地方病 (日本住血吸虫症)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/24 10:00 UTC 版)
本項で解説する地方病(ちほうびょう)は、日本住血吸虫症(にほんじゅうけつきゅうちゅうしょう)[† 1]の山梨県における呼称であり、長い間その原因が明らかにならず、住民らに多大な被害を与えた感染症である。ここではその克服・撲滅に至る歴史について説明する。
注釈
- ^ 『広辞苑』には「日本住血吸虫病(にほんじゅうけつきゅうちゅうびょう)」として掲載されている[2]。
- ^ a b アジアにおける日本住血吸虫症の分布は撲滅された日本を含め、中華人民共和国、フィリピン、インドネシアの4カ国(厳密には台湾でもかつて分布が見られたが、ブタ、イヌ等の感染は認められたものの、ヒトへの感染事例は未確認である)であるが、このうちインドネシアでの流行地は小規模なものでスラウェシ島(旧称:セレベス島)中部にあるLindoe湖西岸の3か村(人口約1,500人)に有病地が確認されている。ただしスラウェシ島の大部分は未開発の熱帯雨林であり、未発見の日本住血吸虫症有病地が存在する可能性も指摘されている[4]。
- ^ 日本は日本住血吸虫症 (Schistosomiasis japonica) を撲滅した世界唯一の国である[12]。
- ^ 旧北相馬郡高野村(現:守谷市)、利根川下流対岸の印旛郡の氾濫原一部[14]。
- ^ 旧北葛飾郡彦成村(現:三郷市)、旧北豊島郡赤塚村および志村(現:板橋区)の非常に限られたごく一部[14]。
- ^ 富士市と沼津市にまたがる湿地帯の周辺[16]。
- ^ 片山地区と県境を接した岡山県旧小田郡大江村(現:井原市)西代地区、当地では西代病(にしだいびょう)と呼ばれていた[17]。
- ^ 流行末期の1977年(昭和52年)の段階ですら、厚生省(当時、現:厚生労働省)によって指定されていた甲府盆地の有病地面積は、日本国内の日本住血吸虫症有病地総面積の約6割に当たる11,764ヘクタールであった。泉 (1979) P.44
- ^ 日本国内の他の流行地でも日本住血吸虫症とは呼ばず、独自の呼び名で呼ばれていた。広島県福山市片山地方では「片山病」、筑後川下流域の福岡県久留米市周辺では「マンプクリン」、筑後川対岸の佐賀県では単に「奇病」と呼ばれていた。ただし、病原が解明された後に、福岡、佐賀の2県では、住血吸虫の英名 Schistosoma を略した「ジストマ」と呼ばれるようになった[23]。
- ^ 近代の中巨摩郡東部の呼称。現在の甲斐市、中央市、昭和町一帯。
- ^ 野午島ではなく野牛島と書いて「やごしま」と読む難読地名で、現在の南アルプス市(旧八田村中央部)の地名。能蔵池とは現在も同地に現存する小さな池で、赤牛を貸し主とする椀貸伝説が伝わる池としても知られる。当時この病の原因が飲料水によるものとの風説があった。
- ^ 現在の甲斐市の地名。甲斐市龍地。
- ^ 現在の韮崎市旭町および大草町付近。
- ^ 着任当時「山梨権令」、明治7年(1874年)10月より「県令」、明治19年、職名の改称により「知事」。
- ^ 『死体解剖御願』は当時の農民にしては記述内容の知的水準が高く、毛筆の筆跡も達筆であったことから、なか本人の承諾を得た上で吉岡をはじめとする関係者によって書かれた可能性が指摘されている。林 (2000) pp.73-74
- ^ 執刀した下平は、おびただしい虫卵を目の当たりにし「その原虫を発見せざるが故に十分の判定下し難きも、本病はおそらく一新寄生虫の所為に期すべし」と述べている。山梨地方病撲滅協力会編 (1977) p.10
- ^ 酒精(エチルアルコール)に浸けられ、山梨県立病院に保存された。当時、ホルマリンは未だになかった。小林 (1998) p.39
- ^ 三神内科は2017年現在も同所(甲府市大里町)で開業する三神医院である。2017年現在の同医院院長三神柏は三神三朗の孫に当たる。
- ^ 三神脳外科内科医院の中庭に、『明治37年7月30日此の地に於て初めて日本住血吸虫が発見された 三神三朗』と書かれた銅版がはめ込まれた石碑が建立されている。薬袋勝「山梨県の住血吸虫の防圧」『住血吸虫症と宮入慶之助-ミヤイリガイ発見から90年』宮入慶之助記念誌編纂委員会編 (2005)、p.32
- ^ 官報6337号に記載された桂田の報告によれば、2回目の猫の解剖日時は7月25日となっているが、ここでは発見地にある石碑碑文に記載された7月30日を発見日とした。
- ^ カットー医師をドイツ人とする文献も存在するが、当時のシンガポールはイギリスの植民地であり、カットーはシンガポールに検疫官として赴任していた。小林 (1998) p.69。
- ^ 十郎川の通称「深マチ」という場所(現:山梨英和大学南方、国道140号横根跨線橋付近)で、約100坪ほどの水面を利用して動物実験が行われた様子が横根町在住の秋山丈吉により1977年に証言されている。山梨地方病撲滅協力会編 (1977) p.167
- ^ 発見した水路の所在地を、酒井地区の北隣に位置する現鳥栖市曽根崎町とする資料(NPO法人宮入慶之助記念館しおり)もある。
- ^ ミヤイリガイの学名は、Katayama(後にOncomelania)nosophora。"カタヤマガイ(別名ミヤイリガイ)"日本のレッドデータ検索システム 2014年4月13日閲覧
- ^ 山梨地方病撲滅協力会編 『地方病とのたたかい』 平和プリント社、p.56、より一部改変作成。
- ^ 東山梨郡:岡部村、(春日居村は検診未了)。
- ^ 西山梨郡:甲運村、住吉村、朝井村、山城村、里垣村、国里村、清田村、相川村、千塚村。
- ^ 東八代郡:富士見村、石和町、上曽根村、下曽根村、豊富村。
- ^ 西八代郡:上野村。
- ^ 中巨摩郡:貢川村、西条村、国母村、大鎌田村、二川村、稲積村、三町村、常永村、小井川村、花輪村、忍村、池田村、玉幡村、今諏訪村、田之岡村、御影村、百田村、大井村、五明村、藤田村、鏡中条村、南湖村、(松島村、竜王村は検診未了)。
- ^ 北巨摩郡:登美村、塩崎村、竜岡村、更科村、神山村、大草村、旭村。
- ^ 最後に日本住血吸虫症の発症が確認されたのは韮崎市内であった。林 (2000) p.80
- ^ 山梨地方病撲滅協力会編 『地方病とのたたかい』 平和プリント社、p.51、p.105、より一部改変作成。
- ^ 三神三朗は自ら率先して、甲府市立国母小学校、同市立貢川小学校の校医を務め、初期感染患者の発見、早期治療に貢献した。山梨地方病撲滅協力会編 (1977) pp.174-177
