車歴とは? わかりやすく解説

車歴

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/21 01:29 UTC 版)

高松琴平電気鉄道1070形電車」の記事における「車歴」の解説

琴電での車番京急での車番製造年製造メーカー琴電への入線琴電での廃車変更変更後1071 デハ703 デハ605 1957年 東急車輛 1984年 1072 デハ754 デハ608 1073 デハ709 デハ613 1958年 1986年 1074 デハ758 デハ616 1075 デハ705 デハ609 1957年 1987年 2011年 1076 デハ756 デハ612 表 話 編 歴 高松琴平電気鉄道車両 現有車両 営業用車両600形700形 - 1070形 - 1080形 - 1100形 - 1200形 - 1300形 動態保存車両20形III - 1000形3000形5000形 事業用車デカ1形 - 13000形 過去車両 01形変1形 - 10形 - 20形I - 20II - 30形I - 30II - 30形III - 50形I - 50形II - 60形 - 70形I - 70形II - 80形I - 80II - 90形 - 740形 - 750形 - 780形 - 820形 - 850形 - 860形 - 880形 - 890形 - 920形 - 950形 - 1010形 - 1013形 - 1020形 - 1050形・1053形・1060形 - 1063形 - 2000形 - 6000形 - 7000形 - 8000形 - 9000形 - 10000形 - 11000形 - 12000形 .mw-parser-output .asbox{position:relative;overflow:hidden}.mw-parser-output .asbox table{background:transparent}.mw-parser-output .asbox p{margin:0}.mw-parser-output .asbox p+p{margin-top:0.25em}.mw-parser-output .asbox{font-size:90%}.mw-parser-output .asbox-note{font-size:90%}.mw-parser-output .asbox .navbar{position:absolute;top:-0.75em;right:1em;display:none} この項目は、鉄道関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者求めています(P:鉄道/PJ鉄道)。

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西武モニ1形電車」の記事における「車歴」の解説

車番竣功年月旧番廃車年月備考モニ1形クモニ1形モニ1 (I) 1960年10月 国鉄クモニ3412 1963年12月 モニ2 (I) 国鉄クモニ3411 1962年12月 運用実績なし。現車終始上石神井検車区留置。 クモニ1 (II) 1963年8月 モハ162 (II) 1976年8月 クモニ2 (II) 1965年4月 クモハ252 (III) 1978年1月 クモニ3 1967年5月 クモハ335 1978年1月 クモニ4 1967年2月 クモハ338 1978年1月

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ユニオン・パシフィック鉄道844号蒸気機関車」の記事における「車歴」の解説

844号機はユニオン・パシフィック鉄道発注したFEF-3機関車10両のうちの1両で、1944年12月アメリカン・ロコモティブ製造された。FEF-3は先代のFEF-2と同様に旅客用機関車として設計されており、オーバーランド・リミテッドロサンゼルス特急、ポートランド・ローズ、チャレンジャーの各旅客列車牽引したFEF形式名はホワイト式車輪配置による4-8-4 (Four-Eight-Four) の略称に由来する1957年には旅客列車の牽引機がディーゼル機関車に置き換わり、その後1959年まで貨物列車牽引使用された。844号機は1960年廃車解体予定であったが、解体免れ観光列車用に復元されることとなった1962年、844号機は観光列車牽引機としての運用開始した毎年7月ワイオミング州シャイアン開催されるイベント「シャイアン・フロンティア・デイズ」に合わせてシャイアンコロラド州デンバーの間を往復する運用中心である。また、一時期844号機は、ディーゼル機関車にNo.844が既にいたため、番号重複回避するため、1962年運行開始同時に末尾に4を付け足し、「No.8444」として活躍していた。そして、ディーゼル機関車No.844が引退後1989年に、元の「No.844」に戻された。2019年米大陸横断鉄道150周年迎えた。それと同時に静態保存保存されていたビッグボーイ数年整備経て復活遂げた。そのため蒸気機関車全盛期時代重連がNo.844とNo.4014で行われた

