マリア・アンナ・フォン・バイエルン_(1805-1877)とは? わかりやすく解説

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マリア・アンナ・フォン・バイエルン (1805-1877)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/08 04:27 UTC 版)

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マリア・アンナ・フォン・バイエルン
Maria Anna von Bayern
ザクセン王妃
在位 1836年6月6日 - 1854年8月9日

出生 (1805-01-27) 1805年1月27日
神聖ローマ帝国
バイエルン選帝侯領ミュンヘン
死去 (1877-09-13) 1877年9月13日(72歳没)
ドイツ帝国
ザクセン王国、ヴァッハヴィッツ
埋葬 ドイツ帝国
ザクセン王国ドレスデン、カトリック宮廷教会(聖三位一体大聖堂)
配偶者 ザクセン王フリードリヒ・アウグスト2世
家名 ヴィッテルスバッハ家
父親 バイエルンマクシミリアン1世
母親 カロリーネ・フォン・バーデン
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マリア・アンナ・フォン・バイエルン(Maria Anna von Bayern, 1805年1月27日 - 1877年9月13日)は、バイエルン王国の王族。全名はマリア・アンナ・レオポルディーネ・エリーザベト・ヴィルヘルミーネMaria Anna Leopoldine Elisabeth Wilhelmine)。バイエルン王マクシミリアン1世の王女で、ザクセン王フリードリヒ・アウグスト2世の2人目の王妃となった。

生涯

1805年1月27日バイエルン選帝侯マクシミリアン4世ヨーゼフ(後のバイエルン王マクシミリアン1世)と、その2人目の妃であったバーデン大公世子カール・ルートヴィヒの娘カロリーネの間にミュンヘンで生まれた。オーストリア大公フランツ・カールの妃となりフランツ・ヨーゼフ1世を生んだゾフィーとは双子の姉妹である。

1833年4月24日ドレスデンでザクセン王子フリードリヒ・アウグスト(後のフリードリヒ・アウグスト2世)と結婚し、1836年に夫が即位すると王妃となった。2人の間に子供はなく、1854年に夫が没すると、その弟でマリア・アンナの姉アマーリエ・アウグステの夫であったヨハンが王位を継いだ。

1877年9月13日、マリア・アンナはドレスデン近くのヴァッハヴィッツで死去した。墓所はドレスデンのカトリック宮廷教会(聖三位一体大聖堂)にある。

先代:
マリア・テレジア・ヨーゼファ
ザクセン王妃
1836年 - 1854年
次代:
アマーリエ・アウグス



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