横浜DeNAベイスターズ
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ユニフォームの変遷
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一軍
下関時代(旧・大洋時代)
- 1950年 - 1951年 白は「WHALES」。グレーは「Whales」と「WHALES」を併用。白とグレーの「WHALES」は球団ロゴが左胸についたサンフランシスコ・シールズ型[133]。
- 1951年 ロゴが筆記体の「W」に変更される。同時にビジター用の定番となる「TAIYO」の印が初登場。
- 1952年 胸に「TAIYO WHALES」と書かれたビジター用が登場。この年監督に就任した小西得郎が当時のピッツバーグ・パイレーツのビジター用ユニフォームを参考にしたものである[134]。このフルレターユニフォームはシーズンオフに松竹ロビンスと合併したため1年間しか使われなかったが、1959年に1年間だけ復活している。
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1950年 - 1951年のホームユニフォーム 2019年に球団創設70周年を記念して復刻された。
大阪時代(大洋松竹→洋松時代)
- 1953年 松竹ロビンスと合併し、球団名が大洋松竹ロビンスに変更。帽子は黒地にTとSの組み合わせ(Tが銀糸、Sが金糸)。黒いロゴと赤いロゴはホーム用で春・秋用。ノースリーブで赤いロゴのユニフォームは夏用であった。ビジター用は「Taiyo Shochiku Robins」の頭文字を取って筆記体で「TSR」。
- 1954年 球団名が洋松ロビンスに変更。ホーム用とビジター用は同じデザイン。
川崎時代(新・大洋時代)
- 1955年 松竹が球団経営から撤退し、球団名が大洋ホエールズに戻る。同時にロゴの中に線が入ったユニフォームが登場。左袖に「KANAGAWA」の印が入る。
- 1955年 - 1958年 ブルックリン・ドジャースを参考にしたユニフォームに変更。左袖のワッペンは最初は「KANAGAWA」だったが、1957年から親会社・大洋漁業の社章「まるはマーク」に変更。
- 1959年 - 1962年 クリーム地に橙色の「Whales」ロゴ。1959年のみ帽子マークは「T」と「W」を重ね合わせたものを使用し、ビジター用は「TAIYOWHALES」とチーム名を全て表記したものを使用。翌1960年から帽子マークは「T」となり、ビジター用は再び「TAIYO」表記に。この1960年から白地となり、胸番号が入る。1960年の日本シリーズおよび1961年には左袖にチャンピオンマークが入る。また1961年途中からはホーム用の「Whales」ロゴをと背番号・胸番号の色を反転させ、オレンジ色の縁に黒文字とたものが併用された。
- 1963年 1年間だけ白地に赤の「Whales」ロゴ(黒い縁取り入り)。ビジター用の「TAIYO」のロゴが太くなり、線がオレンジ色から赤に変更される。
- 1964年 - 1972年 白地に黒の「Whales」ロゴ(赤い縁どり入り、レターが逆転)。1968年に帽子の印が筆記体の「W」となる。この「W」の書体は、当時のワシントン・セネタース(現在のテキサス・レンジャーズ)の帽子と同じ[注釈 50]。背中に名前が入るのもこのユニフォームからである。ホーム用は「KAWASAKI」と本拠地の川崎市を意味する英文字が、ビジター用は選手の名前を英文字でそれぞれ使われた[136]。その後、ホーム用は選手名のものと併用される[136]。
- 1973年 素材がニット製に変わり、オレンジ色のロゴが1シーズンだけ復活(グレー地のビジター用は唯一オレンジ色ロゴを採用)。背番号の上の「KAWASAKI」(ビジター用のみ。ホーム用は選手名)もこれが最後。
- 帽子の色は黒にオレンジ色のW。アンダーシャツ・ストッキング・スパイクシューズの色は黒。(スパイクシューズはラインなし)ユニフォームはホーム用の地色が白でビジター用がライトグレー。ホーム用の筆記体のWhalesロゴとビジター用のTAIYOロゴ、胸背番号、背番号の上のネームがオレンジを黒で囲んだものとなり襟袖ズボンラインもオレンジを黒で囲んだものとなる。帽子のWマークはそれまでの筆記体から斜体がかったデザインに変更。左袖に「まるは」マーク。
- 1974年 - 1977年 基本色が湘南電車カラーと呼ばれたものになる(経緯については後述)。
- 帽子はグリーン地にツバ・天ボタン・空気穴がオレンジ。マークはオレンジに白縁の「W」(1974年前半は白縁なし)。
- ホーム用は、オレンジ色地に緑の「Whales」ロゴ(白い縁取り入り)が入ったユニフォームを使用。
- ビジター用は緑地に橙色の「TAIYO」ロゴ(白い縁取り入り)となっている。
- パンツはホーム用・ビジター用ともベルトレス。
- 1977年後半から、袖の「まるは」マークが「鯨に乗った少年」のイラストに変更。また、ビジター用の胸マーク、背番号、背ネームの白縁取りがなくなり、背番号が若干小さくなる。
横浜時代
横浜大洋ホエールズ時代
- 1978年 - 1992年 本拠地が川崎から横浜へ移転し、球団名が横浜大洋ホエールズに変更され、チームカラーが紺一色になる。帽子は紺色でマークは白で「W」。
- ホーム用は、白地にマリンブルー(紺色)のライン。胸に本拠地名のロゴ「YOKOHAMA」(紺色)、左袖に「TAIYO」(同)[注釈 51]。
- ビジター用は、上着が紺色に白(ホーム用と逆)で「TAIYO」、左袖に「WHALES」。「TAIYO」、「WHALES」のロゴはこれが最後。パンツはグレー[注釈 52]。
- スパイクは、紺地に白のラインでローリングス(日本での発売元はアシックス)を使用し、当時の12球団では唯一の採用であった。
- 1980年、ヘルメットの横に自分が打ったホームランの数だけ星印のシール(通称:ホームランスター)を貼る制度を導入。
- 1982年、関根潤三の監督就任に伴い、帽子の形が変更。単に紺の帽子に白で「W」と入れられていた物から、帽子のフロントに「W」と刺繍された台が貼り付けられた物に変更された。以降は横浜大洋ホエールズ最終年の1992年までこの帽子が使用されていた[137]。
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1978年 - 1992年のホームユニフォーム 2017年にハマスタレジェンドマッチで遠藤一彦が着用
横浜ベイスターズ時代
- 1993年 - 2008年 球団名が横浜ベイスターズに変更され、ユニフォームも一新。チームカラーのマリンブルーと呼ばれる青[注釈 53]を基調とし、スパイクも同じデザインで青地に白線となる。ユニホームは第3ボタンまで脱着可能(後は飾りボタン)のプルオーバータイプとなる。背番号、胸番号、選手名は日本球界で初めてカッパー・プレート・ゴシックと呼ばれる製版業で使われる書体を採用。途中若干のマイナーチェンジはあったが、球団史上最長の16シーズン採用されたデザインとなった。帽子は、青地に白の「β」、後ろに☆が3つ。
- ホーム用は白地に青のピンストライプ。青地に白の縁取りの「BayStars」のロゴ。胸番号、背番号は黒、選手名は青となる。
- ビジター用は上着が青、パンツが白で、袖とパンツに2本線(上着は白、パンツは青)が入る。胸ロゴは白の「YOKOHAMA」の文字とβの印、選手名、背番号、胸番号は白。
- 1996年 - 大矢明彦監督就任と同時に、帽子のマークの☆の数が3つから1つに変更(デザインは、☆の中にβが入る。色は白)。
- 2001年 - スパイクの色が白地に青線になる。
- 2003年 - パンツの2本線が細くなる。
- 2004年 - 袖の2本線が細くなる。
- 2006年 - ビジター用の左胸のβの後ろにある星のマークが消え、「YOKOHAMA β」のみとなる。ホーム用の白地が明るくなり、ピンストライプ部分が刺繍からプリントになる。
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1993年 - 2008年のホームユニフォーム
- 2009年 - 2011年 横浜開港150周年に合わせてホーム・ビジターとも一新。胸元にyokohamaの頭文字にちなみ「Yネック」を採用。プロ野球では2001年のオリックス・ブルーウェーブ以来となる前開きでないプルオーバータイプを採用する。胸番号・背番号がゴシック体のような書体になる。アンダーシャツ、ベルト、スパイクの色が紺。帽子のマークから☆マークが消え、「β」のみになる。
- ホーム用はピンストライプがなくなり、左胸に「β」の印、右腹部に背番号。両肩に銀色の星マークが入る。「BAYSTARS」の大文字ロゴがパンツの左側線に入る。背ネームは幅狭。
- ビジター用はグレー地、白のピンストライプ、前面に筆記体の「Yokohama」の文字、左腹部に背番号。ビジター用のみ帽子のツバの色が青色。背ネームはホームに比べて幅広。
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2009年 - 2011年のホームユニフォーム
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2009年 - 2011年のビジターユニフォーム
横浜DeNAベイスターズ時代
- 2012年 - 2014年 球団名が横浜DeNAベイスターズに変更され、新しい球団としてスタートしたことに伴い、ユニフォームのデザインを一新。新しいユニフォームのデザインコンセプトは、チームロゴ、プライマリーマークと同様に、「継承と革新」。「ワクワク感」「強さ・かっこ良さ」等、ファンが球団に期待する要素をイメージしてデザイン。帽子のマークがホーム用とビジター用で違うなど、斬新なアイデアが盛り込まれた。
- ホーム用は「継承と革新」をコンセプトに1993年から2008年まで使われたデザインを踏襲、4季ぶりに縦じまが採用され、1998年に日本一に輝いた当時のユニホームを彷彿とさせるデザインとなった。白を基調にライトブルーの縦線で、上下縦じまを採用。胸には新球団のロゴを据えられたほか、脇下には濃紺、袖口・首回りにはライトブルーのラインがそえられた。帽子は濃紺を地色にチームのシンボルマークの「B」。
- ビジター用の上は濃紺がベースとした単一カラーで袖口や首回り、ラケットラインには薄い青。ズボンは白と濃紺の二種類を用意、上下とも濃紺のユニホームを着用することもある。背番号・胸番号と胸の「BAYSTARS」の文字は「横浜の海」をイメージし、白と水色のグラデーションがかかったデザインとなった。帽子には濃紺を地色にチームの象徴でもある「星」をあしらった。