- ^ 冊子の表紙に記された題名にはルビがふられており、「俺」は「わし」と読ませることがわかる[152]。
- ^ イラストとストーリーは懸賞により募集された。山梨地方病撲滅協力会 (1977) p.21
- ^ ミヤイリガイはセルカリアに感染していなければ安全であるが、撮影場所は伏せる。画像GPSデータは除去済。
- ^ 生石灰使用量は、1年目と2年目はそれぞれ225トン、3年目は375トン、4年目は1170トンであった[191]。
- ^ 甲府市内は1945年(昭和20年)7月の甲府空襲により焼け野原になり、辛うじて残った山梨県庁舎などもGHQによりすでに接収されており、復興ままならない1947年(昭和22年)当時では、研究所として使用可能な建造物がほかになかったためだといわれている。小林 (1998) p.154
- ^ 写真は中巨摩郡昭和町上河東、正面に見える山は八ヶ岳と 茅ケ岳。
- ^ 岡部浩洋はその後の1949年(昭和24年)に、久留米大学に設立された日本住血吸虫症研究機関の初代会長として同大学の教授に就任した。
- ^ 写真は中巨摩郡昭和町押越、設置年度と施工業者名、延長が記載されている。
- ^ コンクリート化の立法化は後に厚生大臣を務めた山梨県選出の内田常雄議員が働きかけたのだといわれている。林 (2000) p.80
- ^ 山梨県では1986年以降、皮内反応をELISA法に切り替え、虫卵抗原に対するELISA陽性者に対しMIFC法による検便を実施してきたが、保卵者は発見されなかった。薬袋勝「山梨県の住血吸虫の防圧」『住血吸虫症と宮入慶之助-ミヤイリガイ発見から90年』宮入慶之助記念誌編纂委員会編 (2005) pp.34-35
- ^ 国の天然記念物であった「鎌田川ゲンジボタル」指定石碑(昭和町押越)の隣に2002年12月に建立された。その後2010年の風土伝承館杉浦醫院オープンに伴い杉浦醫院の庭に移設された。石碑の下部には医院の屋根に使用されていた瓦が、終息に要した年数と同じ115枚並べられている
- ^ 2月13日の答申をもって、翌週2月19日に終息宣言が出された。
- ^ 日本住血吸虫を感染させたマウス-Youtube (2012年12月24日閲覧)ホルマリン標本容器に、感染日2011年4月25日(40〜45隻)、標本作成日2011年9月3日 (18W) の文字が確認できる。
- ^ 臼井という地名は、2016年現在もリバーサイドタウンの近辺に臼井阿原として残っている。
- ^ 筑後大堰管理所は、筑後大堰によって湿地帯がなくなりミヤイリガイ撲滅をもたらしたとしている[262]。その一方で、筑後大堰は日本住血吸虫症の拡大を引き起こすとして建設差止訴訟を起こした市民もいる。大堰から他地域へ導水されることを挙げ、感染拡大に繋がることを差止理由の一つとしたのである[263]。
- ^ 臨床医でもあった福井県選出の日本社会党所属議員らによって組織された[271]。
- ^ (英語)Jaime Galvez-Tan 2016年5月4日閲覧
- ^ 肩書、呼称は 林 (2000) p.7に従った。この人物は「ハイメ・Z・ガルベス・タン」[284]、「ハイメ・ガルヴェス・タン」[285]と表記されることもある。また、一般にはフィリピンの厚生省は保健省、大臣は長官とも呼ばれる。
- ^ 住血吸虫症による病死は死因が多様であるが、death.1番号として「住血吸虫症状」で一括りにされるケースが多いため、たとえば、肝臓や腎不全と膀胱癌のような隠された病理の推定をすることは困難である。したがって死因見積もりは、年間20,000から200,000人の間で大きく異なる。
引用
出典
- ^ 泉 (1979) pp.73-74での現代訳から一部改変引用。死体解剖御願、原文、以下引用。山梨地方病撲滅協力会編 『地方病とのたたかい』 平和プリント社、pp.118-119より。 死体解剖御願
西山梨郡清田村第弐百拾六番
戸主 杉山源吉養母
杉山なか
当五拾四年
私儀太平ナル御代ニ生存スルコト已ニ数十星霜ヲ経過スルモ素ヨリ無教育ナルヲ以テ未ダ曽テ君恩ノ万分ノ一ダモ報ゼザルニ一朝病ノ為不帰ノ身トナランコトハ遺憾至極ト存候然ルニ不幸ニモ昨二十九年六月頃ヨリ疾病ニ罹り悩ムコト甚シ、依ツテ早速ニ某医ヲ迎ヘ診ヲ乞ヒタルニ病名サヘ指示セザルヲ以テ其后又二三某医ヲ乞ヒタルニ是又前同様莫トシテ一ツモソノ要領ヲ得ズ、遂ニ荏苒時日ヲ経過シ同年十一月ニ至ルニ病勢ハ漸々増進スルノミニテ毫モ減退セザル故最后諦メノ為同月下旬貴院ノ温厚篤実ナル御診察ヲ仰ギ充分ナル御鑑定ヲ得タルニ豈図ンヤ当地ノ近傍有名ナル地方病ニシテ未ダ病原ノ発見セダル最モ恐ルベキ疾病ナリ、是迄数多ノ該患者発見スルモ病原不明ノ為十中八、九ハ鬼籍ニ転ヅルノ不幸ニ接シタリト、妾事モ発病臥床最早殆ト一ケ年間ノ敷ニ及ブモ素ヨリ病原不明不治ノ病ナルヲ以テ如何ニ先生ノ百方御尽力且ツ御治療ヲ受クルモ日々衰弱ヲ増進スルノミニシテ到底恢復ノ見込無キハ勿論不日死亡ノ不幸ニ陥ルハ目前ナルヲ以テ、死后ハ是共貴院ニ於テ解剖被成下充分ノ病原発見セラレ以后該地方病ニ罹リ悩ム処ノ数多ノ諸氏ヲ助ケ、医学上永遠ニ妾ノ寸志ヲ遺保セランコトヲ懇願至候。依ツテ本日ヲ以ツテ戸主夫幷ニ親属〔ママ〕立会連署ノ上御願申上候也。 明治三十年五月三十日
右戸主 杉 山 源 吉
右夫 杉 山 武 七
右本人 杉 山 な か
右親属(原文ママ) 向 山 太 平
右親属(原文ママ) 戸 沢 近 太 郎 — 杉山なか 『死体解剖御願』 1897年5月30日
注釈:この文中にある妾とは日本語の一人称代名詞#妾(わらわ)の意味である。
- ^ 1917年(大正6年)発行の小冊子『俺は地方病博士だ』でも、地方病は人口の減少や発育不良を招く病であると説いており、
としていた。だから地方病は貧國弱兵病だ。こんな病氣が蔓延て來ると國が貧乏になって弱くなって、獨逸どころか支那と戦争も出來ない樣になるかも知れない。
だからこんな病氣の蟲は早く退治して仕舞ねばならぬ。 — 『俺は地方病博士だ』pp.4-5 - ^ 昔から「病は口より入る」と言ふ諺があるが地方病では「病は皮膚より入る」と言ふのが正しい。決して口からは入らぬ。
何でも病蟲の居る水の中へ三四十分間入って居ると、病蟲はチャンと皮膚を喰破つて身體の中へ入るのだ。 — 『俺は地方病博士だ』p.5 - ^ 病氣の研究が出来て原因がわかつたから、豫防する事も駆除する事も知れてるが、困た事に實行が困難だ。