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東武デハ10系電車」の記事における「車歴」の解説

形式 竣功車番 改番改番 機器換装に伴う改番 電動車更新 更新年月 備考 デハ10形クハ10形 デハ101 デハ1101 モハ5440 モハ3153 1971年8月 デハ102 デハ1102 モハ5441 モハ3156 1971年9月 デハ103 デハ1103 モハ5460 モハ3558 1972年8月 戦災復旧車 クハ101 クハ1101 クハ400初代) クハ3502代サハ5205 1975年5月特急車 クハ102 クハ1102 クハ401初代) クハ3512代クハ5605 1974年5月特急車 クハ103 クハ1103 クハ402初代) クハ352 クハ5405 1975年1月特急車 デハ11形クハ11形 デハ1104 モハ5442 モハ5310 モハ5304 1975年4月特急車 デハ1105 モハ5443 モハ5311 モハ5505 1974年5月特急車 デハ1106 モハ5444 モハ5312 モハ5104 1974年12月特急車 クハ1104 クハ403 クハ353 クハ5404 1974年12月特急車。1970.11中間車化(サハ353クハ1105 クハ404 クハ4002代クハ3663 1973年12月 クハ1106 クハ350初代) クハ3322代クハ4012代モハ5315 モハ5101 1974年6月 戦災復旧車。1960.9車体新製 デハ12形クハ12形 デハ1107 モハ5445 モハ5313 モハ5105 1975年1月特急車。1970.11中間車デハ1108 モハ5446 モハ5314 モハ5305 1975年5月特急車。1970.6中間車クハ1107 クハ351初代) クハ3332代クハ4022代モハ5316 モハ5504 1974年4月 戦災復旧車。1960.5車体新製 クハ1108 クハ405 クハ354 サハ5204 1975年4月特急車。1970.6中間車化(サハ354デハ1201形 デハ1201 モハ5450 モハ3563 1973年12月 デハ1202 モハ5451 モハ3562 1973年11月 更新旧車体をサヤ8000形として再用 デハ1203 モハ5461 モハ3357 1973年4月 戦災復旧車 デハ1204 モハ5452 モハ3557 1972年7月 デハ1205 モハ5453 モハ3157 1971年7月 デハ1206 モハ5454 モハ3561 1973年7月 デハ1207 モハ5455 モハ3159 1971年11月 デハ1208 モハ5456 モハ3358 1973年5月 クハ1201形 クハ1201 クハ410 モハ5410 モハ3155 1971年6月 クハ1202 クハ411初代) モハ5411 モハ3552 1972年2月 クハ1203 クハ412初代) モハ5412 モハ3551 1972年1月 クハ1204 クハ413 モハ5413 モハ3158 1971年10月 クハ1205 クハ414 モハ5414 モハ3553 1972年3月 更新5000番台5000系初代)称した車両は、1979年昭和53年4月1日付で3070番台3070系)へ一斉改番

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東武5000系電車」の記事における「車歴」の解説

表中( )種車を示す。

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広島瓦斯電軌H形電車」の記事における「車歴」の解説

車番竣功改番1939年改番1951年廃車備考H形(1030形)16 1930年12月 1030 1034 II 1978年9月5日 17 1031 – 1978年9月5日 18 1032 – 1979年12月31日 19 1033 – 1985年4月15日 20 1034 I 1035 1980年12月31日 千田町車庫火災被災車。張り上げ屋根仕様

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富山地方鉄道16010形電車」の記事における「車歴」の解説

