路線概況
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千葉中央駅からしばらくの間は東日本旅客鉄道(JR東日本)の外房線と並行して走る。外房線の本千葉駅を過ぎたあたりで同線と別れ、その後左に大きく曲がりながら同線を乗り越えて進路を東へ向ける。京葉道路をくぐる手前で右に曲がって進路を再び南東へ向け、大森台駅を過ぎた後にさらに右に曲がり進路を南に向ける。外房線をくぐって学園前駅を過ぎると左に曲がって進路を東に向け、おゆみ野駅を出ると右に曲がって南に向かいちはら台駅に到達する。千葉市南東部の丘陵地帯を走り、大森台駅付近から学園前駅付近までと、ちはら台駅は掘割、その他は高架が中心となる。
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路線概況
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/27 23:47 UTC 版)
「名古屋市電水主町延長線」の記事における「路線概況」の解説
全長は0.412キロメートル(1962年3月末時点)。全線が複線かつ併用軌道であり、名古屋市道日置通線(大須通)上を走行した。 起点水主町停留場の次が終点六反小学校前停留場という短い路線である。起点水主町停留場は大須通と名古屋市道江川線が交差する水主町交差点に位置する。ここは3本の市電路線が集まる地点であり、南北方向の市道江川線上に下江川線が通り、大須通上には東に向かって岩井町線が、西に向かってこの水主町延長線がそれぞれ伸びていた。東西の岩井町線・水主町延長線と南北の下江川線は平面交差するほか、下江川線南方(尾頭橋方面)と岩井町線を繋ぐ連絡線があったが、水主町延長線は岩井町線(大須方面)のみと直通と可能な配線であった。 終点の六反小学校前停留場は、旧六反小学校南西角、大須通と名駅通(市道山王線)が交差する名駅南五丁目交差点に位置した。市電路線はこの交差点を北へ折れ、笹島線として名駅通を北進していく。
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路線概況
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/27 23:47 UTC 版)
全長は4.663キロメートル(1962年3月末時点)。全線が併用軌道で、うち31メートルのみ単線、残りは複線であった。単線部分は終端堀田駅前停留場部分にあたる。 本路線は鶴舞公園 - 堀田駅前間と途中分岐の高辻 - 滝子間の2区間からなる。起点である鶴舞公園停留場は、中央本線鶴舞駅のすぐ西、名古屋市道堀田高岳線(空港線)と市道葵町線・市道大池通(大須通)が交差する鶴舞公園前交差点に存在した。ここは道路の交差点であるとともに市電路線の交差点でもあり、北東方向から来て西へ抜けていく市道葵町線・大須通に公園線が通り、南北方向の空港線には北へ向かって高岳延長線が、南へ向かってこの東郊線がそれぞれ伸びていた。また交差点には公園線と高岳延長線・東郊線の平面交差に加え、公園線西側(上前津方面)と東郊線を繋ぐ複線の連絡線が存在した。鶴舞公園停留場より南進する東郊線は、停留場を出るとすぐに中央本線の高架下をくぐり抜け、停留場名にある鶴舞公園の西側を通過する。 空港線と東西の愛知県道29号が交差する高辻交差点には高辻停留場があった。東の滝子方面(その先の桜山方面)に分かれる路線の分岐点であるとともに、西の沢上町方面へ抜ける八熊東線との接続地点であった。八熊東線と東郊線滝子方面は直通可能な配線であり、従って高辻は東西と南北の路線が直角に平面交差する配線が形成されていた。また東郊線鶴舞公園と滝子方面が直通可能であるほかにも、八熊東線(沢上町方面)と東郊線堀田駅前方面を結ぶ連絡線があった。高辻は市電車庫の所在地で、交差点東南角、市営住宅などが立つ地にかつて高辻電車運輸事務所が存在した。 高辻から空港線を南下すると、東郊線の片方の終端である堀田駅前停留場に到達する。停留場名にある名古屋鉄道(名鉄)堀田駅の駅前であり、市電の末期には停留場から歩道橋に上がるとそのまま高架化された堀田駅の2階改札口に直結するという構造で、乗り換えの便が良かった。 一方、高辻停留場より県道29号を東へ進むともう片方の終点滝子停留場に達した。場所は滝子交差点の付近である。堀田駅前と異なり市電路線網全体としては終端ではなく、そのまま桜山町方面へ東進する藤成線に繋がった。
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路線概況
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「福井県道187号寺朝日線」の記事における「路線概況」の解説
国道417号と2本の一般県道を結ぶ役割を担う県道である。過去には合併した旧宮崎村と旧朝日町を結ぶ役割を担っていた路線である。上記の2本の県道は共に越前町と鯖江市、越前市を結ぶ役割を担う県道なので、間接的にこの二市と越前町の旧朝日町域を結ぶ役割も担っているといえるだろう。嶺北西部を網の目状に走る県道の一本でこの地域の交通を包括的に担う県道の一本である。
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路線概況
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/07/08 06:47 UTC 版)
全長は1937年3月末時点で3.36km。全線にわたり複線・併用軌道であった。停留場は起点終点含めて7か所設置されていた。路線の存在した1937年時点の地図によれば、経路は以下のようなものである。 起点の熱田伝馬町停留場は、現在では名古屋市営地下鉄名城線の伝馬町駅が地下にある、国道1号の伝馬町交差点付近に存在した。東築地線はここから、愛知県道225号上を南へ進んだ。次の内田橋停留場は新堀川を渡った先の内田橋交差点付近にあり、ここから先線路は県道225号から西へそれ、今度は名古屋市道東築地町第1号線へと進路を変える。明治新田停留場付近で堀川東岸へと出ると、以降終点南陽館前停留場まで堀川沿いを進んだ。 氷室新田停留場から開東橋停留場を経て竜宮町停留場に至る区間は、東側に貯木池が広がっていた(現存せず)。竜宮町停留場は国道23号との交差地点あたりにあたる。終点南陽館前停留場は、現・名古屋市立東築地小学校の手前あたり。停留場名にある「南陽館」は、小学校の場所にあった観光施設のことである。近くにはこのほか、大同製鋼(現・大同特殊鋼)築地工場があった。道路をさらに先に進み山崎川を渡った先は、三菱重工業などの工場が並ぶ大江町(六号地)で、名古屋鉄道(名鉄)東名古屋港駅があった。
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路線概況
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/08/21 14:04 UTC 版)
「大分県道601号小挾間大分線」の記事における「路線概況」の解説
