リケッチアの確認
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/04 15:15 UTC 版)
東京へ戻った佐々は、伊田地区で採取したサンプルを伝染病研究所のリケッチア研究者である川村明義に渡して検証を依頼した。川村明義は日本のツツガムシ病研究で知られる川村麟也の三男である。4年前(1947年)に他界した父・麟也と同じ研究を志した明義は、千葉医科大学 (旧制)を卒業後、伝染病研究所に入りリケッチアの研究を行い、自らもリケッチアに感染したが幸いにも治癒することのできた経歴を持つ、当時の日本のリケッチア研究の最前線にいた人物であった。 佐々が持ち帰ったサンプルは川村によって綿密な検証が行われ、トサツツガムシの幼虫からリケッチアの検出に成功し、「土佐のほっぱん」の正体はツツガムシ病であることが特定された。 伊田地区訪問から2か月後の1951年(昭和26年)8月、佐々たちは再び高知県を訪れ、足摺岬から室戸岬までの長い海岸線を何日もかけ、ノネズミを捕獲しツツガムシを探し、その結果トサツツガムシは高知県海岸部の各所に散在して生息していることが分かった。また、新たに2種のツツガムシが発見されたが、ツツガムシ病の発生事例は伊田地区以外にはどうしても見つからなかった。
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