国王の介入
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/22 01:10 UTC 版)
「プロイセン王立造兵廠」の記事における「国王の介入」の解説
まず倹約家の軍人王が自ら介入した。工廠の創設者として国王はマスケット銃1丁の価格を7ターラー12グロッシェンと定めたが、それから6ターラー19グロッシェンしか支払わなかった。需要がほとんど満たされた後、注文は減少した上、王は価格を6ターラーに抑えようとする。価格に関するこの強要は、ただでさえすでに国主の軍備・臨戦態勢に依存している生産状況をさらに深刻化させた。経営陣がこれを受けて全ての計画からの撤退を表明すると、国王は最終的に6ターラー12グロッシェンを支払う準備があると宣言している。 他にも著しい生産停止やコスト増大に繋がったシュレーズィエン産の鉄の利用や、30,000ターラーの損失を招いた人事問題への介入、国が任じた長官や武器監査委員会(Gewehr-Revisionskommission)の設置といった干渉が行われた。 約束されたプロイセンにおける唯一の兵器製造業者という地位も1815年、プロイセン王立ザールン工廠(ドイツ語版)の設立によって侵害された。 この段階的な特権剥奪とともに重商主義的政策の放棄も行われ、最終的に1850年、国による賃貸借契約の解約に至る。経営陣は政治状況の変化に対応し、42,000ターラーの補償金を受け取った。
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