大分川支流の由布川の最上流である由布川峡谷にある、別府市と由布市庄内町境の南側で、大分県道52号別府庄内線から分岐する。分岐後は離合不能な1車線道路が続く。ところどころ拡張されている部分があるが、その周囲には寺院や集落が見られる。途中に念仏宗 九州本山が見られ、その大伽藍の横、瓦葺の土塀を横に進んでいく。大分県のぞみ園付近から片側1車線区間が始まる。 由布市挟間町赤野では、大分県道51号別府挾間線との重複区間があり、この付近から、路線バスのバス停や団地などが見られる。挾間町北方から、1車線の旧道と片側1車線の新道に分かれ、大分大学医学部付属病院の東端にて合流する。合流点からは、大分県道207号大分挟間線に接続している。新道には、大分県道51号別府挾間線浜脇バイパス・鳥越峠方面からの広域農道が接続している。合流後は北進し、大分大学挾間キャンパスの外周と大分川支流の東院川に沿って坂を下り、大分市内に入る。 由布川にかかる由布川橋を渡ったのち、大分県道619号中村別府線の新道・旧道両方の始点があり、右折したのち由布川と東院川が合流して賀来川になる合流点を過ぎて、大分市賀来の新興市街地が出てくる。 JR久大本線や大分県道207号大分挟間線、用水路(初瀬井路)と並走しながら、大分自動車道の高架を潜ったのちに、南大分駅付近で片側1車線、荏隈郵便局付近で変則3車線(大分市街地方面2車線)となる。逆Y字型の大道トンネル南交差点で国道210号と合流する。
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路線概況
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/07/30 08:51 UTC 版)
「名古屋市電清水口延長線」の記事における「路線概況」の解説
全長は2.767キロメートル(1962年3月末時点)。終端(城北学校前停留場)の一部を除いて複線で、全線が道路上に敷設された併用軌道であった。単線延長は40メートル、複線延長は2.727キロメートル。 起点の清水口停留場は市電高岳線との接続地点で、南北方向に通る空港線(国道41号)と東西方向に通る出来町通(愛知県道215号田籾名古屋線)が交差する清水口交差点に位置した。高岳線は空港線東新町方面から北上しここで東へ折れて出来町線上を赤塚方面へ向かっていたが、清水口延長線はこの高岳線から分岐し、空港線を北上していた。 清水口から次の深田町停留場にかけては名古屋台地(熱田台地)の北端を下る急勾配区間で、260メートルにわたって40パーミルの下り勾配が続いた。坂を下った先の深田町には、市電が走っていた当時は高架ではなく地上を通っていた名古屋鉄道(名鉄)瀬戸線との平面交差が存在した。瀬戸線の清水駅は交差地点のすぐ東側に位置する。 深田町から2つ北に進んだ先が黒川停留場である。空港線と名古屋市道名古屋環状線が交差する黒川交差点にあった。環状線の地下には現在名古屋市営地下鉄名城線が通り交差点西方に黒川駅が設置されているが、同駅の開業は市電廃止8か月後の1971年12月のことである。黒川から3つ先が終点城北学校前停留場で、停留場名にある名古屋市立城北小学校からはやや南に離れた萩野通1丁目北交差点に設置されていた。名古屋市電ではここが最北の停留場であった。
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路線概況
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/24 03:03 UTC 版)
「LGVペルピニャン-フィゲラス線」の記事における「路線概況」の解説
軌間は他のLGV路線と同様の標準軌で、電化方式は交流25kV 50Hzでフランスとスペイン両国の高速鉄道網を直結する役割を担っている。当路線は高速列車TGV、AVEと貨物列車の両方の混合走行が計画されたため、最大勾配は12‰である。スペインでは広軌(イベリアゲージ)が広く採用されていることから、当路線を介することによって旅客、貨物共に軌間変更の必要が無くなり速達化が図られる。西仏間では他にフランスの大西洋岸とスペインのバスク地方やウエスカ方面からの連絡も検討されている。
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路線概況
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/28 05:06 UTC 版)
本路線は東名高速のインターチェンジがある富士を起点とするが、路線の正起点は国道139号(一般道)から連続する地点ではなく、静岡県道353号田子浦港富士インター線(通称:港大通り)から延びる本線部分としている。下り線は起点部で一般道と接続するが、上り線は東名高速に流入するランプを共有し、信号機も設置されているなど、上下線で一般道との接続地点と構造が異なっている。高速道路と一般道の相互利用が可能となっているが、故に富士一帯は構造が複雑になっており、東名高速と一般道との接続はすべて西富士道路の本線または側道を介している。 富士通過後に差し掛かる広見は富士市北中部にあたる大淵地区の最寄出入口となり、市道を介して静岡県道72号富士白糸滝公園線と接続する。路線の中間地点にあたる新富士で新東名高速に繋がるが、富士とは違い一般道(静岡県道88号一色久沢線)との出入口をもたない実質的なジャンクションとなっている。市境付近で西富士料金所跡地を抜け、終点である小泉で静岡県道76号富士富士宮由比線と分岐する小泉若宮交差点と平面交差し、本線はそのまま国道139号の一般道である富士宮バイパスとなり、富士宮市北部を通過する自動車専用道路の富士宮道路へ接続する外神交差点に至る。 南北に隣接する富士市と富士宮市を結び、路線形は概ね北西方向に延び、途中に東名高速と新東名高速が交差する。全線で旧道にあたる静岡県道414号富士富士宮線と並行しており、富士と小泉にて分岐接続している。片側一車線の旧道に対して全線が片側二車線で運用されており、富士 - 広見および旧西富士TB - 小泉については最高速度が60 km/hであるが、その他の区間においては80 km/hとなっている。
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路線概況
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/29 00:03 UTC 版)
全長1.033キロメートル。全線が複線かつ併用軌道で、外堀通(愛知県道200号名古屋甚目寺線および名古屋市道外堀町通)上を走行した。 起点の明道町停留場は外堀通と名古屋市道江川線が交差する明道町交差点に設置されていた。ここは市電明道町線との接続地点で、外堀通を菊井町から東進してきた明道町線より引き継いで、行幸線は外堀通を東へ向った。また明道町には市電上江川線が市道江川線上を南北方向に通っており、同線との平面交差があった。 景雲橋で堀川を渡ると、その先に橋の名をつけた景雲橋停留場があった。中間にある唯一の停留場である。この付近から外堀通の北側に並行する名古屋城の空堀の中に、1976年(昭和51年)まで名古屋鉄道(名鉄)瀬戸線が通っていた。景雲橋停留場の北側には、この瀬戸線の起点堀川駅が設置されていた。景雲橋を過ぎると急勾配区間があり、最大40パーミルの勾配で熱田台地を登った。 終点名古屋城停留場は外堀通と本町通の交差点にあり、外堀通上を引き続き東進する市電東片端線に接続した。停留場名にある名古屋城は北方にあり、停留場から城の正門までは徒歩10分程度であったが、市電では名古屋城最寄の停留場であった。停留場の北側には瀬戸線の本町駅が設置されていた。
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路線概況
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/29 00:03 UTC 版)
