カロラ・ヴァーサとは? わかりやすく解説

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カロラ・ヴァーサ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/13 02:39 UTC 版)

カロラ・ヴァーサ / カロリーネ・フォン・ヴァーサ
Carola Vasa / Caroline von Wasa
ザクセン王妃
カロラ王妃(1902年)
在位 1873年10月29日 - 1902年6月19日

出生 (1833-08-05) 1833年8月5日
オーストリア帝国
ウィーン
死去 (1907-12-15) 1907年12月15日(74歳没)
ドイツ帝国
ザクセン王国
ドレスデン
埋葬 ドイツ帝国
ザクセン王国
ドレスデン
カトリック宮廷教会
結婚 1853年6月18日
ドレスデン
配偶者 ザクセンアルブレヒト
家名 ホルシュタイン=ゴットルプ家
父親 スウェーデン王太子グスタフ
母親 ルイーゼ・フォン・バーデン
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カロラ・ヴァーサスウェーデン語Carola Vasa, 1833年8月5日 - 1907年12月15日)は、ザクセン王アルブレヒトの王妃。ドイツ語名で全名はカロリーネ・フリーデリケ・フランツィスカ・シュテファニー・アマーリエ・ツェツィーリエ・フォン・ヴァーサ=ホルシュタイン=ゴットルプ(Caroline Friederike Franziska Stephanie Amalie Cecilie von Wasa-Holstein-Gottorp)。

生涯

スウェーデンの元王太子グスタフと妻ルイーゼ・フォン・バーデンの一人娘として、シェーンブルン宮殿で生まれた。父はオーストリアの軍人で、皇帝フランツ1世からヴァーサ公の称号を与えられていた。カロラは廃位されたグスタフ4世アドルフと王妃フリーデリケの孫にあたる。

1850年代初め、カロラはヨーロッパで美しい姫君として知られていた。花嫁を探していたフランス皇帝ナポレオン3世も、彼女を候補にしていた。カロラは母方の祖母ステファニー・ド・ボアルネを通じて、ボナパルト家とつながりがあった。父グスタフは、フランス帝政の危うさからこの縁談に反対し、婚約は成立しなかった。

1852年、父の願いに反し、カロラはカトリックに改宗した。1853年6月、カロラはザクセン王太子アルブレヒトと結婚した。2人には子供がなく、ザクセンの王位はアルブレヒトの弟ゲオルクへ継承された。カロラは、母方の従兄の息子バーデン大公フリードリヒ2世、同じく母方の従兄にあたるルーマニア王カロル1世と親しく交流した。

先代
アマーリエ・アウグステ
ザクセン王妃
1873年 - 1902年
次代




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