- 主将に任命された石川雄洋のユニフォーム左胸上部には、キャプテンマークの「C(ホーム用は白縁に赤、ビジター用は黒縁に金色)」の文字が入る。
- 7月3日から5日の対巨人戦では、本拠地の横浜スタジアムでビジター用ユニフォームを着用するイベントを開催。ただし、ソックスはイベント用に作られたもの(紺色地にブルーの二本線)を使用。
- 2013年 ホーム用・ビジター用ユニフォームに加えて、新たに「第3のユニフォーム(サードユニフォーム)」が登場。3月29日の中日戦から年間を通して週末のビジターゲームを中心に着用した(月曜日の試合も着用)。
- デザインは1993年から2008年まで使用していたビジターユニフォームを彷彿とさせる「ベイスターズブルー」をメインカラーに採用、首回りと袖口に水色が据えられた。左袖にチームロゴ、胸に「YOKOHAMA :DeNA」のロゴ、:DeNAの文字の下に胸番号。ロゴ・胸番号・背番号・背ネームは、白字でネイビーと水色で縁取り。ズボンは白で、水色の線が入る。帽子は青地に白字で「:De」(ネイビーと水色で縁取り)[138]。
- なお、ユニフォームの背ネームに関して、井納翔一 (INOH) や大原慎司 (S.OHHARA) のようにヘボン式ローマ字表記とは別に、大田阿斗里 (ŌTA) のように訓令式ローマ字(かつて、阪急ブレーブスが採用した)表記が混在していた。
- 2014年 - 2015年 前年使用したサードユニフォームの勝率が.575のハイアベレージを記録したことで、このサードユニフォームを新ビジターユニフォームとして導入。デザインは、胸ロゴが「:DeNA」に変更になり右袖に「YOKOHAMA」で、それ以外は前年のサードユニフォームと同じ[139]。
- 2015年 - 2022年 ホームユニフォーム
- デザインは前年まで使用したホームユニフォームと同じで、メインカラーを「海と港の街」横浜をイメージした鮮やかな「横浜ブルー」に変更。また、ユニフォームの首元の裏に選手自身が大事にしているスローガンや目標を言葉にした「Personal slogan」が記される。帽子は「横浜ブルー」にチームのシンボルマークの「B」。ヘルメットが星に照らされて輝く海をイメージした「横浜ブルーメタリック」。
- 2016年 - 2019年 親会社がDeNAとなって5周年を記念し、ビジターユニフォームを変更。
- 「海と港の街、横浜」をコンセプトに、これまで、ビジターユニフォームの胸に配していた「DeNA」のロゴを「横浜に根づき、横浜と共に歩む」という想いから「YOKOHAMA」に変更。球団のメインカラー「横浜ブルー」をベースに、青色の濃淡のストライプを使って、横浜の澄み渡る青い空と海を表現したデザイン[140]。
- 2018年 - ビジターゲーム用のキャップデザインを変更。”YOKOHAMA”に対する皆様の想い・誇りと共に敵地で戦うという強い意志を込め、従来の「:De」から、ビジターユニフォーム胸部の「YOKOHAMA」の「Y」と同じデザインに変更した[141]。
- 2019年 ホームユニフォーム、ビジターユニフォームの袖についているプライマリーマークを2019年シーズン限定で70thプライマリーロゴに変更[142]。
- 2020年 - 2023年 ビジターユニフォームを一新。コンセプトは、「より青く、より強く。」。カラーは、球団のメインカラーである「横浜ブルー」を中心に、港町・横浜の海のように鮮やかな4種類の青色を使い、全て青色で構成。さらに、上部へ大きく拡がる「ストライプ」の動きを加えることで、選手の力強さを引き立て、無限に広がる可能性を表現した[143]。
- 2023年 - 2015年以来のデザイン変更となる新たなホームユニフォームは過去の歴史や伝統を継承し、さらなる進化を遂げていきたい、という思いを込めた。2023年シーズン、チームとファンのとの一体感をより強く生み出していくべく、これまでのユニフォームの象徴的なストライプを集約し、頂点を目指す一本の道"YOKOHAMA STRIPE"へ。"YOKOHAMA STRIPE"の5本の線には選手それぞれの個性が結束し、同じ一本の道へ進んでいくことを同時に表現した[144]。
- 2024年 - 2023年シーズンより新しくなった「ホームユニフォーム」同様、「新ビジターユニフォーム」にも、ベイスターズの伝統を継承するストライプを活かしている。これに「波形」を組み合わせ、新しいビジターユニフォームを象徴するモチーフとして使用している。
- この「波形」には2つの意味があり、1つは横浜を象徴する「海」を表す波。幕末、日本が大きく変わるきっかけとなったこの地には「海」が身近にあり、それがこの地のプライドでもあり、変化の地、横浜のプライドを胸に、新たな歴史を築いていく。そしてもう1つはファンからの「声援」。ハマスタで波のように押し寄せる「声援」は、チームの力となり、それが確実にチームの勝利を後押ししていく。ファンと一体となり、共に頂点を目指したいという思いをこめた[145]。
以前に左袖にプリントされてた球団プライマリーマークはこのユニフォーム独自のロゴに変更されている。
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2012年 - 2014年のホームユニフォーム
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2012年・2013年のビジターユニフォーム