一人や二人が幾ら心配して駆除しやうとしても駄目だ。どうでも其地方の人が全體で力を協せてやらねばならぬ。 — 『俺は地方病博士だ』p.11
- ^ 山梨日日新聞社編『山梨 歴史カレンダー』p.242
- ^ 新村出 編『広辞苑 第七版』(第一刷発行)岩波書店、東京都、2018年1月12日、2231頁。ISBN 978-4000801317。"同ページ3段落目【日本住血吸虫病】"。
- ^ a b c d 木村幹男、大前比呂思「住血吸虫症とは - 感染症の話」(pdf)『感染症発生動向調査週報』第8巻第41号、国立感染症研究所感染症情報センター、2006年10月、17-20頁、2019年2月14日閲覧。
- ^ 飯島利彦 著「第1節分布 インドネシアにおける流行、台湾における流行」、山梨地方病撲滅協力会 編『日本住血吸虫の疫学生態学』有限会社平和プリント社、山梨県甲府市〈地方病とのたたかい:日本住血吸虫病・医療編〉、1981年3月31日、38-39頁。 NCID BN11304501。OCLC 497978867。
- ^ 世界保健機構、日本住血吸虫症の現状(英語)「schistosomiasis (PDF) 」
- ^ 世界保健機構、日本住血吸虫症(英語)「Field evaluation of a rapid ,visually-read colloidal bye immunofiltration assay for Schistosoma japonicum for screening in areas of low transmission (PDF) 」
- ^ WHO Schistosomiasis - ウェイバックマシン(2004年8月23日アーカイブ分) WHO(英語) 2017年1月17日閲覧
- ^ a b (英語)WHO Schistosomiasis Fact sheet N°115Updated October 2017 - ウェイバックマシン(2017年1月24日アーカイブ分)2017年1月17日閲覧
- ^ a b [1] Uganda National Health Consumers' Organisation(UNHCO)(英語) ウガンダ国民健康消費者機構 2016年1月2日閲覧
- ^ 世界保健機構、慢性日本住血吸虫症と肝細胞癌:山梨県におけるフォローアップの10年(英語)「Chronic Japanese schistosomiasis and hepatocellular carcinoma:ten years of follow-up in Yamanashi Prefecture,Japan (PDF) 」2016年1月2日閲覧
- ^ 小林 (1998), pp. 227–230.
- ^ a b 林 (2000), pp. 1–3.
- ^ 岡部 (1961), pp. 61–64.
- ^ a b 岡部 (1961), p. 63.
- ^ a b 前述の岡部の文献には記載されていないが、千葉大学医学部の調査によって複数の住民の組織内から虫卵が検出されるなど、かつての流行の痕跡が見られているため記載する(新村宗敏、「千葉県小櫃川流域における日本住血吸虫症の実態調査について 『千葉医学雑誌』 1986年 62巻 5号 p.317-318、千葉医学会
- ^ 岡部 (1961), pp. 63–64.
- ^ 岡部 (1961), pp. 61–62.
- ^ 山梨地方病撲滅協力会編 (1977) p.1
- ^ 小林 (1998), pp. 5, 9–17, 31–32.
- ^ gooヘルスケア 日本住血吸虫症 - ウェイバックマシン(2006年10月23日アーカイブ分) 2012年1月22日閲覧
- ^ 林 (2000), p. 76.
- ^ a b 厚生労働省「疾病、傷害及び死因分類」 2014年4月6日閲覧
- ^ 小林 (1998), pp. 9–19, 31–32, 144.
- ^ 田中寛 「宮入慶之助と中間宿主カイ発見」『住血吸虫症と宮入慶之助-ミヤイリガイ発見から90年』宮入慶之助記念誌編纂委員会編 (2005) pp.13-21
- ^ 小林 (1998), p. 31.
- ^ a b c d e f 山梨県史通史編5-近現代1 (2005) p.522
- ^ 酒井憲二解題『甲陽軍鑑 四 自巻第十六至巻二十』 勉誠社 (1979) p.2259
- ^ a b c 小林 (1998), pp. 6–8.
- ^ カシオ計算機、和暦から西暦変換(年月日)による(2020年6月15日)
- ^ a b 山梨地方病撲滅協力会編 (1977) pp.5-6
- ^ a b c NHK甲府放送局、末利光 「地方病の庶民史」 山梨地方病撲滅協力会編 (1977) pp.178-180
- ^ 佐賀県保健環境部 「佐賀県の日本住血吸虫病 -安全宣言への歩み」1991年
- ^ コトバンク 橋本伯寿
- ^ J-GLOBAL 科学技術総合リンクセンター 地方病関連資料3.「翻訳断毒論」にみられる水腫について-山梨県衛生公害研究所年報 1997年
- ^ a b 山梨県立博物館編 (2009) p.87
- ^ 山梨地方病撲滅協力会編 (1977) pp.105-106
- ^ 石崎、加茂、井内「日本住血吸虫病の症状」 山梨地方病撲滅協力会編 (1981) pp.100-198
- ^ 林正高「フィリピンの日本住血吸虫症・脳症型、肝脾腫型の臨床と同症に対する挑戦」 山梨地方病撲滅協力会編 (1977) pp.151-156
- ^ 有泉信「脳合併症(脳症型日本住血吸虫病)」 山梨地方病撲滅協力会編 (1981) pp.199-207
- ^ 林正高「急性および慢性日本住血吸虫症と脳機能障害との関係」 山梨地方病撲滅協力会編 (1981) pp.208-247
- ^ a b 山梨県史通史編5-近現代1 (2005) pp.522-523
- ^ 泉 (1979) pp.15-17
- ^ a b c 林 (2000) p.70
- ^ a b J-GLOBAL 科学技術総合リンクセンター 日本史における寄生虫症-過去、現在そして未来京都府立医科大学 吉田幸雄
- ^ 泉 (1979) pp.88-91
- ^ 山梨日日新聞社編 『山梨 歴史カレンダー』 p.254
- ^ a b 薬袋勝「山梨県の住血吸虫の防圧」『住血吸虫症と宮入慶之助-ミヤイリガイ発見から90年』宮入慶之助記念誌編纂委員会編 (2005) p.31
- ^ 小林 (1998), pp. 19–22.
