ズデンカ・ス・ポジェブラトとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 固有名詞の種類 > 人名 > 政治家 > 后妃 > ザクセンの后妃 > ズデンカ・ス・ポジェブラトの意味・解説 

ズデンカ・ス・ポジェブラト

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/14 00:43 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
ズデンカ・ス・ポジェブラト
Zdenka z Poděbrad
ズデンカと夫のアルブレヒト勇敢公

称号 ザクセン公妃
出生 1449年11月11日
ボヘミア王国、ポジェブラディ
死去 (1510-02-01) 1510年2月1日(60歳没)
神聖ローマ帝国ザクセン選帝侯領タラント英語版
埋葬 神聖ローマ帝国ザクセン選帝侯領、マイセン大聖堂
配偶者 ザクセン公アルブレヒト3世
家名 ポジェブラト家
父親 ボヘミアイジー・ス・ポジェブラト
母親 クンフタ・ゼ・シュテルンベルカ
テンプレートを表示

ズデンカゼデナ・ス・ポジェブラトチェコ語: Zdenka(Zedena) z Poděbrad, 1449年11月14日 - 1510年2月1日)は、ボヘミアイジー・ス・ポジェブラトの娘で、ザクセン公アルブレヒト3世(勇敢公)の妃。ドイツ語名はジドーニエ・フォン・ベーメン:Sidonie von Böhmen)。

生涯

ズデンカはボヘミアのフス派貴族の領袖イジー・ス・ポジェブラトと、その最初の妻クンフタ・ゼ・シュテルンベルカの間の末娘として生まれた。双子の片割れとして生まれ、母クンフタはこの時の難産で亡くなった。双子の姉カテジナは、ハンガリーマーチャーシュ1世と結婚した。父は1458年にボヘミア王に選出されると、娘達の政略結婚の相手を探し始めた。1459年11月11日、ズデンカとザクセン選帝侯フリードリヒ2世の息子アルブレヒト勇敢公の婚約が成立し、2人は1464年5月11日に結婚した。結婚から半年後、夫アルブレヒトが父の後を継いでザクセン公となったのに伴い、ズデンカもザクセン公爵夫人となった。

ズデンカは実家がフス派でありながら非常に敬虔なカトリック信徒で、争いごとをひどく嫌い、夫がフローニンゲンフリースラントに遠征を行った時には同行することを拒んだ。夫と一時的に別居している間、ズデンカはアルブレヒツブルクで子供達を育てた。1500年に夫が死ぬとズデンカはザクセン宮廷を退き、1510年に亡くなるまでタラントで余生を送った。

子女

夫との間に9人の子女をもうけたが、成長したのは以下の4人だけである。





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ズデンカ・ス・ポジェブラト」の関連用語

ズデンカ・ス・ポジェブラトのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ズデンカ・ス・ポジェブラトのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのズデンカ・ス・ポジェブラト (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS