国王
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/13 03:42 UTC 版)
スペイン
- トラスタマラ朝のカスティーリャ女王(在位:1474年 - 1504年)
- カスティーリャ=レオン王国の王フアン2世の子、ポルトガル王ジョアン1世の曾孫。イングランドとアイルランドの女王メアリー1世の祖母。
- 夫フェルナンド2世との結婚によりカスティーリャ=アラゴン連合王国、すなわちスペイン王国(イスパニア王国)が誕生。カトリック両王と称される。また、コロンブスの新大陸進出に援助を与えた。
- フェリペ2世
- ハプスブルク家のカスティーリャ王国・アラゴン王国の国王(在位:1556年 - 1598年)。イングランド女王メアリー1世と結婚期間中、共同統治者としていた。また1580年からは、ポルトガル国王も兼ねた。
- 神聖ローマ皇帝スペイン王カール5世(カルロス1世)の子。ポルトガル王マヌエル1世の孫。フェリペ3世の父。
- スペイン黄金世紀の最盛期に君臨し「太陽の沈まない国」と形容された。しかし「無敵艦隊」擁した対英戦争に破れスペインは傾いていった。
- フェリペ5世
- スペイン・ブルボン朝最初の国王 在位:1700年 - 1724年、1724年 - 1746年
- フランス国王ルイ14世の孫。ルイス1世・フェルナンド6世・カルロス3世の父。カルロス4世・両シチリア王フェルディナンド1世・ポルトガル女王マリア1世の祖父。
- スペイン継承戦争の末、ユトレヒト条約により即位する。
ドイツ
神聖ローマ帝国
- ハインリッヒ4世
- ザーリアー朝第3代皇帝 在位:1056年 - 1105年
- ローマ皇帝ハインリヒ3世の長男。ハインリヒ5世の父。
- 教皇グレゴリウス7世に破門にされ許しを乞うはめになる(カノッサの屈辱)。
- フェルディナント2世
- 在位:1619年 - 1637年、オーストリア大公、ボヘミア王、ハンガリー王。
- 神聖ローマ皇帝フェルディナント1世の孫。フェルディナント3世・ポーランド王妃ツェツィーリア・レナータの父。
- カトリックに対する新教徒の弾圧によりボヘミアで暴動が勃発。これにスウェーデン・デンマーク・フランスが参入し三十年戦争が始まった。この戦争で1600万人の人口が600万人に激減。各国に領土を奪われ、オランダ・スイスが独立。ドイツはいくつもの領邦に分裂した。
プロイセン
- フリードリヒ・ヴィルヘルム1世
- 第2代「プロイセンにおける王」在位:1713年2月25日 - 1740年5月31日
- フリードリヒ1世の子。伯父にイギリス王ジョージ1世、曽祖父にプファルツ選帝侯・ボヘミア王フリードリヒ5世。フリードリヒ2世・ スウェーデン王妃ルイーゼ・ウルリーケの父。
- 財政・軍制の改革によってブランデンブルク=プロイセンの強大化に努めた。
- フリードリヒ2世
- 第3代プロイセン王 在位:1740年5月31日 - 1786年8月17日
- フリードリヒ・ヴィルヘルム1世の子。イギリス王ジョージ1世の孫。
- オーストリア継承戦争に勝利するもフランスとオーストリアがヴェルサイユ条約を締結。七年戦争が始まった。敗走を続けるも1762年1月5日、フリードリヒ2世を崇拝していたピョートル3世がロシア皇帝に即位し、ロシアとの講和が成立。オーストリア軍を倒し7年戦争に勝利した。
ドイツ帝国
- ヴィルヘルム1世
- 第7代プロイセン王(在位:1861年1月2日 - 1888年3月9日)初代ドイツ皇帝。
- 第5代プロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム3世の次男。フリードリヒ3世の父。
- ビスマルクを起用し軍備を拡張。ドイツ統一に成功し初代皇帝となった。
- ヴィルヘルム2世
- 第9代プロイセン王国国王・第3代ドイツ帝国皇帝(在位:1888年6月15日 - 1918年11月28日)
- フリードリヒ3世の子。
- ビスマルクを引退させ、積極的な世界政策や軍備拡張を開始し、第一次世界大戦を戦うことになる。敗戦後、ドイツ革命により退位し亡命する。
オーストリア
- マリア・テレジア
- オーストリア大公(在位:1740年 - 1780年)、ハンガリー女王、ボヘミア女王。
- ハプスブルク家出身。神聖ローマ皇帝カール6世の子。ヨーゼフ2世・レオポルト2世・ナポリ王妃マリア・カロリーナ・フランス王ルイ16世妃マリア・アントーニアの母。
- 23歳の頃オーストリア継承戦争が勃発。ヴェルサイユ条約でフランスが遂に同盟を結ぶ。マリア・テレジア、エリザヴェータ女帝、ポンパドゥール夫人から3女性同盟とも呼ばれる。1756年8月29日、七年戦争が起こる。
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