- ^ 小林照幸 「住血吸虫研究史における人間ドラマ 取材雑感から」『住血吸虫症と宮入慶之助-ミヤイリガイ発見から90年』宮入慶之助記念誌編纂委員会編 (2005) pp.223-224
- ^ 山梨地方病撲滅協力会編 (1977) pp.7-8
- ^ a b c 山梨地方病撲滅協力会編 (1981) p.1
- ^ 小林 (1998), pp. 25–28.
- ^ 山梨地方病撲滅協力会編 (1977) p.8
- ^ a b 目黒寄生虫館ニュース 第157号 日本住血吸虫の記念碑特集号 1984年9月 (PDF) 2012年1月22日閲覧
- ^ 小林 (1998), p. 35.
- ^ 泉 (1979) pp.84-87
- ^ a b c d 小林 (1988) pp.33-34
- ^ 薬袋勝「山梨県の住血吸虫の防圧」『住血吸虫症と宮入慶之助-ミヤイリガイ発見から90年』宮入慶之助記念誌編纂委員会編 (2005) p.31
- ^ 小林照幸 「住血吸虫研究史における人間ドラマ 取材雑感から」『住血吸虫症と宮入慶之助-ミヤイリガイ発見から90年』宮入慶之助記念誌編纂委員会編 (2005) pp.221-227
- ^ 甲府市HPとびだせ市民レポーター (PDF) -2008年9月号 2016年5月4日閲覧
- ^ a b 小林 (1998) pp.34-39
- ^ 泉 (1979) pp.94-98
- ^ a b c 山梨地方病撲滅協力会編 (2003)、p.40
- ^ 山梨日日新聞社編 「地方病100年戦争 献体女性の遺志継ぎ闘う」 『山梨20世紀の群像』 2000年10月6日第1刷発行 pp.107-109
- ^ 山梨地方病撲滅協力会編 (1977)、p.197
- ^ 山梨日日新聞社編 『山梨 歴史カレンダー』 p.169
- ^ 小林 (1998) pp.39-41
- ^ a b 礫川 (2006) p.15
- ^ a b 国立科学博物館企画展『日本はこうして日本住血吸虫症を克服した』展示の解説による。2013年5月15日撮影。一部展示品を除き、静止画に限り撮影は自由。
- ^ 小林 (1998), pp. 42–43.
- ^ 積水ハウス 外科・整形外科実例:三神医院 親子4代にわたって続く開業医。2015年8月1日閲覧
- ^ 薬袋勝「山梨県の住血吸虫の防圧」『住血吸虫症と宮入慶之助-ミヤイリガイ発見から90年』宮入慶之助記念誌編纂委員会編 (2005) pp.31-32
- ^ 泉 (1979) pp.99-103
- ^ 山梨県史通史編5-近現代1 (1998) p.517
- ^ a b 小林 (1998) pp.50-53
- ^ 小林 (1998), p. 51.
- ^ a b 林 (2000) pp.74-76
- ^ 当時の岡山県西部では肝臓ジストマが流行していた。小林 (1998) p.50
- ^ a b c 小林 (1998) pp.55-58
- ^ ビルハルツ住血吸虫は1851年にドイツ人医師のビルハルツによって発見されたが、その中間宿主を含めた感染経路は長期間にわたり不明であった。完全に解明されたのは、日本で日本住血吸虫の中間宿主ミヤイリガイが発見された2年後の1915年のことであった。林 (2000) pp.56-59
- ^ a b c d 山梨県史通史編5-近現代1 (2005) p.523
- ^ 礫川 (2006) p.13
- ^ 山梨地方病撲滅協力会編 (2003年)p.41
- ^ 山梨日日新聞社編 『山梨 歴史カレンダー』 p.220
- ^ 小林 (1998), pp. 57–69.
- ^ 薬袋勝「山梨県の住血吸虫の防圧」『住血吸虫症と宮入慶之助-ミヤイリガイ発見から90年』宮入慶之助記念誌編纂委員会編 (2005) p.32
- ^ 林 (2000), pp. 75–76.
- ^ 第6回 岡山医専教授 桂田富士郎 日本住血吸虫発見 世界注目の奇病解明 山陽新聞社 岡山医療ガイド 2016年5月4日閲覧
- ^ 林 (2000), p. 75.
- ^ 国立国会図書館デジタル化資料 官報6337号 4コマ目
- ^ 国立国会図書館デジタル化資料 官報6337号 5コマ目
- ^ 日本住血吸虫発見100年記念桂田富士郎先生の顕彰 小田晧二 岡山医学同窓会報(岡山大学)96号 2012年1月22日閲覧
- ^ 安羅岡一男 「第2節 発育・発育史、V終宿主体内発育」 山梨地方病撲滅協力会編 (1981) pp.5-18
- ^ a b c d e f 堀見利昌 「山梨県の地方病概観」 山梨地方病撲滅協力会編 (1981) pp.47-72
- ^ 泉 (1979) p.105
- ^ 小林照幸「住血吸虫研究史における人間ドラマ 取材雑感から」『住血吸虫症と宮入慶之助-ミヤイリガイ発見から90年』宮入慶之助記念誌編纂委員会編 (2005) p.223
- ^ 小林 (1998), pp. 72–73.
- ^ 小林 (1998), p. 74.
- ^ 名古屋市立大学大学院 医学研究科 宿主・寄生体関係学(医動物学教室)住血吸虫症の研究2012年6月3日閲覧。
- ^ a b 小林 (1998) pp.76-77より引用一部改変。
- ^ 小林 (1998) p.76 山陽本線の貨物列車に連結された家畜車によって運ばれ、福山駅に到着した20頭のうち、1頭はすでに死亡、2頭は衰弱していたことから、17頭が使用された。
- ^ a b 小林 (1998) pp.74-80
- ^ 山梨地方病撲滅協力会編 (1977) p.16
- ^ 小林 (1998), pp. 75–76.
