ホセ・カスティーヨとは? わかりやすく解説

ホセ・カスティーヨ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/05 20:44 UTC 版)

ホセ・カスティーヨ
José Castillo
基本情報
国籍 ベネズエラ
出身地 首都地区ミランダ州カラカス
生年月日 (1981-03-19) 1981年3月19日
没年月日 (2018-12-06) 2018年12月6日(37歳没)
身長
体重
6' 1" =約185.4 cm
210 lb =約95.3 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 内野手外野手
プロ入り 1997年 アマチュアFA
初出場 MLB / 2004年4月7日
CPBL / 2009年5月20日
NPB / 2010年3月26日
最終出場 MLB / 2008年9月28日
CPBL / 2009年9月27日
NPB / 2011年10月22日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

ホセ・ロンドン・カスティーヨJosé Rondon Castillo, 1981年3月19日 - 2018年12月6日)は、ベネズエラミランダ州カラカス出身のプロ野球選手内野手)。右投右打。

経歴

プロ入りとパイレーツ時代

1997年にアマチュアFAでピッツバーグ・パイレーツと契約。

2004年スプリングトレーニングで好成績を残し、AA級アルトゥーナ・カーブから飛び級でメジャーに昇格し、4月7日にメジャーデビュー。二塁手として129試合に出場し、8月には打率.347、OPS.971の好成績を残し月間MVP候補に選ばれる活躍を見せた。オフのベネズエラ・ウィンターリーグリーガ・ベネソラーナ・デ・ベイスボル・プロフェシオナルではレオネス・デル・カラカスの中心選手として78打数24安打の活躍を見せた。

2005年は守備面での活躍に加え、101試合の出場で前年を上回る成績を残し、打撃面でも進歩のあったシーズンとなったが、開幕直後に腹筋を痛めて故障者リスト入りした。8月22日のセントルイス・カージナルス戦ではエクトル・ルナと二塁ベース上で交錯し左ひざを負傷し、再び故障者リスト入りしてシーズンを終えた。

2006年は自身初のフル出場を果たしたが、5月には5試合連続で本塁打を放つなど、打ちまくっていた時期があったかと思えば、9月にはわずか.087という月間打率に終わるなど打撃での安定感に欠けた。

ピッツバーグ・パイレーツ時代
(2007年3月17日)

2007年は監督のジム・トレーシーが、前年は主に三塁手を守って首位打者を獲得したフレディ・サンチェスを二塁手へコンバート、ユーティリティプレイヤーのホセ・バティスタを三塁手に固定したため控えに回った。そのため、本職の二塁手の他に遊撃手や、メジャー昇格後初となる三塁手・右翼手としてもプレーした。

パイレーツ退団後

2007年12月にフロリダ・マーリンズFA移籍。

2008年のスプリングトレーニングでウェーバー公示されてサンフランシスコ・ジャイアンツに移籍し、三塁手としてレギュラーを獲得した。12月23日、ワシントン・ナショナルズとマイナー契約した。しかし、翌2009年のスプリングトレーニングで解雇される。その後、5月15日に台湾の統一セブンイレブン・ライオンズと契約した(登録名卡斯提)。13本塁打をマークするも、10月2日に退団。

横浜時代

横浜時代(2010年4月3日、明治神宮野球場

2009年12月18日に横浜ベイスターズと契約[1]

2010年は打率.273、19本塁打、55打点、OPS.755の成績を残した。守備では二塁手で15失策を喫したが、守備イニング500以上の二塁手で球界トップのRFを記録。一塁手右翼手左翼手での出場もあった。11月16日にスティーブン・ランドルフクリス・ブーチェックらと共に球団から自由契約を公示され退団。

ロッテ時代

2011年メキシカンリーグメキシコシティ・レッドデビルズでプレーしていたが、6月22日に千葉ロッテマリーンズへの入団が発表され[2]、同年7月5日の対北海道日本ハムファイターズ戦で初出場し、同試合では1本塁打を含む4打数4安打3打点の成績を残した。以降、シーズン終了まで、主に4番・一塁手として起用された。しかし.269、5本塁打と振るわず、11月30日に翌年の契約を結ばない事が発表された[3]

ロッテ退団後

ロッテを離れた後は主にメキシカンリーグにてプレーし、2012年ベラクルス・レッドイーグルスに所属。

2013年プエブラ・パロッツでプレー。

2014年は再びベラクルス・レッドイーグルスに所属し、シーズン途中からトレードでタバスコ・キャトルメンに移籍。

2015年はタバスコ・キャトルメンと再契約。

2016年はベラクルス・レッドイーグルスと契約するが、4月21日に解雇となる。27日にカンペチェ・パイレーツと契約するが、5月24日に自由契約となる。

その後、2017年6月にはイタリアンベースボールリーグパルマ・ベースボールクラブと契約してプレーしていた。

交通事故死

2018年12月6日、関係者により母国ベネズエラで交通事故死したと伝えられた[4]。37歳没。カルロス・リベロが運転していた自動車が高速道路に転がっていた岩に衝突して転覆、同乗していたカスティーヨとルイス・バルブエナが死亡、リベロは一命を取り留めたものの、重体と報じられた。

3人はベネズエラ冬季リーグのバルキシメト・カージナルスでプレーしており、6日に約360キロ離れた遠征先の町から本拠地バルキシメトに車で帰る途中であったが、高速道路上にあった岩は事故を誘発させたうえで窃盗を行う目的で意図的に置かれたものと見られており、その後当局によって4人の男が、死亡した2人の所持品を保持していたことから、強盗容疑で拘束されている[5][6][7]

プレースタイル

もともと遊撃手だったが、ピッツバーグ・パイレーツ時代にはチームメイトに遊撃の名手のジャック・ウィルソンがいたため、二塁手コンバートされた[8]。失策は多いものの[9]、二塁手トップクラスの強肩と殿堂入り二塁手のビル・マゼロスキーからかつて「現在、メジャーで最高の二塁守備」と絶賛された守備を持ち味とし[10]、横浜時代も500イニング以上出場の二塁手で得点換算リーグトップの数値を残した[11]

打撃では意外性があり、パンチ力も秘めるが、四球を選ばないフリースインガーであったため、メジャーでは2005年の.307が最高と出塁率が低く、好不調の波が大きかった[12]

人物

ベネズエラ・ウィンターリーグレオネス・デル・カラカスでの愛称は「El Hacha」(意味は「斧」で、現地の曲"Sexy Muchacha"に由来する)。アメリカ、台湾、日本でも「アチャ」という愛称で呼ばれている[13]

レオネス・デル・カラカスには1999-2000年のシーズンから所属しているが、チームがカリビアンシリーズで優勝したシーズン(2005-2006年)は怪我で出場できなかった(自宅のテレビで優勝シーンを見ながら号泣したという)[14]

横浜ベイスターズでの応援歌は過去にアルキメデス・ポゾに使用されていたものが流用されていた(その後ネフタリ・ソトに流用)。また、千葉ロッテマリーンズでの応援歌はカスティーヨの退団後、クレイグ・ブラゼルウィリー・モー・ペーニャに流用されている。

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
2004 PIT 129 414 383 44 98 15 2 8 141 39 3 2 5 2 23 5 1 92 12 .256 .298 .368 .666
2005 101 398 370 49 99 16 3 11 154 53 2 3 1 4 23 3 0 59 11 .268 .307 .416 .724
2006 148 562 518 54 131 25 0 14 198 65 6 4 1 6 32 8 5 98 22 .253 .299 .382 .682
2007 87 230 221 18 54 18 1 0 74 24 0 0 0 1 6 2 2 48 11 .244 .270 .335 .604
2008 SF 112 420 394 42 96 28 4 6 150 35 2 2 0 0 25 1 1 71 16 .244 .290 .381 .671
HOU 15 35 32 4 9 1 0 0 10 2 0 0 0 1 2 0 0 10 0 .281 .314 .313 .627
'08計 127 455 426 46 105 29 4 6 160 37 2 2 0 1 27 1 1 81 16 .246 .292 .376 .668
2009 統一 73 320 290 46 91 15 0 13 145 65 20 5 0 7 21 5 2 25 16 .314 .356 .500 .856
2010 横浜 131 496 466 48 127 24 0 19 208 55 3 3 1 3 22 4 4 71 16 .273 .309 .446 .755
2011 ロッテ 86 356 331 31 89 13 1 5 119 34 0 0 0 2 18 1 5 45 10 .269 .315 .360 .674
MLB:5年 592 2059 1918 211 487 103 10 39 727 218 13 11 7 14 111 19 9 378 72 .254 .296 .379 .675
CPBL:1年 73 320 290 46 91 15 0 13 145 65 20 5 0 7 21 5 2 25 16 .314 .356 .500 .856
NPB:2年 217 852 797 79 216 37 1 24 327 89 3 3 1 5 40 5 9 116 26 .271 .309 .410 .719

