国王と議会のパリ移動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 08:10 UTC 版)
「フランス革命」の記事における「国王と議会のパリ移動」の解説
7月14日前後からパンの値段が異常に値上がりした。これは商人の買い占めによるものだった。10月5日にパリの婦人の一団がパンを要求しにベルサイユへ行き国民議会に押し入り、国民衛兵と武装した男性たちもベルサイユに集まった(ベルサイユ行進)。10月6日の朝、近衛兵が発砲し一人が死ぬと、群衆は怒って王妃の部屋に乱入した。群衆は国王が出てくることを望み、国王一家と国民議会はパリに移転することに決まった。国王は宮廷貴族から切り離されて軟禁状態に置かれた。国王が連れ去られると、まだ残っていた宮廷貴族が亡命を始めた。ムーニエを初めとして貴族議員の200人や貴族将校も亡命した。 しかし食料不足は解決せず、小規模な暴動がたびたび起こったが、国民議会と国民衛兵によって鎮圧された。首謀者は処罰・処刑され秩序が回復された。 ベルサイユ行進は宮廷貴族の残存勢力に決定的な打撃を与え、国王を人質に取った国民議会の権力を全国に及ぼすこととなった。
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