- ^ 薬袋勝「山梨県の住血吸虫の防圧」『住血吸虫症と宮入慶之助-ミヤイリガイ発見から90年』宮入慶之助記念誌編纂委員会編 (2005) pp.32-33
- ^ 小林 (1998), pp. 80–81.
- ^ 山梨地方病撲滅協力会編 (1977) pp.1-4
- ^ 山梨地方病撲滅協力会編 (1977) pp.15-18
- ^ 小林 (1998), pp. 85–88.
- ^ 山梨地方病撲滅協力会編 (1977) p.18
- ^ 小林 (1998), p. 87.
- ^ 小林 (1998), pp. 88–90.
- ^ 小林 (1998), p. 91.
- ^ 山梨地方病撲滅協力会編 (1977) p.19、p.120
- ^ 泉 (1979) pp.105-106
- ^ 岩永襄「ミヤイリガイの生物学」『住血吸虫症と宮入慶之助-ミヤイリガイ発見から90年』宮入慶之助記念誌編纂委員会編 (2005)、p.172
- ^ a b 田中寛「宮入慶之助と中間宿主カイ発見」『住血吸虫症と宮入慶之助-ミヤイリガイ発見から90年』宮入慶之助記念誌編纂委員会編 (2005) pp.15-17
- ^ 安羅岡一男 「第2節 発育・発育史、V終宿主体内発育」 山梨地方病撲滅協力会編 (1981) pp.8-9
- ^ 礫川 (2006) p.19
- ^ 小林 (1998), pp. 94–1052.
- ^ 小林 (1998), pp. 104–105.
- ^ 田中寛「宮入慶之助と中間宿主カイ発見」『住血吸虫症と宮入慶之助-ミヤイリガイ発見から90年』宮入慶之助記念誌編纂委員会編 (2005) p.16
- ^ Davis G. M. (1979). "The origin and evolution of the gastropod family Pomatiopsidae, with emphasis on the Mekong river Triculinae". Academy of natural Sciences of Philadelphia, Monograph 20: 1-120. ISBN 978-1-4223-1926-0. at Google Books.
- ^ 塚本増久、中島康雄、荘和憲「住血吸虫症媒介貝の酵素泳動像比較」『産業医科大学雑誌』第10巻第4号、産業医科大学学会、1988年12月、381-390頁、NAID 110001260018。
- ^ 岩永襄、辻守康、菅野雅元「Oncomelania 体内に於ける日本住血吸虫スポロシストの発育 : (3) 日本産日本住血吸虫成熟スポロシストの Oncomelania hupensis nosophora 及び O. h. chiui 体内に於ける発育」『衞生動物』第52巻(Supplement)、日本衛生動物学会、2001年4月、82頁、NAID 110003822058。
- ^ 小林 (1998), pp. 9–17.
- ^ 小林 (1998), p. 105.
- ^ 山梨日日新聞社編 『山梨の20世紀』「1市45村で宮入貝採取」 大正6年4月3日付 同新聞紙面、「宮入博士が現地視察」大正6年4月15付 同新聞紙面 2000年8月10日第1刷発行 p.34
- ^ 山梨地方病撲滅協力会編 (1977) p.19、p.59
- ^ 岡山県レッドデータブック (PDF)
- ^ 宮入慶之助記念誌編纂委員会編 (2005) pp.19-21
- ^ 山梨地方病撲滅協力会編 (1977) p.24、pp.62-63
- ^ 山梨地方病撲滅協力会編 (1977) p.24
- ^ 三神三朗 「スチブナールによる日本住血吸虫病患者の治療実験」 『実験医報9』 1923年、pp.1330-1339
- ^ 山梨県史通史編5-近現代1 (2005) p.525
- ^ 薬袋勝 「山梨県の住血吸虫の防圧」『住血吸虫症と宮入慶之助-ミヤイリガイ発見から90年』宮入慶之助記念誌編纂委員会編 (2005) pp.33-36
- ^ 山梨日日新聞社編 『山梨 歴史カレンダー』 p.329
- ^ 山梨地方病撲滅協力会編 (1977) pp.233-238
- ^ 林 (2000), pp. 122–125.
- ^ 山梨地方病撲滅協力会編 (1977) pp.90-93
- ^ 久津見晴彦、薬袋勝、梶原徳昭 「日本住血吸虫症の検査法に関する研究-2-MIFC虫卵検査法の虫卵回収率」 『北海道医学雑誌1979年7月号』北海道医学会 1979年7月 pp.347-353 ISSN 0367-6102
- ^ 飯島利彦、伊藤洋一、中山茂、石崎達 「日本住血吸虫病の研究 (1) 繰り返し行ったMIFC集卵法による日本住血吸虫卵陽性率の統計的解析」 『寄生虫誌11』 1962年、pp.483-487
- ^ 太田秀浄、土屋庄、渡辺照代 「山梨県有病地の日本住血吸虫皮内反応実施成績」 『山梨県衛研報4』 1960年、pp.41-50
- ^ 石崎達、飯島利彦、伊藤洋一 「日本住血吸虫病の診断法の研究 (2) 日本住血吸虫抗原皮内反応の判定基準と診断価値」 『寄生虫誌13』 1964年、pp.387-396
- ^ 薬袋勝「山梨県の住血吸虫の防圧」『住血吸虫症と宮入慶之助-ミヤイリガイ発見から90年』宮入慶之助記念誌編纂委員会編 (2005) pp.34-36
- ^ a b c 薬袋勝「山梨県の住血吸虫の防圧」『住血吸虫症と宮入慶之助-ミヤイリガイ発見から90年』宮入慶之助記念誌編纂委員会編 (2005) p.33
- ^ a b c 山梨地方病撲滅協力会編 (1977) p.51、pp.104-106
- ^ a b 山梨地方病撲滅協力会編 (1977) pp.55-59
- ^ “杉浦醫院四方山話: 杉浦醫院四方山話―329 『中澤年章挿絵』”. 杉浦醫院四方山話 (2014年4月17日). 2023年1月30日閲覧。
- ^ a b “俺は地方病博士だ”. 峡陽文庫ホームページ. 2014年12月19日閲覧。 “山梨県内において長く人々を悩ませた「日本住血吸虫病」、いわゆる地方病は、甲府盆地を中心に流行した病気であり、田んぼで手足が漆にかぶれたようになり、手足が痩せ衰え腹部のみが太鼓のようになり、人間のみでなく牛や馬も罹る病気として恐れられてきたが、その原因は不明であり解決には至らぬ状況が長く続いていた。”
- ^ a b 小林 (1998) pp.116-118
- ^ 博士 (1917).