記録

NPB

背番号

  • 14(2004年 - 2007年)
  • 12(2008年 - 同年途中)
  • 13(2008年途中 - 同年終了)
  • 25(2009年、2011年途中 - 同年終了)
  • 51(2010年)

脚注

  1. ^ 横浜、新外国人選手入団会見、横浜ベイスターズ公式サイト[リンク切れ]
  2. ^ ホセ・カスティーヨ選手の獲得について - 千葉ロッテマリーンズ・オフィシャルサイト2011年6月22日
  3. ^ カスティーヨ選手との来季契約について - 千葉ロッテマリーンズ・オフィシャルサイト2011年11月30日
  4. ^ Former Astros players Luis Valbuena, Jose Castillo die in car accident” (英語). Houston Chronicle. Hearst (2018年12月7日). 2018年12月7日閲覧。
  5. ^ 大谷元同僚のバルブエナ内野手 交通事故で死去か?元横浜のカスティーヨ元内野手も死亡と報道 - スポーツニッポン 2018年12月7日
  6. ^ 大谷同僚バルブエナらの死亡事故で男4人が拘束 - 日刊スポーツ 2018年12月8日
  7. ^ 大谷同僚ら死亡事故で4人逮捕、事故誘い所持品強奪 - 日刊スポーツ 2018年12月8日
  8. ^ 2004メジャーデビュー全208選手リスト『月刊スラッガー』2005年1月号、日本スポーツ企画出版社、雑誌15509-1、73頁。
  9. ^ 友成那智、村上雅則『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2007』廣済堂出版、2007年、373頁頁。ISBN 978-4-331-51213-5 
  10. ^ 2006二塁手ランキング『月刊スラッガー』2006年6月号、日本スポーツ企画出版社、雑誌15509-6、25頁。
  11. ^ Baseball Baseball Lab守備評価~Second Baseman - セイバーメトリクス 野球データ分析コラム - SMRベースボールLab、2011年1月18日。(2011年3月9日時点のアーカイブ
  12. ^ 2006通信簿 FILE:219〜500『月刊スラッガー』2006年12月号、日本スポーツ企画出版社、雑誌15509-12、92頁。
  13. ^ 凄いヨ!カスティーヨ!4の4で4点差も逆転ヨ~ スポニチ Sponichi Annex
  14. ^ Castillo quiere ganar en cuatro juegos(スペイン語)、La garra del Leon、01月22日

関連項目

外部リンク





固有名詞の分類

横浜ベイスターズ及びその前身球団の選手 松山傑  渡辺誠太郎  ホセ・カスティーヨ  神崎安隆  古木克明
サンフランシスコ・ジャイアンツの選手 デビッド・グリーン  エド・ローシュ  ホセ・カスティーヨ  ウィリー・カークランド  フェリペ・クレスポ
ピッツバーグ・パイレーツの選手 リカルド・リンコン  ジョー・クローニン  ホセ・カスティーヨ  ルイス・ティアント  デーブ・パーカー
ヒューストン・アストロズの選手 ジョー・ペピトーン  ビル・ホール  ホセ・カスティーヨ  クリス・ドネルス  ジェフ・ブラム
ベネズエラの野球選手 トマス・ペレス  メルビン・モーラ  ホセ・カスティーヨ  フランクリン・グティエレス  ハビアー・ブリトー
統一ライオンズ及び統一棒球隊の選手 郭源治  石川雅実  ホセ・カスティーヨ  松永幸男  劉芙豪

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