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2013年のサードユニフォーム
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2014年 - 2015年のビジターユニフォーム
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ホームユニフォーム(2015年 - 2022年 、撮影は2016年)
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2016年 - 2019年のビジターユニフォーム(撮影は2018年)
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2020年 - 2023年のビジターユニフォーム(撮影は2022年)
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2023 - 、のホームユニフォーム
二軍
- 2000年 - 2010年 二軍の独立採算化と一軍との差別化を目的に、二軍の球団名を「湘南シーレックス」に変更し、ユニフォームも独自のものを使用。帽子は紺色を地色に白の「S」マーク、ツバはエメラルドグリーン。
- ホーム用:シャツは白地にエメラルドグリーンの首元から胸にかけてのラケットラインと袖口のラインが入り、胸にエメラルドグリーンで筆記体の「Searex」ロゴ、胸番号・背ネーム・背番号は黒、パンツは白地に横に青緑色のライン、アンダーシャツは青緑色。
- ビジター用:シャツはエメラルドグリーン(ラインなし)、胸に白で筆記体の「Shonan」ロゴ、胸番号・背ネーム・背番号は白、パンツは白地に横にエメラルドグリーンのライン、アンダーシャツは青。
- 日本のプロ野球球団のユニフォームの多くは、背番号・背ネーム部分をユニフォームの生地に直付け(刺繍もしくはプリント)しているが、湘南のユニフォームの背ネーム部分は、アーチ状の生地にネームをプリントしたものをユニフォームの生地に縫い付けている。これは「シーレックスに定着されては困る」という励ましの意味で、2012年現在、日本のプロ野球球団に於いては唯一のケースである。
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湘南シーレックスのホームユニフォーム
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湘南シーレックスのビジターユニフォーム
交流戦限定ユニフォーム
- 2005年 - 2006年 ホーム用はピンストライプがなくなって左胸には「β」の印、右袖に背番号。左袖にTBSのロゴのワッペン。ビジター用は灰色の下地に前面に筆記体で「Yokohama」の文字、ホーム用と同じく右袖にも背番号。
- 2007年 - 2008年 ホーム用のみとなり、チームカラーの青を一切使わない紺基本のユニフォーム。左胸には「β」の印、右胸に背番号が紺に金の縁取り。両脇には横浜赤レンガ倉庫をイメージした臙脂色が用いられる[注釈 54]。
- 2009年以降は登場していない。
夏季限定ユニフォーム
- 横浜ベイスターズ時代
2004年から毎年原則で、夏季限定ユニフォームを採用しており、いずれも8月の主催ゲームで行われるのみである。交流戦・夏季限定ともに、2年ごとにデザインが変更されている[注釈 55]。
- 2004年 - 2005年は白の下地の前面に「BayStars」のロゴが入り、脇下が青で当時の西武ライオンズのデザインとよく似ていた。両年とも期間終了後に選手のサインをいれてファンにプレゼントされる。背番号の氏名ローマ字は記載されていない。
- 2006年 - 2007年は白地の前面にブロック体で「BAYSTARS」の刺繍、その左上の方に背番号、左肩に「yokohama」、背中には背番号のみで首周りは青色で肩付近にかけてマリンブルーにし、帽子はマリンブルー地に「B」のみ。「ベータ・キャップ」と称される。
- 2010年は3年ぶりに夏季限定ユニフォームが登場した(2011年も同デザイン)。デザインは通常ホーム用をベースに、ラグランスリーブ部はグラデーション入りの青として背番号にも金の縁取りが入る。キャップは通常ビジター用をベースに、マーク部が金文字となる。
- 横浜DeNAベイスターズ時代
親会社がディー・エヌ・エー(DeNA)に変更されてからは、毎年夏に『YOKOHAMA STAR☆NIGHT(ヨコハマスターナイト)』というイベントが行われており、2013年からはその期間中に選手および監督・コーチはスペシャルユニフォームを着用。
- 2013年8月2日からの対中日3連戦にて、選手プロデュースのスペシャルユニフォームを着用[146]。「横浜の街もチームも星のように輝いて」という選手の思いから青を基調に空に輝く星空をイメージして肩や胸、背中などにかけて白い星がちりばめられたデザイン。胸には「YOKOHAMA」の文字が入る。帽子はサードユニフォームと同じもので、青地に白字で「:De」(ネイビーと水色で縁取り)。
