2700形
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「国鉄2700形蒸気機関車」の記事における「2700形」の解説
1909年版形式図の諸元を示す。 全長 : 10,109mm 全高 : 3,886mm 全幅 : 2,451mm 軌間 : 1,067mm 車軸配置 : 0-6-2(C1) 動輪直径 : 1,372mm 弁装置: スチーブンソン式基本形 シリンダー(直径×行程) : 381mm×508mm ボイラー圧力 : 9.8kg/cm2 火格子面積 : 1.30m2 全伝熱面積 : 73.9m2煙管蒸発伝熱面積 : 66.0m2 火室蒸発伝熱面積 : 8.0m2 機関車運転整備重量 : 37.08t 機関車動輪上重量(運転整備時) : 32.00t 機関車動輪軸重(最大・第1動輪上) : 13.72t 水タンク容量 : 4.15m3 燃料積載量 : 2.03t 機関車性能シリンダ引張力 (0.85P): 4,480kg ブレーキ装置 : 手ブレーキ、蒸気ブレーキ
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2700形
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「国鉄2100形蒸気機関車」の記事における「2700形」の解説
本形式は、1912年(明治45年)から1914年にかけて、2500形を対象に従輪を2軸とし、背部炭庫および水槽の容量増大を図ったものである。重量配分の関係上、側水槽の長さを3分の1ほど詰めている。また、従台車は、釣合梁式のボギー台車となり、台枠は外側に露出したものとなったため、炭庫まわりの印象は3500形とは大きく異なる。また、炭庫の上縁は大きく斜めに傾斜した独特の形態で、これは後進運転で主に使用することを想定したものであろう。 改造は、新橋工場、長野工場および浜松工場で24両に対して施工された。本形式は、2700形としては2代目であり、初代は旧北越鉄道引き継ぎの0-6-2 (C1) 型タンク機関車で、1910年および1911年に先輪を追加して3040形(初代)に改められて空形式となっていたものである。 年度ごとの改造両数、施行工場および新旧番号の対照は次のとおり。 1912年(10両)新橋工場(6両) - 2700 - 2705 ← 2591, 2642, 2565, 2602, 2582, 2608 長野工場(4両) - 2706 - 2709 ← 2547, 2606, 2569, 2663 1913年(7両)長野工場(4両) - 2710, 2711, 2719, 2720 ← 2533, 2570, 2575, 2549 新橋工場(3両) - 2712 - 2714 ← 2644, 2530, 2543 1914年(7両)浜松工場(7両) - 2715 - 2718, 2721 - 2723 ← 2594, 2635, 2550, 2552, 2614, 2645, 2584 本形式は、形態的に3種に分類されることが判明している。第1のタイプは、前部は2500形の寸法のまま後部を延長したものである。第2のタイプはボイラー中心高さを152 mm上げ、その分煙突を短縮し、運転室の屋根高さを嵩上げし、側面窓も上方に広げているものである。第3のタイプは、ボイラー高さを引き上げたものの、煙突は短縮せず、運転室側面窓高さは変えずに屋根高さだけを引き上げたものである。各タイプの区分は、残された写真などから次のように推測されている。 2700 - 2708 2712 - 2718, 2721 - 2723 2709 - 2711, 2719, 2720 改造後は、中部鉄道局管内に配置され、福井、金沢、富山、浜松、静岡などにあった。1915年(大正4年)6月には、中部鉄道局管内に21両、西部鉄道局管内に3両で、1916年1月末には全車が中部鉄道局管内にあった。1920年(大正9年)5月末には東京鉄道局管内14両、名古屋鉄道局管内10両の配置であった。 1923年(大正12年)1月には、東京鉄道局から2708, 2710, 2712および名古屋鉄道局から2716 - 2721, 2723の計10両が札幌鉄道局に転じた。1932年(昭和7年)6月末現在では21両が、東京鉄道局管内で7両 (2701, 2702, 2704 - 2706, 2711, 2713) が飯田町、八王子に、仙台鉄道局管内で4両 (2700, 2703, 2707, 2709) が青森に、札幌鉄道局管内で上記の10両が池田、野付牛、苫小牧、帯広にいずれも入換用として配置されていた。 民間への譲渡は、1950年(昭和25年)に雄別炭礦鉄道に譲渡された1両 (2719) のみである。同機は雄別炭礦鉄道では234と改番されたが、1953年(昭和28年)に三井鉱山美唄礦業所に移って3となり、さらに北海道炭礦汽船幌内礦業所美流渡礦専用鉄道に移って2719に戻り、1960年(昭和35年)まで使用された。
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2700形
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