車体基準車歴表を以下に示す。 編成呼称 西武時代 地鉄譲渡(3両固定編成2両編成応化太字部分変更備考 号車 車番 製造年製造所 号車 型式 車番 譲渡年月 改造後型式 改造後車番 竣功年月 第1編成 6 クハ5502 1969.9 日立製作所 1 クハ110形 クハ111 (I) 1995.7 モハ16012形 モハ16012 (II) 2006.3 5 モハ5052 1974.3 西武所沢 2 モハ16012形 モハ16012 (I) クハ110形 クハ111 (II) 2016.2廃車 1 クハ5501 1969.9 日立製作所 3 モハ16011形 モハ16011 モハ16011形 モハ16011 第2編成 6 クハ5508 1970.3 西武所沢 1 クハ110形 クハ112 (I) 1996.4 モハ16012形 モハ16014 (II) 2005.4 2011.12観光列車化 5 モハ5058 1974.5 2 モハ16012形 モハ16014 (I) クハ110形 クハ112 (II) 1 クハ5507 1970.3 3 モハ16011形 モハ16013 モハ16011形 モハ16013 表内では便宜上クハ111 (II)は第一編成車両クハ112 (II)は第二編成車両としているが、実際の運用では第一編成クハ112 (II)を組み込むような例もみられた。

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下工弁慶号」の記事における「車歴」の解説

1907年明治40年) : 東京石川島造船所製造海軍徳山練炭製造所内での荷役使用1934年昭和9年) : 下松工業学校原動機実習教材用として払い下げられる1951年昭和26年) : 同校正門脇に展示される1979年昭和54年1月 : 同校職員及び生徒による復元作業開始1981年昭和56年10月9日10日 : 同校60周年記念式典にて校庭公開運転を実施その後日本国内各地公開走行展示が行われる。 1988年昭和63年3月12日 : 下津井電鉄貸与され客車2両を牽引して下津井駅構内運転される1991年平成3年4月1日 : 所有権下松工業高校から下松工業会(同窓会)へ移管される。 9月 : 1月1日下津井電鉄廃止されたため、下松返却される10月15日 : 下松工業高校創立70周年記念として校庭運転される1992年平成4年3月16日 : 柳井卸売団地柳井卸センター)の敷設線路で、下津井時代と同じ客車牽引した運転を開始4 - 10月の第2日曜日運転日としていた。 1996年平成8年) : 卸売団地敷地道路計画があることなどを理由に、運転を終了10月日立製作所笠戸工場走った後、下松市寄贈され下松市役所前の展示格納庫搬入された。 1997年平成9年) : ボイラー故障により運行不可能となる。 2004年平成16年) : 3年間の期限三岐鉄道北勢線阿下喜駅前に移設2006年平成18年3月 : 前年から取り組まれてきた動態復元完了し復活運転2007年平成19年4月 : 下松市に戻る。 7月10日 - 9月9日 : 「大鉄博覧会」(江戸東京博物館)で展示2008年平成20年1月18日老朽化具体的な運転計画がないことを理由に、下松市がこの日で期限切れとなる労働安全衛生法に基づくボイラー及び圧力容器安全規則定められボイラー更新検査見送ったため、法的に走行不能となり、「当面」の間静態保存移行2014年平成26年1月現在、下松市役所グリーンプラザ展示格納庫展示 されている。