- 2014年8月8日からの対ヤクルト3連戦にて、夜空を彩る流れ星をイメージしたデザインのユニフォームを着用。プロ野球で一番輝く星になりたいという選手・ファンの思いを表現して青を基調にチームカラーの青や勝利の白星を意味する白で描かれた星をデザインし、キャップはビジター仕様のものを用いた。
- 2015年8月18日からの対ヤクルト3連戦にて、「海と港の街・横浜」を象徴する港の光きらめく水面をモチーフとしたデザインで、水色、青、濃紺の爽やかな迷彩柄で、小さく12選手のシルエットも描かれている。キャップには、この3試合限定で勝利を意味する「白星」が刺繍されたものを用いた。
- 2016年8月5日からの対中日3連戦にて、夜の横浜に輝く星空をモチーフとしたデザインで、横浜ブルーの夜空に煌めく星を幾何学模様のグラデーションで表現したものとなった。キャップには通常のホームゲームで着用するものの左つばにDeNA球団5周年に合わせ「5th ANNIVERSARY」と刺繍されたものを用いた。
- 2017年8月1日からの対中日3連戦にて、「“星空の煌めき”ד横浜の街並み”」をテーマとしたユニフォームを着用。夜の横浜を空から見下ろした、きらめく街明かりをモチーフとし、横浜ブルーをメインカラーに星空の煌めきをドット表現による幾何学デザインで表した。「横浜スタジアム」や2017年3月にオープンした球団の複合施設「THE BAYS」をはじめ、横浜の名所がデザインの中に隠されている。キャップはホームユニフォームと同じ物を使用[147]。
- 2018年7月31日からの対巨人3連戦では、「スパンコールのように輝く横浜の星空」をテーマとしたユニフォームを着用。きらきらとスパンコールのように輝く横浜の星空を、“横浜ブルー”を基調に濃淡をつけた青色で表した。また、レプリカユニフォームにはより輝きを表現するために、光沢感と凹凸のある素材を球団として初めて採用し凹凸を活かしたテクスチャーにこだわり、本物のスパンコールがついているような立体感のあるデザインとなった。キャップは通常のビジターゲーム時の物を使用[148]。
- 2019年7月30日からの対ヤクルト3連戦では、「宇宙への航海」をテーマとしたユニフォームを着用。左胸を中心に球団ロゴに含まれる様々な青色を同心円状の楕円にあしらったデザインで宇宙を表し袖は紺色とし、STAR☆NIGHTシリーズで初めてテーマデザインに合わせたマークとして楕円形のデザインを取り入れたYのマークを左胸の楕円中心部とキャップにあしらい宇宙の中心である横浜を表した[149]。
- 2020年9月8日からの対阪神3連戦では、「Supernova」をテーマとしたユニフォームを着用。昨年度からのスピーシー感を踏襲し、横浜を中心に広がる宇宙を“横浜ブルー”をはじめ、球団ロゴマークに含まれる様々な青色で表現した。キャップは通常のビジターゲームの時の物を使用[150]。
- 2021年9月7日からの対巨人3連戦では、「STAR NIGHT X(スターナイトテン)」をテーマとしたユニフォームを着用。黒地にDeNA球団10周年を意味する「XYDB」のロゴを4行羅列し文字は過去のSTAR☆NIGHTシリーズのユニフォームに用いられた模様を取り入れつつ左胸にビジターユニフォームと同様のYのマークを付け、襟・袖は紺色と袖口に白と水色のラインを入れた。
- 2022年8月2日からの対広島3連戦では、日本プロ野球史上初となる襟付き開襟シャツ型ユニフォームを着用。横浜の象徴的なモチーフを入れ込んだ「横浜の夏」を感じるアロハシャツ調のデザインとなっている。
- 2023年8月8日からの対中日戦3連戦では、「STAR NIGHT SIGN」をテーマとしたユニフォームを着用。星空の模様を基調に横浜スタジアムの座席図の線画や選手の姿をした星座等のデザインと左胸にYのマークををあしらい横浜の夜空をイメージしたものとした。背番号・選手名部分とキャップやユニフォームに金色を一部あしらいチーム・ファン・横浜の街の光を集め優勝への道を輝かせる思いを込めた。
復刻ユニフォーム
- 2010年8月にセ・リーグにおける球団の主催で行われた「オールド・ユニフォーム・シリーズ」では横浜大洋時代のホーム用ユニフォームを使用した[151]。
- 2012年8月 - 9月にセ・リーグにおける球団の主催で行われた「レジェンド・ユニフォーム・シリーズ」では横浜ベイスターズ時代の1993年 - 2008年まで使用され、1998年の優勝・日本一時のビジター用ユニフォームを使用した[注釈 56]。
- 2016年、DeNA球団5周年記念の一環として5月10日 - 12日の中日戦、6月15日・20日[注釈 57]の北海道日本ハム戦を対象に横浜大洋ホエールズ時代のホームユニフォームを選手たちが着用して戦う「We☆YOKOHAMA DAY」を開催した[152]。横浜DeNAベイスターズとなってからは初の大洋ホエールズ復刻ユニフォームである[注釈 56]。
- 2019年3月10日にオーヴィジョンスタジアム下関で開催される予定だった「球団創設70周年記念試合」の広島東洋カープとのオープン戦では、1950年のホーム用ユニフォームを復刻したものを着用[注釈 56]して試合をする予定だったが、試合開始直前の降雨により中止となった。この記念試合と復刻ユニフォームの着用は、改めて2019年3月21日の北海道日本ハムとのオープン戦(横浜スタジアム)にて行われた。
- この他、2006年のファン感謝デーには、大洋・横浜大洋時代の復刻ユニフォームを着用してアトラクションをこなしている。
