エーリヒ1世 (メクレンブルク公)とは? わかりやすく解説

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エーリヒ1世 (メクレンブルク公)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/29 03:04 UTC 版)

エーリヒ1世
配偶者 ゾフィー・フォン・ポンメルン=ヴォルガスト
家名 メクレンブルク家
父親 アルブレヒト3世
母親 リヒャルディス・フォン・シュヴェリーン
出生 1359年以降、1365年?
死亡 1397年7月26日(1397-07-26)
クリンテハムン(ヴィスビューの南)[1]
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エーリヒ1世 (ドイツ語: Erich I. 1359年以降(1365年?) – 1397年7月26日) は、メクレンブルク公(父アルブレヒト3世との共同公)。スウェーデン王太子の座にいたこともあった[2]

生涯

家族

エーリヒは、メクレンブルク家のアルブレヒト(後のスウェーデン王アルブレクト、メクレンブルク公)と、シュヴェリーン伯オットー1世の娘リヒャルディス・フォン・シュヴェリーンの間の長男として生まれた。

エーリヒは1396年2月12日もしくは13日に、ポンメルン=ヴォルガスト公ボギスラフ6世の娘ゾフィーと結婚した。二人の間に子供はできなかった。

エーリヒ1世もしくは父アルブレクトのものと伝わる肖像画。エーリヒ1世説の根拠は、画の主題の年代や、首にゴットランドのシンボルがかかっていることが挙げられる。

スウェーデンをめぐる戦い

1364年以降、父アルブレクトはスウェーデン王の座にあった。しかし1389年、デンマークの摂政マルグレーテ1世がスウェーデンに介入し、ファルシェーピング付近でのÅsleの戦いでアルブレクトを破った。アルブレクトとエーリヒは捕虜となった。リューベック市の指導者ヒンリッヒ・ヴェストフやヨハン・ニーブルらによる3年にわたる交渉の末、父子は1395年に釈放された。

ゴットランド再征服

その後、アルブレクトはエーリヒにゴットランドの再征服を命じた。1396年夏、エーリヒは軍勢を率いてゴットランドに上陸し、スヴェン・ストゥーレを破ってアルブレクトに忠誠を誓わせた[3]。一方でスカンディナヴィアでは1397年にカルマル同盟が成立し、デンマーク、ノルウェー、スウェーデンの3王国がマルグレーテ1世の支配下となった。

ヴィスビュー大聖堂

公と呼ばれるようになったエーリヒは、1397年、ヴィスビューの南のクリンテハムンにあるLandeskroneもしくはKronvallという自領で、ペストにより死去した[1]。彼の遺体は聖マリア教会(ヴィスビュー大聖堂)に葬られ、現在でも墓石の一部を見ることができる[4]

脚注

  1. ^ a b Starbäck. “Berättelser ur svenska historien”. www.Runeberg.org. Project Runeberg. p. 27. 2019年1月13日閲覧。
  2. ^ Nordman, Viljo Adolf in Albrecht Herzog von Mecklenburg König von Schweden, Suomalaisen Tiedeakatemian Tuomituksia B:44:1, Suomalaisen Tiedeakatemia, Helsinki 1939 p. 336.
  3. ^ see: Puhle, p. 93 and Bracker, 2003, p. 24 and Hanse Records I 4 Nr. 438, §4, p. 416
  4. ^ Article (in Swedish) at guteinfo.com

参考文献

  • Jörgen Bracker: Klaus Störtebeker – Nur einer von ihnen. Die Geschichte der Vitalienbrüder, in: Ralf Wiechmann: Klaus Störtebecker: ein Mythos wird entschlüsselt, Fink, Paderborn/München, 2003, ISBN 3-7705-3837-4, pp. 9–59
  • Matthias Puhle: Die Vitalienbrüder: Klaus Stortebeker und die Seeräuber der Hansezeit, 2d ed., Campus Verlag, Frankfurt am Main, 1994, ISBN 3-593-34525-0

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