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西武クハ1221形電車」の記事における「車歴」の解説

形式称号車番旧番(国鉄当時竣功年月改番鋼体化車実施年月車番実施年月車番竣功年月クハ1221形 (I)クハ1271形 クハ1221 (I) サハ25132 1951年9月 - クハ1425 1953年9月 クハ1221 (II) モハ1027 1954年5月 - サハ1508 1955年4月 クハ1222 (I) サハ25133 1951年9月 クハ1230 (II) 1953年9月 - クハ1413 (II) 1955年9月 クハ1222 (II) モハ1041 1954年5月 - モハ506 (I) 1955年2月 クハ1223 サハ25139 1953年6月 - クハ1417 1955年9月 クハ1224 サハ25141 1951年9月 - サハ1510 1955年5月 クハ1225 サハ25141 1953年8月 - クハ1419 1955年9月 クハ1226 サハ25154 不詳 クハ1272 (I) 不詳 - クハ1317 (II) 1953年5月 クハ1227 サハ25040 不詳 クハ1228 (I) 不詳 クハ1274 不詳 クハ1316 (II) 1953年11月 クハ1229 サハ25157 1953年4月 - クハ1327 (II) 1953年4月 クハ1230 (I) サハ25161 1953年4月 クハ1278 1953年4月 - クハ1311 (III) 1953年4月 クハ1271 サハ25145 1953年6月 - クハ1425 1954年6月 クハ1272 (II) サハ25143 1953年6月 クハ1228 (II) 1954年6月 - クハ1411 (III) 1955年9月 クハ1277 サハ25156 1953年4月 クハ1275 1953年4月 - クハ1322 (III) 1953年4月 サハ2001サハ2001 サハ25006 1953年6月 - サハ1501 1954年7月 サハ2002 サハ25003 1953年6月 - サハ1502 1954年7月 サハ2003 (I) サハ25035 1953年4月 - クハ1323 (III) 1953年4月 サハ2003 (II) サハ25026 1954年5月 - クハ1403 1954年9月 サハ2004 サハ25039 1953年6月 - クハ1406 1954年5月 サハ2005 (I) サハ25004 1953年4月 - クハ1325 (III) 1953年4月 サハ2005 (II) サハ25023 1953年8月 - クハ1407 1954年5月 サハ2005 (III) サハ25034 1954年 - クハ1405 1954年9月 サハ2006 (I) サハ25055 1953年4月 - クハ1324 (II) 1953年4月 サハ2006 (II) サハ25020 1953年8月 - クハ1408 1954年5月 サハ2007 サハ25055 1953年6月 - クハ1409 1954年5月 サハ2008 (I) サハ25056 1953年 - クハ1321 1953年4月 サハ2008 (II) サハ25025 1953年6月 - クハ1410 1954年5月 なお、クハ1271形の在籍数およびこれら3形式の車番の変遷については不明な点が多く、その全容今なお明らかではない。

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スズキ・カプチーノ」の記事における「車歴」の解説

1989年10月 - 第28回東京モーターショーにて参考出品参考出品当時は550ccのエンジン搭載1991年11月 - 極小コンパクトボディにFR後輪駆動採用するフルオープン2シーターとして発売 前期型EA11R。 1993年6月 - ディープブルーパールを採用した200限定モデル特別仕様車リミテッド」をラインアップ1994年3月 - ディープブルーパールを採用した特別仕様車リミテッド第2弾ラインアップ9月 - サターンブラックメタリックを採用した1500限定モデル特別仕様車リミテッド第3弾ラインアップ1995年5月 - マイナーチェンジ後期型EA21R。AT仕様追加1998年8月 - 生産終了。総生産台数26,583台(うちAT車販売台数は1,184台)

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カワサキ・マッハ」の記事における「車歴」の解説

北米マーケットにおける各イヤーモデルは、前年9月頃(前後する場合もある)に発売開始されることに注意1971年モデルのH1Aまではウィンカーオプション扱いとなっていた。 欧州向けH1はノイズ障害考慮して CDI替えてポイント式点火機構採用。 H1(1969年モデル):初期型 H1A(1971年モデル):タンク意匠変更リブ廃止) H1B(1972年モデル):レインボーライン、フロントディスク、CDI 点火廃止バッテリーポイント点火変更 H1D(1973年モデル):テールカウル装着フレーム変更グラフィック日本人デザイナーよるもの変更最高出力ダウン(60ps→59ps)H2と共通のフラマグCDI採用 H1E(1974年モデル):キャンディレッド追加エンジンのラバーマウント化、H2とは異な一対ピックアップ用いたフラマグCDI採用 H1F(1975年モデル):グラフィック変更サイドカバーMACH III文字廃止 KH500 (A8) (1976年/1977年モデル):最高出力ダウン(59ps→52ps)、シフトパターン変更(ボトムニュートラル → 1ダウン 4アップ