その他
- 2019年4月12・13日の対広島戦、6月22・23日の対楽天戦、8月10・11日の対中日戦を対象に球団創設70周年を記念した「70th ANNIVERSARY GAME」にて、横浜ベイスターズ時代の初代ビジターユニフォームを踏襲した青色とロゴ配置、大洋ホエールズ時代の初代「W」マークを横にしたBマーク、袖とパンツ横に1959年の二本線を踏襲した上で1974年からの湘南電車カラーのオレンジと緑、右胸と背の「YOKOHAMA」を初代大洋ユニフォームをイメージしたフォント、横浜大洋時代を踏襲した背番号ロゴタイプとショルダーデザインといった歴代のユニフォームデザインをモチーフとした「70th ANNIVERSARY UNIFORM」を着用。
注釈
- ^ 球団およびNPBでの英語表記は会社名以外を全て大文字にした「YOKOHAMA DeNA BAYSTARS」。
- ^ 2000年から2010年までは、二軍の独立採算化と一軍との差別化を目的に二軍独自の球団名として、「湘南シーレックス」という名称が使用されていた。2011年からは再び一軍と同じ球団名となっている。
- ^ 具体的に「解散」などの処罰内容を決めていたわけではなかったが、下位球団を整理する意図は背景に存在した。
- ^ 球団史では傍系扱いとなり、
大東京軍(社名:大日本野球連盟・東京協会、経営:國民新聞社・1936年 - 1937年)
→ライオン軍(経営:共同印刷→田村駒商店、スポンサー:ライオン歯磨本舗・1937年-1940年)
→朝日軍(社名:朝日野球倶楽部・1941年 - 1945年)
→パシフィック(1946年)
→太陽ロビンス(スポンサー:太陽レーヨン・1947年)
→大陽ロビンス(1948年 - 1949年)
→松竹ロビンス(スポンサー:松竹・1950年 - 1952年)
以上の球団史や結成年度・優勝回数・その他記録は一切カウントされない。このため本球団は初代セ・リーグ優勝球団の後身でありながら「初代セ・リーグ優勝チーム」と名乗ることができなくなっている。 - ^ 合併時に創立年や各種記録を、旧大洋側の存続扱いとしていたため、球団の系譜として連続したものとなった。もしも合併時に大東京から松竹の系譜を存続扱いとしていたら、旧・大洋と新・大洋が経営者と名称が同一なだけで連続性のないものとなるところだった。
- ^ 『スポーツの今日を刻む〜スポーツジャーナリスト21人からのメッセージ〜』に横浜市への球場使用料は1試合2,000万円とある。また、同著に元・球団社長の大堀隆が語ったとして「98年にベイスターズがセ・リーグで優勝し、日本シリーズも制したとき、同時期にかながわ・ゆめ国体も開かれていたんです。どちらが地域=横浜市の活性化に力があったか。私はベイスターズだと思う。地下街に佐々木の大魔神神社できたくらいですから。国体には何年にもわたって何千何百億円ものお金が使われたはずです。それにくらべて、せめてベイスターズには横浜球場の使用料を安くしてもらいたいと希望するのですが、それができない。市に言わせると、もし安くしたら必ず市民から、たかが一私企業のための利益をはかり、結局は税金を使うことになるようなことは許せない、と抗議の電話が殺到するだろう、というのです」とある[14]。
- ^ 横浜スタジアム建設の際、一口250万円の市民株主800口によるオーナーズ・クラブに内野席シーズン・シートを45年間与えたため、2023年まで(株)横浜スタジアムが運営(指定管理者)する球場を専用球場とすることが規定されている。このオーナーズ・クラブは球団総務部内のオーナーズ・クラブ事務局が管理している[15]。
- ^ このほかに、第三セクターである(株)横浜スタジアムとの間に契約を交わし、20年契約で入場料収入の29%、シーズン席の収入の30%と販売経費を球団から球場へ払い、球場内広告に対して5,000万円、物販協力金として350万円を球場から球団へ支払うというものだった。1978年(初年度)の横浜スタジアムは広告収入5億3,300万円、物販収入9億2000万円。1993年は球場収入13億9200万円、広告収入13億9,300万円、物販収入15億6500万円で、経常利益は13億9600億円、資産は現金・預金・有価証券で64億3800万円であった。この契約は現在も延長されているのかは不明。
- ^ 横浜大洋友の会。球団営業部主導の横浜ベイスターズ全国ファンクラブ→B☆SPIRITとは別組織。友の会はのちに横浜ベイスターズ友の会→横浜DeNAベイスターズ友の会と名称を変更し、2013年にはB☆SPIRITと統合し、「B☆SPIRIT友の会」となった。
- ^ セ・リーグ既存の6球団では最後の達成[17]。
- ^ 近鉄のリーグ優勝は1979年、1980年共にプレーオフ制覇である。日本ハムのリーグ優勝は1981年は当時の本拠地・後楽園球場でプレーオフ優勝、1962年は東京スタジアムで行われた大毎オリオンズとの試合中にダブルヘッダー1試合目だったマジック対象チームの南海ホークスが近鉄に敗れたことによるものである。なお、前者が80年にプレーオフを優勝した時の球場は設備の都合上、当時の本拠地・藤井寺球場ではなく、大阪球場だったが、主催試合であることに変わりはないため、大洋のみが「本拠地でリーグ優勝をしていない唯一の球団」になっている。
- ^ 37年間リーグ優勝ができなかったのは日本球界最長記録である。
