6世 モロッコ 60歳 1999年7月23日

オセアニア

即位年月日
トゥポウ6世 トンガ 64歳 2012年3月18日

イギリス

アルフレッド大王
イングランド七王国ウェセックス王 在位:871年 - 899年
ウェセックス王エゼルウルフの子
アングロ・サクソン時代最大の王。英国海軍の父と称される。
エリザベス1世
テューダー朝第5代イングランドアイルランドの女王(在位:1558年 - 1603年
国王ヘンリー8世の次女。ジェームズ1世(6世)の母。
1588年スペイン無敵艦隊に対して勝利した。治世中は、ウィリアム・シェイクスピアクリストファー・マーロウといった劇作家によるイギリス・ルネサンス演劇や、フランシス・ドレークジョン・ホーキンスなど航海士たちが活躍したエリザベス時代として知られる。
メアリー・スチュアート
スコットランド女王 在位:1542年12月14日 - 1567年7月24日 フランス王妃
スコットランド王ジェームズ5世の長女。
反ボスウェル派の貴族たちが軍に投降し廃位された。バビントン事件の裁判ではメアリーが関与した証拠が提示され、有罪・死刑となり処刑された。しかし彼女の子ジェームズはスコットランド王・イングランド王となり以後の両国王、グレートブリテン王、連合王国の王は、すべてメアリーの直系子孫となった。
ジェームズ1世(6世
スコットランドイングランドアイルランドの王。在位:1567年7月29日 - 1625年3月27日
スコットランド女王メアリーの子。曽祖叔父にイングランド王ヘンリー8世チャールズ1世の父。ハノーヴァー朝の祖ジョージ1世の曽祖父。
1歳1ヶ月でスコットランド王位に就く。『自由なる君主国の真の法』(1598年)という論文を書いて王権神授説を唱えた。1603年には同君連合でイングランド王になり以後イングランドとスコットランドは、1707年に合同してグレートブリテン王国となるまで、共通の王と異なる政府・議会を持つ同君連合体制をとることとなる。イングランド国教会以外のカトリック清教徒の両極を排除する宗教弾圧を行った。「グレートブリテン王」(King of Great Britain)と自称し、新しい硬貨「ユナイト」(the Unite)を発行してイングランドとスコットランドの両国に通用させた。イングランドのセント・ジョージ・クロスとスコットランドのセント・アンドリュー・クロスを重ね合せたユニオン・フラッグを1606年4月12日に制定した。
チャールズ1世
イングランドスコットランドアイルランドの王(在位:1625年 - 1649年
ジェームズ6世の次男。チャールズ2世ジェームズ2世の父。
父同様に王権神授説を信奉し、「権利の請願」に一旦は請願受託の署名を行うが、翌年議会を解散、議会の指導者を投獄し、専制政治を行った。国教統一に乗り出し、ピューリタン弾圧した。スコットランドにも国教を強制するにおよんで、各地に反乱が起きた。特にカルヴァン派の民衆が反乱に立ち上がった。反乱鎮圧のための戦費を得る目的で11年ぶりに議会を招集し、船舶税で賄おうとした(短期議会長期議会)。反国王派の議員を逮捕に踏み切ったことで議会派と王党派の内戦が勃発した(イングランド内戦)。オリヴァー・クロムウェル率いる鉄騎隊の活躍により、王党派が各地で打ち破られピューリタン革命が起こった。チャールズ1世は処刑されイングランド共和国共和制)が樹立された。
チャールズ2世
王政復古ステュアート朝イングランドスコットランドアイルランドの王(在位:1660年5月29日 - 1685年2月6日)
チャールズ1世の子。ダイアナ妃の祖先。
ピューリタン革命のためフランスに亡命。クロムウェルの死後、共和国は混乱し1660年3月16日イングランド議会を解散、チャールズら王党派と連絡を取り復帰を要請。王政復古となりイングランド王となった。
ジェームズ2世(7世)
イングランドスコットランドアイルランドの王 在位:1685年2月6日 - 1688年
チャールズ1世の子。フランスアンリ4世の孫。メアリー2世アン女王老僭王ジェームズの父。ダイアナ妃の祖先。
イングランド人が好んでいなかったカトリックを信仰し宗教弾圧も決行、長老派教会カヴェナンターを弾圧している(殺戮時代)。カトリック信徒が高位公職につくことを許し、反カトリックの急先鋒の一人ヘンリー・コンプトンをはじめ、要職にあった国教会信仰の者を免職しはじめた。に信仰自由宣言を発し、カトリック及び非国教会プロテスタントへの制限・処罰を停止した。更にオックスフォード大学クライストチャーチおよびユニバーシティ・カレッジでも国教会信徒からカトリックへ要職・研究者職のすげ替えを行った。この頃イギリスに誕生したトーリー党ホイッグ党は猛反対し、1688年廃位された(名誉革命)。
ヴィクトリア
ハノーヴァー朝の第6代女王(在位:1837年6月20日 - 1901年1月22日
3代国王ジョージ3世の孫。エドワード7世ドイツ皇后ヴィクトリア、 ヘッセン大公アリスの母。女王エリザベス2世高祖母
世界各地を植民地化し大英帝国の黄金時代を現出した。その治世はヴィクトリア時代と呼ばれる。

  1. ^ が「王」を名乗ることがあったが、文明外の蛮族を称するようなものと見なされた。
  2. ^ a b 正確には国王ではなくスルターン
  3. ^ ブータンは国王の称号を「ドゥルック・ギャルポ(雷竜王)」と称する。
  4. ^ マレーシア国王は国内九州のスルターンによる互選制であり、称号はアゴン






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