イサベル・デ・ボルボンとは? わかりやすく解説

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イサベル・デ・ボルボン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/07 14:18 UTC 版)

イサベル・デ・ボルボン
Isabel de Borbón
スペイン王妃
ポルトガル王妃
在位 スペイン王妃:
1621年3月31日 - 1644年10月6日
ポルトガル王妃:
1621年3月31日 - 1640年12月1日
別称号 シチリア王妃、ナポリ王妃

出生 1602年11月22日
フランス王国フォンテーヌブロー
死去 (1644-10-06) 1644年10月6日(41歳没)
スペイン帝国マドリード
埋葬 スペイン帝国エル・エスコリアル修道院
結婚 1615年11月25日 ブルゴス大聖堂
配偶者 スペインフェリペ4世
子女
家名 フランス・ブルボン家
父親 フランスアンリ4世
母親 マリー・ド・メディシス
宗教 ローマ・カトリック
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イサベル・デ・ボルボン(Isabel de Borbón, 1602年11月22日 - 1644年10月6日)は、スペインフェリペ4世の最初の王妃。フランス語名ではエリザベート・ド・フランス(Élisabeth de France)またはエリザベート・ド・ブルボン(Élisabeth de Bourbon)と呼ばれた。

生涯

フランスアンリ4世と王妃マリー・ド・メディシスの長女(第2子)としてフォンテーヌブローで生まれた。フェリペとの政略結婚は、カトリック二大勢力であるフランス・スペインの政治的同盟の証として伝統的におこなわれたものである。この伝統は、カトー=カンブレジの和議フェリペ2世エリザベート・ド・ヴァロワが結婚して以来続いていた。2人には7子が生まれたが、5人は幼児のうちに早世し、アストゥリアス公バルタサール・カルロスと末子マリア・テレサのみが成長した。しかしイサベルの死後、バルタザール・カルロスも逝去した。

  • マリア・マルガレータ(1621年 夭折)
  • マルガリータ・マリア・カタリーナ(1623年 夭折)
  • マリア・エウヘニア(1625年 - 1627年)
  • イサベル・マリア・テレサ(1627年 夭折)
  • バルタサール・カルロス(1629年 - 1646年) - アストゥリアス公
  • マリア・アナ・アントニア(1636年 夭折)
  • マリア・テレサ(1638年 - 1683年) - フランス王ルイ14世




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