エーリヒ1世_(ブラウンシュヴァイク=カレンベルク=ゲッティンゲン公)とは? わかりやすく解説

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エーリヒ1世 (ブラウンシュヴァイク=カレンベルク=ゲッティンゲン公)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/03 01:27 UTC 版)

エーリヒ1世
Erich I.
ブラウンシュヴァイク=リューネブルク
エーリヒ1世と2番目の妻エリーザベト(1530年)
在位 1491年 - 1540年

出生 (1470-02-16) 1470年2月16日
死去 (1540-07-30) 1540年7月30日(70歳没)
配偶者 カタリーナ・フォン・ザクセン
  エリーザベト・フォン・ブランデンブルク
子女 エリーザベト
エーリヒ2世
アンナ・マリア
カタリーナ
家名 ブラウンシュヴァイク=リューネブルク家
父親 ヴォルフェンビュッテル侯ヴィルヘルム2世
母親 エリーザベト・ツー・シュトルベルク
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エーリヒ1世(Erich I., 1470年2月16日 - 1540年7月30日)は、ブラウンシュヴァイク=リューネブルクの1人で、カレンベルクゲッティンゲン侯(在位:1494年 - 1540年)。ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテルヴィルヘルム2世とエリーザベト・ツー・シュトルベルクの次男で、ヴォルフェンビュッテル侯ハインリヒ1世の弟。

生涯

1491年に父が退位、領土を兄のハインリヒ1世と共同統治していたが、1494年(1495年とも)に領土を分割、エーリヒ1世はカレンベルク及びゲッティンゲンの領主になった。その後は神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世に軍人として仕え、オスマン帝国と戦い、イタリアフランスとの戦争にも参戦、ランツフート継承戦争にも従軍して1504年レーゲンスブルクでマクシミリアン1世の危機を救い、クーフシュタインでは皇帝を説得して捕虜の処刑を中止させた。

1519年に兄の後を継いだ甥のハインリヒ2世ヒルデスハイム司教が領土を巡って衝突、エーリヒ1世はハインリヒ2世に加勢したが、同族のリューネブルクハインリヒ1世がヒルデスハイム司教の援軍として出陣、敗れたエーリヒ1世は捕虜となるが、神聖ローマ皇帝カール5世によってエーリヒ1世は釈放され、ハインリヒ1世はフランスに亡命した。ヒルデスハイム司教とは1523年に和睦、多くの領土を獲得した。

1527年ダッセル(現在のニーダーザクセン州ノルトハイム郡)に城の建造に取り掛かった。1528年に2番目の妻エリーザベトが息子エーリヒを産んだので、その子にちなんでエーリヒスブルク城と名づけられ、1530年に完成した。また、ハノーファーに射撃祭(シュッツェンフェスト)を行うことを許可した。この行事は現在も続いている。宗教改革が始まった時期はプロテスタントに同情的で、エーリヒ1世はカトリックのままだったが、エリーザベトはプロテスタントに改宗した。

1540年、アグノーで死去。一人息子のエーリヒが後を継いだ。

クーフシュタイン城の捕虜の処刑を取りやめるようマクシミリアン1世に説得するエーリヒ1世。マクシミリアン1世はレーゲンスブルクでエーリヒ1世に助けられていたので、処刑は中止になった
(1504年)
エーリヒスブルク城、メーリアン
(1650年)

子女

1497年ザクセンアルブレヒト3世の娘カタリーナと結婚したが、1524年に死別。子供はいない。

1525年ブランデンブルク選帝侯ヨアヒム1世の娘エリーザベトと再婚、3人の子を儲けた。

  1. エリーザベト(1526年 - 1556年) - ヘンネベルク伯ゲオルク・エルンストと結婚。
  2. エーリヒ2世(1528年 - 1584年)
  3. アンナ・マリア(1532年 - 1568年) - プロイセン公アルブレヒトと結婚。
  4. カタリーナ(1534年 - 1559年) - ヴィルヘルム・フォン・ローゼンベルクと結婚。
爵位・家督
先代
ヴィルヘルム2世
カレンベルクゲッティンゲン
1494年 - 1540年
次代
エーリヒ2世



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