全長は1.680キロメートル(1962年3月末時点)。終端(上飯田停留場)の一部を除いて複線で、全線が道路上に敷設された併用軌道であった。単線延長は45メートル、複線延長は1.635キロメートル。 起点大曽根停留場は御成通線と高岳線・大曽根線という3つの市電路線が接続していた場所である。同名の鉄道駅(大曽根駅)から500メートルほど西に離れた、国道19号の大曽根交差点付近に位置していた。交差点から高岳線は名古屋市道を南へ、大曽根線は国道19号を北東へ向かい、この御成通線は市道を北上した。なお、高岳線と御成通線、高岳線と大曽根線は相互に直通できるが、御成通線と大曽根線は直通できない配線となっていた。 大曽根から2つ先の平安通一丁目停留場は、名古屋市道名古屋環状線と交差する同名の交差点にあった。現在、名古屋環状線の地下には名古屋市営地下鉄名城線があり交差点地下には平安通駅があるが、この区間の開通は市電廃止から10か月後の1971年12月のことである。 平安通駅から名鉄小牧線に接続する上飯田駅までの区間では、御成通線が敷設されていた市道の地下を地下鉄上飯田線が通る。地下鉄上飯田線開通は市電廃止後から30年以上経った2003年(平成15年)である。地下鉄が開通する前の名鉄上飯田駅は、上飯田駅前交差点東側の地上にあり、南側に駅ビル(名鉄上飯田ビル)が付随した。御成通線の終点上飯田停留場はこの駅ビルの西隣の路上に設置されていた。また上飯田駅南方にあるバスターミナルや市営住宅は、市電の車庫(上飯田電車運輸事務所)の跡地に設置されている。市電があった当時、この車庫への引込線は上飯田停留場側からのみ出入庫できる配線となっていた。
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路線概況
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/17 23:27 UTC 版)
サウスベンド空港駅を出たサウスショアー線は空港のすぐ東を通るベンディックス・アベニューに沿って南下し、次いでウェストムーア・ストリートに沿って西進し、かつての終着駅だったサウスベンド駅に伸びる線路と合流する。この合流点からハドソン・レイク駅までの区間はノーフォーク・サザン鉄道のシカゴ線の北側を並走する。このシカゴ線はアムトラックのレイクショア・リミテッドとキャピトル・リミテッドが走行する路線でもある。ハドソン湖畔のハドソン・レイク駅を出ると、サウスショアー線は真っ直ぐ西へ、ミシガンシティーを目指して進む。ミシガンシティーでは11番街の道路の真ん中を走る。アムトラックのミシガン・サービス(英語版)(アムトラックが運行する、シカゴとミシガン州の3都市(デトロイトなど)を結ぶ3系統の路線を総称した名称。)が走る線路と平面交差してからは、10番街の道路上を進む。 ミシガンシティーを出て専用軌道に戻ったサウスショアー線は、インディアナ・デューン(砂丘)州立公園(Indiana Dunes State Park)のただ中を走る。この区間にはアメリカ合衆国国家歴史登録財に登録されているビバリー・ショアーズ駅(英語版)も含まれる。その後、前述のシカゴ線と交差ののち今度は南側を並走する。マイケル・ジャクソンの故郷として知られるゲーリーではゲーリー・シカゴ国際空港に連絡するため西を目指すが、この際インディアナ有料道路と並走する。この並走区間はハモンドまで続く。 ハモンド駅を過ぎて間もなくイリノイ州に入る。ここで線路は北西方向にカーブを描き、ビショップ・フォード・フリーウェイおよびカルメット川と交差し、ケンジントン/115番街(Kensington/115th Street)駅の手前でメトラ電車線(Metra Electric line、ME線)と合流する。ここからはメトラ電車線と線路を共有し、終点のミレニアム駅へと向かう。
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路線概況
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/29 00:03 UTC 版)
全長は葵町線が1.058キロメートル、山口町線が0.517キロメートル(1962年3月末時点)。全線が複線かつ併用軌道であった。 葵町線の起点新栄町停留場は、南北方向の名古屋市道と東西方向の広小路通(愛知県道60号名古屋長久手線)が交差する新栄町交差点に設置されていた。この停留場は葵町線に栄町線・公園線を加えた市電3路線が集まる場所で、東西方向の広小路通に栄町線、南へ伸びる市道に公園線が通り、北へ伸びる市道にこの葵町線が走っていた。新栄町では東西の栄町線と南北の葵町線・公園線が平面交差しており、栄町線の東側(今池方面)と公園線(鶴舞公園方面)を結ぶ連絡線も存在した。 市電葵町線が通る市道の西側には、太平洋戦争後の戦災復興計画によって新設された幅員50メートルの幹線道路(広路11号葵町線。国道153号ないし国道19号)が並行しており、市電が通る道路は戦後裏道と化していた。50メートル道路の国道19号や外堀通(市道外堀相生町線)が集まる地点が平田町(へいでんちょう)交差点で、ここに葵町線の終点平田町停留場が設置されていた。新栄町と同様に3本の市電路線が集まる地点で、葵町線と山口町線、東片端線が接続する。山口町線は国道19号を北北東へ、東片端線は外堀通を西へ進んでおり、平田町では3つの路線それぞれからどの路線にも直通できる三角形状の配線とされていた。 平田町を起点とする山口町線は起点の次が終点赤塚停留場という短い路線である。赤塚停留場は国道19号と出来町通(愛知県道215号田籾名古屋線)が交差する赤塚交差点に位置した。この間の道路は1965年(昭和40年)ごろに50メートル道路へと拡張されている。交差する出来町通には市電高岳線が東西方向に走行しており、山口町線は東に折れて高岳線の大曽根方面に合流していた。なお路線名にある「山口町」を称する停留場は、高岳線を赤塚から大曽根方面へ1つ進んだ場所にある。
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路線概況
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全長は3.609キロメートル(1962年3月末時点)。全線が複線かつ併用軌道であった。 起点の東新町停留場は、高岳線と高岳延長線、栄町線の市電3路線が集まる地点である。東西方向の広小路通(愛知県道60号名古屋長久手線)と南北方向の空港線(名古屋市道堀田高岳線、高岳交差点以北は国道41号)が交差する東新町交差点に位置し、東西方向に栄町線、交差点から北へ高岳線、南へ高岳延長線が伸びていた。1960年代の時点では南北方向の高岳線・高岳延長線と東西方向の栄町線は交差するだけであり連絡線はなく、双方をまたぐ運転系統は存在しなかった。東新町の一帯は繁華街栄の東に位置し、中部電力本店や名古屋市交通局本庁舎(1954 - 1966年)などが集まるビル街、また「女子大小路」で知られるネオン街の地である。 東新町から空港線を北上すると、外堀通と交差する東片端交差点に東片端停留場があった。ここは東西方向に走る東片端線との接続地点にあたり、同線との平面交差に加えて東片端線西方向(大津橋方面)と高岳線北方向(清水口方面)を繋ぐ連絡線があった。東片端の北、清水口停留場は空港線と出来町通(愛知県道215号田籾名古屋線)が交差する清水口交差点にあり、ここで清水口延長線が分岐した。同線が引き続き空港線を北上する一方、高岳線は東に折れて出来町通を進んだ。 清水口から東へ進んだ赤塚停留場も市電路線と接続する地点で、ここで山口町線が合流した。停留場は、東西方向の出来町通と山口町線が走る南北方向の国道19号が交差する赤塚交差点にあった。高岳線が出来町通上を進むのは赤塚の次の山口町停留場までで、ここで北へ曲がって名古屋市道を北上した。 徳川町停留場を過ぎると25.6パーミルの勾配があり、これを下ると当時地上を走っていた名古屋鉄道(名鉄)瀬戸線との平面交差が存在した。踏切の西には名鉄の森下駅があるが、市電には対応する停留場がなく、最寄は大曽根停留場であった。当時の瀬戸線のターミナルは都心部の大津町駅でここで市電と接続していたが、市電沿線や大曽根の北方で市電に接続する名鉄小牧線と瀬戸線の乗り継ぎがあり、清水駅・大曽根停留場で乗り換える乗客も多かった。この大曽根停留場は高岳線の終点で、国道19号と再び交差する大曽根交差点に位置しており、付近に名古屋市北部の繁華街であった大曽根商店街入口が立地する。交差点が五叉路であるのに対し、市電は高岳線と名鉄小牧線上飯田駅方面へ北上する御成通線、国道19号を北東方向へと進む大曽根線の3路線が集まっており、高岳線から御成通線か大曽根線のどちらかへ直通できる配線となっていた。