- ^ 山梨県史通史編5-近現代1 (2005) p.638,p.640,p.646
- ^ 山梨地方病撲滅協力会編 (1977) p.94
- ^ a b c 山梨県史通史編5-近現代1 (2005) pp.524-525
- ^ a b 山梨地方病撲滅協力会編 (1977) pp.32-35
- ^ 泉 (1979) pp.123-125
- ^ a b 小林 (1998) p.135
- ^ 山梨日日新聞社編 『山梨 歴史カレンダー』 p.327
- ^ [2]NPO法人科学映像館 ライブラリー、地方病との斗い 第二部 企画:山梨県地方病撲滅協会 製作:東京文映株式会社1978年 モノクロ26分
- ^ a b “杉浦医院、全面公開へ 地方病撲滅の拠点 : 山梨 : 地域”. YOMIURI ONLINE (読売新聞社). (2013年7月20日). オリジナルの2013年7月20日時点におけるアーカイブ。 2013年7月20日閲覧。
- ^ 風土伝承館 杉浦醫院 2013年9月5日閲覧
- ^ a b 杉浦醫院四方山話 2019年5月16日 581 『資料・情報御礼ー2 笛吹市K様』 2019年5月19日閲覧
- ^ 山梨日日新聞社編 「地方病撲滅組合が発足」 『山梨の20世紀』 大正14年2月11日付 同新聞紙面 2000年8月10日第1刷発行 p.51
- ^ 山梨地方病撲滅協力会編 (1977) p.36
- ^ 山梨地方病撲滅協力会編 (1977) p.121
- ^ 保阪幸男「地方病との付合」 山梨地方病撲滅協力会編 (1977) pp.181-182
- ^ 山梨日日新聞社編 『山梨 歴史カレンダー』 p.307
- ^ 地方病資料館 11月16日にオープン - 山梨日日新聞、みるじゃん 2011年11月閲覧
- ^ コトバンク2012年1月29日閲覧
- ^ 小林 (1998), p. 163.
- ^ 雨宮礼子(三神三朗長女) 「父の想い出」 山梨地方病撲滅協力会編 (1977) pp.174-176
- ^ 山梨日日新聞社編 『山梨 歴史カレンダー』 p.80
- ^ 河野文蔵「三神三朗先生を偲ぶ」 山梨地方病撲滅協力会編 (1977) pp.169-170
- ^ 山梨地方病撲滅協力会編 (1977) p.50より作成
- ^ 山梨地方病撲滅協力会編 (1977) p.30、pp.49-50
- ^ 山梨地方病撲滅協力会編 (1977) pp.42-43、p.50
- ^ 山梨地方病撲滅協力会編 (1977) p.50、pp.102-103
- ^ 日本住血吸虫病の有病地の指定 廃止の告示山梨県告示第百四十六号1985年(昭和60年)4月1日。
- ^ 山梨地方病撲滅協力会編 (1977) p.50
- ^ 小林 (1998), p. 110.
- ^ 泉 (1979) p.22
- ^ 泉 (1979) p.2
- ^ 山梨地方病撲滅協力会編 (1977) p.21
- ^ 小林 (1998), p. 109.
- ^ 山梨地方病撲滅協力会編 (1977) p.22
- ^ 小林 (1998), pp. 107–109.
- ^ 1924年(大正13年)当時の都道府県知事は、公選ではなく官選であった。
- ^ 小林 (1998), pp. 113–114.
- ^ 小林 (1998), p. 134.
- ^ a b 小林 (1998), p. 119.
- ^ 小林 (1998), pp. 119–123.
- ^ 多田功、日本における寄生虫防圧とその特質」 『Tropical Medicine and Health.』 2008年 36巻 3SUPPLEMENT号 p.S49-S67、日本熱帯医学会
- ^ 甲府盆地の有病地面積約2万ヘクタールに対して、片山有病地の面積は1227ヘクタール。
- ^ 小林 (1998), p. 133.
- ^ 山梨日日新聞社編 『山梨 歴史カレンダー』 p.47
- ^ 山梨地方病撲滅協力会編 (1977) pp.24-27
- ^ a b 中村磐男, 大江敏江 「河川環境の復元と感染症:ツツガムシ病や住血吸虫症は再燃(再流行)するか」『聖学院大学論叢、23(1)』 2010年 p.115
- ^ 斉藤虎雄「宮入貝捜索の思い出」 山梨地方病撲滅協力会編 (1977) pp.172-173
- ^ 小林 (1998), pp. 150–154.
- ^ 横川宗雄 千葉大学医学部寄生虫学教室 「戦後昭和20-35年の間における山梨県甲府盆地の日本住血吸虫症の予防対策に関する研究」、山梨地方病撲滅協力会編 (1977) pp.126-144
- ^ 薬袋勝「山梨県の住血吸虫の防圧」『住血吸虫症と宮入慶之助-ミヤイリガイ発見から90年』宮入慶之助記念誌編纂委員会編 (2005) p.34
- ^ 小林 (1998), p. 154.
- ^ 山梨日日新聞社編 『山梨 歴史カレンダー』 p.303
- ^ 笹本馨「ユリミン導入の由来」 山梨地方病撲滅協力会編 (1977) p.161
- ^ 山梨地方病撲滅協力会編 (1977) pp.75-76
- ^ 小林 (1998), pp. 199–201.
