マリア・イサベル・デ・ブラガンサとは? わかりやすく解説

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マリア・イサベル・デ・ブラガンサ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/09/15 06:36 UTC 版)

マリア・イサベル・デ・ブラガンサ
María Isabel de Braganza
スペイン王妃
在位 1816年9月29日 - 1818年12月26日

出生 1797年5月19日
ポルトガル王国ケルス宮殿
死去 (1818-12-26) 1818年12月26日(21歳没)
スペイン帝国アランフエス
埋葬 スペイン帝国エル・エスコリアル修道院
結婚 1816年9月29日
配偶者 スペインフェルナンド7世
子女 マリア・ルイサ・イサベル
家名 ブラガンサ家
父親 ポルトガルジョアン6世
母親 カルロッタ・ジョアキナ・デ・ボルボン
宗教 ローマ・カトリック
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マリア・イサベル・デ・ブラガンサ・イ・ボルボン(María Isabel de Braganza y Borbón, 1797年5月19日 - 1818年12月26日)は、スペインフェルナンド7世の2度目の王妃。

生涯

ポルトガルジョアン6世と王妃カルロッタ・ジョアキナの次女(第3子)として、クエルズ宮殿で生まれた。弟にブラジル皇帝ペドロ1世、ポルトガル廃王ミゲル1世がある。

1816年に、母方の叔父であるフェルナンドの後添えとなり、1817年8月に王女マリア・ルイサ・イサベルが生まれたが、4月後の1818年に夭折した[1]

マリア・イサベルは1818年に再び懐妊したが、難産となった。分娩中に胎児が動かず、内科医は体内で死亡したと考えた。マリア・イサベルの呼吸がその後停止したため、医師たちは王妃が亡くなったと勘違いしてしまった。開腹手術で死んだ胎児を取り出そうとすると、彼女は突然激痛で叫び、大量出血してベッドに倒れ込んだ。

王は後継者を得られないまま王妃を亡くし、エル・エスコリアル修道院に葬った。

プラド美術館に、マリア・イサベルの彫像が所蔵されている。

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