※この「路線概況」の解説は、「名古屋市電高岳線」の解説の一部です。
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路線概況
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/29 00:02 UTC 版)
全長は0.371キロメートル(1962年3月末時点)。全線が複線かつ併用軌道であり、愛知県道200号名古屋甚目寺線(外堀通)上を走行した。 起点明道町停留場の次が終点菊井町停留場という短い路線である。起点明道町停留場は外堀通と名古屋市道江川線が交差する明道町交差点に位置する。3本の市電路線が集まる地点であり、南北方向の市道江川線上に上江川線が通り、外堀通には東に向かって行幸線が、西に向かってこの明道町線がそれぞれ伸びていた。東西の明道町線・行幸線と南北の上江川線は平面交差するほか複線の連絡線があり、上江川線南方(柳橋方面)と明道町線の直通が可能な配線であった。 終点菊井町停留場は外堀通と名古屋市道菊井町線が交差する菊井町交差点に位置した。ここは市道菊井町線上を南北に通る押切線との接続地点であり、交差点には明道町線側から南北方向双方へ直通できる配線(デルタ線)が形成されていた。
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路線概況
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/29 00:03 UTC 版)
全長は0.664キロメートル(1962年3月末時点)。東大曽根側終端の折返し線を除いて複線で、全線が道路上に敷設された併用軌道であった。ただし統計では全線複線とある。 起点の大曽根停留場の次が終点東大曽根停留場という、途中の停留場のない路線である。大曽根停留場は、国道19号と市道が形成する五叉路の大曽根交差点に位置した。この交差点は市電の三叉路でもあり、南方へ伸びる市道を進む高岳線、北方へ伸びる市道を進む御成通線と、国道19号(途中から愛知県道15号名古屋多治見線)を北東へ進むこの大曽根線の3路線が集まっていた。なお、大曽根線と直通できたのは高岳線のみで、大曽根線と御成通線は直通できない配線であった。 終点東大曽根停留場は、愛知県道15号と市道名古屋環状線が交差する東大曽根交差点の南西側に存在した。交差点の南東角には名古屋鉄道(名鉄)瀬戸線の大曽根駅があり、そのさらに南方には国鉄(現・JR東海)中央本線の大曽根駅が立地している。現在地下には名古屋市営地下鉄名城線の大曽根駅もあるが、開業は大曽根線廃止後の1971年(昭和46年)である。また、名鉄線・国鉄線を挟んで東側には市電循環北線の起点・矢田町四丁目停留場が設置されていた。中央本線の低い高架が障害となったことから、近接しながらも循環北線とは線路が繋がっていなかった。
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路線概況
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/02 14:54 UTC 版)
沿線は市街地や住宅地が続いており、北摂(豊能地域・阪神北地域)から大阪への通勤・通学路線となっている。三国駅付近、曽根駅 - 豊中駅間、石橋阪大前駅 - 川西能勢口駅間、宝塚駅付近は高架化されている。 創業当時、宅地開発用に買収した土地に沿って路線を建設したことから、曲線が多く、スピードアップに不利な線形となった。特に、三国駅付近には制限速度30km/hの急曲線が存在し、最大のネックとなっていた。1990年台から2000年にかけて、三国駅付近および豊中駅の急曲線は高架化に併せて緩和されたが、2020年現在も、服部天神駅 - 曽根駅間、豊中駅 - 蛍池駅間、石橋阪大前駅などにやや急な曲線が残っている。神戸本線・京都本線に比べて平均駅間距離が短く、いくつかの駅は1962年までに統合で姿を消している。
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路線概況
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/03 14:32 UTC 版)
押切線は柳橋 - 押切町間を指すが、中間部にあたる志摩町 - 那古野町間は1926年1月という早い段階で廃止されたので、柳橋 - 志摩町間および那古野町 - 押切町間のみであった時期が長い。廃止部分を除いた全長は1.916キロメートル(1962年3月末時点)。全線が複線かつ道路上に敷設された併用軌道であった。 起点の柳橋停留場は、名古屋市道江川線と広小路通(愛知県道60号名古屋長久手線)が交差する柳橋交差点に位置した。ここは3本の市電路線の接続地点であり、広小路通上を東西方向に栄町線が通り、市道江川線上には南へ下江川線が伸び、北方向にはこの押切線が伸びていた。柳橋には東西方向の栄町線と南北方向の上江川線・下江川線の平面交差に加え、栄町線西方向と下江川線を繋ぐ連絡線もあったが、栄町線と押切線の間には連絡線はなかった。 柳橋から北上し泥江町停留場を過ぎると市電上江川線に接続する志摩町停留場に至る。上江川線がそのまま北上して明道町(旧・明道橋)方面へ向かうのに対し、押切線はここで西へ曲がり、次の那古野町から再度進路を北に取り押切町方面へ向った。志摩町 - 那古野町間の部分廃止後、志摩町停留場自体も1944年(昭和19年)に廃止されている。 那古野町停留場は南方の名古屋駅前へつながる広井町線(1943年の同線開通までは堀内町線)との接続地点であった。また停留場西側には、1931年(昭和6年)まで車両工場(那古野工場)が設置されていた。押切線は、那古野町から先は名古屋市道菊井町線を北進。次の菊井町停留場は、外堀通(愛知県道200号名古屋甚目寺線)との交差点である菊井町交差点に位置した。外堀通上には菊井町から東へ向かう市電明道町線があり、南北2本の複線連絡線によって押切線の那古野町方面・押切町方面双方から明道町線に直通可能な配線が構成されていた。 終点押切町停留場は、国道22号と交差する押切交差点にあり、引き続き市道菊井町線を北上する市電押切浄心連絡線に接続した。
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路線概況
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/22 08:08 UTC 版)