- ^ 薬袋勝「山梨県の住血吸虫の防圧」『住血吸虫症と宮入慶之助-ミヤイリガイ発見から90年』宮入慶之助記念誌編纂委員会編 (2005) p.38
- ^ 岩田正俊 「宮入貝の産地視察記(一)」 『大阪博物学会誌8』 1937年、pp.1-8
- ^ 小林 (1998) pp.145-149
- ^ 小宮義孝(目黒寄生虫館) 「日本住血吸虫の予防」 『日本における寄生虫学の研究1』 1961年、pp.99-127
- ^ 佐々木孝 「日本住血吸虫撲滅対策としての宮入貝棲息溝渠コンクリート化について」 『寄生虫誌7』 1958年、pp.545-559
- ^ 小林 (1998) p.159
- ^ 山梨地方病撲滅協力会編 (1977) pp.40-41、pp.79-89
- ^ 山梨地方病撲滅協力会編 (1977) p.44
- ^ 泉 (1979) pp.128-130
- ^ 梶原徳昭・保阪幸男「中間宿主ミヤイリガイの殺貝による日本住血吸虫症の制圧」『住血吸虫症と宮入慶之助-ミヤイリガイ発見から90年』宮入慶之助記念誌編纂委員会編 (2005) p.194
- ^ 【距離計算】(株)プロネット
- ^ a b 薬袋勝「山梨県の住血吸虫の防圧」『住血吸虫症と宮入慶之助-ミヤイリガイ発見から90年』宮入慶之助記念誌編纂委員会編 (2005) p.38
- ^ 国立科学博物館企画展『日本はこうして日本住血吸虫症を克服した』での貸出展示。2013年5月15日撮影。一部展示品を除き、静止画に限り撮影は自由。
- ^ a b c 小林 (1998) pp.204-208
- ^ 二瓶直子、「【紀要論文】本邦における日本住血吸虫症の医学地理学的研究Ⅱ:甲府盆地における本症の衰退とその要因、特に農業土地利用の変遷に着目して(献呈論文)」 『お茶の水地理』 1973年 14巻 p.59-73、お茶の水女子大学地理学教室 2012年8月3日閲覧
- ^ 中村磐男, 大江敏江、「河川環境の復元と感染症:ツツガムシ病や住血吸虫症は再燃(再流行)するか」『聖学院大学論叢』 2010年 23巻 1号 p.117, doi:10.15052/00000477, ISSN 0915-2539
- ^ a b c 梶原徳昭・保阪幸男「中間宿主ミヤイリガイの殺貝による日本住血吸虫症の制圧」『住血吸虫症と宮入慶之助-ミヤイリガイ発見から90年』宮入慶之助記念誌編纂委員会編 (2005) pp.189-198
- ^ 中村磐男、大江敏江 「河川環境の復元と感染症:ツツガムシ病や住血吸虫症は再燃(再流行)するか」 『聖学院大学論叢、23(1)』 2010年 p.116
- ^ a b 小林 (1998) p.208
- ^ a b c 小林 (1998) pp.187-189
- ^ 韮崎市内で急性シスト患者が発生。これ以降の甲府盆地での発症事例はない。また日本国内最後の発症事例でもある。林 (2000) p.80
- ^ 山梨県における日本住血吸虫症の流行状況 1994年6月vol.15 国立感染症研究所感染症情報センター 2012年1月22日閲覧
- ^ 山梨日日新聞社編 『山梨の20世紀』「地方病殺貝にピリオド」 平成7年11月16日付 同新聞紙面 2000年8月10日第1刷発行 p.191
- ^ 山梨県における日本住血吸虫病(山梨地方病)流行終息宣言について 1996年4月vol.17 国立感染症研究所感染症情報センター 2012年1月22日閲覧
- ^ 山梨県地方病撲滅協力会 (2003) p.19
- ^ 中国の日本住血吸虫症流行地に分布する中間宿主貝に対する住血吸虫の感染感受性の地理的特異性に関する研究 (PDF) 東京医科歯科大学教授 太田伸生、浙江省医学アカデミー教授 陸紹紅「財団法人 日中医学協会 2010年度共同研究等助成金報告書」2012年7月22日閲覧
- ^ 小林 (1998) pp.220-221
- ^ 中村磐男、大江敏江「河川環境の復元と感染症:ツツガムシ病や住血吸虫症は再燃(再流行)するか」 『聖学院大学論叢、23(1)』 2010年 p.118
- ^ エコア株式会社 自然環境調査 地方病(日本住血吸虫病)の調査 2013年2月17日閲覧
- ^ 平成22年刊行 山梨県統計年鑑 2012年1月22日閲覧
- ^ 二瓶直子「GPSで住血吸虫症流行を追う」『住血吸虫症と宮入慶之助-ミヤイリガイ発見から90年』宮入慶之助記念誌編纂委員会編 (2005) pp.199-208
- ^ a b 遠ざかる記憶 住血吸虫はいま (4) 「副作用」ホタル激減『朝日新聞地域面山梨版』 2014年10月3日付朝刊、第13版、第2山梨第28面。朝日新聞社甲府総局 谷口哲雄。
- ^ http://www.bdcchiba.jp/endangered/rdb-a/rdb-2011re/rdb-201112kai.pdf 千葉県レッドデータブック(2011年改訂版) - 貝類] pp.434 (PDF)
- ^ 一例を挙げると獨協医科大学(栃木県壬生町)熱帯病寄生虫病学講座では、松田肇名誉教授が1968年(昭和43年)頃、甲府市の県立衛生研究所より譲り受けた感染犬を同大学に持ち帰り、その感染犬から得られた日本住血吸虫を今日まで経代維持している。遠ざかる記憶 住血吸虫はいま (5) 世界になお患者2億人『朝日新聞地域面山梨版』 2014年10月10日付朝刊、第13版、第2山梨第24面。朝日新聞社甲府総局 谷口哲雄。
- ^ 小林 (1998) pp.232-233
- ^ 二瓶直子、「【紀要論文】医学地理学から見た日本住血吸虫症」 『お茶の水地理』 1984年 25巻 p.24-27、お茶の水地理学会, ISSN 0288-8726 2012年3月19日閲覧
- ^ 吾妻健 アジアの住血吸虫はアフリカから来た?! (PDF) 高知大学医学部 パイプライン 2010.11 No.36 2012年4月7日閲覧
- ^ 小林 (1998) pp.225-226
- ^ 国立科学博物館企画展 「日本はこうして日本住血吸虫症を克服した-ミヤイリガイの発見から100年」 によせて 農業と環境 No.158 (2013年6月1日)独立行政法人農業環境技術研究所 石坂眞澄 2024年2月20日閲覧
- ^ 第2回自然環境保全基礎調査 2-7 動物分布調査(昆虫類)2.指標昆虫類種類別解説 10)ゲンジボタル Luciola cruciata 2012年1月22日閲覧
- ^ わたしたちのまち たまほ (PDF) pp.103 2012年1月22日閲覧
- ^ a b c d 『広報しょうわ』2001年8月号、2013年10月19日閲覧
- ^ a b 押原小とホタルの歴史~なぜホタルの校章なの?~ 2012年1月22日閲覧
- ^ 鎌田川源氏蛍公園(昭和町公式サイト)、2012年1月22日閲覧
- ^ 昭和町風土伝承館杉浦醫院整備保存活用検討委員会からのお知らせ 2010年11月8日月曜日 山梨県昭和町が杉浦父子の医院を保存 2012年1月22日閲覧
- ^ ふえふき旬感ネット ホタル舞い飛ぶ里を目指して! 2012年1月22日閲覧
- ^ 今夏も元気に舞ってね ホタルの幼虫放流式[リンク切れ] YOMIURI ONLINE 2012年1月22日閲覧
- ^ a b 山梨地方病撲滅協力会編 (2003) p.82
- ^ a b 昭和59年12月甲府市議会定例会議事日程 (5)2012年1月22日閲覧
- ^ a b 山梨地方病撲滅協力会編 (2003) p.83
- ^ 山梨地方病撲滅協力会編 (2003) pp.83-84
- ^ 地域探訪 地方病とミヤイリ貝2012年1月22日閲覧
- ^ 山梨観光わいわいねっと 日本住血吸虫症(地方病)流行終焉の地2012年1月22日閲覧
- ^ 山梨県流通センター概要 2012年7月22日閲覧
- ^ 筑後大堰建設後のあゆみ 筑後大堰管理所 2012年2月7日閲覧
- ^ “今後の定例研究会ご案内とご報告”. 筑後川水問題研究会. 2013年4月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年2月7日閲覧。
- ^ 小林 (1998), pp. 9-19、31-32、144.
