マリア・アナ・デ・ブラガンサ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/13 02:38 UTC 版)
マリア・アナ・デ・ブラガンサ Maria Ana de Bragança |
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ザクセン王妃 | |
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出生 | 1843年8月21日![]() |
死去 | 1884年2月5日(40歳没)![]() |
埋葬 | ![]() |
配偶者 | ザクセン王ゲオルク |
子女 | マリー・ヨハンナ エリーザベト マティルデ フリードリヒ・アウグスト マリア・ヨーゼファ ヨハン・ゲオルク マクシミリアン アルブレヒト |
家名 | ブラガンサ家 |
父親 | フェルナンド2世 |
母親 | ポルトガル女王マリア2世 |
マリア・アナ・デ・ブラガンサ(ポルトガル語: Maria Ana de Bragança, 1843年8月21日 - 1884年2月5日)は、ザクセン王ゲオルクの妃。ドイツ語名はマリア・アンナ・フォン・ポルトゥガル(Maria Anna von Portugal)。
生涯
ポルトガル女王マリア2世とその王配フェルナンド2世の娘として、リスボンで生まれた。
1859年5月11日、ベレン宮殿でザクセン王ヨハンの次男であるゲオルクと結婚した。2人の間には8子が生まれた。
- マリー・ヨハンナ(1860年 - 1861年)
- エリーザベト(1862年 - 1863年)
- マティルデ(1863年 - 1933年)
- フリードリヒ・アウグスト(1865年 - 1932年) - ザクセン王。
- マリア・ヨーゼファ(1867年 - 1944年) - オーストリア大公オットー・フランツ妃。オーストリア皇帝カール1世の母。
- ヨハン・ゲオルク(1869年 - 1938年)
- マクシミリアン(1870年 - 1951年)
- アルブレヒト(1875年 - 1900年)
夫が次男であったため、王位が回ってくることはないと思われていたが、夫の兄アルブレヒトと王妃カロラの間に子供がなかったため、1902年にゲオルクが即位した。1904年に長子フリードリヒ・アウグストが王位についた。
固有名詞の分類
ザクセンの后妃 |
アマーリエ・アウグステ・フォン・バイエルン マリア・アナ・デ・ブラガンサ クネグンダ・ウォキェトクヴナ マティルダ・オブ・イングランド マリア・アントーニア・フォン・バイエルン |
ポルトガルの王族 |
マリア・アナ・デ・ブラガンサ マリア・フランシスカ・ベネディタ・デ・ブラガンサ マリア・イサベル・デ・ブラガンサ マリア・フランシスカ・デ・アシス・デ・ブラガンサ バルバラ・デ・ブラガンサ |
ブラガンサ=コブルゴ家 |
マリア・アナ・デ・ブラガンサ アントニア・マリア・フォン・ポルトゥガル |
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