全長は3.798キロメートル(1962年3月末時点・休止区間除く)。全線複線かつ道路上に敷設された併用軌道であった。この時点での営業区間は笹島町 - 西裏間で、西裏 - 千種駅前間0.2967キロメートルは休止線である。 起点は笹島町停留場である。名古屋駅の南東、名駅通・太閤通(県道68号)と広小路通(県道60号)が交差する笹島交差点に位置した。交差点は市電路線の四叉路でもあり、南北方向に笹島線が通り、西には中村線が伸び、そして東方向に広小路通上をこの栄町線が伸びていた。笹島町では笹島町と栄町線・中村線が平面交差したほか、名古屋駅前方面と栄町線を繋ぐ複線の連絡線が存在した。 笹島町の次の柳橋停留場は市道江川線と交差する柳橋交差点に位置した。ここも南北方向に走る市電上江川線・下江川線との交差地点で、ここでも平面交差に加えて栄町線笹島町方面と下江川線(水主町方面)を繋ぐ連絡線が存在した。堀川にかかる納屋橋を渡ると、納屋橋(旧・納屋橋東)停留場までの間で熱田台地上へと32パーミルの勾配で登る。広小路伏見(旧・伏見通)から広小路本町の間は市電がある当時から金融街であった。 広小路通と大津通が交差する栄交差点には栄(旧・栄町)停留場が立地した。周囲は百貨店が集まる繁華街である。栄も南北方向を走る市電大津町線・熱田線との交差地点であったが、ここには1960年代の段階では南北方向の路線との連絡線は存在しなかった。 栄より東では、広小路通と市道堀田高岳線(空港線)の交差点にあった東新町停留場、次の市道平田新栄町線・新栄老松町線との交差点にあった新栄町停留場もまた、南北の市電路線との交差地点であった。交差する市電路線は、東新町では高岳線・高岳延長線、新栄町では葵町線・公園線。新栄町については、栄町線車道方面と公園線(鶴舞公園方面)を繋ぐ連絡線が存在した。 栄町線の終点は、今池方面へ抜ける覚王山線の起点でもある「西裏」という地点である。本来、覚王山線との境界には西裏(西裏町)停留場があったが1944年(昭和19年)に廃止されている。西裏の交差点(現・千郷町交差点)より中央本線沿いに南へ約500メートル進むと旧千種駅へと出る。栄町線は元々この(旧)千種駅前まで伸びていたが、西裏 - 千種駅前間は1943年(昭和18年)より休止されており、戦後の市電最盛期には存在していなかった。
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路線概況
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/27 15:51 UTC 版)
全長は1.923キロメートル(1962年3月末時点)。全線が複線かつ併用軌道であった。 起点の名古屋城停留場は、東西方向の市道外堀通と南北方向の市道本町通の交差点に設置されていた。ここは市電行幸線との接続地点で、外堀通を明道町方面から東進してきた行幸線より引き継いで、東片端線は外堀通を平田町方面へ東進する。停留場名にある名古屋城は北方にあり、停留場から城の正門までは徒歩10分程度かかるが、市電では名古屋城最寄の停留場であった。 南北方向を行く市電路線との接続地点は途中3か所に存在した。1か所目は大津橋停留場で、大津橋を終点とする大津町線が接続する。大津町線が通る市道大津通と交差する大津橋交差点に位置しており、大津町線と東片端線東片端方面を結ぶ連絡線があった。2か所目は国道41号(空港線)と交差する東片端交差点にあった東片端停留場で、国道41号を南北に走る高岳線と接続した。高岳線とは平面交差があったほか、東片端線大津橋方面と高岳線清水口方面(北側)を結ぶ連絡線も敷設されていた。 3か所目の接続地点は終点の平田町停留場で、国道19号などと交差する平田町交差点にあった。平田町は市電3路線が集まる停留場で、東片端線のほか、国道19号を北上する山口町線、市道を南下する葵町線が存在した。ここでは3つの路線それぞれからどの路線にも直通できる三角形状の配線とされていた。 行幸線の景雲橋停留場付近から大津橋停留場付近にかけては、外堀通のすぐ北側を名古屋城の空堀が通っている。この空堀の中を、1976年(昭和51年)まで名古屋鉄道(名鉄)瀬戸線が走っていた。堀の中にもいくつか駅が設置されていたが、それらのうち東片端線の停留場に対応するのは本町駅と大津町駅の2駅であり、本町駅は名古屋城停留場、大津町駅は大津橋停留場のそれぞれ北側に位置していた。
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路線概況
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/27 15:47 UTC 版)
全長は1.967キロメートル(1962年3月末時点)。全線が複線かつ併用軌道で、名古屋市道江川線上を走行した。 上江川線の起点は志摩町停留場である。市電押切線(柳橋 - 押切町間)との接続地点で、柳橋から北上してきた押切線が志摩町で西へ曲がり那古野町から再度進路を北に取り押切町へ向っていたのに対し、上江川線は志摩町からそのまま北上し明道町(旧・明道橋)方面へ向っていた。なお押切線の志摩町 - 那古野町間は1926年(大正15年)に廃線となって分岐がなくなり、志摩町の停留場自体も1944年(昭和19年)に廃止されている。 明道町停留場は市道江川線と愛知県道200号名古屋甚目寺線(外堀通)が交差する明道町交差点にあった。市電明道町線(菊井町 - 明道町間)・行幸線(明道町 - 名古屋城間)との接続地点で、ここから外堀通上を明道町線は西へ、行幸線は東へ向った。南北方向の上江川線と東西方向の路線とで平面交差を形成したほか、上江川線の南方向(柳橋方面)と西方向の明道町線を結ぶ複線の連絡線があった。 明道町の2つ北にあたる浅間町停留場から北方の区間には、市電廃止後の1981年(昭和56年)に名古屋市営地下鉄鶴舞線が地下に敷設されている。浅間町停留場が地下鉄浅間町駅に対応し、終点の浄心町停留場が浄心駅に対応する。浄心町停留場は市道江川線の浄心交差点に位置し、2つの市電路線、押切浄心連絡線(押切町 - 浄心町間)・浄心延長線(浄心町 - 秩父通間)に接続した。このうち浄心延長線は江川線上を引き続き北進する路線で、上江川線と線路が繋がっていたが、西へ向う押切浄心連絡線と上江川線・浄心延長線は直接繋がっていなかった。また交差点西北角には市電の車庫(浄心電車運輸事務所)があり、ここへの引込線が分岐していた。
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路線概況
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/10/09 03:03 UTC 版)
全長は笹島線が1.364キロメートル、広井町線が0.607キロメートル(1962年3月末時点)。全線複線かつ道路上に敷設された併用軌道であった。 笹島線の起点は六反小学校前停留場である。旧六反小学校南西角、大須通(市道日置通線)と名駅通(市道山王線)が交差する名駅南五丁目交差点に位置した。東の水主町方面から通ずる市電路線はこの交差点で北へ折れ、名駅通を北進していく。水主町 - 六反間の路線名を水主町延長線といい、六反以北の路線名を「笹島線」といった。 東海道本線や名鉄名古屋本線などの東に沿って名駅通を北上すると、東西方向の広小路通(県道60号)・太閤通(県道68号)と交差する笹島交差点へと出る。交差点には笹島町停留場があり、東へ向かう市電栄町線および西へ向かう中村線と交差した。この交差点には栄町線と笹島線北側を繋ぐ複線の連絡線があり、笹島線名古屋駅前方面と栄町線柳橋・栄方面の直通が可能であった。 次の名古屋駅前停留場は笹島線の終点ならびに広井町線の起点であった。名古屋駅正面、名駅通と桜通が交差する駅前ロータリーを挟んで南北2か所に停留場があった。南側の停留場は名古屋駅正面口・名鉄百貨店(名鉄名古屋駅)前、北側の停留場は名古屋駅北口前にあたる。またロータリー内には東側に噴水、西側(駅側)に「青年の像」という銅像があったが、市電の線路はその間を通ってロータリーを南北に貫通していた。 広井町線は名古屋駅前を起点に、中央郵便局交差点にて北東へ折れる市道広井町駅前線を進む。途中の停留場がない短い路線であり、終点那古野町停留場では北上して菊井町・押切町方面へ向かう押切線に接続した。なお、途中の中央郵便局交差点から北西側に伸びる線路も存在した。「名古屋駅前待避線」という、多くの系統が集まる名古屋駅前停留場で電車の時間調整を行うための待避線で、全長268メートルの側線であった(1962年3月末時点)。
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路線概況