- ^ 首位で全日程を終えるのも、1964年以来34年ぶり。同年は全日程終了後、阪神に逆転され、優勝を逃したので、奇しくもその雪辱を果たす格好となった。
- ^ a b ただし、特殊ルールを介さないリーグ優勝から最も長く遠ざかっているのは千葉ロッテマリーンズで、最後の特殊ルールを介さないリーグ優勝はロッテオリオンズ時代の1970年まで遡る。
- ^ 2003年にダイエーの.297(ただしDH制による記録)に抜かれ、現在はセ・リーグ記録。横浜の投手の打撃成績を除いた野手のみの打率は.303。
- ^ 川村を最後に、2023年に東克樹が15勝を挙げるまでは15勝以上挙げた投手は現れなかった。
- ^ ただし、日本ハムの方はプレーオフ優勝を当時の本拠地・後楽園球場で飾っている。
- ^ TBS(現・TBSホールディングス)がスポーツ団体の経営をするのは国際プロレス以来である。
- ^ セ・リーグ全日程最下位は65年サンケイ、1980年中日、1985年ヤクルト、1991年阪神に次いで5度目。
- ^ 盗塁数は2005年から37、51、42、37で2007年を除いて4年間で3回も12球団ワーストを記録している。
- ^ 東京ドーム9敗1分、鹿児島1敗、宇都宮1分け。
- ^ 2018年11月23日から2019年11月22日まで使用された。
- ^ ホームゲームでは球場にこのデザインの旗が必ず掲げられていた。また、球団公式映像や資料、各種SNSでもこのロゴが使用されていた。ビジターゲームの場合はこのデザインのものと従来(2012年にデザインされたもの)のものとが混在していた。
- ^ シングルA ケーンカウンティ・クーガーズ投手コーチ。
- ^ アリゾナ・ダイヤモンドバックス フィールドコーディネーター兼ダブルAジャクソン・ジェネラルズ監督。
- ^ 2001年のセ・リーグの順位は、勝率順ではなく、勝利数順のため、勝率の場合はBクラス(4位)になっていた。
- ^ サンケイと同率最下位。
- ^ 「広島東洋カープ」の「東洋」は球団の筆頭株主であるマツダの旧社名・東洋工業に由来する。
- ^ 「B」で始まる球団が既にオリックス・ブルーウェーブ(BW)と近鉄バファローズ(Bu)の2球団存在していたため。
- ^ ただ、あまりにもずんぐりした体型のおかげで、転ぶと自力で立ち上がれなくなることが多々ある。
- ^ ただしマフラータオルも引き続き販売されている。
- ^ 俗に1-9と呼ばれる、当日のスタメン選手の応援歌をメドレー形式で演奏するもので、スタメン発表時や試合勝利後に行われる。
- ^ 2000年頃以降に製作された楽曲は、製作者(作曲・作詞・編曲など)や曲調などが従来までと異なり、球場での演奏に不適なものが多くなったため、応援団側がこれらの使用を拒んだことも要因にある。
- ^ 例として金城龍彦(市川和正より流用)、タイラー・オースティン(ターメル・スレッジより流用)内川聖一(高木豊より流用)、内藤雄太(駒田徳広より流用)など。牧秀悟(大洋時代の谷繁元信→村田修一より流用)、ネフタリ・ソト(アルキメデス・ポゾ→ホセ・カスティーヨより流用)のように複数回流用されているケースもある。
- ^ 横浜市ポイ捨て・喫煙禁止条例に違反することや、球場すぐ近隣を走行するJR京浜東北・根岸線の架線に引っ掛かり、電車の運行を妨害する危険があるため。
- ^ かつて在籍したデーブ・ドスターのCD収録版応援歌のメロディを流用したもので、歌詞は新規。ドスター在籍時には実際に演奏されることはなかった。
- ^ 球団の二軍を専門に応援する団体であった。
- ^ 横浜時代の1998年には西武ドーム(現・ベルーナドーム)に行ったことがあったが、あの時はまだ屋根がなかった。
- ^ 1960年のシリーズは4勝無敗で日本一、1998年のシリーズでは第3戦と第4戦で黒星を喫したが、いずれも西武ライオンズ球場(後の西武ドーム→ベルーナドーム)だった。
- ^ 1962年の東映フライヤーズ(現:北海道日本ハムファイターズ)と2010年の千葉ロッテマリーンズは共に第7戦には出たことがあるのだが、共に引き分け後での最終戦ではない第7戦でそれぞれ日本一になっており、どちらもDeNAと共に最終戦には出たことがない。
- ^ 元々、楽天は創設して日が浅いため、該当者は平石洋介と石井一久のみである。
- ^ 優勝監督の三原脩と権藤博はいずれも本球団に選手として在籍した経験はない。2017年に日本シリーズ出場した時の監督であるアレックス・ラミレスはDeNAのOBであるが、レギュラーシーズンは3位である。なお、現存するパ・リーグ球団では北海道日本ハムファイターズと東北楽天ゴールデンイーグルス[注釈 41]の2球団が該当する。
- ^ 牛島和彦監督(当時)がテレビ番組で頼み込んでの就任
- ^ 株式会社ディー・エヌ・エー2012年3月期の有価証券報告書記載内容には日本経済新聞12月2日付記事の記載通り持株比率が66.9%と記載されているので、少なくとも2013年3月までにディー・エヌ・エーは第二位株主だったニッポン放送より30.79%を取得し、買い増している。
- ^ 当時は新規加盟(球団譲渡を伴わない全くの新チーム)の場合は60億円だった(株式譲渡意見書[信頼性要検証]参照)。現在は新規加盟・譲渡を問わず加盟料は30億円(うち25億円は預託金)である[127]。
- ^ 2015年5月までは無料。以降は試合の3回終了まで無料、4回以降の視聴は有料チャンネル入会要。横浜DeNAベイスターズ SHOWROOM PASS