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多摩湖鉄道の鉄道車両」の記事における「車歴」の解説

多摩湖鉄道ジハ101形ジハ101号武州鉄道キハ15宮崎鉄道宮崎交通ジハ3→ハ13 多摩湖鉄道ジハ101形ジハ102号→金名鉄キハ2北陸鉄道キハ1101(1949年車庫火災により焼失)。

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国鉄DD42形ディーゼル機関車」の記事における「車歴」の解説

1955年昭和30年9月 - 日本車輌製造にて新製製造番号 1766。名鉄名古屋本線試運転実施1957年昭和32年6月3日 - 国鉄借入し、DD42 形 DD42 1 号となる。名古屋機関区配置。主に笹島駅構内入換使用1958年昭和33年3月31日 - 国鉄除籍日本車輌返却される1958年昭和33年7月 - 常総筑波鉄道購入し、DD90 形 DD901 号となる。常総線水海道機関区配置1965年昭和40年6月1日 - 常総筑波鉄道合併関東鉄道となる。 1972年昭和47年3月 - 水海道機関区エンジン液体変速機換装1974年昭和49年11月26日 - 鉾田線石岡機関区転属1979年昭和54年4月1日 - 鉾田線鹿島鉄道として関東鉄道から分社化1988年昭和63年3月13日 - 最終営業走行1988年昭和63年3月31日 - 廃車石岡機関区、のち常陸小川駅側線にて静態保存2007年平成19年2月27日 - 常陸小川駅にて解体。1両のみであったため現存しない。

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広島電鉄5000形電車」の記事における「車歴」の解説

市内線宮島線直通用として、乗降利便性を図るため当車が投入された。 第1編成製造時期補助金申請期限の関係でドイツ・ハーン空港からヴォルガ・ドニエプル航空大型輸送機An-124載せられ1999年3月13日広島空港空輸された。その後車両広島空港から広島市中区江波にある江波車庫搬入され組み立てられた。なお、第2編成以降ドイツから船で送られている。 同年4月から試運転行い6月9日広電宮島駅現在の広電宮島口駅)発の記念列車から運行開始した以降2002年まで12編成投入され市内線系統でも使用されるようになった全車スリップ防止のための砂撒き装置設置されている。 しかし、広島気候合わない部分があること・車両価格部品調達コスト高額なこと・部品調達時間がかかり過ぎることなどが問題となって2002年増備打ち切られ以降新造国内メーカーとの共同開発による5100形移行した。更に、2009年に5007号が部品取りとなって以降休車ないしは廃車相次いでおり、2021年現在はおよそ半分ほどの編成し稼働していない状態である。 2004年3月12日メーカー側がコンビーノシリーズのリコール発表した内容は、屋上連結装置取付部の強度不足が原因周辺構体に細かい亀裂入り放置すれば衝突事故などで屋根部が落下する危険があるとされるもので、5000形全車対象となり、2007年以降オーストリアシーメンス関連工場送り込まれた。

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京王2700系電車」の記事における「車歴」の解説

デハ2700形 車号 製造年改造1 改造年月 改造2 改造年月 廃車年月 デハ2701 1953年3月 1977年12月 デハ2702 1977年12月 デハ2703 M化 1970年3月 1979年11月 デハ2704 M化 1970年3月 1979年11月 デハ2705 1979年11月 デハ2706 M化 1970年3月 1981年2月 デハ2707 1953年10月 1979年11月 デハ2708 M化 1970年3月 1981年2月 デハ2709 1979年11月 デハ2710 M化 1970年3月 1981年12月 デハ2711 デワ221 1982年1月 1986年3月 デハ2712 M化 1970年3月 1981年12月 デハ2713 サハ2514 1966年10月 1981年2月 デハ2714 サハ2564 1966年10月 1981年2月 デハ2715 サハ2569 1964年2月 1981年2月 デハ2716 サハ2519 1964年2月 1981年2月 デハ2717 クハ2788 1964年2月 サハ2516 1966年6月 1981年2月 デハ2718 サハ2565 1966年6月 1981年2月 デハ2719 サハ2566 1966年6月 1981年2月 デハ2720 クハ2785 1964年2月 サハ2515 1966年6月 1981年2月 デハ2721 1956年9月 クハ2790 1964年2月 サハ2563 1969年1月 1984年3月 デハ2722 サハ2568 1965年9月 1981年2月 デハ2723 クハ2786 1964年2月 サハ2561 1969年1月 1981年12月 デハ2724 クハ2787 1964年2月 サハ2511 1969年1月 1981年12月 サハ2750形 車号 製造年改造 改造年月 廃車年月 サハ2751 1953年3月 サハ2567 1965年9月 1981年2月 サハ2752 サハ2517 1965年9月 1981年2月 サハ2753 サハ2518 1965年9月 1981年2月 サハ2754 1962年1月 サハ2570 1964年2月 1984年3月 サハ2755 サハ2520 1964年2月 1984年3月 クハ2770形 車号 製造年改造 改造年月 廃車年月 クハ2771 1953年10月 サハ2512 1969年1月 1981年12月 クハ2772 1977年12月 クハ2773 1979年11月 クハ2774 1979年11月 クハ2775 1979年11月 クハ2776 1981年2月 クハ2777 1979年11月 クハ2778 1956年9月 1981年2月 クハ2779 1979年11月 クハ2780 1981年12月 クハ2781 1981年2月 クハ2782 1981年12月 クハ2783 サハ2513 1969年1月 1984年3月 クハ2784 サハ2562 1969年1月 1981年12月 1965年から1969年の間、デハ2700形よりクハ2770形の両数多くなっているが、これらはデハ2600形2両編成組んでいる。

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車歴

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/26 17:42 UTC 版)

東武モハ5320形電車」の記事における「車歴」の解説

形式 車番 竣功年月 落成車番 落成年月 製造メーカー 更新 更新年月 備考 モハ5310モハ5320形モハ5800形 モハ5317 1964年7月 クハ510 1950年5月 日車東京 モハ5301 1974年10月 モハ5318 1965年3月 クハ511 1950年5月 日車東京 モハ5302 1974年11月 モハ5319 1965年9月 クハ512 1950年5月 日車東京 モハ5103 1974年8月 モハ5320 1952年1月 クハ554(初代) 1951年12月 宇都宮 モハ5501 1974年1月 モハ5321 1952年1月 クハ555初代) 1951年12月 宇都宮 モハ5502 1974年2月 モハ5322 1952年1月 クハ552初代) 1951年12月 汽車製造 モハ5503 1974年3月 モハ5323 1952年1月 クハ553(初代) 1951年12月 汽車製造 モハ5102 1974年7月 モハ5324(2代1966年3月 クハ514 1950年5月 日車東京 モハ5303 1974年9月 モハ5800 1952年11月 クハ550初代) 1951年12月 日車東京 モハ5106 1975年2月 電動車当初車番モハ5324(初代) モハ5801 1952年12月 クハ551初代) 1951年12月 日車東京 モハ5306 1975年3月 電動車当初車番モハ5325 クハ340形クハ350形 クハ340 1952年1月 クハ522 1951年3月 汽車製造 クハ5602 1974年2月 クハ341 1952年1月 クハ523 1951年3月 汽車製造 クハ5601 1974年1月 クハ342 1952年1月 クハ520 1950年7月 日車東京 クハ5603 1974年3月 クハ343 1952年1月 クハ521 1950年7月 日車東京 クハ5402 1974年7月 クハ344 1952年11月 クハ518 1950年7月 日車東京 サハ5206 1975年3月 クハ345 1952年12月 クハ519 1950年7月 日車東京 クハ5406 1975年2月 クハ346 1961年8月 クハ506 1950年7月 汽車製造 クハ5401 1974年6月 クハ347 1962年3月 クハ507 1950年7月 宇都宮 クハ5604 1974年4月 クハ348 1964年7月 クハ505 1950年7月 汽車製造 サハ5202 1974年11月 クハ349 1965年3月 クハ513 1950年5月 日車東京 サハ5201 1974年10月 クハ355 1965年9月 クハ508 1950年7月 宇都宮 サハ5203 1974年9月 クハ356 1966年3月 クハ509 1950年7月 宇都宮 クハ5403 1974年8月 更新5000番台5000系初代)称した車両は、1979年昭和53年4月1日付で3070番台3070系)へ一斉改番

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車歴

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高松琴平電気鉄道10形電車」の記事における「車歴」の解説

もともとは、京浜電気鉄道41号形で、1921年大正10年藤永田造船所製である。両運転台電動車で、窓配置はC5-D7D7D。 前面半円形で、中央運転台があった。木造ながら、車体一部鉄骨用いトラス棒を省略したのが特徴である。また屋根はシングルルーフであるが、前面中央の方向幕避け為に雨樋がその部分だけ上に曲がっている。 1941年昭和16年)に京浜電気鉄道東京横浜電鉄合併し東京急行電鉄となった際に、デハ5120形となり、その後一部電装解除されてクハ5120形に改称された。戦後京浜急行電鉄独立した際にデハ120形クハ120形となった京急に最も遅くまで残った木造車だが、1958年昭和33年)に名義600形初代)改造され消滅したこのうち6両の車体を、1959年昭和34年)に琴電譲り受け、窓配置屋根そのままで鋼体化を実施。うち2両を電装して11・12、4両を91 - 94とした。 新しい車体は窓上下補強帯(ウィンドウシル・ヘッダー)を廃した平滑なもので、戸袋窓は全車Hゴム支持となった。しかし、客用窓は91木枠の上固定下段上昇式、92木枠一段下降式、その他がアルミサッシ分かれたまた、前面3枚窓になり、中央貫通扉設けたこれにともない運転台中央から左隅に変更されたが、側面窓配置変更はおこなわず扉幅を890mmから700mmに狭める留めたため、奥行きの狭い、大変窮屈なものとなった。なお、雨樋木造時のものを流用したため、特徴あるその形態残った架線電圧が600Vの長尾線志度線使用された。1967年昭和42年)の志度線昇圧後は1500V化の上で同線で使用。さらに1974年昭和49年)に、11・12長尾線転属している。 1976年昭和51年)の長尾線昇圧後は、再び全車が両線で使用されたが、程なく30形3代)の転入始まり90形1980年昭和55年)に、10形1983年までに廃車になった

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車歴

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金子浩久」の記事における「車歴」の解説

ホンダ初代シビックCVCC いすゞ・ジェミニZZ/Tセダン ヤマハSR400オートバイ) フォード・マスタング・マッハI (共同所有プジョー・504D シトロエン・CXシリーズ1 マツダ・3代目カペラ プジョー505GTI TVR・グリフィス500 トヨタ・カルディナ ポルシェ・ボクスター ポルシェ現行型718ボクスター 職業あらゆるクルマ乗る機会の多い金子だが、自ら乗るモデルに対しては、「10年10万キロ続けているし、そもそも気に入ったクルマには長く乗りたい。服や靴のように肌に馴染んでいく感覚が好き」としている。車歴が示すようにいわゆる王道というより、ひとひねりを効かせたクルマ選びを好むことが見て取れる。その点は作風にも現れていて、「速いとか遅いとか、ハンドリング乗り心地とか、スペック装備羅列などの“説明ではなく、そのクルマ存在意義モデルチェンジの意味などを“解釈”して書くこと心がけている」という。

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