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/07/30 23:54 UTC 版)
全長は循環東線が約8.24km、循環北線が約0.52km(1962年3月末時点)。全線が複線かつ併用軌道である。市電路線網の東部を南北に縦貫する路線で、全線にわたって名古屋市道名古屋環状線上に敷設されていた。路線中間付近の今池を中心に、北部の工場や、沿線に点在する大学・高等学校への輸送需要があった。 循環北線の起点・矢田町四丁目停留場は、日本国有鉄道(国鉄)・名古屋鉄道(名鉄)大曽根駅の東にあった。ここでは他の市電路線とは繋がっていないが、駅の西側には市電大曽根線の終点・東大曽根停留場が設置されていた。三菱電機の工場脇を東へ進むと矢田町十丁目停留場へ至る。ここから先は循環東線であり、進路を南へ変更する。次の矢田町十五丁目停留場の付近には、当時存在していた日本専売公社(現・日本たばこ産業)名古屋工場(跡地はイオンモールナゴヤドーム前)と国鉄大曽根駅を結ぶ専用側線との平面交差があった。 古出来町・都通を過ぎると今池停留場である。環状線と広小路通(県道60号)が交差する今池交差点付近にあった。東西に通る広小路通上には市電覚王山線があり平面交差していたほか、覚王山線栄方面(西側)と循環東線大久手方面(南側)を繋ぐ連絡線が敷設されていた。 今池の次の大久手停留場は、市電八事線の分岐点である。停留場は大久手交差点付近にあり、八事方面へ八事線を分けたほか、車両基地(大久手電車運輸事務所)への引込み線がここに繋がっていた。 今池から南の区間には、市電廃止後の1994年(平成6年)に名古屋市営地下鉄桜通線が敷設された。桜通線吹上駅は市電阿由知通一丁目停留場、御器所駅は御器所通停留場、桜山駅は市立大学病院停留場(旧・桜山町)の近くにそれぞれ建設された。市立大学病院は八熊通(県道29号)と環状線が交差する桜山交差点に設置。八熊通上を西へ向かう市電藤成線があり、藤成線滝子・高辻方面と循環東線新瑞橋方面(南側)が直通できるような配線とされていた。 桜山町以南も引き続き、市電があった環状線の地下を桜通線が通っており、桜通線瑞穂区役所駅は市電瑞穂区役所停留場、瑞穂運動場西駅は瑞穂運動場前停留場の近くである。瑞穂運動場前は瑞穂運動場からは西に離れているが、より運動場に近い場所まで伸びる「瑞穂運動場引込線」がここから分岐していた。同線は全長約200メートルで、瑞穂運動場で開催された第5回国民体育大会(国体)にあわせて1950年10月に敷設、国体終了後も年に1度開催される名古屋市立小中学校連合運動会のアクセス路線として利用されていた。 終点の新瑞橋停留場は、環状線と県道221号が交差する新瑞橋交差点付近。新瑞橋には名城線・桜通線の新瑞橋駅が設置されているが、4号線(現・名城線)が新瑞橋に到達するのは、市電最終営業日である1974年3月30日のことであった。
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路線概況
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/26 07:39 UTC 版)
相馬市粟津から国道115号の現道を分岐,相馬市街南側の今田・成田・中野地区を通り、県道394号(旧国道6号、中野交差点)へ抜ける道路として利用されている。 相馬市街地の渋滞緩和、常磐自動車道・東北中央自動車道(相馬福島道路)相馬IC及び福島市方面へのアクセス強化の役割をもつ。
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路線概況
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/04 15:27 UTC 版)
「メープルリーフ (列車)」の記事における「路線概況」の解説
米国内については、メープルリーフ号の運行経路はエンパイア・サービス号と同じである。1991年まで、メープルリーフ号は現在のニューヨーク・ペン・ステーションではなく、ニューヨークのグランド・セントラル駅から発着していた。カナダ国内では、GOトランジットのレイクショア・ウェスト線と同じ経路を走行する。
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路線概況
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/25 06:28 UTC 版)
ライン川左岸線は総延長185kmの複線路線で、1959年に電化された。ドイツ西部の南北を結ぶ主要幹線であり、ルール地方と南ドイツを結ぶインターシティが高速新線開通以前は毎時3本運行されるなど、旅客輸送の動脈として利用されていた。 ケルン-コブレンツ間とビンゲン-マインツ間では最高速度160km/hでの運行に対応しているが、蛇行するライン川に沿うコブレンツ-ビンゲン間は曲線区間が続き、急峻な地形も相まって拡張が困難であった。この区間は列車本数の増加とともにボトルネックとなり、拡張工事にも莫大な費用がかかることから、ケルンとフランクフルト・アム・マインを結ぶケルン-ライン=マイン高速線の建設によりボトルネックの解消が図られた。高速新線開通後は同線に最速の座を譲り、全線を直通するインターシティの本数は減少したものの毎時2本が引き続き運行されている。 地域輸送はDBレギオがエメリッヒ アム・ラインからケルン経由でコブレンツまでを結ぶレギオナルエクスプレスを毎時1本、私鉄のトランスレギオ社が全線で地域輸送列車を運行している。ケルン - レマーゲン間ではドイツ鉄道による普通列車も運行される。 貨物列車の運行は従来より対岸のライン川右岸線が中心であったが、左岸線での運行本数も旅客列車の運用減に代わって増加している。
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路線概況
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/27 19:09 UTC 版)
「名古屋市電東山公園線」の記事における「路線概況」の解説
全長は3.240キロメートル(1960年3月末時点)。全線道路上に敷設された併用軌道で、40メートルのみ単線、残りは複線であった。単線区間は終点の星ヶ丘停留場部分が該当する。 東山公園線の起点は、覚王山線の終点でもある覚王山停留場である。愛知県道60号の覚王山交差点付近に位置しており、今池・池下方面から伸びる覚王山線から引き継ぎ、東山公園線は県道60号を東へ伸びていた。この覚王山停留場は東山丘陵西端の小高い位置にあることから、覚王山線側では池下から覚王山にかけて33パーミルの上り勾配になるが、反対に東山公園線側では次の末盛通二丁目停留場にかけて349メートルにわたる37パーミルの下り勾配(この坂を月見坂という)になっていた。 坂を下ると直線道路で東山公園停留場へ至る。停留場は県道60号の東山公園前交差点付近に位置しており、南東へ伸びる道路は東山動植物園正門へと通じる。停留場は東山公園への行楽客でにぎわい、特に春・秋の遠足シーズンには小学生を乗せた団体電車が数多く発着した。 東山公園停留場を過ぎると再び東山丘陵に差しかかり、311メートルにわたって40パーミルという急勾配を登った。次の東山工業高校前停留場は、名前の通り愛知県立東山工業高等学校のすぐ南にあった。 終点の星ヶ丘停留場は県道60号星ヶ丘交差点付近に位置した。ここが名古屋市電路線網における最東端でもある。西へやや戻った現・市営西星ヶ丘荘の位置には、市電があった当時は電車の操車場(星ヶ丘操車場)があった。
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路線概況