- ^ 2000年代後半頃(2010年まで)、番組名が『YOKOHAMAベイスターズナイター』であっても、TBSテレビでの地上波中継のない主催試合の場合、テレビ神奈川が自社制作せず、BS-TBS・TBSニュースバード向けにTBSテレビが制作した『ザ・プロ野球』を購入して同時放送を行う傾向にあったが、2011年からは、TBSテレビから球団配信ので公式映像扱いにより主要映像配給を受けて、一部の映像・実況・スコアテロップを自社で差し替え、形式的に自社制作扱いとするようになった。
- ^ ただし完全移行は2014年6月からで、4・5月はTBSチャンネル2が視聴できないケーブルテレビ局への配慮を含めた視聴者保護と、円滑なチャンネル移行が行えるようにするための経過処置として、TBSテレビ・BS-TBSでの放送がない16試合を対象に、ニュースバードとTBSチャンネル2の並列放送を実施した。
- ^ 他にフジ・メディア・ホールディングスの主要株主であり、ニッポン放送とともにNRN基幹局を務めるラジオ局でもある文化放送の文化放送ライオンズナイター、文化放送ホームランナイター、同社が技術協力するNACK5 SATURDAY&SUNDAY LIONS(NACK5)、RFラジオ日本のラジオ日本ジャイアンツナイターで主催試合を中継する場合があった。
- ^ 2005年にはワシントン・ナショナルズの帽子として復活した。
- ^ ホーム用ユニフォームにチーム名ではなく地名である「YOKOHAMA」と入れたのは横浜に移転して球団を横浜に定着させたいという思いがあっての事である[137]。
- ^ ビジター用のユニフォームはスリムなデザインが受けて全国の草野球チームでこれを模倣したユニフォームが使われるほどであった。
- ^ ブルーアズール=藍青色
- ^ 当時使用された楽天の交流戦ユニフォーム(ホーム用)とよく似ている。
- ^ 2008年は夏季オリンピック北京大会開催のため8月の主催ゲームが8カード21試合中13試合と少ないため、夏季限定ユニフォームの着用はなく、2009年も登場していない。
- ^ a b c 復刻ユニフォームには「ノジマ」や「リスト」の広告が入る。
- ^ 当初は6月16日予定だったが雨天中止のためこの日に振替となった。
- ^ 2日のゲームは台風接近により中止になり、5日に振り返り試合が行われた。
- ^ ただし当時とは異なり、左胸にノジマ、ズボンにマルハニチロの広告が貼られている。
- ^ 2010年の「オールドユニホームシリーズ」では広告を右袖に掲示。
- ^ 川崎球場は大洋が本拠地とした当初、1954年に参入した高橋ユニオンズ(1955年はトンボユニオンズ)も本拠地としていた。そのため、大洋の川崎移転初年の1955年と高橋が消滅した翌1956年の2年間は大洋と高橋が川崎球場を掛け持ちしていた。
- ^ 1992年から1997年までの背番号は「46」。
- ^ プロ入りした2010年は「55」、2011年は「8」。
- ^ 日米通算。NPBでは252セーブ、MLBでは129セーブ。
- ^ NPBのみの通算。MLB時代の86安打を含めると米日通算2103安打となるが、NPB在籍以前のMLBの成績は名球会入会条件に該当しないため含まない。また、独立リーグ(BCリーグ)時代の通算58安打も含まない。
- ^ 日米通算。NPBでは2101安打、MLBは5安打。
- ^ 2012年までは公式戦が実施されている期間のみの使用となっていた。
- ^ 1980年はメサ市ホホカム球場のみでのキャンプ開催であったが、1981年は第一次キャンプを静岡・草薙球場で、第二次キャンプをメサ市ホホカム球場で実施した。
- ^ 2000年以前は、勝率が同率となった場合はプレーオフで順位を決定するという規定だった。
- ^ 勝利数の順位と勝率の順位が異なる場合は、勝利数を優先して順位を決定し、勝率1位のチームと勝利数1位のチームが異なる場合はその両チームによるプレーオフでリーグ優勝チームを決めるという方式であった。
- ^ ただし、勝率1位チームと勝利数1位チームが異なる場合に優勝決定プレーオフを行うとする規定は、2006年まで存在していた。
- ^ これに先駆けて4月に巨人対阪神の二軍公式戦が18時から同じ沖縄セルラースタジアム那覇でナイターで行われている
- ^ 2軍戦もベイスターズ主管のものは開催されていないが、近接県の福岡県を本拠地とする福岡ソフトバンクホークス主管のウェスタン・リーグの開催はある(直近例・2022年4月3日の中日戦)
- ^ 巨人に連敗し続けたあるシーズンのこと。大洋(横浜)が久々に巨人に勝った夜には、『ニュースステーション』(テレビ朝日系列)で放送されていた名物企画「プロ野球1分勝負」で同カードの結果を報じるVTRの最後に「今後の融資はお断りいたします」というテロップでオチを付けたほどだった。また、同番組では大洋が巨人に負けた場合、司会の久米宏がスポーツのコーナーを「CMの後は横浜大洋銀行です」と告知することも頻繁にあったという。
- ^ 該当例とするなら、1985年、2003年、2008年、2014年のシーズンがあり、DeNAは阪神に大きく負け越していた。
- ^ ディー・エヌ・エー買収後は不明
出典
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