エリーザベト・ルドヴィカ・フォン・バイエルンとは? わかりやすく解説

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エリーザベト・ルドヴィカ・フォン・バイエルン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/03 19:52 UTC 版)

エリーザベト・ルドヴィカ・フォン・バイエルン
Elisabeth Ludovika von Bayern
プロイセン王妃
在位 1840年6月7日 - 1861年1月2日

出生 1801年11月13日
神聖ローマ帝国
バイエルン選帝侯領ミュンヘン
死去 (1873-12-14) 1873年12月14日(72歳没)
ドイツ帝国
ザクセン王国ドレスデン
埋葬 1873年12月21日
ドイツ帝国
プロイセン王国ポツダム、サンスーシ公園
結婚 1823年11月29日
配偶者 プロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム4世
家名 ヴィッテルスバッハ家
父親 バイエルン王マクシミリアン1世
母親 カロリーネ・フォン・バーデン
宗教 カトリックプロテスタント
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エリーザベト・ルドヴィカ・フォン・バイエルンドイツ語: Elisabeth Ludovika von Bayern, 1801年11月13日 - 1873年12月14日)は、プロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム4世の妃。

生涯

バイエルン王マクシミリアン1世とその2度目の妃カロリーネ・フォン・バーデンの間に生まれる。双子の姉妹にザクセン王アマーリエ・アウグステがいる。

1823年に再従兄(祖母同士が姉妹)のプロイセン王太子フリードリヒ・ヴィルヘルムと結婚したが、その際にカトリックからプロテスタントに改宗している。

2人の間に子は生まれず、フリードリヒ・ヴィルヘルムの死後は弟ヴィルヘルム1世がプロイセン王位を継承し、のちにドイツ皇帝となった。

先代
ルイーゼ
プロイセン王妃
1840年 - 1861年
次代
アウグスタ




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