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/01 06:28 UTC 版)
全長は公園線が2.579キロメートル、御黒門線が0.420キロメートル(1962年3月末時点)。全線が複線かつ併用軌道であった。 公園線の起点は新栄町停留場である。広小路通(愛知県道60号)の新栄町交差点に位置した停留場で、公園線を含む市電3路線が集まる地点であった。具体的には、東西の広小路上にあった栄町線に加え、南北方向の路線として葵町線と公園線があり、交差点から北へ伸びる市道平田新栄町線に葵町線が、南へ伸びる市道新栄老松町線に公園線がそれぞれ敷設されていた。また交差点には栄町線と公園線・葵町線の平面交差に加え栄町線東側(今池方面)と公園線を繋ぐ複線の連絡線が存在した。 太平洋戦争後の戦災復興計画によって新設された幅員50メートルの幹線道路(広路11号葵町線)が市電が通る市道に並行しており、市電通りは戦後裏道と化していた。この市道葵町線は新栄町付近では市電通りの西にあるが、白山町停留場南側にて東側へと出る。この交差部分は市道葵町線側に中央分離帯があり、市電通り側を走る自動車は中央分離帯に阻まれて直通できない構造である。しかし線路部分に限って分離帯に開口部があり、電車は市道葵町線を横断していた。 戦後復興に際し整備された100m道路の若宮大通との交差点には老松町停留場があった。戦前は市電千早線と交差していた地点でもあたる。また交差点北側に老松車庫(老松電車運輸事務所)が設置されていたが、1950年(昭和25年)という比較的早い時期に閉鎖されている。老松町の次の大学病院前停留場手前にて市電は市道葵町線へと合流する。 市道葵町線や市道堀田高岳線(空港線)、市道大池通(大須通)が交差する鶴舞公園前交差点には鶴舞公園停留場が存在した。市道葵町線で北東方向から交差点に入った公園線は、ここから大須通を西へと進んでいく。空港線上には市電高岳延長線(北側)・東郊線(南側)が通っており、交差点には平面交差に加えて東郊線(高辻方面)と公園線西側(上前津方面)を繋ぐ複線の連絡線があった。交差点東側には中央本線鶴舞駅があり、その奥には鶴舞公園が広がる。 大須通を西進し新堀川にかかる記念橋を渡ると、最大33パーミルの上り勾配で熱田台地を登る。その先、大津通と交差する上前津交差点には上前津停留場が位置した。ここは公園線の終点であり、御黒門線の起点でもある。御黒門線は公園線から引き継ぐ形で、引き続き大須通を西へ向かう。また上前津停留場は南北方向の大津通上にある熱田線との交差地点であり、ここにも平面交差に加えて御黒門線と熱田線南側(金山橋方面)を繋ぐ連絡線が存在した。 御黒門線は起点上前津停留場の次が終点の大須停留場という短い路線である。大須停留場は本町通と交差する大須交差点にあり、大須通を引き続き西へ進む岩井町線に接続した。停留場名にある「大須」地区は戦前から昭和30年代にかけては名古屋市内随一の繁華街であった地であり、停留場のある本町通沿いにもアーケード街が伸びている。
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路線概況
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/01 06:27 UTC 版)
全長は0.916キロメートル(1962年3月末時点)。全線が複線かつ併用軌道であり、名古屋市道岩井通・日置通線(大須通)上を走行した。 起点は大須停留場で、大須通と南北の本町通が交差する大須交差点にあった。大須通上を上前津方面から西進してきた御黒門線に接続する形で、岩井町線は大須通上を西へ向かっていた。停留場名にある「大須」地区は戦前から昭和30年代にかけては名古屋市内随一の繁華街であった地であり、停留場のある本町通沿いにもアーケード街が伸びる。 国道19号・22号と交差する西大須交差点には西大須停留場が存在した。停留場の北東方向に大須観音が位置する。西大須を過ぎると、堀川を渡る岩井橋にかけて最大33パーミルの下り勾配が続き、熱田台地を下りる。岩井橋を過ぎるとすぐに市道江川線と交差する水主町(かこまち)交差点に出る。交差点には終点の水主町停留場があり、引き続き大須通を西へ向かう水主町延長線に接続していた。また南北の市道江川線上にも市電下江川線があり、交差点には岩井町線・水主町延長線と下江川線の平面交差と、下江川線南側(尾頭橋方面)と岩井町線を繋ぐ複線の連絡線があった。
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路線概況
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/31 06:40 UTC 版)
全長は3.907キロメートル(1962年3月末時点)。統計上は全線が複線かつ道路上に敷設された併用軌道であるが、実際には稲葉地町停留場を過ぎた線路終端部分が単線であった。 起点の笹島町停留場は、愛知県道68号名古屋津島線(名駅通・太閤通)と愛知県道60号名古屋長久手線(広小路通)が交差する笹島交差点に位置した。笹島町停留場は3本の市電路線の接続地点であり、名駅通上を南北方向に笹島線が通り、広小路通上を東へ栄町線が伸び、そしてこの中村線が太閤通上を西に向かって伸びていた。中村線は栄町線と線路が繋がっていたが、笹島線との連絡線はなかった。笹島町から西へ向かうとすぐに東海道本線などの高架下をくぐる。 県道68号(太閤通)と南北方向の名古屋市道名古屋環状線が交差する太閤通三丁目交差点には、同名の停留場が置かれていた。交差点地下には名古屋市営地下鉄桜通線の中村区役所駅があるが、開業は市電廃止後の1989年(平成元年)である。一方、その西方の中村公園前交差点地下に位置する東山線中村公園駅は1969年(昭和44年)4月の開業であり、地上には中村線中村公園停留場があったことから、地下鉄東山線と市電中村線の連絡が末期の3年間だけではあるが行われていた。 引き続き県道68号を西へ進み、稲葉地本通交差点を越えると終点の稲葉地町停留場があった。停留場南(交差点南西角)には車庫(稲葉地電車運輸事務所)があり、引き込み線が車庫へ続いていた。
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路線概況
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/29 11:25 UTC 版)
全長は2.324キロメートル(1960年3月末時点)。全線複線かつ道路上に敷設された併用軌道であった。 覚王山線の起点は、栄町線営業区間の終端でもある「西裏」という地点である。元々、笹島町・栄町方面から伸びる栄町線は西裏にて南に折れ、(旧)千種駅前へと出ていたが、1943年(昭和18年)に西裏停留場と西裏 - 千種駅前間は休止され、翌年には西裏停留場自体が廃止されていた。従ってそれ以降、栄町線・覚王山線の境界ではあるが西裏には路線の分岐も停留場もなかった。覚王山線は西裏から先、県道60号(広小路通)を東へと進む。 西裏を過ぎるとすぐに中央本線をまたぐ。路線をまたぐ千種橋には、その西側部分に32.5パーミルの急勾配区間が存在した。橋を過ぎると千種駅前(旧・千種橋東)停留場があった。中央本線千種駅は、かつては千種橋の南方に位置していたが、1961年(昭和36年)9月1日に地下鉄東山線千種駅に近い現在地へと移転した。このため新駅近くにあった覚王山線千種橋東停留場が移転と同日付で千種駅前停留場に改称されている。 県道60号と市道名古屋環状線が交差する今池交差点には今池停留場が位置した。ここは南北方向の市電路線である循環東線との接続地点であり、同線との平面交差に加えて覚王山線千種駅前方面と循環東線大久手方面(南側)を繋ぐ複線の連絡線が存在した。今池地区は市電があった当時から飲食店・映画館映画館が集まる、市内東部の繁華街である。 池下交差点には池下停留場が立地したほか、交差点北東側には池下車庫(池下電車運輸事務所)が存在した。市電の中でも幹線系統を受け持つ車庫であり、電車の出入りが頻繁であったが、東山線池下車庫の建設に伴い1958年(昭和33年)に車庫機能が中村線稲葉地町へと移転、一部残った操車場の機能も翌年には東山公園線星ヶ丘へと移された。車庫跡地には市営住宅が建設されている。 池下から先は東山丘陵に差し掛かっており、33パーミルという急な上り勾配区間が439mにわたって続く。覚王山線終点の覚王山停留場は、県道60号覚王山交差点付近にあった。交差点から伸びる参道を進むと覚王山日泰寺がある。覚王山は覚王山線の終点であるとともに東山公園・星ヶ丘方面へ伸びる東山公園線の起点であり、引き続き県道60号上を線路が伸びていた。