- ^ 山梨日日新聞社編 『山梨 歴史カレンダー』 p.359
- ^ 山梨地方病撲滅協力会編 (1977) p.42
- ^ 小林 (1998) p.189
- ^ 小林 (1998), pp. 193–196.
- ^ 山梨地方病撲滅協力会編 (2003) pp.122-124
- ^ 佐々学生誕100年記念事業 2016年5月4日閲覧
- ^ 小林 (1998), p. 168.
- ^ 小林 (1998), p. 169.
- ^ 佐々 1960, p. 150.
- ^ 小林 (1998), pp. 167–174.
- ^ [3] 特別車両車内の写真
- ^ 佐々 1960, p. 150-152.
- ^ 林 (2000), pp. 20–23.
- ^ 小林 (1998), pp. 174–182.
- ^ 林正高「フィリピンの日本住血吸虫症・脳症型、肝脾腫型の臨床と同症に対する挑戦」『住血吸虫症と宮入慶之助-ミヤイリガイ発見から90年』宮入慶之助記念誌編纂委員会編 (2005) pp.157-158
- ^ 林 (2000), pp. 235–236.
- ^ 林 (2000), pp. 67–72.
- ^ 中田光 感染と人間 (2) (PDF) 2012年1月22日閲覧
- ^ 林 (2000), pp. 236–237.
- ^ 勅使川原香世子「フィリピン看護師国際労働移動の国内医療への影響に関する研究 - 看護師「流出」神話の真実」『グローカル』第6巻、フェリス女学院大学大学院国際交流研究科、2007年4月6日、36頁、2012年11月24日閲覧。
- ^ 細野ゆり「日本・フィリピン経済連携協定を通じた看護師・介護福祉士受入れ交渉過程 : 日本とフィリピンの政策決定における政治的力学」『横浜国際社会科学研究』第15巻、横浜国際社会科学学会、2011年2月20日、80頁、ISSN 13460242、NAID 120002834901。
- ^ 林 (2000), p. 7.
- ^ 第17回ノバルティス地域医療受賞者 林正高 2016年5月3日閲覧
- ^ すぎなみ大人塾 第10回 GENERATION LAB コノ時代ヲ解読セヨ 平成29年10月18日 特定非営利活動法人生涯学習知の市庭 (PDF) 2019年9月10日閲覧
- ^ 小林 (1998) p.229
- ^ 橋本イニシアティブ(日本国際保健医療学会/国際保健用語集)2012年12月22日閲覧
- ^ 橋本イニシアティブ (JICA Knowledge Site)2012年12月22日閲覧
- ^ 行政の取り組み-住血吸虫症ホームページ 名古屋市立大学大学院医学研究科 宿主・寄生体関係学(医動物学教室)2013年1月5日閲覧
- ^ 国際寄生虫対策ワークショップ2004の開催について 厚生労働省2016年5月4日閲覧
- ^ ケニア班 2002年度活動報告書(九州大学熱帯医学研究会) 2012年12月22日閲覧
- ^ 国立大学法人長崎大学熱帯医学研究所 日本住血吸虫症のワクチン/薬剤開発を目指した免疫遺伝学研究2014年4月3日閲覧
- ^ 小林 (1998) p.230
- ^ KAKEN 科学研究費補助金データベース 2016年5月4日閲覧
- ^ 石井明「日本における住血吸虫研究の流れ」『住血吸虫症と宮入慶之助-ミヤイリガイ発見から90年』宮入慶之助記念誌編纂委員会編 (2005) p.9
- ^ 山梨県 昭和町 風土伝承館 杉浦医院の施設のご案内 2012年1月22日閲覧
- ^ 小学校社会科の各学年各単元と山梨県立博物館の展示とのかかわり (PDF) 2012年1月22日閲覧
- ^ 平成22年度第5学年 道徳の時間 年間指導計画 基本方針 (PDF) 2012年1月22日閲覧
- ^ 山梨県 道徳教育用郷土資料集 平成24年3月 山梨県教育委員会 中学校下級学年用 地方病とのたたかい (PDF) pp.104-107 2018年8月3日閲覧
- ^ 地方病との闘い劇に 昭和・常永小 杉浦医師の活動紹介『山梨日日新聞』2012年3月1日付朝刊、第2版、第22面。
- ^ Waybachアーカイブ・47NEWS各地のニュース山梨『地方病との闘い劇に 昭和・常永小 杉浦医師の活動紹介 』2012/03/01 09:56 【山梨日日新聞】2012年6月14日閲覧、2021年2月19日アーカイブ再閲覧。
- ^ 押原小学校キャリア教育通信 第6学年 第12号 平成25年12月18日 (PDF) 2014年1月28日閲覧
- ^ NHK E-テレ よろしく!ファンファン 地域の困難に立ち向かう (PDF) 2018年8月3日閲覧
- ^ 第6回ふるさと山梨郷土学習実践研究発表大会実践研究「山梨県の地域素材の紹介」発表資料 - 山梨県総合教育センター教育情報コンテンツデータサービス。甲府市立善誘館小学校教諭 青木央。
- ^ 過去の罹患者複数名(80歳代)による闘病体験の講演等が山梨県内で行われている。遠ざかる記憶 住血吸虫はいま (2) 裸足で田へ 次々感染『朝日新聞地域面山梨版』 2014年9月19日付朝刊、第13版、第2山梨第28面。朝日新聞社甲府総局 谷口哲雄。
- ^ 医師、地方病撲滅に尽力 林正高さん死去 81歳『山梨日日新聞』2016年9月14日付朝刊、第2版、第28面。
- ^ 宮入貝の生態、歴史後世に 地方病の中間宿主、常設で紹介 忍野の水族館がコーナー, 富士山NET, 山梨日日新聞社, (2020年2月6日) 2020年7月13日最終閲覧.
「地方病 (日本住血吸虫症)」の例文・使い方・用例・文例
- 地方病 (日本住血吸虫症)のページへのリンク