哱拝の乱
哱拝の乱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/21 06:42 UTC 版)
万暦20年(1592年)2月、嘉靖年間末に明に降り、功を重ねて将に取り立てられていたモンゴル人の哱拝(ボハイ)(中国語版)が、巡撫との不和から寧夏城で離反し、オルドス部の部族長ジョリクトゥと同盟して陝西一帯を席巻した事件。朝廷は翌月に討伐軍を派遣し、6月に総督の魏学曽(中国語版)が寧夏城を包囲してオルドスとの連絡を遮断、9月には城内の内紛に乗じて寧夏城を陥落させた。哱拝は自害した。
※この「哱拝の乱」の解説は、「万暦の三征」の解説の一部です。
「哱拝の乱」を含む「万暦の三征」の記事については、「万暦の三征」の概要を参照ください。
- 哱拝の乱のページへのリンク