アマーリエ・アウグステ・フォン・バイエルンとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 固有名詞の種類 > 人名 > 実業家 > 貴族 > ヴィッテルスバッハ家 > アマーリエ・アウグステ・フォン・バイエルンの意味・解説 

アマーリエ・アウグステ・フォン・バイエルン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/27 17:32 UTC 版)

アマーリエ・アウグステ
Amalie Auguste
ザクセン王妃
在位 1854年8月9日 - 1873年10月23日
別称号 バイエルン王女

出生 (1801-11-13) 1801年11月13日
神聖ローマ帝国
バイエルン選帝侯領
ミュンヘン
死去 (1877-11-08) 1877年11月8日(75歳没)
ドイツ帝国
ザクセン王国
ドレスデン
埋葬 ドイツ帝国
ザクセン王国
ドレスデンカトリック宮廷教会(聖三位一体大聖堂)
結婚 1822年11月21日 ドレスデン
配偶者 ザクセン王ヨハン
子女 一覧参照
家名 ヴィッテルスバッハ家
父親 マクシミリアン1世
母親 カロリーネ・フォン・バーデン
テンプレートを表示

アマーリエ・アウグステ・フォン・バイエルンドイツ語: Amalie Auguste von Bayern, 1801年11月13日 - 1877年11月8日)は、バイエルン王国の王族。バイエルン王マクシミリアン1世の五女で、ザクセン王ヨハンの妃となった。

生涯

1801年11月13日バイエルン選帝侯マクシミリアン4世ヨーゼフ(後のバイエルン王マクシミリアン1世)とその2度目の妃であったバーデン=ドゥルラハ辺境伯世子カール・ルートヴィヒの娘カロリーネの間に次女としてミュンヘンで生まれた。なお姉のエリーザベトプロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム4世妃)とは双子であった。

アマーリエ・アウグステは1822年11月21日ドレスデンでザクセン王子ヨハンと結婚し、1854年に夫の即位により王妃となった。なお、妹マリア・アンナはヨハンの兄で先代の王フリードリヒ・アウグスト2世の後妻、また父方の伯母アマーリエは初代ザクセン王フリードリヒ・アウグスト1世の妃であった。

1877年11月8日、アマーリエ・アウグステはドレスデンで死去した。墓所は当地のカトリック宮廷教会(聖三位一体大聖堂)にある。

子女

夫であるザクセン王ヨハンとの間には、以下の3男6女をもうけた。

先代
マリア・アンナ
ザクセン王妃
1854年 - 1873年
次代
カロラ・ヴァーサ




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「アマーリエ・アウグステ・フォン・バイエルン」の関連用語

アマーリエ・アウグステ・フォン・バイエルンのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



アマーリエ・アウグステ・フォン・バイエルンのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのアマーリエ・アウグステ・フォン・バイエルン (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS