東武5000系電車
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東武5000系電車(とうぶ5000けいでんしゃ)は、かつて東武鉄道に在籍した通勤形電車。1979年(昭和54年)から1986年(昭和61年)にかけて登場した、7800系(78系)の車体更新車である。
注釈
- ^ a b 端子電圧750V時定格出力142kW/1250rpm(全界磁), 歯車比4.13。
- ^ 7300系については一度車体更新を実施していることから代替廃車の方針が決定し、1981年(昭和56年)から1984年(昭和59年)にかけて全車廃車された。
- ^ 本系列の登場に際し、従来「5000系」を名乗っていた53系車体更新車は3070系と改称・改番された。詳細は東武3000系電車#3070系の項を参照。
- ^ 本系列の搭載する主電動機は直接冷却風を取り入れる構造であるため、同通風器は設置されていない。
- ^ 8000系では主電動機点検蓋を省略しているが、本系列は吊り掛け駆動車であるがために駆動装置への注油等、日常的なメンテナンスを必要とすることから、同点検蓋が設置された。
- ^ ただし、座席肘掛形状は従来車と同一であった。
- ^ これら改造は台車枠を住友金属工業へ輸送し、同社工場において施工されている。
- ^ 先頭車を他社が製造した8000系及び5050系・5070系では緩やかなカーブを描いている。
- ^ 完成した本形式はアルナ工機から国鉄東海道本線などを経由する甲種鉄道車両輸送で東武に納入された。この際、第一陣の納入時に国鉄線内で編成の向きが逆になりそのままの状態で東武に引き渡されるという事態が発生し、秩父鉄道線内にあったデルタ線(既廃線)を使って正しい向きに戻したというエピソードがある[2]。
- ^ クハ5177は落成当初より低騒音型のHS-20Cを試験的に搭載し、結果が良好であったため以降の新製車両に普及することとなった。なお、同車は後年部品統一の観点からHB-2000CAに換装されている。
- ^ 間に挟まれる格好となるサハ5200形に高圧引き通し線を新設し、同車を介してモハ5100形に架線電圧を給電する形態に変更された。
- ^ 2000系以降に新製された東武の通勤形車両中、4両編成以上を組む全車両が浅草方から2両目にパンタグラフを搭載しているのに対し、その唯一の例外となった(浅草方から3両目のモハ5300形にパンタグラフを搭載する)5000系は異彩を放つ存在であった。
- ^ 2001年10月12日に運河駅から梅郷駅へ向かって運行中にモハ5574の避雷器から発生したアークによって発火した事故。同車の屋根から車内の一部を焼損した。[5]
- ^ a b モハ5270形5275・5276およびモハ5370形5375・5377は津覇車輌製。
- ^ モハ5270形5278 - 5283、モハ5370形5378 - 5383、およびサハ5483・モハ5583は津覇車輌製。
出典
- ^ 花上嘉成(2016):波瀾万丈!東武鉄道マン記、p.130、交通新聞社
- ^ 花上嘉成(2016):波瀾万丈!東武鉄道マン記、p.134、交通新聞社
- ^ 鉄道ピクトリアル1997年12月増刊号(通巻647号)「私鉄車両めぐり(158) 東武鉄道」 p.216
- ^ 『東武最後の吊掛式電車がラストラン 「さよなら5050系」臨時列車を運転します 東武日光駅で鉄道グッズも販売』(PDF)(プレスリリース)東武鉄道、2006年12月8日。 オリジナルの2006年12月15日時点におけるアーカイブ 。2022年3月13日閲覧。
- ^ 航空・鉄道事故調査委員会 (2002年10月25日). “鉄道事故調査報告書 東武鉄道株式会社野田線運河駅~梅郷駅間列車火災事故”. 国土交通省. 2020年3月10日閲覧。
- ^ 『10月19日野田線ダイヤ改正で記念イベント! アーチェリー銀メダリスト山本先生が1日駅長になります 「さよなら野田線5070系」を運転します』(PDF)(プレスリリース)東武鉄道、2004年10月7日。 オリジナルの2004年11月8日時点におけるアーカイブ 。2022年3月13日閲覧。
- ^ 【高崎】東武クハ5183と5683 食堂&釣堀「満寿池」 - 保存車めぐりの記録 2015年4月29日
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