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路線概況
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/01 04:31 UTC 版)
阪急の基幹3路線系統が並走する大阪梅田駅 - 十三駅間を除き、一貫して淀川の右岸側に路線が通っている。路線敷設の経緯から線形は比較的良く、とりわけ上新庄駅 - 桂駅間には運転上考慮すべきカーブはあまりみられない。西日本旅客鉄道(JR西日本)の東海道本線(JR京都線)は崇禅寺駅付近 - 大山崎駅間では当路線の北寄りを、それ以外では南寄りのルートを通る。ほかにも東海道新幹線や名神高速道路、国道171号も当路線に近いルートを通る区間があり、特に高槻市駅 - 西山天王山駅付近では淀川と北摂山地および天王山に挟まれた狭隘な平地をこれらの路線が近接して並走する光景もみられる。
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路線概況
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「名古屋市電浄心延長線」の記事における「路線概況」の解説
全長は0.520km(1962年3月末時点)。全線が併用軌道、終端の秩父通停留場部分を除き複線で(統計では全線複線)、名古屋市道江川線上を走行した。 浄心延長線の起点は、上江川線・押切浄心連絡線という2つの市電路線に接続する浄心町停留場である。同停留場は市道江川線の浄心交差点付近に位置し、市道江川線を南進する上江川線に対して浄心延長線はここから北へ向った。なお押切町方面へ向う押切浄心連絡線とは線路は直接繋がっていなかった。 途中の停留場はなく、次の秩父通停留場が終点である。市道江川線と市道名古屋環状線が交差する秩父通交差点に位置していた。 市電廃止後の1980年代になって江川線の地下には名古屋市営地下鉄鶴舞線が建設された。浄心町の地下には浄心駅が開設されているが、秩父通に対応する駅はない。
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路線概況
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全長は大津町線が1.056キロメートル(1962年3月末時点)。全線複線かつ道路上に敷設された併用軌道であった。この時点で廓内線は休止線であり、統計上は全線複線・併用軌道で全長0.432キロメートルとある。 大津町線の起点・栄停留場は、南北方向の市道大津通と東西方向の広小路通(県道60号)が交差する栄交差点に位置した。ここは市電3路線が集まる地点であり、広小路通上を栄町線が通り、大津通上には南方向へ熱田線が、北方向へこの大津町線がそれぞれ伸びていた。なお東西方向の栄町線と南北方向の大津町線・熱田線は平面交差するのみで、双方を繋ぐ連絡線は1960年代の段階では存在しなかった。交差点周辺は百貨店が集まる繁華街である。 途中、桜通(国道19号)との交差点に桜通大津(旧・東桜町)停留場が存在した。1950年代以降の場合、大津町線の途中停留場はここだけである。 大津橋線の終点・大津橋停留場は、大津通と外堀通が交差する大津橋交差点に位置した。ここは外堀通上を東西方向に走る東片端線との接続地点で、栄方面から北上してきた線路は東へと折れてそのまま東片端線東片端方面へと繋がっていた。また大津橋交差点北西角から名古屋城外堀(空堀)を降りた場所には、市電があった当時は名古屋鉄道(名鉄)瀬戸線のターミナル駅である大津町駅があり、大津橋停留場は瀬戸線と市電の乗換地点として機能していた。 大津橋交差点から外堀にかかる「大津橋」を渡って北上すると、愛知県庁舎(本庁舎・西庁舎)と名古屋市役所(本庁舎・西庁舎)が建つ。1943年まで営業していた廓内線は、このうち市役所本庁舎前まで伸びていた。
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路線概況
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「名古屋市電高岳延長線」の記事における「路線概況」の解説
全長は1.477キロメートル(1962年3月末時点)。全線が複線かつ併用軌道であり、名古屋市道堀田高岳線(空港線)上を走行した。 起点の東新町停留場は、空港線と愛知県道60号(広小路通)が交差する東新町交差点にあった。ここは3本の市電路線が集まる地点であり、東西の広小路通上に栄町線が存在し、南北方向の空港線には北へ向かって高岳線が、南へ向かってこの高岳延長線がそれぞれ伸びていた。従って交差点には栄町線と高岳線・高岳延長線の平面交差が形成されていた。東新町の一帯は繁華街栄の東に位置し、中部電力本店や名古屋市交通局本庁舎(1954 - 1966年)などが集まるビル街、また「女子大小路」で知られるネオン街の地である。 東新町より空港線を南下した先、若宮大通との交差点には丸田町停留場が存在した。戦前は、ここで市電千早線と交差していた。 空港線と市道葵町線、市道大池通(大須通)など交差する鶴舞公園前交差点には、終点の鶴舞公園停留場が存在した。この交差点は市電の交差点でもあり、北東方向から交差点に入る市道葵町線および西へ抜ける大須通には公園線が通る。さらに空港線上にも、高岳延長線から引き継ぐ形で南へ伸びる東郊線が存在した。交差点には公園線と高岳延長線・東郊線が形成する平面交差に加えて東郊線(高辻方面)と公園線西側(上前津方面)を繋ぐ複線の連絡線があった。交差点東側には中央本線鶴舞駅があり、その奥には鶴舞公園が広がる。
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路線概況
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「名古屋市電押切浄心連絡線」の記事における「路線概況」の解説
全長は0.911キロメートル(1962年3月末時点)。全線が複線かつ道路上に敷設された併用軌道であった。 起点は市電押切線に接続する押切町停留場である。同停留場は国道22号と名古屋市道菊井町線が交差する押切交差点にあり、押切浄心連絡線はここから市道菊井町線上を北進していた。 途中の停留場は天神山停留場1か所のみである。この停留場の北方にある天神山交差点にて東へ曲がり、市道弁天浄心町線上を進と、市道江川線と交差する浄心交差点に出る。同交差点が終点浄心町停留場のあった場所である。この市道江川線上には南北方向に市電上江川線・浄心延長線が走っていたが、押切浄心連絡線とそれらの線は直通できない配線であり、線路は交差点北西角にあった車庫(浄心電車運輸事務所)にそのまま引き込まれていた。
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