川村麟也とは? わかりやすく解説

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川村麟也

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/29 16:31 UTC 版)

川村麟也

川村 麟也(かわむら りんや、1879年明治12年〉9月11日 - 1947年昭和22年〉10月31日)は、日本医師病理学者。著名なツツガムシ病の研究の他、日本住血吸虫症の研究や脂肪染色法など一般病理学面での業績も残している[1] [2]

東京大学医科学研究所名誉教授川村明義は三男。

来歴

1879年(明治12年)川村将徳の四男として山梨県北巨摩郡志田村(現・甲斐市)に生まれる。

中学校卒業後東京の独逸語学校にてドイツ語を学んだ後、第一高等学校を経て東京帝国大学医科大学に入り病理学教室の山極勝三郎に師事。1906年同大を卒業しすぐに病理学教室に入る。

1908年(明治41年)に奨学金を受けてイギリスドイツに渡り、特にベルリンのヨハネス・オルト (Johannes Orth) とフライブルクのルードヴィッヒ・アショフ (Ludwig Aschoff) に師事した。

1911年(明治44年)に帰国し新潟医学専門学校(現・新潟大学医学部)病理学教室の初代教授に就任。同時に同大法医学教室も兼担し、東大講師も勤めた。新潟県地方病予防委員嘱託となり、地方病、特にツツガムシ病病原体研究に努め、その病原体がリケッチアであることを突きとめた[3]

1916年大正5年)、ツツガムシ病の発育環などの研究成果を発表した。

1922年(大正11年)新潟医学専門学校の大学昇格に伴い同大教授になる。この年から1926年まで欧米に出張。

1924年(大正13年)に類脂肪(コレステリンエステル)の研究により帝国学士院賞[4]、1932年(昭和7年)にはツツガムシ病の病原体発見の業績に対し日本細菌学会の浅川博士奨学賞(浅川賞)[5]を受賞。

1937年(昭和12年)4月新潟医科大学を辞し、親友で前年死去した草間滋の後任として慶應義塾大学医学部病理学教室教授に赴任。同時に社団法人北里研究所の部門長を兼任した。

1947年(昭和22年)10月東京都で死去。69歳没。府中市多磨霊園に埋葬される[6]

著作

単著

共著

逸話

  • 新潟医大時代に川村に教えを受けた横山正松によると、ある日川村が学生達に「今軍部から特殊実験を要請されている.これをやれば講座研究費の十数倍の金が入るが,人道に反すると考えて断った.君たちも将来同じ問題にぶつかるかもしれぬ.おれの言ったことを忘れるなよ」と語ったことがあった。横山はこの訓戒のお蔭で、後年召集されて配属された北支那防疫給水部において、命令された生体実験を即座に断ることができたと述懐している[7]
  • 1936年の新潟医大学長選挙に出馬した際は、最有力候補と目されていたにもかかわらず附属病院長の整形外科学教授本島一郎に敗れた。この選挙結果は,卒業生で作られた学士会の会員の多くにかなりの衝撃を与えたという[7]
  • 慶大病理学教授及び北里研究所部長に就任するため新潟を去ることとなった際、川村を慕った学生たちは転出後も病理学の講師として川村が講義を担当することを希望し、本島学長に嘆願運動を起こしたほどであった[7]

参考文献

  • 小林忠義 編『川村麟也先生追慕録』慶應義塾大学医学部病理学教室、1950年11月。 NCID BA35032925全国書誌番号: 53012653 
  • 『北里研究所五十年誌』北里研究所、1966年。 

脚注

  1. ^ 川村麟也 (1917) 人體及動物體ニ於ケル脂肪問題ニ就テ形態學的竝ニ顯微化學的硏究成績. 日新醫學 第7年(第1號).
  2. ^ 川村麟也, 矢崎俊明 (1933) 脂肪ノ新染色法. 第23回日本病理學會.
  3. ^ Kawamura R (1926) Studies on tsutsugamushi disease (Japanese flood fever). Med Bull Coll Med Univ Cincinnati 4:1–229.
  4. ^ 医学博士川村麟也君の生物体内に於ける類脂肪殊に「コレステリンエステル」の研究に対する授賞審査要旨
  5. ^ 秦藤樹、「浅川賞について」『日本細菌学雑誌』 1960年 15巻 10号 p.958-960, doi:10.3412/jsb.15.958, 日本細菌学会
    [Correction] Japanese journal of bacteriology Vol.16 No.3 (1961) pp.220-220 記事訂正について
  6. ^ 歴史が眠る多磨霊園:川村麟也
  7. ^ a b c 末永 恵子 (2008). “生体実験を拒否した生理学者 横山正松”. 日本医史学雑誌. 3 54: 239–248. http://jshm.or.jp/journal/54-3/239.pdf. 

関連項目

外部リンク




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